ジョルノ・ステラ3

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3 エリアH105


 突然、フルスクリーンに映っていた飛行データの種類が変わった。平面図で作られた二次元の地図が、立体映像に変わって飛行ルートが複数現れる。
 チャギがジョルノの隣に来て、声を出した。
「もしかしたら、FO−15も装備していたのかな。国際基準では空中域にしか所有を認められない重力発生装置……ロヴィーネ島以外の保有は許されないはずなんだけど」
 言いながら、カーター指令を振り返るが、老兵は眠そうな目でスクリーンを睨んだままだ。国際機関以外のものがこの技術を持っていることがばれたら、国際紛争がおきるだろう。戦闘にこの技術を用いたら、大規模な宇宙戦争に発展する危険があるから、超法規的措置で政治の取引が行われ、それまで軍が保有していた重力発生装置およびその研究機関を破棄し、以降、全面的にこれを禁止した。
 ノノの戦闘機にそれが搭載されていたら、国際違反だ。ノノの所属は空中都市方面国際連合艦隊第三連隊ということだが、国際連合軍とはいえ、軍機にこの技術が搭載されるということは、宇宙戦争の危険が生じる事態である。
 映像に映るノノの戦闘服は、この宇宙戦争を想定した姿だ。既にそのための研究が軍で行われている。空中都市以上の高度で繰り広げられると想定した戦闘を。
 アカリはカーター司令官の表情を確かめてから、チャギに答えた。
「我々が今、この空間にいてこの作戦を行っていることは、極秘の事実です。作戦を進めなさい。一刻も早く、RF三号機を取り戻すのよ」
 彼女が処理できる枠を超えている。アカリは冷静にチャギを諌めて、表情を引き締めた。ジョルノはインターカムを片耳に当てながら「犯罪者だらけだな」と小さく呟いた。
 ノノにその言葉は聞こえただろうか。だが、映像の中で彼は何も答えなかった。彼は、ジョルノが軍に収容された時、何も責めなかった。彼には、自分も咎人だという自覚があるのだろうか。院内に見舞いに来てくれた彼の様子を思い出す。ジョルノも彼を責める言葉を止めた。ジョルノにだってすねに傷がある。
 チャギは気持ちを切り替えてジョルノの肩をつかんだ。
「重力発生装置が使えるなら、こちらにも時間と空間の制約がない。君が計算できる制限時間はあと何分?」
「馬鹿にするなよ。正確性を気にして時間を設定したんだ。五分以内に片をつける」
 チャギは眼鏡の男を振り返って声をかけた。
「ボブ、RF三号機の軌跡を映像で送ってくれ」
 彼は言いながら電脳地図を広げる。眼鏡の男はすぐにキーボードを操作して、映像を彼の地図に送付した。チャギの手の中で、半透明な電子映像上に立体映像で図が浮かんだ。
 一瞥した後に、チャギは答えた。
「僕の予想では、彼らは重力発生装置を自在に操るプログラムをまだ作れない。一直線上に逃避して、距離を稼いでいるだけだ。ブレンティアル少尉にこの座標軸の先回りをして、彼らの逃げ道を塞ぐように指示を」
 言いながら、ジョルノの前に地図を置く。ジョルノはその座標軸と出現時刻から単純に計算をして、次の出現予想時刻と出現座標を予想する。単純プログラムならば、直線回帰で計算が可能だ。絶対座標に変換してから、ノノに連絡を入れた。
「ノノ、座標は4桁に設定、Zを固定、X1199、Yマイナス80に移動、時間軸は機体進行方向に維持せよ」
「アリス、了解」
 数秒後、前方の巨大なフルスクリーンに映っていた軌跡の中から、アリス、と書かれた機体が消えた。レーダーを確認しながら管制官が慌しく機器を操作して、彼の軌跡を探す。
 再びアリスがスクリーンに出現した。ジョルノが指示したとおりの座標軸へ。
 ジョルノは目の前に示された事実を見て、気持ちが落ち込んだ。
 ノノは国際機関が禁じた違法な航空機に乗っている。それも、国家が犯している大きな罪を背負わされているのだ。軍人にこれを拒否する自由はない。ノノは逆らいたくても逆らえない。それが国家に殉じるということだ。彼の自由意志は奪われている。
 彼の心情を想像して、胸が苦しくなる。
 軍機の空間跳躍を確認したジョルノは、チャギをふりかえって作戦の指示を仰いだ。チャギはスクリーンを見つめて、うっとりした瞳で笑みを浮かべている。ただ、生まれつきそういう表情になる顔つきのようだが、まだ見慣れない。ジョルノは彼の傍にいて、ハラハラしながら、額の汗を拭う。その色気の半分をアカリに渡せ、と小言を呟く。
 ノノから通信が入った。
「アリス、目標を捕捉。追跡を開始」
 突然、指令室内のトレンチから軍人たちが立ち上がって、動き回り始めた。一回の跳躍で目標に接触できたらしい。チャギは満足そうにジョルノの肩を叩き「いい仕事だ」と簡単に褒めた。
 管制官がレーダーの位置を読み上げ、スクリーン前部にいた機関士たちがアリスの攻撃援護を始める。エネルギー残量を読み上げる声、残弾を読み上げる声、目標座標との距離を読み上げる声、ロックアップと自動追跡装置を確認する声、地上観測中継地間の地理情報をダウンロードする声、周辺空域を飛行中の他国への通電、他の航空機の位置を確認、戦闘空域の設定……二列目にいた男たちが左右に行きかいながら、小さな紙にクリップをつけて前後左右に放り投げる。最後列にいる司令官に近い場所では、通信士が司令官をふりかえって、攻撃指示を待っている。
 老司令官は慌てることなく「追跡を維持せよ」と重々しい声で応えた。通信士が「アリスへ、追跡を命じます」と繰り返した。
 カーター司令官はアカリに声をかけた。
「本村、グリンキャットはアリスのほかにあと一機こちらにある。挟み撃ちを命じよう」
 アカリは軽く首を振って「それでは、逃げられます」と答えた。彼女は次いでチャギを振り返った。作戦の指揮は彼に従うつもりなのだ。
「RF三号機の捕捉準備は?」
 アカリの問いかけにチャギは答えず、ガネーシャを見る。ガネーシャは軽く笑って「オールレディ」と手を振る。チャギはアカリに微笑みかけて「準備は完了してる」と答えた。
 彼はその後、ジョルノに指示を出した。
「アリスにRF三号機を電気網に誘導するように指示をしてくれ」
「RF三号機に乗っている奴は電気網にかかっても、平気なのか」
「言っただろう? 内部空間は守られてるって。マクシミリアンは生きたまま捕獲しないと盗品の行方がわからなくなるからね」
「なるほど」
 ジョルノはインカムに向かって、声を出した。
「ノノ、追跡しながら聞いてくれ。エリアH105の周囲にRF三号機を捕捉する網を用意した。彼らをその座標へ誘導する」
 室内でRF三号機をレーダーで捕捉したことを知らせる声が聞こえてきた。目標が赤い文字でスクリーン上に追加される。軍のレーダーがロックアップしたなら、もはやこの星の上では彼らに逃げ場はない。トレンチの中で彼らの飛行軌跡を分析する飛行計画官の声も聞こえてきた。
 第二列にいる彼らは「直線回帰」と口にしている。単純計算で座標を設定して逃げていることを理解して、軍事作戦を立ててしまった。その計画案を手書きで指示したものをまとめて、司令官の傍に持ってくる。さすがに動きが早い。瞬く間の出来事だ。
 カーター司令官はそれを一瞥すると、無言で指をチャギに向ける。チャギは彼らの方へ歩いていって、その紙を受け取った。
 ノノがジョルノに答えて声を出した。
「アリス、了解。座標計画をプラットフォームで送付してくれ」
 一瞬、何を言われたかわからなくて、プラットフォームという言葉に戸惑った。
 ジョルノの前方でトレンチの中にいた軍人が手を上げて「座標を俺にくれー!」と叫んだ。ジョルノは舌打ちして、傍にあった紙に数字を殴り書きして、立ち上がる。すぐにその紙をガネーシャが受け取り、紙にピンをつけて放り投げた。それは正確にその男の真上に到着し、手を上げていた男の手元に収まった。軍人もびっくりしていたが、ジョルノも思わず口笛を吹いて「すげ」と呟く。
 ガネーシャはジョルノの机に腰をおろし、珍しそうに彼の作業を見つめる。ソバージュをかけた茶色の髪が華やかだ。緑色のマニキュアをしていて、金の耳輪をしている。
 ジョルノは彼女を無視して、時刻を確認し、地図上にノノとRF三号機の位置を書き込んでいく。修正座標を計算しながら、前方のスクリーンを見つめる。ノノが飛行計画を実行するまでにかかる時刻を確認して、修正案を飛行計画官に再度渡す。
 ノノが乗っているFO−15型戦闘機、通称グリンキャット、コード名・アリスには一般の航空機と同じく、距離と方角を計るジャイロスコープと緯度経度を測定する精度の良い電波時計が搭載されているが、空間跳躍飛行ではこれらは全て役に立たない。地上にある三点以上の観測地点で彼の姿をレーダーで捕捉し、正しいと思われる座標をH105基地へ送る。その数値を元に地上から飛行支援を行うのだ。
 ノノは点線上に飛び飛びに座標を移動しつつ、直線で元の位置に戻ってきた。慌しく流れていくレーダー上の座標を読み上げる声を聞きながら、計算の正しさを確認する。
 チャギが傍に来て、飛行計画官の分析を持ってきた。
「RF三号機の飛行プログラムを分析したものだ。やはり、直線的に移動しているようだ。このプログラムのままだと、高度が高すぎる。網をくぐらずに逃げられてしまう」
 ジョルノは地図を見ながら答える。
「FO−15はもう一機あるんだろ。挟み撃ちにして高度を下げさせろよ。ノノに威嚇射撃を命じて、もう一機の下をくぐらせるように誘導させろ」
 その言葉を聞いて、カーター司令官が通信士に「今の言葉を繰り返せ」と命じる。通信士が言葉を繰り返し始める。
 チャギは困った顔で笑って、ジョルノの隣にいるガネーシャを見る。
 ガネーシャが腕を組んで、声を出した。
「単純、単純って馬鹿にしてるけどさあ、その単純馬鹿にRF三号機を奪われちゃったんだから、もう少しきちんと作戦を考えた方がいいんじゃない?」
 その言葉で、無意識下で続けていた計算が途切れた。ジョルノはため息混じりに「作戦を考えるのはてめーだろ」とチャギを睨む。カーターが渋い顔になって「そこの男! 名無しの権平!」と叫んだ。チャギは笑顔で振り返って「僕ですか?」とすっとぼけている。
 通信士が通信を切る前に、カーター自身が「攻撃指示を撤回しろ」と苦々しく怒鳴った。
 焦っているのは確かだ。アカリもイライラしながら時計を見ている。
 司令官が顔を赤くしたまま、怒気を抑えてチャギに命じた。
「攻撃命令系統の遵守を重んじよ。複数回線を用いての複雑極まりない指示はパイロットを疲弊させる要因じゃ。その男のインカムを切れ」
「わかりました。司令官に提案いたします。空中都市方面に援護を依頼して、上方から包囲網を狭めてください」
「今すぐには動かせぬ。空母はこの作戦への参加を既に拒否している」
「では、ロヴィーネ島の戦闘機に出動を」
 チャギはそのまま視線を動かして、アカリを見つめる。アカリはイライラしながら時計を見て「あのジジイども、遅いのよ!」と怒鳴る。カーター司令官が思わず彼女を睨んだが、ジジイとは彼のことではない。アカリは悔しそうにチャギに首を振っていた。
 ノノが連絡をしてきた。
「H105、攻撃支援を。地表部空軍部隊に上空待機を命じられるか」
 カーター司令官がふっと顔色を戻して、笑みを浮かべた。通信士に「全機に緊急発進を命じよ」と伝える。通信士が通信システムを動かして、管内のパイロットに出撃命令を伝えた。複数の通信士が一斉に動き出し、管制室にメモが飛び交い、トレンチに設置された灯が電信の着信を伝える。アナログ空間でも電脳上でも大量の情報が蠢いた。
 不意に、ジョルノは座標の再計算を始めた。頭の中で危険信号が灯ったのだ。このままではノノが接触事故を起こすと思った。気がつくと、前方にいる飛行計画官たちも同じ不安を感じたらしく、ジョルノに新しいメモを飛ばした。新しい航路を指示するメモだ。フライトシミュレーションを行う飛行計画官と同時に指が動いていく。ガネーシャが紙を取り出し、ジョルノの計算している絶対座標値を書き取ろうとしてペンを握る。
 飛行計画官がジョルノの傍に来て、手書きのメモを渡してきた。相対座標から絶対座標に置き換えて、計算を楽にするメモだ。現在の天文軌道を観測データからリアルタイムにダウンロードして、座標計算を行うプログラムを記してあった。これがあれば、暗算で変換しなくても済む。ボブがそれを見て飛ぶようにして傍に来た。彼が隣で機械に投入し、ジョルノは彼と二人で座標計算を行った。
 飛行計画官が自分のコンピューターを前列から配線を繋いだまま持ってきて、ジョルノの机の上に幾重にも航行路線の書かれた地図を複数放り渡す。ジョルノはそれを広げて、飛行計画を推定した。既に彼らは理想的な飛行路を計算していた。その殴り書きされた数式を読み取って、チャギの作戦に見合うように座標を書き換えていく。
 飛行計画官はプラットフォームと呼ばれる飛行計画書をその場所で直し始めた。ジョルノが計算した数値を空欄に入れて、ノノの戦闘機に投入する予定だ。通常の飛行計画ではなく、重力発生装置を用いた計画案ゆえに、男は手書きでプログラムを打ち込み、即座に前列にいる男たちがバグの確認をして、プログラム言語を整えていった。それは全て即興だ。彼らは飛行計画に用いる全ての機械言語を暗記している。
 ジョルノは文句をいう暇もなく計算を続ける。体感していた制限時間はとっくに過ぎている。だが、腕時計を見て時刻の確認をする隙もない。惑星観測値で現在位置を修正する暇がない。機械が出してくる自動計算の値を信じるしかない。いや、自分の勘を信じるよりない。変わっていく状況の速さについていくのがやっとだ。
 フライトシミュレーションを複数回繰り返して、RF三号機の軌道を推定すると、これを追跡するための最短距離とその方法を数値に出す。飛行計画の計算は苦手分野だ。だが、空軍のプラットフォームには、その飛行路を自動的に判定する人工知能が補助的についていた。飛行計画官がジョルノの計算した飛行路の正確性を判断し、機械が赤字で示した間違いを人の目でチェックしている。機械が間違いと判定しても、それが通る時はある。所詮、機械は蓄積された結果しか返さない。空間跳躍飛行のデータはまだ充分蓄積されていないのだ。
 座標計算を行うのは航空士の務めだ。今は、民間人であるジョルノがその役目を負っている。空軍にいる航空士たちがいつの間にか彼の傍に来て、数字を睨むようにして見つめていた。間違いがないかどうか、真剣な目で確認される。彼らは静かだった。そのことに安心を覚える。
 スクランブルが発動されると、トレンチの中は更なる混乱に陥った。ジョルノの周りにいた航空士たちが減って、管内のパイロットの出撃準備に追われる。管制官は基地から飛び立つパイロットの支援をして、前面にあるスクリーンに表示される文字の数が一気に増えた。もう、スクリーンを見て何がどうなっているのかを素人には把握できない。ノノがその数字の中のどこにいるのかを見つけるのは至難の技だ。
 飛行計画官が大急ぎで殴り書きしたメモを通信士に渡し、同時に「司令!」とカーターに怒鳴る。RF三号機とノノに接触することがないように上空待機の場所を指定させる。カーターは部下の報告を聞いた後、即座に「伝えろ」と通信士に命令を出す。
 司令官には内容を確認している余裕もないのだ。変わっていく状況を全身で感じ取り、全ての人員がどう動いているのかを把握することに専念する。彼はここにいる部下の技術力を全面的に信頼していた。ただ、全ての責任が彼の肩にかかる。
 背後で眼鏡をかけたボブが「五分過ぎたよ」と気の抜けた声でつぶやく。ガネーシャが小さく「うるさいな」と答える。ジョルノは彼らを無視して、最終修正値をメモに書いた。それを隣にいる飛行計画官に渡して、チャギをふりかえる。
「電気網に捕らえた後、地上部隊は?」 
「きみの仕事は終わったの」
「網にかけるところまでは、な」
 チャギは司令官をふりかえって「地上に残っている兵士を動員できますか」と聞く。カーターは「既に手配済みだ」と白けた顔で答える。アカリはスクリーンを見て「どこにいるの」と呟く。その場にいた全員がスクリーンを見つめた。
 ジョルノの隣で飛行計画官が「司令!」と声を上げる。プラットフォームを送付します、と言うと、司令官が通信士にパイロットへの連絡を行わせた。
 自分の仕事が終わった後は、それが数字どおりに実行されるかどうかを確認するだけだ。ジョルノは息を呑んで、前面にあるスクリーンを見つめた。ガネーシャが「少尉ならやれるわよ」と彼に声をかける。
 飛行計画官もその場所でジョルノと一緒にスクリーンを見つめていた。プラットフォームが何を意味するものなのかわからない。ジョルノは不安な表情で「ノノはどれなんだ」と彼に聞く。飛行計画官は光の交点を指したが、苦笑いして「大丈夫だよ」と答えた。
 ノノを探している最中、一つの光が消えた。
 上空に複数機の航空機が出現して、空の上は混乱している。ノノが出現する予定の空間座標にその飛行機がバッティングする可能性はないだろうか。出現したとたん、その場所で航空機事故を起こさないだろうか。計算した座標を間違えて打ち込んでいないだろうか。座標は全て間違いがなかっただろうか。X軸とY軸を間違えて計算しなかったか。
 することがなくなり、ジョルノは自分の計算値の確認を始める。不安で仕方がない。
 ノノの軌跡を示す交点が、ACFと呼ばれる表示法のスクリーンの中を直線状に移動していくのが見えた。彼らは異空間をくぐりぬけ、元の場所へと戻ってくる。
 プラットフォームと呼ばれるプログラムソフトでノノの乗っている機体は自動制御されているようだ。彼はこちらが指示した数字どおりの座標を渡り、自動的に、数学的に、引っ張られている。彼の意思や技能とは関係なく。
 ノノは管制が出した数値を信じるよりないのだ。
 その分、ジョルノたちの肩に責任が乗る。彼は手動で測定した現在位置を示す測定値を再度ふり返り、コンピューター上で計算したノノの座標を確認し、シミュレーションが正しく行われたかどうかを何度も確認した。彼の隣でプログラムを作っていた男も一緒に見直しを始める。現実が目の前に現れるまで、二人は不安で仕方がないのだ。
 頭脳戦は現実の空域以外の場所でも続いていた。ジョルノと飛行計画官、そして、前列にいる航空士たちのシミュレーションは、標的の反応を分析しつつ、進められる空中のチェスだ。相手がどのますに飛び込むのかは、実際のところ理論値で推定しただけでは予想ができない。ほとんど勘だ。相手の戦闘パターンなんて蓋を開けるまではわからない。
 頭脳戦略は、ジョルノが加わる前から電脳上で幾度も繰り返されていたのだ。彼らは少し先の未来を読みながら、座標を読む。今いる位置と数秒後に流される現実の座標の間を、読み取っていく。
 人間は少し先の未来を知る力がある。大抵の場合、運命の幕が開かれる前に、何が起きるのかを予想できているものなのだ。
 計算どおりの時間と場所に目標を発見することは、当たり前だった。その当たり前を当たり前にするために、彼らは幾度も測定を繰り返す……それが航空士の仕事である。大体予想どおり、という考え方は彼らには通用しない。正確にドッキングできることを求められる。それこそ、ミリ単位の正確さで、宇宙的な確率の中を。
 不意に、敵機とのランデブーを意味する赤い警告が、スクリーンのある空間に出現した。その空域にいた戦闘機が感染したように赤く点滅していく。すさまじいスピードでそれは広がり、また、異なる複数の空域を飛び火して広がった。
 傍にいた通信士の顔色が変わる。インカムを通じて知らされる複数の情報、入り乱れる戦闘機の序列、光の点が流れるように移動していく。
 ジョルノも思わず手を握って息を止めた。上空で何が起きているのか、彼にはわからない。通信士は耳から入ってくる情報を注意深く聞きながら司令官を振り返るが、口をあけたまま、声を出すことができない。その表情は戸惑いと恐怖と不安が入り混じっている。
 管制官がレーダーを確認して声を出す。
「RF三号機、出現しました。次いで、アリスと接触した可能性」
 突然、トレンチにいた全ての軍人が立ち上がり、騒然とした。彼らと共にジョルノも立ち上がって、うろたえた。もっと念入りに確認すればよかった、と泣きそうになる。
 やはり、時間内に全ての計算を終えるべきだった。わずかなずれが彼を死地に追いやるのだ。たった一度のずれでさえ、この星の上では百キロメートル規模のずれになる。小数点以下二桁のずれでさえ、正確に行わなければキロメートルの単位で狂うのだ。
 思わず泣き叫びそうになったが、ガネーシャに腕をつかまれてその声を飲み込む。ノノの笑顔を思い出して、強い後悔の念を感じた。
 管制室内は痛々しい沈黙で支配される。ノノの乗った機体の光が消失する時刻を息をのみながら見守る。誰もが緊迫した目でスクリーンを見ていた。
 しかし、痛々しい沈黙に浸された直後、通信士が「回線を開きます」と叫んで、スクリーンにノノの姿を映した。彼の姿を見た時、ふと、時空が飛んだ。彼は生きている。
 ノノは冷静な口調で話した。
「アリスからH105、目標を捕捉した。ポイントXへ目標を誘導、成功。これよりH105基地へ帰投する」
 一転して、管制室内に歓声が沸きあがり、航空計画官がジョルノの肩を抱いて「やったぞ、少尉!」と飛び跳ねた。ジョルノも思わず涙腺が緩みそうになって、口元が緩んだ。
 彼の無事を耳にした後、ジョルノは周囲にいる飛行計画官や通信士たちと握手を交わして感謝を伝えた。一人では、ノノを誘導することなんてできなかったのだから。


 滑走路に点滅する誘導灯が朝靄に溶ける。
 夜明けの強い風にあおられて、土煙が目に入る。アカリは外に出たとたん、悲鳴を上げて眼鏡をかけた。まとめ髪は既にぼさぼさに乱れている。ジョルノは彼女の頭が気になって手を伸ばした。ゴムを引っ張ったら、ピンが飛んで彼女の髪がほどけていった。アカリは悲鳴を上げて頭を両手で押さえる。
 髪を解けよ、と声を出したら、着陸したFO−15号機の排出音で音が消えた。彼女の文句もヒステリックな悲鳴も聞こえなくなって、清々した気分だ。髪を下ろしたほうがアカリは可愛い。というより、より一層幼く見えてしまうのだが。戦闘機は滑走路を滑るようにしてやってきて、丁寧な運転で停止ライン上にきれいに止まる。
 闇夜はもう払拭されている。空に残ったわずかな藍色が見る間に溶けた。強い光を持つ明星が東の空に張り付くようにして、地平へと吸い込まれていく。
 ノノが帰還した後、次々と戦闘機が着陸態勢に入って、滑走路に進入してきた。
 司令官が用意したジープに乗り込み、アカリはチャギたちと共にRF三号機の元へ向かう。ジョルノは彼らを見送って、その場に留まった。
 未知の素材でできた柔らかい与圧スーツから管を取りはずし、ノノがコックピットから降りた。ヘルメットを頭から外して、朝の空気を吸うと、彼は爽やかな笑みを浮かべる。
「素晴らしい正確さだったよ、ジョルノ」
 開口一番にそんなことを言われた。ジョルノはガッカリした顔で「危険な目にあわせて悪かった」と謝った。だが、ノノは嫌味ではなかったようで、明るい笑みを浮かべたまま首を振る。
「RF三号機の前方十メートル地点に出現した。影響を受けて、彼らの方へ引っ張られたけど、そのニアミスで彼らはうまく下降してくれたよ。そのまま一緒に下降したら、目標ポイントにドンピシャだ。すごい計算力で舌を巻いた」
「十メートル前方?! あっちゃあ、撃たれたらどうする気だった、俺っ! くそっ!」
「撃たれなかったよ。撃たれても、俺はそんな流れ弾に当たる気は全くなかったけどね」
 ノノはくすくす笑ってから、不意に顔色を引き締めた。ジョルノの背後を見て、姿勢を正すと、背筋を伸ばして敬礼をした。振り返れば、H105基地の司令官が老体をおして出てくるのが見えた。カーター司令は簡単に敬礼をしてから、ノノの前までやってきた。
 ジョルノは居心地悪そうに司令官から顔を背ける。
 カーターはアカリを乗せたジープの動きを目で追って、苦笑いした。その後、穏やかな表情でノノに話しかける。
「ノノ・ニック・ブレンティアル少尉、ご苦労だった。たった今、貴官の飛行データを空母へ送付した。総司令官も大層お喜びの様子だ」
「はっ! ご協力に感謝申し上げます!」
「これで貴官の任務は滞りなく終了か?」
「はい!」
「そうか……事故がなくて幸いだった。存分に休息を取ってから、戻られるが良い」
「はい! ありがとうございます!」
 ノノが再び敬礼をした後、司令官は数回頷いた後、ジョルノに目を向けた。ジョルノは斜に構えて彼らを見ていた。敬礼なんてするつもりはない。だが、司令官と目があって、先に目をそらした。この老人は何とも威厳とやらが匂い立つ嫌味な男である。ジョルノが目をそらしたら、彼が声をかけてきた。
「お前の名前は、権平でよいのか」
「ジョルノ・ポアンカレだ。勝手に愛称をつけるな」
 不満気味に答えたら、ふん、と鼻を鳴らされた。生意気だったらしい。
 ノノは敬礼を解いて、再び体勢を戻した。穏やかな表情で二人のやり取りを聞いている。司令官はノノを見て、話しかけた。
「この男は少尉の知り合いか」
 ノノは幾分口調を和らげて答えた。
「はい。空中都市で知り合いました。所属は第一気団南西線ケアフルール島だったな?」
 途中からノノはジョルノに話しかけて、口調が砕けた。ジョルノは小声で「余計なことを」とうめいて、ノノを睨む。ノノは悪びれた様子でもなく、爽やかな笑顔で続けた。
「腕の良い航空士です」
 彼の口からその言葉を聞いた時、思わず、照れくさい笑みが口元に浮かんでしまった。彼に操縦以外の部分を認められたと思ったら、不意に仮面が外れた。
 やはりノノは操縦士だった。どんな状況でも常に冷静であり、機体を操り作戦を遂行する。仲間の犯したミスですら手中に入れ、わずかな可能性を勝ち取って、成功へと導く。最終出現地点に現れてから、わずか二十秒で、彼はあっさりと仕事を終えた。状況判断の素早さと的確さに彼らの才能が集約される。コンマ数秒の心身の反応がいい。
 そのセンスと度胸がずば抜けている。
 そんな人間にあこがれつつも、ジョルノは理解できていた。自分にはその能力はない。違うのだ。たとえ人より並外れた才能があっても、自分の心は操縦士になることを望まない。ただ、自分はそういう痛快な人間の傍にいて、彼らを助けるのが好きだった。
 自分はこの道で生きていってもいいのではないか、という気がした。
 何より、自分が認めたがっている。俺は航空士なのだ、と。
 ジョルノの表情を見た司令官は少し表情を崩した後「二人ともご苦労だった」と繰り返して背を向けた。彼の背後を守るようにして、副官が付き従う。
 司令官を見送った後、ノノは無言でジョルノの肩を叩いてきた。ジョルノも彼の肩を叩いて、笑みを浮かべた。彼が生きていて良かったと思う。何度もその体を叩いて生きていることを確かめた。
 グリンキャットがもう一機帰還した。ノノの機体の隣にきれいに停止して、コックピットが開く。中からパイロットが出てきて「ノノ!」と叫んだ。お前、無事だったのか、と叫んで飛び降りる。ノノは砕けた笑みを浮かべて「生きてるぜ」と答えた。
 仲間内では明るい声になるようだ。素の状態で仲間と抱き合っている彼を見て、平和だと思った。ジョルノはこのままFO−15型戦闘機が戦闘行為に使われないことを願う。
 ノノが本当の戦闘に連れ出されることがないように。
 滑走路に強い朝の光が差し込んだ。
 この空に朝の星が昇る。強い光を放ち、大地を熱に染める存在が。地平線に歪んだ蜃気楼を立ち上らせ、震えながら駆けていく。それは強く、速く、上空へ向かう。地平から漏れ出た光の強さに目を細め、滑走路の向こうに光る大地を見る。真っ赤に生まれた偏光は見る間に地平を離れて空に戻っていく。
 明るくなった光景の中、滑走路に降りてくる戦闘機をみた。まだ夜の色が残る虚空間に着陸指示を待つ飛行機が周回している。今頃は管制室で忙しく着陸の順番を決めて指示を出しているのだろう。
 雲のない開けた空を見て、自分の暮らしているケアフルール島に思いを馳せる。
「何かが足りないと思ったら、この空は雲がないんだ。俺は雲のある方が好きだな……」
 乾いた大地の真上に白い雲がない。それが物足りなく感じられる。自分が住む場所は雲のある空の上だ。急に自分も家に帰りたくなった。あの場所に戻ってもいいと思い、気持ちが少し軽くなる。大地から風が生まれる。乾いた風が上空へ熱を運ぶ。強い風に吹かれ、ジョルノは自分の髪をかきあげて、視界を広げる。
 滑走路の向こう側から上り始めた太陽が真っ赤に歪んでいた。太陽光を目に入れると眩しくて、目を開けていられない。徹夜明けの目に染み入る。ジョルノは両手で体を触ってサングラスを探す。
 隣にノノがやってきて、呟いた。
「戻ってきたな。盗まれた遺産が見つかるといいね」
 彼はそう言ってジョルノにサングラスを渡して、立ち去った。ヘルメットを片手で持って、仲間と話しながら基地内に入っていった。
 彼のサングラスを目にかけて、道の先を見たら、朝日に埋もれるようにしてジープが戻ってきたことに気がついた。太陽から吹き付ける強い風に髪をあおられつつ、彼らを出迎える。妙に早かったな、と思いながら、歩いて近づいていく。
 途中でかすかな予感がしていた。
 こういう予感は当たるものなのだ。だが、ジョルノは明るい笑みを浮かべて、走り出した。ジープの姿が見える前に、予感が当たっていたことを確信する。
 マックスは乗っていない。リディックの部下も、だ。
「あははははっ! 逃げられてやんのーっ! やっぱり、てめーはお嬢ちゃんだよっ!」
 そんなことを叫んで笑い出す。道の向こうでアカリが「私をお嬢と呼ぶなああー」と叫び返す。あの女もものすごい地獄耳である。


 ロヴィーネ島の戦闘機の奪還は滞りなく完了したが、ヴュルラク島から遺産を盗んだ犯罪者を取り逃がし、盗まれた遺産を完全に回収することはできなかった。
 しかし、アカリと共にいたチャギという男は、ロヴィーネ島が認める合法ハンターで、盗品奪取のプロだった。取り戻したRF三号機内に残っていた彼らの足跡から、潜伏場所を推定し、結局のところそれから一週間以内に盗品を取り戻すことに成功する。
 盗品の取引場所は地下都市で計画されていたらしいが、マックスはそこでも無事にチャギの手から逃れている。つくづく悪運だけは強い男だ。
 マックスとグラフヴェルズ製薬会社のつながりを証明することはできない。マックスを捕まえるまでは、その証言を取ることができないので、現実社会において、かの製薬会社を取り締まることもできないのだ。
 何とも、中途半端に悪人が世の中を渡り歩いているものである。しかしながら、マックスが遺跡から貴重な財産を盗むことも、空軍が国際違反の航空機を開発していることも、全て等しい違法行為だ。片方は国際手配できる相手であり、もう片方は対抗しうる権力がないだけの話だ。何が悪で、何が善なのかをジョルノが語ることはできない。
 彼はただ、マックスから回収できなかった資金の影響を受けて、今日もしがないアルバイトをしているだけである。
 ケアフルール島に戻った彼は、島の東側にあるユイティ町の旧市場で売り子の手伝いをしていた。地上から戻ったら、誰から聞いたのか、市場の労働者組合から声をかけられた。どうせ、あんた家賃払えないでしょ、と。払えないことはない、ただ仕事がないだけだ、と答えたら、仕事をやろうかと言われて、抵抗することができなかった。
 集合住宅の真下にある惣菜屋は大家の経営である。
「あんたねえ、三食ついて働けるんだから、もっと笑顔を出しなさいよ。いい男が台無しじゃないの。ほら笑え、笑ったら、一品昼につけてやる」
「くっ……くそ、ババア」
 悪態をつきつつも、引きつった笑みを浮かべて、客に「うまい魚の煮付けだよー」と怒鳴りつけた。近所の子供がジョルノの姿を覗きに来て「ぎゃはははは!」と指差して大笑いする。思わず「クソガキ、買わないならあっち行けっ!」と怒鳴りつけてしまう。
 朝帰りの娼婦たちがジョルノの前を素通りしてから「あらあらあら?」と戻ってきた。知り合いの女たちだ。彼女たちは取れかかった化粧で目を腫らし、笑みを浮かべる。けばけばしい服を着ているが、朝日の下ではその効力は消えている。夜には煌びやかに見えたドレスも、朝日の下ではみすぼらしい生地であることが明白だ。それでも、彼女たちは逞しく微笑んで「かっこいいお兄さあん、朝ごはんちょうだあい」と甘えた声を出した。
 ジョルノは不機嫌そうな顔をしつつも、彼女たちの注文どおり惣菜を簡易パックにつめていく。彼女たちは「おいしそうね」と店の奥にいる大家に声をかける。大家は彼女たちを邪険にすることなく、オマケのドーナツを袋に詰めてつけてやっていた。
 大家と並んで「ガキが泣いてるぞ、今頃」と話しかける。彼女たちはくすくす笑って、ドーナツを覗き込み「うちの子もこれが好きなの」と呟く。彼女たちに「またベビーシッターやってよ」と言われ、大家の表情を横目で見ながら「そのうち」と答えた。
 道行く人のほとんどが知り合いだ。街頭にジョルノが立っていることに気がつくと、また仕事がないんだろ、と男が声をかけながら足を止める。ジョルノはエプロンをかけた姿で腰に手を置いて睨みつけ「ご注文は」とうめく。彼らはご祝儀と言いつつ、一品ずつ買ってくれた。
 午前中は取引が盛んで人の行きかいが多い。惣菜は意外にも飛ぶように売れていく。この店だけでなく、向かいにある店の売り上げも朝は多い。この市場では一人勝ちはない。誰かの売り上げが誰かより高いか低いかなんて、どうでもいいことだった。全ての人間たちがこの市場の周辺に暮らして生計を成り立たせている共同体なのだ。
 この街で、一人飢えて死んでいくなんて、考えたことがない。いつも誰かが助けてくれた。仕事がないなら手伝えと言われ、金がないなら手伝えと言われ、困っているなら相談しろと言われる。
 本当はジョルノに金儲けなんて必要ないのだ。生きていくことはどんな形でも叶うのだから。ただ、そういうロマンと冒険を求めて、生きていくことが好きなだけだ。
 往来を行く人ごみの中を、全身真っ白いスーツで歩く男がいた。
 それはこの市場に入ってきた知らない人間である、と全ての人間が気づく。この市場を利用するのは身内ぐらいだ。外部から来た観光客は滅多に入ってこない。彼は白い上下のスーツにしゃれた白い帽子をかぶって、サングラスをはめている。耳に鳥の羽でできた飾りをつけて、帽子から赤い長髪が流れて見えた。高価な宝石の指輪をつけ、靴はぴかぴかに磨かれている。明らかにこの周囲に暮らす人間の格好ではない。


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