オマケ3:航空機の形と猫の話
シャワーの音越しに依頼主からの電話が入る。
ジョルノは運び屋業務を再開していた。早速一週間ほど缶詰になって、遺跡保存委員会で働いてきた。第四気団にある遺跡の維持管理のための清掃作業者を送迎し、廃棄物等を運び出す作業についた。今は久々の自宅に戻って、自身を清掃中だ。
泥だらけになった体に頭から冷水をかぶって、髪を洗いながら答える。
「はあー? 聞こえにくい! もう一度言ってくれー」
流水を吸入するバキュームの音越しに、女の怒鳴り声がした。
「この音は一体何なの! あなたは今どこにいるの! 仕事よ! 仕事の依頼なのよ! お金が欲しいんじゃなかったの?!」
「はー? ヒステリーは勘弁しろよ。仕事の内容は!」
相手は遺跡保存委員会の本村灯里(モトムラ・アカリ)理事だ。彼女から紹介される仕事は、身元がしっかりしていて、報酬も悪くない。が、彼女の口調だけはいただけない。ジョルノは髪についた泥を流し落とし、ため息混じりに会話を続ける。シャワーの水を止めて、バスルームから脱衣所を覗く。小さな鏡を手に持って、再び中に戻った。
アカリは扉の向こうに置いた電話越しに叫び声を上げる。
「チャギと一緒にクルセル島の警備について欲しいの! 近々、遺跡ハンターが潜入する危険があるという情報が入ったのよ。入管施設と共に共同戦線を張るわ!」
「全力で断るっ!」
チャギとはアカリと共に働く合法ハンターの名前だ。その男はアカリと共に第四気団に違法に侵入するハンターを取り締まるため、協力している。
だが、ジョルノはこの男がとても苦手だ。何といっても、目つきが危ない。チャギという男は半径一メートル以内に近づく全ての人間に色香を放出する危険人物だ。
ジョルノが叫んだ直後、女のヒステリーが聞こえてきたが、知らん顔で鏡を覗き、顔に石鹸を塗りつけて髭をそる。指で肌を引っ張りつつ、慎重に刃を滑らせる。
不意にアカリが口調を変えて、小さくつぶやいた。
「はあー、面倒な男ね……とにかく、チャギがそっちに行ったから、後は彼から聞いて。彼があなたを推薦してるの。あなたがチームに入るなんて、私は不本意よ。じゃあね」
突然回線は切れたが、ジョルノは慌てて、髭剃りを手放して扉を開けた。受話器に手を伸ばしたが、もう切れている。そして、頬に痛みが走る。肌を切った。
「くそ。最後に爆弾発言するなよ」
切れた電話機に叩きつけるようにして受話器を置く。再びバスルームに戻って、切れた頬を見つめ、お湯で簡単に血を流した。これだから女は、と口にして舌打ちをする。
これからチャギがここに来る? 冗談ではない。ジョルノは手早く髭をそったら、すぐにバスルームを出た。脱衣所に落ちていたタオルで体を拭い、全裸のまま部屋を出て行く。髪を拭きながら自分の部屋を見回して、誰もいないことを確認してから寝室に入った。下着を取り出して身につけた後、簡易なジャージを羽織った。
酒を手にして、髪を拭きながらバルコニーに出たら、先客がいた。
嫌な予感は当たる。
月光の下、チャギが美人猫と一緒にいた。彼は種族を超えた色香までも発揮したらしい。彼の赤い髪が風になびき、銀色の猫が彼を見上げて体を摺り寄せている。ジョルノはげっそりした顔で彼に声をかけた。
「おっさん? 違法な家宅侵入だぜ」
「バルコニーは共用じゃないか。猫の通り道だよ」
気楽な笑みを浮かべ、チャギがうっとりした視線を背後に向ける。ジョルノは即座に目をそらし、窓辺にもたれて酒を口にした。
バルコニーにもう一匹猫が来た。チャギはグレータビーの猫をふりかえって、口笛を吹く。彼の耳についている鳥の羽を見て、その猫が一瞬目を輝かせた。
次の瞬間、その猫は隣室のバルコニーから飛び上がってチャギの傍に来た後、両手を伸ばして彼の羽飾りを攻撃する。チャギは猫の手で顔をパンチされて「あて」と小さな悲鳴を上げた。有能なハンターのくせに猫の攻撃は避けなかったらしい。
縞模様の入ったその猫は羽飾りで遊びながら大きな体をチャギに乗せ、ごろごろと人懐っこい声を出した。チャギは片手でその猫を抱きながら、声を出す。
「ここは可愛い猫が多いね。さっきも白い猫がたくさん猫をつれて通って行ったよ」
猫とじゃれている彼を見て、ジョルノは軽く吐息をついた。窓にもたれていた体を起こして、彼の傍へいく。銀色の猫がジョルノを見上げて尻尾を動かした。彼女の体に手を伸ばしたら、意外なことに触らせてくれる。ジョルノは笑顔になって猫の頭を撫でた。チャギがいると猫も警戒心を解くようだ。
突然、二匹の猫がびっくりした様子で空を見上げた。
ジョルノとチャギも猫と共に空を見る。夜間飛行中の航空機が闇の中に浮かんでいる。巨大なトンボの姿が南へ流れていく。四枚羽根に見える翼状が特徴的だ。航行中を示すライトが、左右の羽と目の部分についているように見える。光と闇のトンボだ。
銀色の猫がジョルノに身を寄せて「んみゃ」と甘えた声を出した。
ジョルノは少し嬉しくなって、彼女に話しかける。
「あれは南にある第二気団へ上る航空機だ……多分、羽の形状を見るとヌーヴォラチェロ社のサマーソルト77型だ。地上の航空機を改良して地上から直接乗り入れる航空機を作ってるんだ。ケアフルールを経由せずに、チェルキオ空港から第二気団へ行く」
「まだ、チェルキオ空港を経由せずに第二気団へは直行便を出せないだろう。地上から直接乗り入れを計画している航空会社は他にもあるが、ヌーヴォラチェロ社のサマーソルトは事故も多い。第二気団にある発着場はサマーソルト型の航空機とは契約を取りたがらない。あれはきっと個人所有の航空機だ」
チャギがジョルノにそう答えた。ジョルノは苦笑いして「まあね」と軽く答えた。隣にいるこの男は、この手の情報にも詳しいらしい。
美人猫は二人の男に挟まれたまま、その言葉を聞いていた。彼女は二人の顔を交互に見た後、興味ないといわんばかりの顔でふいっとその場から飛び降りた。
バルコニーに置かれた椅子の上に座って、毛づくろいを始める。
その様子を見て、チャギに甘えていた縞模様のオス猫が青い目を輝かせて、彼女の傍に擦り寄っていく。尻尾の匂いを嗅ごうとして、彼女に尻尾で顔をはたかれる。
ジョルノはその様子をニヤニヤ笑いながら眺めて、酒を口にした。
チャギが猫をふりかえって口を開く。
「可愛い猫ちゃん、レディバードが来ましたよ? 一緒に遊びませんか?」
「はあ? レディバード?」
ジョルノは思わず空を見上げて、丸い形状の大型船を探した。レディバードとはソレッジャーノ社のポンペルモという船のことだ。真ん丸い形状がポンペルモというフルーツに似ているので、その名がついたが、安定した走行性と居室空間の優美さから「レディバード」という愛称がついた。貴婦人を運ぶ鳥、である。
星空を見上げてきょろきょろしているジョルノの隣に、再び銀色の猫が飛び上がってきた。チャギの隣で片手を伸ばして小さな丸い虫を触ろうとしていた。意外にも好戦的な彼女らしい。夢中になって「ふー」と虫に唸っている。
その彼女の隣に縞模様のオス猫が入ってきて、ジョルノをぐいっと外に押し出した。背中に白い毛がクリームのようにくるっとくっついている。妙な形状の猫だ。
二匹は仲良く並んで「レディバード」に手を伸ばして遊んでいる。
ジョルノは手すりにもたれたまま「天道虫かよ」と笑った。チャギはうっとりした優しい瞳で頬杖をつき、無邪気な猫たちを眺めている。彼は仕事の話を出さなかった。ただ、夜に溶け込む時間を共に過ごしたのだった。
了