オマケ2:航空士の説明および、隣人イウェンに関するスピンオフ
バイトだ。今日は、航空機に乗らないバイトだ。
ジョルノはあどけない二十四の瞳に見つめられ、声を絞り出す。
「えー……本日は晴天なり」
「マイクのテストかよっ! ジョルノさーん? もう出発しちまいますがあ?」
即座に横から合いの手が入る。バスの運転手であるイウェンから頼まれた仕事だ。ジョルノは冷や汗をかきながら、横目に彼を睨む。
車内に明るい笑い声が聞こえてきた。観衆に見つめられ、居心地が悪い。いつもは離れて座る乗客たちが、規則正しくバスの中に並んで座り、前方に集まっている。この圧迫感に耐えられない。乗客は遊びに来た学生が十人、引率の教官が二人。全て女性だ。
彼は落ち込んだ小声でぼやいた。
「くそっ……何故、俺が添乗員なんだ。俺だって乗客だぞ、こら」
「マイクを通して聞こえてますよお? 無賃乗車のくせに、乗客というな、こら」
イウェンはハンドルを握って、動かし始めた。信号機が青に変わった。
ここは空中都市域にあるケアフルール島カトルズ空港。古い遺跡のあるこの島では、車に運転手がついている。地面からも浮かない。電力で車輪を動かして前に進む。
普段は浮遊している車に乗っているであろうお嬢さま学生たちは「きゃあ、揺れるー」と騒いで笑っている。見るもの全てが新鮮なようで、きょろきょろして車内を触る。
イウェンは観光バスの運転手ではない。空港から周囲の町まで送迎するシャトルバスの運転手に過ぎないのだが、今日はジョルノを引っ張り込んで、可愛い女子学生を楽しませようとしているのだ。
たまに、乗客に彼好みの女性がいると、そういうサプライズが起きる。
そして、今、まさに金のないジョルノはいい駒になるわけだ。バイト料はほとんど期待できない額だ。しかし、飯は食える。あとでイウェンに酒場へ連れて行かれるはずだ。
二人は同じ集合住宅に暮らし、隣同士だという理由で付き合いがある。
ジョルノは、面構えがいいから、という理由でイウェンの女漁りによく引っ張り込まれる。バイトと称しているが、要は女性をひきつける餌なのである。まともに観光案内を話す添乗員が欲しいわけではない。ジョルノはそういう教育は受けてないのだから。
だが、空港から居住地までの距離を無料でバスに乗れる。そして、飯つきだ。
シエル島にある母校へ行った帰りだった。珍しく髪を切り整えて、スーツも着ているので、別人のように垢ぬけて見えるが、財布の中身はすっからかんなのだ。バスに無料で乗れるだけでも実はありがたい。
ジョルノは腹をくくって、乗客を正面から見つめた。カトルズ空港からユイティまでは僅かに三十分弱だ。大した時間でもない。信号機はほとんどない。目に映る景色は小さなケアフルール島の縁という単純さだが、島の案内を話せば着いてしまうだろう。島を循環するバスだが、ジョルノは絶対にユイティで降りるつもりだ。
それで腹をくくったわけだが、直後、女性の嬌声が響いた。
「きゃああ、今、ワタクシはあの方と目があいました!」
「素敵ですわ。宝石みたいな目ですのね」
「お兄さま、お名前を教えて下さい」
急に騒ぎ出した女子学生たちの前で、そのパワーに圧倒された。彼女たちを引率しているはずの教官でさえ、目を輝かせて「お名前は何と仰るのですか?」と微笑む。
腹が決まらずに、ジョルノは迷いつつイウェンをふりかえる。イウェンは上機嫌で微笑みながら「早く働け」と短くつぶやく。いつもは口元にあるマイクロフォンがないので、彼の悪態は客に聞こえない。
ジョルノはため息をつきながら、ポケットからサングラスを取り出した。車内でかける必要はないが、顔を一部覆ったら気が楽になった。その行為でまた女性たちが騒いだが、知らん顔で話し始めた。
「今から三十分ほど、ここ、ケアフルール島の案内をさせてもらう。観光ボランティアというか、乗り合わせたよしみというか、まあ、そんなとこで短い時間だけど、よろしく」
彼女たちは礼儀正しく笑顔で全員が拍手。暖かい雰囲気になったが、逆に居心地が悪くなった。話を聞く気満々の真面目な生徒たちだ。ジョルノは今にも白旗を揚げたい気分で、目頭をつまむ。
イウェンが運転しながら「で、ボクは運転手のイウェンでーす!」と明るく挨拶を叫んだ。そのノリで女子学生たちが「お兄さまはっ!」と目を輝かせて身を乗り出す。ジョルノは運転席と客席を隔てるバーに腰をもたせかけて体を仰け反らせ、苦笑いだ。
背中をイウェンに殴られて、話し始めた。
「えっと……俺は、まあ、資格は添乗員ではなく、航空士という奴で」
「きゃああ、パイロット!」
「違う。航空士だ。俺は操縦もするけど、基本は航空士として」
「何とお呼びしたらよいのでしょうか。お兄さまのお名前を知りたいのです」
「だから、航空士というのは、何といったら……は? 俺の名前?」
「お名前、お名前」
ジョルノだ、とつぶやいたら、大声援だ。彼女たちは島の案内なんかどうでもいいのである。ジョルノの職業だってどうでもいいのである。目の前にいい男がいれば、あとは何とでもなる、というわけだ。
バスは空港を出て公道に入った。突然、前方の雲が横滑りに動いて、青い空が広がった。彼女たちは不意に開けた視界に歓声をあげた。島から見える天空の風景を見て、ジョルノから目を離す。ジョルノも彼女たちの視線を辿って左側の窓から見える光景を見た。
珍しく上空に七色に輝く雲があった。魚の鱗のように輝くメタリックな虹色の雲。
第二気団に浮かぶ島も見えている。ここ、ケアフルール島は第二気団へ上る玄関口の一つなのだ。重たい雲に覆われた第一気団に比べたら、第二気団は開放的な青空の下、気持ちよい筋状の雲が浮かぶ。
ケアフルール島を包む雲海は白金色に照り輝き、雲の上に輪状の虹を見せていた。
上下二箇所に現れた虹色を見て、ジョルノも笑顔になった。再度サングラスを外して、裸眼で天空の色彩を眺めた。
優しく広がる泡のような雲海に第一気団の島が、ぷかりぷかり、と浮いて見える。虹越しにそれらは、彼女たちを歓迎しているように感じられた。女子学生たちは礼儀正しくしていたが、顔だけは無邪気な女の子に戻っている。良家のお嬢さまであろうと、好奇心の強さは一般人と同じなのだ。少し体を浮かせて、窓に近づき美しい光景に見入っている。
晴れやかな光の中、ジョルノは穏やかな気分になり、サングラスをしまった。彼女たちを案内する気になった。
イウェンが彼に声をかけてきた。
「おい、ナビゲーター……きちんとナビしてやれよ。それが航空士だろ、お前?」
「はっ……バス運転手のくせに、航空士を顎で使いやがって」
イウェンと目が合ったので、軽く微笑んだ。イウェンはいつも通りのハンドルさばきで、ゆっくりと向きを変え、安全運転で街へ向かった。
ジョルノはマイクを片手に気楽な調子で話し始める。
「えーと、先ほど上空に見えていた虹色の雲は、第二気団よりももっと上方……第四気団に発生する雲だ。これが見られるのは非常に珍しい。今日はみんな運がいいぜ? 第四気団より高い場所は基本的に雲が少なく、大気の攪拌も減って」
航空士として持っている知識を用い、雲の話をはじめたら、彼女たちは嬉しそうな笑顔になって前を向いた。行儀の良い学生たちだ。ジョルノも彼女たちに自分の知識を教えているうちに、肩の力が抜けてきた。
空の話をしていたら、あっという間に、ユイティに着いたが「おいおい、もう降りるのか」とイウェンに言われ、彼女たちにも引き止められて、結局、島を一周した。
島を一周したところで、かかった時間は二時間程度。
今のジョルノには、それぐらいゆったりした時間が丁度いい。
了