オマケ1:吉田さんの人物設定「セシリア」と「ロニー」、猫さんの「猫道設定」を借用
知人から連絡が入った。昔、仕事を引き受けたことがある女だ。
セシリア・アネーキスだ。地上からの回線だった。
「ハアイ! ジョルノ、お仕事できてる?」
大きなお世話だ。今は謹慎中で、営業停止である。
ジョルノは久々の休暇を自宅でまったりと過ごし、晴れた日のバルコニーで自棄酒を飲んでいるところだった。リクライニングチェアを外に引っ張り出し、ビールを片手に日光浴中である。サングラスをかけて上半身裸になり、気持ちよく背伸びする。
眼下には古臭い市場が開かれ「おっさん、まけてくれよ、くさりかけの野菜ももらってやるから」という所帯じみた呼び声がよく聞こえてくる。
さっき、その市場に出かけて酒のつまみを手に入れたばかりだ。ジョルノは、まけろ、という交渉術は使えない。すてるならくれ、ともらってきた動物の骨と野菜の切れ端を使って、簡単なポトフを自分で作った。
のんきなセシリアの声を受話器越しに聞いて「生きてると答えておく」と、不機嫌そうな声でこたえた。仕事がない、いや、営業停止命令で働けない、なんて彼女に言ったら、腹の立つことを言われることは請け合いだ。
だらっとした体勢でビールを飲み、サングラスの位置を直す。
気持ちだけは上方に広がる気持ちの良い空のように気分よく過ごしたいものだ。
「何の用だよ? 無駄話に使う通信費はないからな。もう切るぞ」
「暇しているのかと思って、仕事を斡旋してあげようと思ったのに」
当たりだ。暇で暇で死にそうである。しかし、ジョルノは軽く答えた。
「お前からの仕事なんて、絶対ろくでもないんだ」
「へーえ? いい金になるのに。空中にある違法カジノから、あるディーラーを救って欲しいんだけど。今回、あたしはいけないから」
セシリアはトラブルシューターという仕事をしているそうだ。詳しい仕事の内容は知らないが、昔、彼女の紹介で空中都市から地上へ人を運んだことがある。チェルキオ空港から地上へ降りる航空機は出ているのに、正規の手続きでは地上に降りることができない人間がいるのだ。
それは、犯罪者だから、という場合もあるが、誘拐されて監禁されていた、という場合もある。何かが理由で金を奪われ、自力では地上に戻れなくなったり。ジョルノは依頼人の状況は努めて聞かないことにしている。万が一、捕まった時に警察や軍隊に「それは知らなかった!」と厚顔に言い切ることができなくなるので、理由を聞かないのである。
トラブルに巻き込まれるのは、本来はあまり好きではないが、セシリアは人助けをよくする女なので、断るのは難しい。その背後に困っている人がいると思うと、無下に断れなくなる。ましてや、それがマフィアがらみで命に危険があるとなると、やりたくないのに引き受ける羽目になる。
彼女は絶対、ジョルノの人の良さを計算して仕事を持ってきているに違いない。
違法カジノからディーラーを逃がす、という言葉から、不穏な空気を感じ、ジョルノはため息混じりに「営業停止だっつーの」と小さくこぼしてしまった。
電話の向こうで、セシリアは一瞬沈黙した後に「営業停止?」と繰り返した。
口を滑らせたことに気がつき、ジョルノはビールを床に置いた。彼女の追及が始まる前に、すぐさま、強引に会話を再開した。
「お前が行けばいいだろ。何だよ? 行けない理由でもあるのか? 違法カジノってあれだろ? ほら、地上三百メートルに浮いてる奴だろ? 高度一万メートルの空中都市から、俺をそんな場所に行かせるな」
「燃料費なら出すわよ」
「そーゆー問題じゃない」
「営業停止って何?」
「そーゆー問題じゃない」
言い合っている間に、バルコニーの手すりを銀色の毛並みの猫が横切っていった。優雅な足取りでやってきて、一度立ち止まる。ジョルノはその姿を見つけて、サングラスを持ち上げた。彼は魅惑的な笑みを浮かべた後、猫を呼んで口笛を吹く。
ピュー、と尻上がりに鳴らしたら、振り向きざまに目があった。彼女に反応があったのは初めてだ。ジョルノは気分がよくなって「こっちに来いよ、ハニー」と呼ぶ。
セシリアが「人の話をききなさいよ」と少し怒った声をかけてきた。
可愛い猫はふっと顔をそらし、再び気取った足取りで歩き去った。ジョルノは上機嫌になる。缶ビールを手にとって「いい休暇だぜ」と一人つぶやいた。
一口飲んだら、セシリアが話し始めた。
「あたしが直接行けるなら、あんたに連絡なんてしないわ」
「何が問題だよ?」
「そのディーラーは二十四歳の優男で、スケコマシなの」
「それは救う必要なしだろ」
ジョルノは即答して笑った。もちろんジョークだ。スケコマシだろうが、救う理由があるなら助けるのがセシリアだ。しかしながら、セシリアの傍には今、凶暴なボディガードが付いている。
あの男がまだ傍にいるなら難しいかもな、と思いながらジョルノは続ける。
「そうだ、あのガキ……ロニーは? たまにはあいつに休暇をやって、追い出せよ」
いつもセシリアと一緒にいるロニー・フェリックスを思い出して、ジョルノは笑う。彼は生き別れたジョルノの弟と同じ年だった。彼が生きていれば、ロニーと同じ年になっているはずだ。ロニーは思い込みの激しい危ない男だが、弟と同じ年ということで、ジョルノにとっては何となく可愛い存在だ。
彼はセシリアに惚れているのか、彼女に近づく男を目の仇にしている。依頼主がスケコマシだと知れば、セシリアから絶対に離れないだろうし、下手をすれば仕事の邪魔をしてくるだろう。今回の仕事にセシリアが手を出せない理由はそれなのか。
セシリアはちょっとため息をついてから答えた。
「雇ってるわけじゃないのに……わかったわ。引き受けてくれないなら、ロニーを迎えに来てやってくれない? あんたも一人で休暇なんてつまらないでしょうし」
「は? ちょっと待て。お前、あいつを俺に押付けようという魂胆か」
「その間に、あたしがやる。どっちがいい? 選んで」
「その選択肢はなしだろ! つーか、その選択肢はずるいだろっ! ベビーシッターじゃないんだから。殺し合いでもさせる気か。俺は絶対に負ける自信があるぜ」
ロニーと二人で休暇を過ごす? あの男はセシリアがいないときだって、暴力的で危ないのだ。何せ、血だらけが大好きなマフィアの男だ。
いつの間にか二者択一で、どちらかを選べ、と言われる。強引な女だ。
喧嘩腰で選択肢について文句を言い合っていたら、少し離れた場所から諍いを宥めるように「みゃーお」と優しい声が聞こえてきた。
ゆったりした昼下がりの時間帯に、白猫がたくさんの猫を連れて市場の奥へ入っていく。それは不意に溶けるようにして消えた。四つの世界を跨る猫道がこの世にはどこかにあると言う。空中から地上へ、地中へ、海中へ。猫たちはその道を通って、どこにでも行く。
その道の実在を彼は知らない。知っていたら、喜んで利用しただろう。依頼主を無料でどこにでも届けることができる。
だが、人生の近道を知らないのだ。回り道しかしたことがない。
しばらくすると、彼はビールを片手に笑い始めた。酒の入った日に、仕事の話は続けられない。いつの間にか、ジョークを言って、話題が変わる。セシリアと休日のおしゃべりを楽しんだのだった。
了