ジョルノ・ステラ2

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4 盗品の行方


 グラフヴェルズは急成長した製薬会社である。しかし、クリーンな経営をしているとは限らない。キースはエディンソン家の三男だ。彼の長兄は家業であるエディンソン製薬会社を継いで、この業界の情報には詳しい。
「麻薬を扱っているという噂や、地下組織に違法な献金を行っているという話がある。その金を洗うために、各種の慈善事業を行っているらしいが、兄上の目はごまかされないぞ。今にその化けの皮をはがされて、業界から追放されるだろう」
「でも、グラフヴェルズといえば大手だぞ」
「売り上げでは少し上にいるみたいだが、所詮は成金さ。エディンソンには伝統がある」
 キースの家業自慢は今に始まったことではない。そちらの情報に興味はないが、ジョルノはにんまり笑ってその話を聞いた。
 ジョルノにはキースとはまた別の情報網があるのだ。地下都市を知っている男がいた。それは、ターニャの空賊船で出会った男だった。地下でマフィア内部の闘争に巻き込まれ、過去を捨てて逃げたという男だ。彼は自分の身の上をそれ以上語ることはなかった。身分がばれた後の報復が怖かったのだろう。空中へ逃げて、ターニャの船で機関士になった。
 グラフヴェルズから当時のマフィアに金が流れていた。建設用経費という名目のその金を巡り、彼は闘争に巻き込まれた。企業からマフィアに金が流れているのは確かだろう。おそらく、今でも。
 空中都市の人間にとって、地下社会は遠い存在だ。ジョルノでさえ、そこに入るには命の危険を考察しながら、肉体の調整をとらなければならない。高度一万メートルの空から、いきなり地下都市に入ることはできない。地上に降りるだけでも、体調が崩れるのに、地下の中はさらなる高圧環境である。
 マフィアの噂を自分の目で確かめる術はない。しかしながら、ジョルノには地下に暮らす知人がいた。セシリア・アネーキスという名前の女だ。彼女とは契約を取って働いた仲間ではないが、何かと縁があって連絡先を交換している。地下の話は彼女に聞くのが早い。
 グラフヴェルズに関する噂を彼女に聞いたことはない。だが、地下には確かに都市が建設され、マフィアが暗躍していると聞いた。そのために彼女は厄介な問題を解決するトラブルシューターとなっているのだ。
 そこで、グラフヴェルズが何をしているのかはわからない。しかし、マフィアがらみの話ならば、公には動けない。ジョルノのような隙間産業の出番だ。金になる話かどうか、ジョルノは学友たちの噂話を聞きながら目が輝いた。
 そんな彼を、ハルシュが穏やかな笑みを浮かべて見守っていた。
 キースたちは話を続けていた。
「諸君、企業スパイという奴がいるだろう。いや、これはここだけの話にしてくれたまえ。兄上はそんな卑怯な手は使ったりしない。あくまで一般論の話さ」
「キースらしい物言いだ。一般論で何を言いたい?」
「ライバル企業が何を研究しているかを探るのが、企業スパイの役目というわけだ。グラフヴェルズが最近目をつけている薬品の情報を探っている女がいるんだ。それが少しいい女でね……そいつが今はマフィアの近くにもぐりこんでいる。違法な賭場があってね」
「つまり? グラフヴェルズとマフィアのつながりを、どこかで雇われている企業スパイの女が見つけたという噂があるというわけか」
「小説のネタにしてくれよ。あくまでそれはここだけの話さ」
 キースは悦に入って話しているが、ジョルノはふっと背筋に嫌な汗がわいてきた。自分は何かに気がついてしまったらしい。違法な賭場に女? その情報を最近どこかで目にしたはずだ。偶然の一致にしてはできすぎている。
 嫌な予感を覚えつつ、彼はボソッとつぶやいた。
「その女の名前は、ルカ、じゃないよな? 赤い色が大好きな女だ。下着も装飾品も身につける服も化粧も靴も全て、赤い女」
 次の瞬間、空間がピタリと止まった。キースの顔が歪んで、目が見開かれる。学友たちがその顔を見て、息をのんだ。ハルシュが楽しそうな顔になって、ジョルノの肩をつかみ、間に入ってきた。キースが叫ぶ前に、周囲にいた男たちが叫びだした。
「ジョールノー、おまえ、本当に、あはははは! ジョークのうまい奴めー。それは最近声をかけた女か? ん? そうだな、そうなんだろう、うんうん」
「ジョルノ……どこでそんな情報を。お前は時々冴えるな。うん、面白い」
「ばかやろう、ハルシュも空気を読め、いや、何を言ってるんだろうな、おまえは」
「キース、お前もわかりやすい表情をするなって! 一般論と仮定の話だって言え! お前の兄上はスパイなんて使わないって!」
 キースが声を裏返して「当たり前だよっショクンっ!」と叫んだ。ジョルノは額に手を置いて、集合住宅の隣に住んでいる下着の女を思い出す。意外な場所で彼女の正体に気がついた。たまに、自分の勘の良さが恨めしくなる時がある。なぜ、気づいてしまったのか。
 赤い唇でキスされたことを思い出す……思わず鼻の下が伸びそうになる。
 世間は狭いな、と小さくつぶやいた。
 しかし、次の瞬間、ジョルノの目は知的に光を増した。なぜ、ルカがあの町にいたのか。グラフヴェルズの新薬開発に関係する何かの情報が、ケアフルール島にあったというのだろうか。製薬会社が狙っているものは何だろうか。
 あんな片田舎に、ルカはいつから潜入しているのだろう。
 ハルシュが穏やかな笑みをたたえて口を開いた。
「新薬の開発になぜマフィアが関係するんだ? つまり、違法行為をしなくては、開発資源を手に入れることができないような、そういう危険な場所からサンプルを取り出そうとしている、ということかな?」
 ジョルノはその瞬間、目つきが変わった。危険な行為をしなくては、そのものを取りに行くことができない。ならば、彼らはハンターを雇うはずだ。
 マフィアがそれを斡旋することはない。だが、受け取った物品を運ぶことはできる。
 ジョルノは反射的に手に持っていたグラスをテーブルに置き、その場から立ち去った。ハルシュが背後から声をかけてきたが、ふりかえらずに歩いていく。怒りを抑えることができなかった。あの男を許せない。
 馬鹿にされているような気がした。どうせ、ジョルノくんにはばれないよね?
 マックスはヴュルラク島から奪った遺産を、ケアフルールからマフィアのルートを使って、依頼主であるグラフヴェルズに手渡す。ルカはその情報を追って潜入している。あんな小さな賭場から盗品を運び出すとは。マックスはただの雇われハンターではないだろう。これは計画的な犯罪だ。ルカはもっと前からその情報をつかんでいた。そして、マックスももっと以前からその準備をしていた。
 新薬の開発……ライバルを追い抜いて特許をとれば、いくらの利益になるというのか。
「きゃああああっ!」
 不意に女性の悲鳴が響いた。ジョルノは無意識に振り向いて、足が止まった。
 水の周囲に女子学生たちが集まって、悲鳴を上げている。誰かが「落ちた」と叫んでいた。周囲に人が集まっていく。悲鳴を上げている女性の中に、あの女子学生たちがいるのが見えた。ミーナの姿はない。ジョルノは再び嫌な予感がして「くっそがき」と呟いた。
 出入り口の傍にいたのだが、イライラしながら踵を返した。
 なぜ、自分がそんなことをしたのか、理解できない。相手は、あの黒い噂のあるグラフヴェルズ製薬会社の令嬢だ。助ける義理なんてない。だが、ミーナが「溺れます、溺れます」と泣き叫んでいる声が聞こえてきて、体が先に動いていた。
 人だかりの中に入れば、先ほど出会った仰々しい女子学生の集団が川辺でたたずんでいるのが見えた。水の中に入っているミーナを眺めて、困った顔で嘆いている。しかし、悲壮感はない。当たり前だ。この水の浅さで溺れるはずがない。ミーナの悲鳴に周囲は白けた笑みを浮かべている。
「これはいじめられて当然の、バカだな」
 そう言いつつも、彼は暴れているミーナの傍に行く。水の中に足を踏み入れた彼を見て、周囲がざわめいた。ジョルノは衣服が濡れることも構わずにズンズン入っていく。
 しかし、彼は途中で「あれ? 深くね?」と呟いて青くなった。実はこの水は幻影ではなく、本物の水で、水深が一メートルあるのだ。ジョルノは腰まで入ってから「おいおい!」とホテルマンを呼ぶ。この水位は溺れるバカも出るだろう、と叫んだ。
 ミーナは大きなスカートを水の中で揺らしながら、溺れていた。
 布が水を吸って重くなっているのだ。ジョルノは暴れている彼女の傍に行って、彼女の細い腕をつかんだが、次の瞬間、ミーナが悲鳴を上げて倒れた。
「きゃあああ、足に何かがっ!」
「うわっ、バカっ! もたれ……」
 水の中に沈んだスカートを踏んだらしく、彼女はジョルノに両手を伸ばして抱きついた後、倒れてしまった。ジョルノも彼女を支えられると思っていたのに、意外なことに靴でスカートを踏んでいたらしく、そのままずるっと水の中に入ってしまった。びしゃっと大きな水の音がして、周囲にいた観客が「うおおおお」と歓声を上げる。
 床の上にあるスカートが邪魔で、足場を作ることができない。ミーナが暴れると同時にジョルノも水の中に入っては、水を飲んで咳き込んでしまった。
 バカバカしいことに、本当に溺れそうになった。
「おまえっ! 暴れるなよっ! くそっ!」
「あっぶ! きゃああっふ、溺れっます、きゃあー」
「慌て……っぶ! 溺れっかよ、このっ……わっ! この深度で溺れてたまっか、くそ」
 ミーナはずぶぬれになりながら「助けて!」と叫んで、ジョルノにしがみ付いた。
 その瞬間、ミディアのことを思い出した。
 ジョルノに抱きついてきた彼女を思い出す。助けたかった。彼女を。
 ミーナが抱きついてきた弾みで再び水の中に二人ではまってしまったのだが、ジョルノは一度水中で彼女を強く抱きしめて、沈んでしまった。ミーナは恐怖に取り付かれて暴れていたが、水の中でキスをしたら静かになった。揺らめく水の中で、まくれ上がっていたスカートがゆっくりと沈んでいく。
 暗い時空に浮かび、失った時間を思い出す。
 あの時、彼女は泣いていた。このまま逃げたい、と言って。なぜ、彼女をさらって逃がしてやらなかったのだろう。今頃、後悔してももう遅い。彼女はもうこの世から消えた。
 ミーナが暴れなくなってから、ゆっくりと彼女を抱いて立ち上がった。水から出るときに、口を離し、お嬢さまを静かに立たせる。ミーナは呆然とした顔つきで、直立不動だ。ジョルノは一度自分の髪をかきあげて、顔を片手で拭う。男性らしい精悍な瞳が現れて、整った顔つきが前面に出る。ミーナの同級生たちが再び赤くなって俯いた。
 ミーナのドレスは水を吸って、重たくなっていた。彼女の肩からそれがずり落ちそうになっていて、歩き出した時に彼女は再びよろめいた。ジョルノは水の中に手を入れ、長いスカートを手繰り寄せて持ち上げる。水から出す時、それは男の手でも持ち上がらないほどの重さになっていた。普段の体力なら、ジョルノにも持ち上げるのは無理だ。しかし、今日は体が軽かった。ジョルノはそれをなんとか持ち上げて、歩き出した。
「ガキ、さっさと歩け」
「あ、はい」
 ミーナはジョルノにスカートを持ってもらった状態で水の中を歩き、自分の足で川から上がった。しかし、水から出るとき、足が丸見えになっていることに気がつき、再び「きゃあああ」と悲鳴を上げた。足を隠すようにスカートを引っ張って、背後にいるジョルノの頬を叩いてしまった。
 ジョルノは殴られた瞬間、我慢が切れて、そのまま両手からスカートを、ぼと、と落とした。その重みでミーナがよろめきながら転んでしまった。その拍子に肩からドレスが脱げてしまい、彼女は泣きながら「いやあああ」と叫んだ。彼女の執事が大慌てでやってきて、彼女にタオルをかけて身を隠す。
 急に白けてしまった彼は、片手で上着のボタンを外しながら水からあがった。ホテルマンたちが駆け寄ってきて、タオルを差し出す。ジョルノは何も言わずに一枚頭に羽織って出口へ向かった。ずぶぬれのまま上着を脱いで、タオルで髪を拭く。
 部屋の中央でユージンが「おい、ジョルノー!」と叫んだが、ふりかえることなくホテルを出て行った。
 エントランスから外に出る時、目から鱗が落ちた気がした。
「ルカはまだあそこにいたな……ブツがまだ来てないってことか」
 マックスがビュルラクから姿を消したと思われる日から時間がたちすぎている。何か異変が起きていることに気がついた。生きているなら、もうマフィアに目的の物を届けているはずだ。いつまでも空中都市に留まっていたら、自分の身が危なくなるのだから。
 マックスはグラフヴェルズからも盗んだのかもしれなかった。その遺産を。
 ホテルを出て、すぐに知人に電話をした。地上では小型の携帯電話が使える。耳に飾りのように小型のレシーバーをつけ、それを指で触れて、地下にいるセシリアを呼び出したが、彼女は出ない。ジョルノはイライラした顔で「何やってんだよ」とぼやいた。
 使えない奴め、と小さくつぶやいて舌打ちした。おそらく、手を離せない用事でもあるのだろう。もしかしたら、今まさにトラブルに巻き込まれているのかもしれない。しばらくして、ジョルノは諦めて歩き出した。
 マックスとグラフヴェルズのつながりを他に探れそうな人間がいるだろうか。
「あの野郎は一発殴っておかないと気がすまない」
 軽薄そうなあの眼鏡男を思い出し、ジョルノは不意に「くそっ!」と往来で拳を片手に打ちつけた。通りを歩いていた人間たちのうち数名がビクッと怯える顔になって、ジョルノから遠ざかる。平然と歩き去ったのはロボットだろう。
 仮にマックスがグラフヴェルズから開発資源を盗んだなら、相手だって黙っているわけがない。マックスの裏切りを知った時点で対策を取っているはずだ。グラフヴェルズに行けば、彼に関する情報を得られるだろう。司法が動いているか、それとも、別の権力か。
 ホテルから貸してもらった電話で、今度はコンシェルジュを呼び出す。
「客室ナンバー1502のジョルノだ。グラフヴェルズの地図を教えろ」
 左耳に入れたレシーバー越しに音波が伝わる。頭の中に直接声が聞こえてくるような感じで、答えが返ってきた。
「お待たせいたしました、ジョルノさま。現在位置を確認いたしました。グラフヴェルズ社までの道順を、左目のコンタクトに映像でご案内いたします」
「コンタクトって……え? いや、俺は使ってない」
「いいえ。もう虹彩を計った時に、入れてございます」
 ジョルノ自身はまったく身に覚えがない。ケニーの目を計った時の様子も見ているが、機械で目を測定した時間はわずかだった。コンタクトというと小型の透明な半円形のグラスを目に入れると思っていた。まぶたの上から左目に触れてみたが、入っているような気はしない。
 つまり、視力矯正用のレンズではない、ということだ。生体膜を利用した識別ユニットを裸眼の測定時に入れたのだ。その膜は噂によると、直径12ミリの円形皮膜である。しかし、入れるときには液状の点眼液を噴射されたように感じる。ジョルノはそれさえも記憶に残っていなかった。本当に入っているのか、と疑いながら目を開ける。
 不意に左目に赤い文字が浮かんできた。通りの名前が宙に光っている。ジョルノは立ち止まって、片手で左目を覆う。右目だけではその文字は見えない。左手を離せば、文字が再び見える。右目を隠しても消えない。両目の視差の狭間に幻のようなホログラムが浮かぶ。慣れるまでは、目眩がする。文字を読むために立ち止まり、視野が動かないようにしてから通りの名前を読み取った。
 ジョルノは困った声でつぶやく。
「これって便利なのか? 目が疲れる」
「初めて体験する方は、慣れるまでに少し時間はかかりますが、情報が欲しい時に片目を閉じれば比較的早く慣れます。そのうち意識しない間は文字を読まずに背景のみを見ていられます……ご気分はいかがですか?」
「ん……まあ、吐くほどではないけど」
「では、目的地までの道案内を開始いたします。グラフヴェルズ製薬会社は隣のヒミンビョルグ市にありますが、車で十分もかかりません」
「ああ、頼む」
 遊歩道の上に矢印が浮かぶ。コンシェルジュから交通手段を聞かれて「歩きだ」と答えた。矢印の色が不意に変わった。車を想定していたらしい。目の前に現れた矢印がゆっくりと点滅しながら、移動を始めた。ジョルノの歩行速度を予測して、ゆったりと動くが、彼は突然、上着を腕に抱えて走り出した。矢印の移動速度も上がる。
 矢印を見ないようにして周囲を見ながら、走っていく。
 道に迷った時は、視野の片隅で点滅を繰り返している光に意識を集中すれば、いつでも確認することができる。視野がぶれることも慣れてきた。もともと、ジョルノは動体視力がいい。文字を読むときは多少、体が揺さぶられるような感覚を味わったが、片目を閉じて移動距離や到着予定時刻を確認する。
 グラフヴェルズ社はその街の一等地に存在しているようだ。既に業務の終わったオフィス街は人気がなく、暗い。消灯時刻を迎えれば、その区画は全ての電力供給を止められる。夜間に電力を必要とする企業は、夜明けまでの時刻は自分で発電装置を使わなくてはならないのだ。必要不可欠な部署以外の電力は落ちてしまうので、とても暗い。
 マックスがグラフヴェルズに来るとは思えない。だが、ジョルノはそこに向かった。
「ついでに聞きたいことがある。グラフヴェルズと対立しつつある勢力の情報は?」
 コンシェルジュは最新の一流経済誌を確認して、答えた。
「第一四半期の売上高では、グラフヴェルズ製薬会社に対抗しうる企業として、エディンソン製薬会社が肉薄しています。プレスリリースによりますと、先週末、グラフヴェルズ社とエディンソン社は一日違いで新薬の発売日を公表し、対立は激化しているかと存じます。新薬情報発表後の株価指数では、エディンソンがやや出遅れた格好ですが」
「あー、表社会の動きは俺にはわっかんねー! 発売直前の新薬情報なんていらねー」
 経済社会の動きなら、キースに聞けばよかった。彼なら、不要な情報もぺらぺらと自慢してしゃべっただろう。マックスはそんな明るい権力の下で動いているわけではない。
 砕けたジョルノの口調に戸惑ったらしく、コンシェルジュは「翻訳できません」と冷静に答えた。ジョルノは「マフィアの情報は」と聞きなおす。コンシェルジュはしばらく沈黙してから答える。
「三流雑誌の雑報を検索中です」
「そうそう、スキャンダルでいいんだ。グラフヴェルズが開発する前の新薬情報を売るなら、どこのどいつが一番高く買いそうなんだよ? そういう情報!」
「ただいまの質問にお答えします。真っ当な商取引では、その情報を取引できません」
「そーんなことはわかってるっ!」
 機械はやはり融通が利かない。ジョルノは公道を走りながら、天を仰いで嘆いた。走りながら独り言を叫んでいる男は、はたから見るとおかしい。だが、この技術は普及しているらしく、周囲を歩いている人間たちはそれほど奇異な顔ではジョルノを見ていない。ただ、うるさく騒ぐ彼を迷惑そうに見てため息をついた。夜間は静かに、という公共広告がホログラムで宙に浮かび上がったが、彼は無視して通り過ぎた。
 遊歩道に規則正しく点滅する光の航路。
 ジョルノが走っていく速度にあわせて、歩道の光が前方二十メートル先まで照らしながら、滑るように光っていく。背後は十メートルほど先から闇に戻る。前方からやってくるマラソンランナーの存在も光で理解できる。通り過ぎる時、左目にフラッシュが入った。
「うわっ!」
 ジョルノは不意に両手で目を覆って、立ち止まった。耳元でコンシェルジュが「解析中です」と答えた。左の視界が真っ赤になった。目を開けても左目が何も見えない。
 彼の片目が真っ赤に光っていた。
「電波干渉です。グラフヴェルズ社の周囲は半径二キロメートル以内の情報が錯綜しています。原因を検索します。グラフヴェルズ社の最新映像が更新されていません」
「ナビゲーションを切れ。その干渉は故意にやってるんだ」
 ジョルノは歪曲している遊歩道から道の先を見つめた。左目は利かないが、右目で景色は見える。右目で見ている視界に赤い光がかぶさる。
 赤黒いシルエットの中に、就業時刻を終えたオフィス街が見えてきた。
 あのビル街のどこかにグラフヴェルズ社がある。夜間は社内に誰も近づかないよう、ナビゲーション用の情報を公に提供していないのだ。コンシェルジュが答えた。
「営業、および受付時刻が終わっていると回答がありました。グラフヴェルズ社までの道案内を終了します」
 ジョルノの左目から赤い光が消える。代わりに、現在の地名を示す文字が浮かんでいた。ただの地図情報のみになったようだ。コンシェルジュは「グラフヴェルズ社の位置を送ります」と言って、ジョルノに立ち止まるよう命じた。
 左目に公的機関に登録された地図情報が写る。現在見えている風景とは全く別の映像が左目に流れていく。歩きながら見ていたら、転ぶことは予想できた。ジョルノは立ち止まって片目を閉じる。めまぐるしく地図が展開され、現在位置の地図が広域で示される。それが徐々に細かく分割されていく。現在位置が点滅した。ジョルノが立っている位置を示しているようだ。その位置から、線が延びていき、オフィス街の中に入っていく。全体像を見せた後、左目に写真が現れた。次の瞬間、それが早送りになって動く。
 今いる位置から、グラフヴェルズ社までの昼間の風景を映像で見せられた。
「もう一度再生しますか?」
「ありがとう。もういいよ。コンタクトへの入力信号も切ってくれ。危険だ」
「かしこまりました」
 左目から人工の映像がすっと消える。ジョルノは歩き出した。
 遊歩道からオフィス街へ入り、人のいない閑散とした闇に身を浸す。研究開発部門のセキュリティは夜間でも動いているだろう。グラフヴェルズ社を探してきょろきょろした。
 別の会社の門前を通った時、焼夷弾のような光に照らされた。怪しい人物、というわけだ。ジョルノは警笛をならされて警告された。数秒後に電子警察が飛んできた。公道をレーザー光で封じられ、後にも先にも進めなくなる。
「はっ……立派。一歩も入ってねーのに」
「身分証明書を見せなさい」
 警官がやってきて、電子音で話しかけてきた。ジョルノは「あーあ」と言いながら、財布を取り出す。身分証明書を掲げて、両手を挙げる。
 証明書のチップを読み取った後、すぐに「入国ビザを確認」と言われた。変な嫌疑をかけられて、出国できなくなったら厄介だ。機械相手に言い訳は通用しない。退出を命じられて「はいはい」とつぶやきながら、背を向けた。
 ホテルから連絡が入ったらしく、警官ロボットの態度が不意に変わる。
 ロボットからホテルドオランデのコンシェルジュの声がした。
「ジョルノさま、そちらへ送迎車を向かわせました」
「余計なことを」
「グラフヴェルズ社の周辺にあるゴールドバーグ財団のオフィスへご案内いたします」
 その機転にはにんまり笑った。ジョルノは落ち着いた声で「わかった」と答える。
 警官隊に守られて、送迎を待つ。ロボット越しにこの近辺の治安情報を教えられた。ここ数年は暴力事件も、窃盗事件もこの地区内では発生していない。ただ、警察から一般市民への情報提供を願うリンクに一件、研究員失踪、という文字が見えた。
 ロボットの体に触れて、その情報を呼び出す。グラフヴェルズ社の研究員だろうか、と思ったのだが、別の企業だ。少し落胆したが、そのままグラフヴェルズの情報を検索する。警察や公安に引っかかる事件が全くない。クリーンすぎる。
「商法や品質表示違反、特許を巡る国際紛争すらないのか……ふーん? でき過ぎだな」
 情報開示には細心の注意をして取り組んでいるのだろう。背後に情報を消去するクリーナーの存在がいる。それも……かなり強力な奴だ。
 マックスとグラフヴェルズの間に契約が存在しているならば、逃亡者をどう扱うか。司法に訴えそうにない。盗人を訴えても、自社がこうむるイメージダウンの方が大きい。
「盗品は絶対に取り戻すよなあ? 傭兵でも殺し屋でも何でも雇って……真っ当な探偵を呼んで仕事をさせる可能性は低そうだな」
 事件があったことすら痕跡を残さないで消す。ならば、闇の仕事人が入ってくるだろう。マックスにもそれを理解できているだろう。彼はどこに潜入するのだろうか。
 勘違いかもしれない、と不意に不安になった。
 グラフヴェルズとマックスを結びつける証拠なんて、何もない。推測だけで自分自身の身を危険にさらしている。ゴールドバーグの名前まで出してしまっていることに気がついて、急に居たたまれない気持ちになった。
「ケニーに迷惑……かけられないよな」
 地上にいる間ぐらいは大人しくしていよう、と考え直す。
 不意に、警官ロボットの目が赤く光って、緊急事態、と告げられた。ジョルノは彼らに囲まれ、無理やり体を持ち上げられた。
「何だ? おい、こういう行為は無礼じゃないのか? こら」
「失礼します。ヒミンビョルグ市の郊外で化学薬品工場の爆発事故が発生。近隣の警察機動隊に出動要請……本機は現場へ応援に向かいます。民間人の安全を最優先し、退避を命じます」
 つまり、モニターが減るので怪しい人物はさっさと出て行け、ということだ。ロボットの肩に乗せられて、無理やり公道を移動する。ジョルノは逆らう気もなく、彼らの体の上で頬杖をついていた。どこで事故が起きたのか知らないが、過剰反応だ。
 暗い道の先を、黄金に光る物体が飛び過ぎるのが見えた。最初、それは幻のように見えていた。ジョルノは夢を見ているような気になって、片手で目をこする。
 ガラスで覆われたオフィスビルに反射して、巨大な光が通り過ぎていく。
 と、同時に乾いた打音が聞こえた。サイレンサー付きだが、あれは銃音、だ。
「……ここ数年、このビル街に事件は一件も報告されてなかったよなあ?」
 ロボットにそうつぶやいたが、彼らは回線が混乱した状態で止まっていた。ジャミングだ。機械に抱かれたまま、ジョルノはその腕から逃げようとしてうめいた。止まるなら、俺を離してからにしろ、と怒鳴りながら、機械を殴る。
 耳につけたレシーバーからコンシェルジュの声がした。
「ジョルノさま、現場周辺に到着しました。現在位置を補正、現場周辺に妨害電波があります。地図情報の錯乱……アプリケーションの再起動を命じます」
「オフィス街の中に入るな! 銃撃戦だ」
「そのような記録は報告され、てません」
「目の前で、撃ちまくってんだよ! いいから、お前は外にいろ! この一帯に入ったら、集積回路にジャミングをかけられるぞ!」
 電子機器へのハッキングとトラッキングを用いる犯罪者は珍しい話ではない。これほど大規模な戦闘行為であれば、生身の警官隊が入ってくるだろう。
 異常を察知することができれば。だが、感知できなかったのだろう。この数年。
「化学薬品工場の爆発事故? 嘘っぽいんだよっ!」
 この戦闘行為は計画されてる。このオフィス街周辺に妨害電波が張り巡らされていた。この街から人がいなくなることを見越しての、堂々たる戦闘行為だ。背後に巨大な力が存在している。
 ジョルノたちがいる道から、直角に交わって十メートル程度の細い私道が見えた。その両脇は建物が立って、細長い通路のようになっている。その奥にある道の上を、浮遊車が数台通り過ぎ、乾いた発砲音が聞こえた。先ほどの金光が飛んでいった先を追いかけるようにして、車が幾重にも通り過ぎていく。
 その後から、大きな白い光がビル街の上空から降りてくる感触を得た。その大きさを見て、天空域の航空機だと気がつく。白く発光するその機体は、通常の浮力装置だけでなく、重力発生装置を搭載している。その船籍は見えなかったが、ロヴィーネ島の戦闘機だろう。ジョルノは衝撃を予期して、自分の頭を抱えて守った。
「こんな街中で、まさか重力を発生なんて」
 いや、推進用のエンジン音がない。彼らは重力を自在に生成し、操る装置を持っているのだ。前方に重力を生み出せば、機体は前に進む。重力を生む暗黒物質を空間から検出して集積するために大量のエネルギーを利用する。今、この場所は大量の放射線に汚染されているはずだ。
 青ざめた直後、ビル街に無音の衝撃が走った。空間に亀裂が入ったような衝撃と共に、ジョルノの体がロボットごと細い路地に吸い込まれていく。転がり落ちるようにして、細い道を抜けていく。ジョルノは自分の頭を守り、ロボットに身を寄せて衝撃に耐えた。
 反対側の道に飛び出したら、機体がふわりと浮き上がって方角を迷った。次いで、白い機体に向かって左折したが、重力の影響圏から外れたらしく、不意にロボットごと道の上に落ちた。ジョルノはロボットに抱かれたまま、道の上に落ちて悲鳴を上げた。腰に強い痛みが走ったが、その衝撃でロボットの腕が折れ、体が自由になる。
 光が通り過ぎると共に、道の上にある無数のごみが舞い上がり、吸い込まれていくのが見えた。硬質な壁に守られたオフィスの中も、ガラスごしに物が散乱していることがわかった。
 オフィス街は完全な無人ではなかったようだ。残業中の会社員が「何だあれは!」と叫んで、屋内から道に飛び出してきた。
 ジョルノは白い上着を振り回しながら、発光体の後を追いかけた。彼らが地上に出てきて攻撃しているというならば、その道の先にヴュルラク島から遺産を盗んだ犯罪者がいるに違いないのだ!
 街中を颯爽と駆け抜けて、道を曲がる。
 そのとたん、オフィスビルから出てきた人間に勢いよくぶつかってしまった。黒髪の女性の肩を抱いて「心配いらないよ、僕が君を送って」と口説いていた男に正面からぶつかる。彼が「おわっ!」と叫びながら、彼女から引き離された。地面に転がった男を見て、ジョルノは「悪いっ!」と一言叫び、通り過ぎた。
 体が熱い。いつもよりも体が軽い。息が上がってもおかしくないのに、走り続けても呼吸は乱れない。筋肉増強剤でも入れているような感じだ。空中にいるよりも、地上にいるほうが呼吸は軽く感じられる。いや、筋力は強化されていない。ただ、持久力が付いている。夜目が利く。
「ただ、地上は暑いんだよなーっ! 俺にはっ!」
 体から汗が吹き出している。彼は片手でシャツを握り締める。ボタンを外す手間を惜しみ、強く引っ張って上胸を肌蹴させる。夜の風に触れて呼吸が少し楽になった。発光体ははるか遠くに消えている。ジョルノは途中でわき道に入って、耳の中にある携帯電話に触れた。電波状況は乱れている。だが、通話は繋がった。
「RT4!」
 コンシェルジュを呼んだら「RT3です」と、砂嵐のような音声で訂正された。
「現場周辺の地図を出せ!」
 左目に浮かび上がる衝撃を予想して、意識を景色に集中させる。肉体の平衡感覚を操りながら、走り続ける。左目に透過するような光で周辺の地図が途切れつつ浮かんだ。
 歪む世界に二つの視覚情報が重なる。交互にその情報を読み取りながら、彼は現実の風景の中に飛び込んだ。細い道を辿って、オフィス街の中を横断する。
 発光体が進む先を予期して、先回りしたら、路地から出たとたんに猛スピードで通り過ぎる浮遊車の前に出てしまった。ライトに照らされ、ジョルノはすぐに道に転がる。頭上を車が通り過ぎ、目の前に銃弾を打ち込まれた。
 パスッと空気の抜けるような音で地面にめり込む。威嚇射撃だろうか。だが、ジョルノは舌打ちして「ボケッ!」と悪態をついた。直後、体がふわっと持ち上がる感覚に青ざめた。道の曲がり角に白い光が漏れている。ロヴィーネ島の戦闘機だ。
 再び重力場に引っ張られることを警戒し、ジョルノは足を滑らせつつも、急いで立ち上がった。向かい側のビルに向かって駆け抜けるが、途中で足が地面に付かなくなった。長い時間浮遊して体を引っ張られる。手で空気をかきながら、つま先を地面につけ、無理やり体を前方へ放り投げた。
 片手でビルの外壁に触れた時、周囲の空気が引っ張られるような衝撃を感じた。片手で外壁の出っ張りに触れて、体を固定させる。体中から出ている汗の落下が止まり、水平に落ちていった。
 道に落ちていたゴミやチリが舞い上がって、背後に流れていく。発光体の方へ飛んでいくが、途中で空に舞い上がって再び地面に落ちた。ジョルノの体も横に落ちる衝撃から、真上に落ちる感覚に代わり、途中から、その方角が反転した。
 発光体が通り過ぎるのを見守る。白い光は生身の人体には毒だ。だが、ジョルノはその明かりを見送った。
 委員会が追いかけているのは、前方を逃げ回っている浮遊車だ。車に乗っている男たちは銃を持ってはいるが、どういうわけかその攻撃は統制されていない。彼らは前方に銃口を向けた後、背後を振り返って威嚇射撃をする。つまり、この場には三つの役者がいる、というわけだ。マックスと、マックスから遺産を奪いたい闇社会と、遺産を取り戻しに来た遺跡保存委員会の三役だ。しかし、後方から見る限りでは、マックスの姿は見えない。彼は、どこにいるのか。さらに前方を逃げ回っているのか。
 発光体が彼らの車を追って、角を曲がっていく。
 ジョルノの体がゆっくりと下方に落ちる。彼は片足を伸ばして、地面に降りた。再び、細い路地に体を入れて、発光体が曲がった道とは反対側にある道へ通り抜けた。
 右か左か。上か下か。
 人生には二者択一の場面に迫られることが、ままある。人には先読みの能力が生まれることがある。大抵は何となく予感があるものなのだ。
 路地を駆け抜けて、ジョルノは叫んだ。
「マァーックスーッ!」
 ビルの向こう側の小道がうっすらと明るく染まっていく。金色の光が見えたとき、ジョルノは小道を飛び出して、強く地面を踏み切っていた。
 弾丸のように体が飛び出していく。
 ジョルノの目の前を光の天使がきょとんとした顔で過ぎ去った。金色の光を身にまとい、巨大な翼を羽ばたかせる。ひらりと体の向きを変えて、ジョルノを振り返った後、その光の中で朗らかな笑顔を浮かべて「やあ」と手を振った。
 空中都市で出会ったときの、とっちゃん坊やではない。眼鏡はかけていないし、顔つきも異なる。髪の色がプラチナに変わっているが、それは変装なのか地毛なのか。髪の長さも変わっている。マクシミリアン・シャッテンバウワーという研究者の仮面はもうない。
 背中に背負ったグライダーは、生体発光物質を利用した流体エルロンだ。翼の形をプログラムして、自動的に羽ばたくようにできている。彼は翼を自在に操って空に舞い上がる。ビル街を軽々と飛び越えていく。
 ジョルノは悪態をつきながら、彼の後を追いかけるのだった。


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