2 カーチェイスと空中戦
ブラックホールと同じものが、生まれることになる。使い方を間違えれば、大地に足をつけて生きていた生物が、全て空に落ちる。そこに選別はない。生きていてもいなくても、全てが等しく影響を受けて、空に舞い上がる。
空間に一度生まれたブラックホールを消すことはできない。
別の宇宙がその重力を飲み込んで、無力化しない限りは。
重力発生装置、という名称は誤解を招く。本当の正体は、重力を操る装置などではない。この現世に充満している要素のうち、空間を規定しているもの全てを操ることのできる装置なのだ。ゆえに、飛行する時は必要以上のものを操らないように、パイロットは教育を受ける。操縦を誤れば、巨大な空間が消失することになるからだ。
ロヴィーネ島だけがこの装置の保有を許されている。
それは、人類の技術力では飛行の難しい最高天界へ行ける唯一の航空機だからなのだ。それ以外の場所では、利便性よりもリスクの方が先立ち、地上都市でも空中都市でも一般に使用を認められていない。この戦闘機を所有している遺跡保存委員会だって、普段の飛行には浮力装置を用いて、重力発生装置を極力使わないようにしているぐらいなのだから。
盗んだ奴がいるというなら、国際機関が総力を上げて追跡するだろう。絶対に奪い返さなくてはならない最高の技術力だ。
ジョルノが説明を終えて「で、大丈夫なんだろうな」と問いかけた時、マックスは困った顔で「大丈夫、ではないかもよ?」と答えた。さらりと。
ジョルノが目をむいてにらみつけた時、彼らの上空に白い発光体が出現したのだった。
車が白色光に包まれた瞬間、マックスは自分の携帯電話を握り締め、耳の中に入れてから「くっそ!」と叫んだ。珍しいことに彼は動揺したようだ。
直後、ジョルノに向かって八つ当たりが始まる。
「だから、君に出会ってから計画が狂いっぱなしなんだよ!」
「俺のせいかよ! お前が違法行為を計画するから悪いんだろう」
「君なんて放っておけばよかったよ。なんで、こっちの電話の方が壊れちゃってるんだよ。何やってるんだ、くそっ!」
マックスは助手席で頭を抱えて「うああああ」ともだえた直後、表情を一変させて起き上がった。彼が自動小銃を手にしたとき、正直、身が縮む思いだったが、マックスは片目にスケールを計るレンズをかけながら「一定の速度で」と繰り返した。
気持ちの切り替えの速さは天下一品だ。ジョルノもため息混じりに速度計を確認した。
スポットライトのように車が照らされている。ジョルノは嫌な予感がして、胸がドキドキしてきた。なぜ、さっきからずっと照らされているのだろうか。
車外に体を出したマックスは光の中、銃口を前方にある配電盤に向けた。赤外線スコープを手にしていたが、この状況下では使えない。彼は車内にそれを放り投げて、裸眼で闇の中の目標を探した。
ジョルノはナビゲーションに映っている高速道路の形を目にして、前方を見つめる。スポットライトの白い靄の外にある闇の陰影を見つめ、目を凝らす。
マックスの射撃の腕がどうなのかは知らない。だが、片目にスケールを取り付けないと標的までの距離を推定できないのだろう。もしくは長距離スナイパーなのか。
一発で仕留められなかった時のことを考えて、ジョルノは次の標的を探す。片手でナビゲーションを操作して、配電装置のありそうな場所を見つける。それは一定の間隔で設置されているはずだ。
その後、周囲に響く銃声が鳴った。
しばらく、二人は無反応で前方を見ていたが、ジョルノがため息をついたとき、マックスが車内に再び身を入れた。ナビゲーションシステムに触れたマックスに「五キロ先だ」と簡単に伝えた。マックスは重々しい吐息をついて、時計を見た。
背後から、轟音が聞こえてきた。マックスが背後をふりかえって「空軍だ」とつぶやく。
案の定、それらは空中で転回して、攻撃が始まる。
発光体はすぐに飛び去ると思っていたのだが、直後、ジョルノの体に異変があった。手に持っているハンドルの舵が利かない。数回、遊びを確認してから、ジョルノは引きつった笑みを浮かべた。これは、もしかしなくても、浮いているのだ。重力に引っ張られて。
マックスはまだ気がついていない。
ジョルノは運転席から身を乗り出し、上空を見つめた。空軍の戦闘機が暗い陰影となって空を飛び回っているのが見える。そして、真上に張られた電気網の存在に気がつき「うわあああ」と叫んだ。
制御が利いている間に、スピードを上げて重力の影響圏から逃げようとしたが、既に車の高度が上がっている。まずい。非常にまずい。
ジョルノはマックスに叫んだ。
「電気ショックに備えろよ、やべえ、やべえっ!」
「え? あれ? 浮きすぎてない? あれ? あれ?」
マックスもようやく事態に気が付いたようで、さああーっ、と顔から血の気の引いた表情になる。彼は自分の体に触りながら金物の器具を全て取り外し、ジョルノに「ああー、トンネルー」と叫んだ。
前方に、トンネルが見えてきた。その上部にぶつかり、耳障りな音と火花を立てつつ、辛うじて中に滑り込んだ。車は重力範囲から離れて、ゆっくりと通常の高度に降りていく。
歪んだ車体の中で、ジョルノは背後をミラーで確認し「停まった方がいいか?」とマックスに確認する。マックスは「俺たちは二人だけど?」と笑う。追跡しているマフィアの車の台数を考えると、ここで停まるのも自殺行為だ。
マックスは再び自動小銃を手にして、安全装置を外した。ナビゲーションを見ればそろそろ目的地だ。今度こそ配電盤を撃ちぬけるのか。撃った後、電気網の外に出ても、重力場による引力からどうやって逃げるのか。
トンネルを出てから、すぐに配電盤がある。条件は先ほどよりも悪い。
だが、マックスは歪んだ鉄骨を握って、車外に体を出した。さらに助手席から上に這い出して、車の真上で腹ばいになっている。ジョルノは彼が何も命綱をつけていないことを思い出し、ゾクッとした。計器を確認し、速度と方向を一定に保ち、マックスが滑り落ちないように祈る。時々、あの男はそういう常識を超えた行動を平気で行うのだ。
最初に出会ったときから、その度胸には惚れていた。
犯罪者で、わがままで、頑固者で、軽薄で、嘘つきで、裏切り者で、いい印象なんて一つもないのに。そんな無謀な冒険者が好きだった。彼と過ごした時間は痛快だった。
助手席には、彼が取り外したスケールスコープの代わりとなるレンズが落ちていた。ジョルノはそれを見つけて、ハラハラしながら片手を伸ばす。マックスはこれがなくては撃てないのではないか、と思った。
トンネルの出口が見えてきた。と同時に、背後から銃声が聞こえてきた。マックスの銃の音ではない。バックミラーを確認したところ、車のライトが間近に見えた。
ジョルノが体を起こしたとき、ハンドル操作を誤って、車体が左右に揺れた。
思わず、青くなって「マックス!」と叫んだが、彼からの返答はない。直後、トンネルを抜けた。天井からマックスの銃声は聞こえない。再び白い光に車が包まれる。
「マックス! マックスーッ! おいっ、答えろっ!」
車から滑り落ちたのだろうか。それとも、先ほどの銃弾で……?
再び車が重力に引っ張られて、浮き上がった。背後から銃声が響く中、ジョルノは成すすべがなく、車の扉に手をかけて、今、外に飛び出すかどうかを迷った。
配電盤の設置された箇所を通り過ぎた。
直後、巨大な銃声を耳にした。ようやくマックスの発砲を確認し、緊張が途切れた。ジョルノはハンドルから手を離したが、既に車は制御不能だ。空中に浮かび上がっている。
ジョルノが体を外に出した時、電気網が真上に迫っていた。車体の上に寝転んでマックスが倒れている。彼は車にしがみついて「神さまあー」と叫び、目をギュッと閉じた。ジョルノも涙目になって、その網を見つめる。
体にぶつかった時、電流が通り抜ける衝撃を覚悟して、身を固めた。
銃声がして、右腕に熱が走ったが、それ以上の衝撃はない。一度、網に絡み取られて動けなくなっただけだ。その後、大きなその網の間から、マックスの体が浮かび上がって行くのが見えた。彼は「うおおおお」と叫びながら手を動かす。ジョルノが彼に手を伸ばしたが、指先をすり抜けて空に舞い上がってしまった。いや、空に向かって落ちていった。
途中、マックスは流体エルロンによる翼を出して羽ばたいてみたが、全く効果はない。引き寄せられて落ちていく。まるで、天使が光の中を昇っていくようにして。
ジョルノは片手と片足で体を車に固定させて、その場に留まる。真下に、マフィアたちの車が集結していた。彼らも浮かび上がって、悲鳴を上げるのが聞こえた。
どちらがいいだろうか。
生身で空に落ちるのと、発光体が飛び去った後、マフィアに蜂の巣にされるのと。
結局、ジョルノが迷っている間に発光体はマックスを収容して飛び去ってしまった。浮遊車はゆっくりと高度を下げていく。ジョルノは足元に集結しているマフィアの群れを見て「冗談じゃねー」と苦笑いする。ここでリンチは御免こうむる。
彼らはすべて銃を手にして、ジョルノに銃口を向けている。照明は暗いけれども、それぐらいはわかるのである。
ゆっくりと高度を下げている時に、トンネル越しにひときわ明るい光の集団がやってきたのが見えた。トンネルに入った瞬間、彼らのサイレン音が聞こえた。警官だ。
不意に、ジョルノの乗っていた車がガクッと降下を止めた。網に引っかかって、それより下に降りられない。網に絡んだ形で車がぶら下がり、ジョルノは運転席の中で、ぼんやりと頬杖を付いていた。もはやどこにも逃げられない。
足元で、マフィアたちが慌てて車に乗り込み、悔し紛れにジョルノの車に数発撃ち込んでから、通り過ぎていく。何とも腹の立つことに、直接ジョルノを狙って車内に撃ちこんで来る奴もいて、危ないことはこの上ない。ジョルノは両手で盾を作って避けながら「くそったれえー」と悪態をついた。マフィアたちは公道につばを吐き捨てて、逃げていく。
その直後、パトカーが猛スピードで通り過ぎて、マフィアたちを追跡するのが見えた。閉鎖された高速道路でカーチェイスが始まる。浮遊車の数倍は性能の良い車である。水陸両用、低空も飛ぶ、スタミナ抜群のパトカーである。あんなものに追いかけられたら、絶対に逃げられない。ジョルノはぼんやりした顔で彼らを見送った。
「またあなたなの? どういうつもり?」
足元で、甲高い女の声がした。視線を向けると小さな生き物が上を見上げているような気がしないでもない。車のライトに照らされて、陰影の深くなったシルエットの中、短足に見えるタコのような軟体動物に見えた。
ジョルノは「女かよ!」と悪態をついて、車内に寝転がった。もう女は勘弁だー、と叫んで、両足をばたつかせる。いつも俺にこれ以上ない悪運を呼びやがって、と叫びつつ、暴れていたら、不意にその足を握って止められた。
浅黒い肌を持った、赤毛の長髪男がにんまり笑って、ジョルノの足を引っ張り出した。
「うわあっ!」
彼にそのまま足を持ち上げられて、逆さ釣りになる。大柄なジョルノをあっさりと担ぎ上げる。男はジョルノの足に縄をかけて、素早く自分の肩の上に乗せてしまった。その後、ロープを使って、するすると下りていく。タコのように見えた生物は、普通の小さな女性だった。彼女は腕を組んで怒りながら、ジョルノを見上げている。
隣にRT3が姿勢よく立っていて、ホテルドオランデの支配人もいた。
地面に降りると早速色んな声をかけられた。
「ご無事でよろしゅうございました、ゴールドバーグさま」
「あなたねえ、やっぱり犯罪者じゃないの。マクシミリアン・シャッテンバウワーはどこにいったの。まさか逃がして」
「私はRT3の代理を勤めます、RT2でございます」
「きみ、怪我はない? 車はどうしよっか」
「ケニーさまがご心配しております。ホテルへご案内します」
「お嬢さま、RF三号機を空軍がキャッチアップに成功したようです」
「行くわよ! チャギ! あとは警察に任せて!」
「だけど、アカリー? 彼は腕を怪我してるよ?」
「放っておきなさいっ!」
慌しくヒステリックな叫び声を上げて、女が歩いていく。黒髪の女だ。珍しい。ルカの家に遊びに来ていた女も黒髪だった。あっちは可愛かったのにな、と思いながら、彼女を見送っていたら思い出した。この高飛車な叫び声をどこかで聞いたことがある。
軍の収容施設でもうるさく説教していたモトムラ・アカリだ。
思い出したら、胃がむかむかしてきた。また、マックスの罪を一人でかぶったようだ。腹の立つことに。この小さな女に二度も怒鳴られた。
ジョルノの周囲に年配の支配人とコンシェルジュが寄り添った。支配人は電気網に絡め取られた車を見上げて「なあに、大した金額ではございませんから」と微笑む。その直後、網をすり抜けて、車が落下する。ものすごい騒音を出してそれは大破してしまう。ジョルノは冷や汗が出てきた。ま・た・か。
次の瞬間、ジョルノの体は無意識に動いていた。
まだ、マックスから回収できていない資金があるのだ。口の中で「逃がすかよ」とつぶやいて、モトムラ・アカリに近づいた。警官たちに紛れ込み、彼女は自家用車に二人の男性と共に乗り込んでいたが、そこにジョルノが無理やり押し入るようにして入った。
アカリは驚いた声で悲鳴を上げたが、ジョルノは助手席にいる赤毛の男に「マックスに会わせろよ」と声をかけた。しっとりした黒い瞳を持つその男は、思わせぶりな色気のある酔眼でにっこり笑った。彼は長い赤毛を組み紐でポニーテールにしていた。耳に鳥の羽で作った飾りをつけている。その男の正体は不明、年齢も民族も職業も不明だが、アカリの部下らしい。
運転席にいるのは、アカリを「お嬢さま」と呼んでいた。服装は黒い燕尾服を几帳面に着ている。見るからに彼女の執事だ。
ジョルノは最後に後部座席にいる女を振り返った。一瞥した後、ちっこい女、と認識した。女としては全く興味をもてない。気をひかれるところがほとんどなく、背丈はこじんまりとした成長過程の子供のような女性だ。一瞬、まだ成人していないのではないか、と思ったが、彼女の身分を思い出した。遺跡保存委員会の理事なのだ。これで。成人前の子供に理事を任せるとは、どういうことなのだろうか。
背の高さは女性にしては一般的だ。ジョルノは180センチはある。アカリは160を超えているのだろうか。座高は低い。足が長いのかもしれないが。女性らしい色気もなく、髪は三つ編みにしてひっつめており、真っ黒いフレームの眼鏡をかけている。身につける宝飾品はまったくない。
ジョルノは彼女を無視して「車を出せ」と命じた。直後、アカリが「北村、この男を放り出しなさい」と叫んだ。執事が「かしこまりました」と言った後、車を開けて外に出る。やはり、主人の命令に従うらしい。ジョルノは舌打ちしてから、アカリに向き合った。
「なんで、お前らより先に俺がマックスに接触できてるんだよ。無能なんじゃねーの? ちゃんと犯罪者を追っていたのか? 怠けてるんじゃねーよ、お嬢ちゃん!」
「何ですって?」
「今、マックスを取り逃がしたらどうするんだよ。俺の生活費をお前は払えるのか?!」
「全く関係ない話題よ」
「ある! こっちは死活問題なんだよ! いいから、俺を連れていけっつーの!」
嘘は言っていない。何一つ。
前方にいた赤毛の男が声を出した。
「RF三号機を捕捉したのは、FO−15の戦闘機乗りだろ。早くしないと逃げられてしまうだろう。アカリ、急ごうか」
車の扉が外側から開いて、執事が腕を伸ばしてきたが、ジョルノは「勝手に触るんじゃねーよ」と彼を睨みつける。アカリは時計を見て「北村、早く車を出して」と命令を撤回した。執事は怒ることなく「はい」と答えて、再び車を閉める。
車が動き出してから、すぐにジョルノが赤毛の男に声をかけた。
「FO−15の戦闘機って空中都市を巡視する部隊で使ってた?」
「きみは戦闘機に詳しいの?」
「いや、地表の戦闘機乗りだったら、ロヴィーネ島の航空機の動きには、付いていけないって思っただけだ」
「FO−15型の空宙両用試験戦闘機は、空中都市方面国際連合艦隊第一空母および第三連隊に三機納入されてる。今回の捕縛に協力しているのは、第三連隊所属のテストパイロットが二人。いずれもエース級のパイロットだけど、戦闘は不慣れかもね。実戦経験があるのは一人だけ」
「もしかして、ノノ・ニック・ブレンティアル少尉?」
以前出会った空軍少尉のことを思い出す。赤毛の男はにんまり笑って「知り合い?」と聞く。ジョルノは、見舞いに来てくれたノノのことを思い出し「ちょっと」と答えた。
アカリが話に入ってきた。
「そういうあなたに実戦経験はあるの? ジョルノ・ポアンカレ」
フルネームを覚えているのはさすがの調査員だ。ジョルノはアカリをふりかえって「記憶力あるじゃん」と軽い口調でからかう。アカリは彼を睨んで口を尖らせる。そういう態度がますます幼い。
電子音が鳴って、助手席前方にホログラムが浮かび上がった。最新機器の電信システムだ。ジョルノはびっくりして助手席にしがみ付いてその映像をみる。
幽霊のような影の薄さで女が「社長」と呼びかけた。
赤毛の男が穏やかな表情で答える。
「マクシミリアンがRF三号機に収容されたのを確認したよ。ガネーシャは今どこ?」
「エリアH105に到着。こっちはボブが交渉してる……お嬢さまはどーしてんの?」
「これから連れて行く。無理な交渉は控えて、アカリの到着を待て」
「了解」
通信が切れると茶髪の縮れ毛をもった女の映像が消える。ジョルノは「ぴゅー」と小さな口笛をならした。この男は社長で金持ちだ。
名前は……チャギといったか。
ジョルノはにんまり笑って彼に話しかけた。
「おっさん、何の職業やってんの。意外に儲けてるみたいじゃないか」
赤毛の男は切れ長の瞳を流し、ジョルノを一瞥する。からかいの入り混じった色気を漂わせ、ふわっと優しい笑みを見せる。目は優しい弧を描いて垂れ下がっているために、思わせぶりな視線を持った男だ。
彼は片手を伸ばして、電話機を後部座席に差し出す。ジョルノはドキッとしてそれに手を伸ばしたが、脇からアカリが「邪魔よ」と言いながら受け取った。
チャギは彼女に言う。
「エリアH105の管制室へ直通で」
アカリがそれを耳に当てながら口を開いた。
「担当の司令官の名前は」
「クラート・ダレン・カーター司令官……若い女が大嫌いだ。気をつけて」
直後、アカリが「カーター司令官ですか」と少し低い声で話し始めた。彼女は落ち着いた口調で自己紹介をした後、用件を話し始めた。
「私は空中都市にある遺跡保存委員会の理事で本村灯里と申します。この度は、当委員会所属のRF三号機の捕獲計画にご協力頂きましてありがとうございます。FO−15でRF三号機を捕捉したと聞き、今、我々もそちらに向かっているところです」
彼女はホログラムを切って話をしていた。カーター司令官という男の顔はわからないが、アカリの眉根が寄せられて、皺が寄ってきた。なにやら嫌な言葉を聞かされているようだが、彼女は激昂することなく静かに前方を睨んでいるだけだ。
しばらくして「とにかく、私が責任者ですので」と言って、よろしくお願いします、と繰り返した。一方的に電話を切った後、チャギに電話を投げて返す。
イライラした様子で腕を組んだ後、不意にジョルノを睨みつけてきた。八つ当たりは勘弁してもらいたい。ジョルノは呆れた顔でそっぽを向いたが、彼女のヒステリーが始まる。
「言っておくけど! 私の年齢は28歳なのよ、ジョルノ・ポアンカレくん!」
「は? 俺より年上?!」
「なあにが、お嬢ちゃんよ、私はもう成人しーてーるーのーよー、ああああああ」
「うるっせえ!」
ヒステリーを起こして、悲鳴を上げている女の隣で、耳を塞ぎ、ジョルノは身をそらした。アカリはよほど嫌な言葉を言われたらしく、その後も地団太を踏んで叫んでいた。
執事がその騒ぎを全く無視した冷静な声で「高速道路を出ます」と伝えた。
チャギが助手席のロックを外して、座席をくるっと真後ろに向ける。ジョルノと向き合うと、蕩けるような濡れた瞳で見つめられる。ジョルノはその目つきに少し怯えて目をそらした。このおっさんは無用な色気のある男だ。
彼は10センチ程度の細長い棒を3倍に伸ばし、不意にその棒から薄い発光紙面を出現させる。周辺地図を示したものだ。騒いでいたアカリが口を閉じて、身を乗り出す。
ジョルノも思わず地図の情報を読み取って、現場の座標軸を無意識に計算した。
重力発生装置を搭載したRF三号機を捕らえるなら、絶対座標軸の計算が必要だ。ジョルノは地上におかれたエリアH105という軍事施設の相対座標を頭に入れ、ヒミンビョルグ市との距離を相対座標で理解する。その距離を絶対座標軸の基準点として、追跡を行えばいい。星の自転速度と公転速度を計算する計算機をFO−15型の戦闘機は持っているだろう。空宙両用型を想定した戦闘機なのだから。
チャギは地図を水平に保ったまま話した。
「エリアH105は地上に設営された空軍の支援基地だ。ボブが連絡してきた情報では、空中都市にある空母の支援までは取り付けられなかったようだ。彼らは今、FO−15……いや、通称『グリンキャット』部隊を率いて、二機のテスト飛行データを収拾するために協力している」
アカリは地図を見ながら聞く。
「今、RF三号機はどこにいるの」
「地上の座標軸では、南緯15度、東経112度だ。その情報はボブが無線を傍受した時刻、今から十二分前の話だ。僕たちが彼らを見失ってから三分後」
「既に空間跳躍の操縦法を理解できてるわね」
「宇宙空間に逃げられたら厄介だね。委員会所有のRF機の使用許可はまだ出ないの?」
「委員会の連中は頭が固いのよ」
アカリはため息をついて時計を見つめた。ヴュルラク島から盗んだ盗品の他に、彼女は委員会から盗まれた戦闘機の回収も命じられているのだ。童顔の彼女は少し疲れた表情を見せた後、チャギを見つめた。
「何か作戦は?」
チャギは優しい笑みを浮かべて答えた。
「ブレンティアル少尉の協力が必要だろう。RF三号機を追跡できるのは、彼らしかいない。とにかく、腹が立っても、カーター司令官に頭を下げて、基地内に入ってくれ」
「わかってるわよ。他に私ができることはないの?」
「ガネーシャが電気網による捕捉帯の準備を終えた。重力発生装置は機体表層に影響を与え、機内は別空間で守られてる。表層がむき出しになっているのだから、そこを攻撃すればいい。装置への入力をショートさせて、航行不能にさせる」
「ガネーシャたちが罠を張っている場所へ誘導するよう、少尉に伝えればいいのね?」
「そうだ。その座標軸を計算するから……きみがその数字を伝えて」
チャギはそう言って、別の機器を取り出し、ホログラム上で座標の計算を行う。ジョルノは「地図をもっと拡大しろよ」と文句を言って、二人の会話に入った。
チャギが持っていた地図を取り上げて、拡大鏡を操作する。
「罠を張る場所はどこなんだ。俺が計算してやるよ」
ジョルノが聞きながら、地図を動かしていく。アカリは目つきが悪くなったが、チャギは微笑みながら、指を出す。彼の右手に、二つの指輪がはまっている。ジョルノの瞳と同じ色の緑石が双子のように同じデザインで揃っている。その指で地図に触れて、画像を動かす。滑るようにして地図が移動する。
エリアH105に設定されている区域のすぐ外に民間の発電所がある。そこからの配電を操作して、電気網を設置したようだ。エリアH105を囲むようにして山岳地帯が横たわる。民間から隔離されたその区域の境界線上に罠を設置し、収容した犯罪者をすぐに軍用施設に運び込むつもりのようだ。
エリア内に設置された変電所と配電施設にチャギの仲間がいる。電力の使用許可を求めてエリアH105のカーター司令官の許可を仰ぎに出向いているのだろう。彼らは既に軍事区域の中にある施設への侵入を果たしている?
ジョルノは不意に気がついた。
この男もまた、堅気ではない、と。
チャギが普通の企業の社長であるわけがない。軍事施設やその技術力に通じていて、組織化された部下を持ち、こんな作戦を即座に立てられるのは……ハンターしかいない。
簡単な計算を暗算で行ってから、ジョルノは彼に話しかけた。
「相対座標で指示をするのか、絶対座標で指示をするのか」
「絶対座標も計算できるの? 暗算で?」
「そんなことができるわけないだろ。ピンポイントで指示をする気なら、FO−15がどこまでの解像度を持った航空機なのか教えろよ。俺がナビゲートする。惑星の運行時刻を計算できる電算機をくれ」
「航空士だったっけ……きみの経歴」
「天文物理学や航法計算は嫌いだったけどね」
彼に専門知識があることを思い出したのか、その言葉を聞いたとたん、アカリの表情がふっと緩んだ。ジョルノに問いかけた。
「計算にかかる時間は?」
「最初の絶対基準値を算出するまでに一分ぐらい。後は相対座標とあわせて計算すれば、暗算でも指示ができる……ように学んだはずだけど、学校を卒業したのは三年前」
「結構よ」
彼女は座席に深く腰掛けて、執事に「到着まで何分?」と聞く。執事は「あと二分ほどでエリアに入ります」と答えた。車外を見れば、立ち入り禁止の札を通り過ぎ、浮遊車はフーバーによる移動が始まっていた。砂を巻き上げ、視界が少し霞んでいる。
周囲は民間から遠く離れた隔離地域。電灯も標識もなく、ひたすらまっすぐ荒涼とした山岳を行く。真上にきれいな星が見えている。天候はおそらく快晴だ。
前方に電気網で囲まれたフェンスエリアが見えてきた。詰め所の光がついて、中から兵士が出てきた。珍しいことに、ロボットではなく、生きている。非常事態宣言が出ているようだ。施設内で働くロボットは生身の人間たちで置き換わって、急転する事態の変化に備えているようだ。
一度、車を止めて、後部座席からアカリが声を出した。
「遺跡保存委員会の理事で、本村です。RF三号機の捕縛のため、カーター司令官に話があります」
兵士は一度敬礼してから「お待ちしておりました」と答える。一応、カーター司令官から連絡は来ているようだ。それ以上の検問はなく、その兵士がフェンスを開いて、車を中に入れた。
ジョルノの膝にホログラムを使って計算のできる電算機と六分儀が乗る。チャギが「ジョルノ、それを使って」と言いながら、助手席を前に戻した。
エリアH105の中に入り、2キロ以上の道を行く。ジョルノは時計を見て、天空の星を見た。この星の上で座標を確定させるなら、自転軸の真上にある星を基軸にして空間計算を行う。移動中の車の中で測定するのは苦労する。だが、それができなくて、航空士は務まらない。ジョルノはアカリの傍にあったボタンを押して、天井の覆いを開いた。
ゆっくりと天井が開くにつれて、夜風の冷気が入ってくる。助手席に座っていたチャギが長い赤毛を片手で押さえて、ジョルノをふりかえる。アカリは何も言わずにジョルノの動きを見守っていた。
ジョルノは体を外に出し、星の位置を確かめる。
広い荒涼地の真上に広がる無限の天文空間。
数秒後、目指す星の位置を見つけた。周囲の地形を確認し、彼は片手を伸ばして簡易に星の高度を計る。方角と高さを確かめた後、少し古い六分儀を組み立てた。
運転席から執事が何か話している声がした。アカリが「ジョルノ、もうすぐ着くわ」と叫ぶ。ジョルノは観測の準備をして車体に機器を取り付ける。
地表面の景色は流れて移動する。しかし、星の位置は天に張りついたように動かない。
ジョルノは自分の体を固定させて、スコープを覗き込んだ。星の位置がレンズの中央にくるようにして、星の場所を確定させる。自動追跡装置のスイッチを入れて、時計で時刻を確認する。
車が施設に着いた。移動が止まったその瞬間に、ジョルノは座標軸を固定させ、自分の電波時計でタイマーを始動させた。車体に取り付けた六分儀を持って車を降りる。
「1時間で15度のずれが生じる。電気網の範囲を考えると誤差範囲は1度以内に抑えたい。作戦は十分以内、長くても二十分以内に完了させてくれ。司令官から、最初にFO−15の現在位置を聞いてくれ」
施設内を早足で歩きながら、ジョルノはアカリに叫ぶ。アカリは小走りにして後をついてきていたが、その言葉を聞いた瞬間、ジョルノを追い抜いて駆け出した。チャギがジョルノの肩を叩きながら「作戦は僕が立てよう」と話しかける。
彼の後を追って走り出したら、チャギが軽く片目を閉じて声をかけた。
「君の瞳はチャーミングだ。お金に困ってるなら、僕が君を専属で雇うよ」
「ゲイは断る」
「全く違うよ、あははは。僕の名前はチャギだ。君の目の色に惚れた」
「だから、ゲイは嫌いだって言ってるだろっ!」
チャギは右指につけた緑石にキスをして笑う。ジョルノは背筋がゾクッとして、彼から離れて全速力で逃げるのだが、チャギはニコニコ笑ってぴったりと後をついてきた。
途中でアカリを追い抜いて、管制室へ飛び込む。
ジョルノの隣で、いつから傍にいたのか、あのホログラムで見た茶髪の縮れ毛女が立っていた。その奥に、眼鏡をかけたスーツ姿の男性がスーツケースを持ってしゃがんでいる。彼はすぐに床にケースを置いて、蓋を開き、耳にレシーバーを取り付けた。通信を行う男らしい。
アカリが扉に寄りかかって「カーター司令官!」と叫んだ。
司令室の奥座に立っていた厳つい顔の老兵が険しい顔でアカリを睨む。軍服の袖章を見れば、その男がここで一番上位の人間らしいと気がついた。
アカリが倒れそうになりながら、ジョルノを押しのけて中に入っていく。まとめ髪が乱れてシニョンが崩れている。彼女は曇った眼鏡をはずして、カーターの前に行った。
「RF三号機の捕縛作戦の指揮を預けてください」
「なにい?!」
続けて、この小娘が、と怒鳴りそうな雰囲気だったが、司令官は言葉を飲み込んで眼力の増した目でアカリを睨みつける。彼の迫力は堅固だったが、アカリはうろたえることなく「時間がないのです」と一蹴し、チャギを振り返った。
「チャギ、作戦の指示を」
「その前に、グリンキャット1の現在位置を確認させて。現在位置からエリアH105への帰還にかかる時刻は?」
彼の言葉に対して、司令官は無言で視線を動かして答えた。司令官に見つめられ、レーダーの傍にいた管制官が「11、105地点を航行中、燃料は充分、五分以内に当空域に帰投は可能です」と答えた。
ジョルノはその言葉を聞いた瞬間に、近くにある机の上に六分儀を置き、ホログラムを設置して、六分儀で計った座標を入力した。次いで、ノノがいる空域の座標計算を始める。チャギはガネーシャと通信担当の男をふり返り「始めろ」と命じる。
眼鏡の男が「通電を開始します」と言いながら、キーボードを打ちはじめた。実はこの男は通信ではなく、ハッカーらしい。配電装置を制御しているキーを外して、電力供給を勝手に始めた。ガネーシャは携帯電話で仲間に作戦開始の連絡を入れる。
ジョルノは既に絶対座標の計算を終えていたが、地図上でノノとRF三号機の位置関係を想像し、どうやって捕縛しようかと悩んだ。
チャギが話しかけてきた。
「ジョルノ、座標は?」
「FO−15の解像度は無視するのか。俺の計算では小数点以下二桁まで出るけど」
「つまり、キロメートル規模で指示ができるって言いたいの?」
「あんたのホログラムの精度だよ」
通信士が司令官に「アリスより、通電」と知らせた。ジョルノは耳を澄まして、開放型通信システムから聞こえてくる声を聞いた。
飛行中の彼の現在位置を示した図式が、前方のスクリーンに映っている。連絡が入った瞬間、その下部に機内の映像が入る。ノノ・ニック・ブレンティアル少尉はヘルメットと一続きの与圧スーツに身を包み、緊急用の栄養補充液を口に運ぶ管と酸素マスクに覆われていた。通常の空軍兵士の戦闘服ではない。
「アリス、目標消失。現在地点A1108、ブルーギル、サワー」
彼はすぐに映像を切った。通信士が通信を切って、司令官をふりかえる。
「グリンキャットワンの回線システムがハッキングされてます」
「ハッキング先はどこだ」
「解析します」
ジョルノの背後にいた眼鏡の男が「はーい!」と叫んで手を上げた。司令官が厳しい目でアカリを睨む。アカリはチャギの腕を叩いて、腕を組んだ。チャギは穏やかな笑顔で部下を見つめる。どういう状況下でも、彼の目は濡れた光を湛えている。
ジョルノは眼鏡の男が持っているインカムを取り上げて、勝手に通信を始めた。
「ノノ! 聞こえるか! ジョルノ・ポアンカレだ」
ジョルノの声が司令室に響き、スクリーンに再びノノの映像が映った。
ノノは不思議そうな声で「JCP1?」と呟く。映像の中で彼がかすかに首を動かす。レーダーを確認していることに、ジョルノはすぐに気がついた。
「俺は今エリアH105に来てる。遺跡保存委員会のRF三号機の奪還に協力し、捕縛作戦の指示を行う。絶対座標軸でノノに指示をしてもいいのか」
ノノは落ち着いた声で応えた。
「対宙座標の計算は可能だ。解像度は小数点以下十桁まであるが、ミッション中は手動では一桁までしか使いこなせない。テスト飛行で五次式までの飛行を行った」
「俺は四次元までの指示しかできねーよ」
「構わない。絶対座標で目標を捕らえるための補佐を頼む……カーター指令、相対座標のフライトプランを破棄する許可を」
カーター司令官がため息混じりに「許可を出せ」と伝えた。前列のトレンチに座っていた男たちが、急に慌しくキーボードを動かして、通信士に「ゴー」と伝えた。通信士が回線を切り替えて割り込み「アリスおよびビースト、AFC表示へ変更せよ」と伝える。
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