3 同窓会と交流会
会場内に足を踏み入れると、懐かしい顔が見つかる。ジョルノは不意に学生時代を思い起こし、珍しく明るい笑みが浮かんだ。
「お、問題児がやってきた!」
「ジョルノー、よくここまで来れたな? 空賊船に乗ってきたのか?」
「お前のことだから、地上の道がわからなくて、迷ってたんだろー?」
軽い嫌味を言われて、思い出す。在学中、ジョルノの身分を知って、嫌味を言ってくる学生もいたのだ。その中心になっていたいじめっ子学生の筆頭は、上流階級出身であることを鼻にかけるキース・エディンソンだ。が、今は彼らの嫌味に目くじらを立てることなく聞き流した。あえて、自分からその冗談に乗って答える。
「空賊船に乗って、軍に捕まったよ。VIP扱いで、地上に護送された」
「あははは! ついに空中都市から排除されたか。おめでとう……ユージンから聞いてる。あいつがお前を絶対に呼ぶと言って、招待チケットを自費で手に入れてた」
彼らはそれ以上の嫌味を口にしなかった。大人になったのかもしれない。妙に親しげに肩を抱かれて、歓迎された。次いで、彼らは会場内にいるユージンの姿を片手で示した。ジョルノは制帽を頭からとって、彼らの肩を叩く。軽く礼を言った後、ユージンのいる方へ歩いていった。
ユージンは既に歴代の教官らと会話を交わして、社交中だ。堅苦しい挨拶の中、彼に声をかけるのは気がひける。しかし、貴重な資金を提供して招いてくれた友だ。
会場には、卒業生と教官、現役の学生が集っている。ざっと見ただけで千人規模の大きな会場だ。てっきり立食だと思っていたが、広いロビーは待合室だったようで、奥の部屋にテーブル席が用意されていることがわかった。
「うぇ……着席して食えってのか」
テーブルマナーらしきものを学んだ覚えがない。また同級生たちに嫌味を言われそうだ。育ちが出るとか、品がないとか。
ガッカリした顔で歩いていたら、不意に背後から肩を抱かれた。
「ジョルノ! 来てたのか!」
ふりかえったら、同期の知り合いだ。ユージンと二人でよく勉強を教えてくれた男で、ハルシュ・マティ・ラッパールだ。長い黒髪と浅黒い肌のブラックプリンスだ。親類に王族がいるという噂もあったが、彼は在学中その噂を常に否定していた。
卒業後に教官たちから聞いた話では、王族がいるのは確かだったらしい。だが、彼の親類は全て処刑されていた。血のつながりを口にすることができなかったのだろう。
就職してから、彼はもう航空士としては働いていない。航空会社を運営し、空中都市に暮らす上流階級の一人だ。航空の路線計画を作り、地上と空中を行き来して、営業をしているという。一度、彼から「うちにこい」と誘われたことがある。ジョルノ自身の商売が軌道に乗っていたので、断ってしまったが。
「ユージンに挨拶はしたのか?」
ハルシュに言われて「まだだ」と答えた。目の前で、ユージンに声をかける軍人が見えた。今日の彼は社交で忙しそうだ。軍事関係の人間に囲まれて、握手を交わしている。空賊船にいたジョルノは今、あの場所に行きにくい。苦笑いして、足を止める。
傍を通った給仕からハルシュがグラスを二つもらっていた。目を向けたら、グラスを手渡された。彼と二人で少し話をする。
「どうして同窓会に軍事関係者がいるんだよ?」
ジョルノの問いにハルシュが穏やかに微笑んで答えた。
「知らなかったのか? 卒業後に軍へ移籍したからさ。毎年、上位数名の成績優秀者が推薦を受けて幹部候補生になるんだ。それが軍部では一つの派閥になってる。彼らは毎年幾人かの卒業生を第一学区へ派遣して、権力を持つ血筋の子息とつながりを維持するように命じられてる」
「政治の話だな」
「政治の話だ。そういう連中の推薦を受けて、ユージンが幹事をやることになったというわけだ。彼の親類を見れば、軍部がつながりを維持したい人物だとわかるだろう? 特に彼の伯父はロビイストだからな。圧力団体を形成する政治力を持ってる。同窓会幹事としてユージンを表に出し、彼と無難に接触したいんだ。今日は彼のお披露目会だ」
下心を持ってユージンに接触したいのは軍事関係者だけではない。卒業後に事業を始めた同窓生にとっても、彼は魅力的だ。ユージンが主催する同窓会ならば出ようと思うだろう。彼と接触し、コネクションを手に入れることを期待して。
今のところ、ユージンは定期便パイロットだ。一般的には普通の労働者に過ぎないが、就職して既に三年だ。そろそろ部署の異動もあっただろう。彼の血筋や権力を考えれば、後の進路は幹部に向かうことは想像に固くない。本人の能力も高い。順当に出世するのは自然な流れだ。現在の勤め先の情報を得るだけでも、大きな収穫だ。
会場の片隅に、現役の学生が集まっていた。教官らに付き添われて、卒業生らと交流を始めている。彼らはまだ十代だ。卒業後の先輩たちと言葉を交わし、初々しい顔つきで緊張気味に頭を下げている。
そんな様子を見つめて、ジョルノとハルシュは少し口を閉じた。
しばらくしてから、どちらともなく笑いが漏れる。
「お前も昔はあんな感じだった」
「嘘つけ。あんなに礼儀正しく振舞った覚えはないね」
そのまま笑っていたら、彼らと目があった。教官が顔を輝かせて、学生たちを連れてきた。ジョルノは自分の背後を見て、彼らの視線の先を他に探したが、どうやら目的はジョルノのようだ。ハルシュが逃げようとしたので、慌てて彼の袖を捕まえた。彼に笑われる。
在学中によく叱られた教官だ。天文航法の授業を担当したマテウス・リトレリ教官である。ジョルノは落第すれすれだった。測定技術は他の学生よりもあったのだが、理論値の説明ができずに試験を落とし、追加のレポートを通常の二倍課されて、ようやく単位を取得した。彼は当時の苦手意識を思い出し、顔をしかめる。
「こら、お前たち、俺の顔を見て露骨に逃げようとするんじゃない」
教官は明るい表情で話しかけてきた。ジョルノは苦笑いしてグラスの中の酒を飲み干した。グラスを給仕に見せて、お代わりを持って来てもらう。
ハルシュは背筋を伸ばして会釈した。教官も簡単に挨拶を返し、穏やかな笑みを浮かべる。ジョルノは微かに笑って目をそらし、少し首を動かした程度だ。
給仕が人数分の飲み物を手にして、間に入ってきた。ハルシュが教官に一つ勧めてから、自分の分を取った。ジョルノも空いたグラスを置いて、新しい酒を手にする。現役学生たちは教官の背後に立って、笑顔だった。直立不動だ。緊張してるのだろう。
「今年の成績優秀者ですか」
ハルシュが彼らに気を配って、笑顔で話しかけた。学生たちは照れくさそうに微笑んでいたが、口を開かない。教官が彼らの代わりに答えた。
「今年は文句のない選抜だ。座学だけでなく、実習でも素直でいい。どこかの誰かさんのようなアンバランスな成績はついてないから、こちらも教えやすくて助かってるよ」
「俺がいたおかげで、後に授業がうまくなったんじゃねーの?」
ジョルノはグラスを持ったまま腕を組んで、軽く笑った。教官も笑顔で「お前は相変わらず生意気な奴だな!」といって、肩を叩いてきた。
在学中、ジョルノは理論を知らずに抜群の技能を持っていた。そのことで教官の間では、扱いにくい学生の一人だったのである。彼は七年も空族たちと過ごし、体当たりで技術を習得した。ジョルノは入学当初、既にベテランパイロット並みの技能を持ち、航空士としても無類の正確さを持って測定することができていた。気象を読むセンスも天性のものらしく、理論は不要だった。一年次から長距離輸送艦にのっても、風の影響を正確にとらえて補正することができていた。だから、成績が下位であっても、教官たちの覚えはいい。
そんな型破りな学生がいたということが、今でも学生間で伝説として残っていると言う。学生たちは少し頬を赤くして、握手を求めてきた。ジョルノは後輩の手を握って「俺の真似をするなよ?」と笑う。
ジョルノの口調が堅苦しくなかったせいか、一般的な常識から外れた社交性をもっていたからか、学生たちが肩の力を抜いて口を開いた。
「先輩に会えると聞いたから、楽しみにしていました。噂では怖い人だと伺っていたのですが、親しみやすい方なんですね」
「俺の何が怖いって? 空賊出身だからって奴か。はは……在学中からそういう嫌味を言われてたよ。俺は上流階級じゃないんで、堅苦しい挨拶は嫌だ。ただ、それだけだ」
「本当に空賊だったんですか?」
「子供の時にさらわれた。それで、空の上で七年過ごして、シエル島で更生させられた。今は真面目に生きてるよ。表面上は一応。自分の航空機で仕事してるし」
「どうしてそんなことが……あ、すみません」
彼らは好奇心があるのだろう。しかし、過ぎた質問を繰り返したことに気がついて、急に頬が赤くなった。良家のしつけではそこまであけすけな質問を許されていないのだろう。彼らは教官の横顔を見ながら、残念そうに口を閉じた。
マテウス教官はやや厳しい顔をして彼らを睨んだ後、柔和な表情でジョルノを見た。ジョルノには彼らが何を気にしているのかを理解できない。ただ、急に訪れた沈黙で、手にしていたグラスから一口酒を飲んだ。
教官は優しい声で話しかけてきた。
「今の仕事は順調なのか」
ジョルノは表情を崩して、困った顔になる。横を向いて言葉を少し考えた。冗談にして逃げてしまえば、この場は丸く収まるような気もしたのだが、教官の目を見たとき、ごまかすことを止めた。マテウスは不安そうな顔だった。彼に心配されていることを感じる。
ジョルノは酒を近くのテーブルに置いて、彼に答えた。
「安定してできる仕事は少ないから、生活は楽じゃないけど、いい仲間に囲まれてます。ケアフルール島は観光地だし、客は多い。俺でもできる仕事はいくらでもあります」
「そうか……でも、空の上で困ったことが起きたら、いつでも頼っていいんだぞ。お前には、仲間がいるんだ。ハルシュだって、ユージンだって、お前の仲間だ。俺は生涯お前の教官なんだ。いいか、一人で悩んで危ないことをするんじゃないぞ? 仕事がないなら、ここで見つけろ。お前のような優秀な技能を持つ男なら、引く手あまただ。お前の技術力を俺は保障できるぞ。推薦状ぐらい何枚でも書いてやる」
彼はそう言って、ジョルノの手を強く握ってきた。その手の温もりに心を揺さぶられる。
おそらく、ジョルノがハイジャック犯と共に空賊船に乗っていたという情報を知っているのだろう。だから、今の時期に同窓会に無理やり呼んだのかもしれなかった。
同窓会に出て、仕事を斡旋してもらうことができるだろう。上流階級にいる彼らに法的な援助を頼んでもいいだろう。今は、一歩間違えれば空族としてアウトローに落ちる危険があるのだ。国際警察に目をつけられていることも、彼らは知っているだろう。
普通なら、そういう人間はつまはじきにされる。社交界でスキャンダルは命取りなのだから。しかし、ジョルノはその身の上を同情されて、有力者から援助を受けることが多かった。普通なら呼ばれない時期に、社交界に正当に招待された。
それが学閥なのである。ジョルノのような社会の底辺で生きている人間にとって、この権力は最大の後ろ盾となる援助だ。
もちろん、それがあるがゆえの生きにくさはある。ジョルノは自分のバックにいる人間たちの存在に苦笑いした。一人で生きている、と言えれば気は楽だ。しかし、いつの間にか知らないうちにこの大きな力に守られている。
卒業したからと言って、縁が切れるわけではないのである。
シエル島第一学区の航空士養成学校には、彼が在籍したと言う証拠が残っている。そして、それは一生涯学校が負う責任だった。その人間を学内で育てて、卒業後もその身分と能力を社会的に保障する。
今回、軍の収容施設に入って取り調べも受けた。だが、結局のところ、起訴を免れていた。普通に考えたら、ありえない措置だ。背後で奔走してくれた学閥出身者がいるのだろう。空軍にはシエル島第一学区で学んだ幹部候補生がいる。彼らが動いたのかもしれない。
顔も名前も知らないが、同じ学校の出身と言うだけで、人知れず守られているのである。
「俺はもう……こっちの世界にいるってことか」
真っ当な社会に立脚し、普通に働く労働者だ。身分は低くても、稼ぎは少なくても、そんなことはいいのである。もう二度と、法の外に出て行くことはできない。彼をこの世界に繋ぎとめて、守る存在がいるのだ。
ハルシュが会話に入ってきた。
「そろそろ私が引き抜きをしてもいい時期かな? ジョルノ、うちにくるか?」
優しい声だが、茶化すような明るい余韻があった。ジョルノは教官の手を離して答える。
「はん! そこまで落ちぶれてないぜ。雇われ労働者になって自由を失いたくないね。これでも、俺の仕事は隙間産業で需要があるんだ。警察や軍と友達になれるっていうなら、今日はそっちの紹介をしてもらおうじゃないか」
「相変わらず強がりだな。だが、まあ、この後の交流会では、ゴールドバーグ氏も来るそうだ。彼に今回の件で、礼を言った方がいいかもしれないぞ? いつでもお前の背後を守ってくれているから」
ハルシュが暗にほのめかした言葉から察するに、国際警察の起訴を取り下げさせるため、ゴールドバーグ財団の政治的な圧力があったようだ。なるほど、と納得してジョルノは苦笑いした。強力な後見人を持ったものである。
不意に肩を強く抱かれて、背後を振り返った。ユージンが嬉しそうな顔で抱きついていた。ジョルノも表情を緩めて「今日のお前はキングだってな?」と軽口で答えた。
ユージンは軽く拳でジョルノの肩を殴った後、身を改めて教官に一礼した。
その後、すぐにジョルノに向き合って早口で声をかけられた。
「勝手に帰るなよ、親友! 会食では俺と席が離れるけど、交流会で飲みなおそう」
「交流会まで俺を拘束するつもりか? 俺はさっさと逃げるぜ」
「俺を一人にするなよ。ハルシュ、絶対にジョルノを逃がすなよ?」
ユージンはすぐに学長に目を向けて、その場を離れた。ハルシュは穏やかな笑みを浮かべたまま、彼を見送り、ジョルノに向き合った。
「……ということらしい。今日の私は、お前のお目付け役だ」
「あくびが出そうだぜ」
ジョルノは苦笑いして、再びグラスを手に取った。
会食では、案の定、同じテーブルになった学友から「マナーがなってない」「これだから空賊は」「おい、だれか、口まで運んで食わせてやってくれ」と散々にからかわれた。
高級食材を用いたフルコースだったが、なれない味で食べた気がしなかった。作法やら、順番やら、ごちゃごちゃ考えてるだけで時間がかかる。パイ生地に包まれたスープなんて、どうやって食べたらいいのかわからない。魚介類を扱う時のカトラリーがわからない。使い方も知らない。酒を飲んでいるほうが気楽だが、そんなことをしていると、あっという間に皿だらけになって、窮屈になった。
しかし、ハルシュが傍でにこやかに笑いながら、世話をしてくれたし、同じ年次の卒業生たちに囲まれたので、気が楽だった。教官も権力者もいないので、堅苦しくない会食だ。パンをちぎって放り投げても叱るものはいない。懐かしい面々と近況を報告しあって、あっという間に時間が過ぎた。
「え? あのユージンが結婚するのか?」
閉会直前になって、気になる話題になった。ジョルノはコーヒーを口にして、同窓生たちの顔を見る。このテーブルの中で妻帯者は一人もいない。誰かがそのことに気がついて「俺たちは独身席だぜ」と自嘲した。ジョルノは一度ハルシュを振り返った。卓上もそれにならって、彼を見る。ハルシュはのほほんとした様子で「私は婚約してないよ」と簡単に答えた。
ハルシュはそれ以上の言葉を口にしなかった。話題はなぜかジョルノの方へ飛んでくる。だが、ジョルノはその動きに予想が付いていた。在学中、ハルシュをからかうことができないときは、こっちに話題が飛んでくるのである。
王族の血縁関係者で、将来性のあるハルシュをからかうことはできないらしい。
「ジョルノ、お前は生涯独身だろ?」
「決め付けるなよ」
「空賊になったら、ますます娶れなくなるぜ?」
「空賊にも妻帯者はいた」
「愚か者め。そんな僅かな可能性なんて、僕は話していない。空賊になったら、独身だからな。いや、お前の場合、空賊に落ちぶれなくても、稼ぎがないから結婚は無理だろうけれど」
「稼ぎが低くて、何が悪いんだよ。それでも俺は雇われ労働者じゃない。経営者だ」
「あはははは! 何が経営者だ。営業停止命令を受けたくせに」
「たったの一ヶ月な。おかげで今日はバカンスだぜ。いい身分だろ?」
そんなことを言い合って笑っていたら、突然会場が拍手に包まれた。閉会のスピーチが終わったらしい。ジョルノたちは冗談を言い合いながら、片手間に手を叩いて同調する。
和やかなバックミュージックと共に会場の扉が開かれる。学友たちが立ち上がって、握手を始めた。ジョルノも口を拭って、立ち上がる。身なりを整えて、交互に挨拶を交わした。憎まれ口を叩きつつも、キースたちと一緒に会場を出た。
彼らはこのまま交流会に向かうらしい。彼に肩を抱かれて耳元に囁かれる。
「独身者はこの後の交流会も出るだろう? ジョルノ? いい出会いが待ってるぞ」
「はあ? そういう話の流れかよ」
ジョルノは苦笑いして、背後を振り返る。ハルシュは邪気のない顔でにっこり笑って、交流会会場の地図を取り出した。ユージンは会場の上座でまだ有力者たちの接待中だ。スピーチをしてくれた学長や政治家たちに頭を下げて、彼らと歓談が盛り上がっている。
一度、ロビーで足を止めてユージンを待ったが、学友たちに呼ばれて歩いていった。
ハルシュが傍に来て囁いた。
「お前はこれから逃げられないぞ。キースたちはお前の顔を最大限に利用すると言っていたから。ジョルノがいてくれたら、女性たちと知り合いになれそうだ、と」
「はっ! それは笑える。俺の口に何か物を詰めておいたほうがいいぜ」
「かもな」
ハルシュにさらっと言われると怒る気もうせる。彼と二人で会場へ向かった。
口が悪いことは自覚している。それが品性を失わせている原因だと言うことも。普段は気にしないが、こういう席では自分は浮いた存在に思えてくる。自分だけ異質な存在であるような気がして、居心地が悪い。
でも、ハルシュの隣は、どういうわけか落ち着いた。彼の雰囲気は穏やかで、品位を感じさせる装いで、滅多に口を荒げることがない。自分の正反対にいる人間だというのに、彼とは何か通じるものがあるような気がして、孤独感が紛れた。
在学中も彼とは二人でよく過ごした。少しおせっかいで、面倒見がよく、不器用なぐらい優しい学友だった。
「今月の交流会では、シエル島の第一学区以外の学園も呼ぶそうだ。今日は、令嬢が多いといっていたから、キースたちも参加するだろう。シエル島内の交流会では出会いは少ないけど、学園都市のお嬢さまが来るとなると……ちょっと興味があるだろう?」
ハルシュは笑いを含んだ声でそんなことを言う。今日は、シエル島以外の学園と交流があるようだ。それも良家の令嬢とツテができるらしい。それは普通の男なら、興味を持つところだろう。普通の男女の出会いの場としても、女性が多くなるので楽しめるが、その相手は生まれの確かな権力者の娘たちだ。
しかし、ジョルノは不意に彼女のことを思い出した。
ミディアが生きていたら、こういう風に彼女と再会できていたのだろうか。いや、彼女にはもう婚約者がいた。生きていたら、令嬢ではなく、誰かの夫人だったに違いない。
交流会は同じホテルの別館で開かれた。
参加人数はさらに膨れ上がり、数千人規模の交流会場だ。楽団が既に演奏を始めており、華やかな曲で歓迎される。
ホログラムの使える会場だったらしく、半円状の部屋に窓はない。しかし、壁には一続きの動画が映っていた。部屋の形状を忘れさせるような映像は、太古の遺跡に咲き乱れる花だった。一瞬、空中都市に戻ったような気がした。
シエル島に存在する古代遺跡の映像を使って、会の主催者がシエル島であることを示している。しかし、会場内に置かれた島の紋章をみると、シエル島の他に東南線にある学園都市が数箇所入っているようだった。今日は華やかな会になる。
広い会場は床に川が作られていた。部屋を横切る小川の中に、本物の灯が浮いている。赤く揺らぎながらそれは天と地を照らし、水の中に奥深い陰影を落としていく。
川の中に星が見えた。天井を見上げれば夕暮れ時のグラデーションの中に幾多の星が見え始めている。地平線に沈む夕日は赤く、抜けるような緑色の空虚が空に残っている。
今の時刻は黄昏時だ。会場の外にも夜がやってこようとしている。
ホログラムの中にある遺跡は、ぼんやりとした間接照明で照らされ、幽玄な表情に代わっていく。在学中、時間をとってこれらの遺跡を見学したことはない。だが、映像でその姿を見ると、懐かしさを感じて笑顔が漏れた。
キースがジョルノの肩を抱いて声をかけてきた。
「おい、空賊。向こうにいる彼女たちに声をかけて、さらってこい」
「はあ? 自分で行けよ」
「僕がそんなことをできるわけがないだろう? エディンソン家の男が自分から女性に」
「あー、面倒くせ。お前の家のしきたり? 結婚したいなら早くその家を出ろよ」
「これだから、庶民は……僕にはもう婚約者がいるんだ。だから、僕が自分から声なんてかけられないんだよ」
「面倒くせー」
ジョルノはうんざりしてそっぽを向いたが、ハルシュがくすくす笑って「行ってきたら?」と促した。キースが脇を殴ってきたので、彼を睨む。彼は、ハルシュをちらちら見ながら、早くしろ、と背中を押した。ハルシュのために出会いを用意したいようだ。ジョルノは仕方なく、ため息混じりに会場を見た。どの女を呼べばいいのか。
その時、会場にケニーがやってきた。ジョルノはほっとした顔になって、歩き出した。
学友たちはしばらく大人しく見ていたが、途中でジョルノの足があさっての方角に向いていることに気がついて「ばかばか、そっちじゃないぞ。あっちだろ」と騒いだ。そんな彼らの声を無視して、ケニーに近づいた。
ケニーはおろしたてのスーツを着て、クロークに荷物を預けているところだった。その後、すぐに関係者に声をかけられた。数回握手をした後、言葉を幾度か交わしてから、ジョルノに気がついた。彼は優雅に断りを入れてから、ジョルノに近づいた。
「やあ、早かったね。もう同窓会はおわったのかい」
「同じホテルだったんだ。本館の方でやってた」
「そうだったか」
彼と二人で会場に入った。飲み物を探して、バーカウンターへ歩いていく。
ケニーは「飲みすぎだろう?」と笑いながら諌めてきた。確かに、酒を飲み続けているが、体調に異変はない。それでも、彼に注意されてから、一度手を止めて酒の影響を考えた。すぐに計算を終えてケニーに答えた。
「空中都市に戻るのは明後日だし、明日はもう飲まない。血中濃度に問題はない」
「それなら構わないよ。明後日の航空機のチケットは」
「友人が往復チケットをくれたから、心配は要らない。俺は一人でも戻れる」
「そうか」
少し寂しそうな顔をして、ケニーは酒の入ったグラスを手にした。その横顔を見て、少し後悔した。彼がいつも自分を守ってくれていることは知っていた。具体的に何をしているのかは知らなかったが、二人でいるとき、彼の愛情深さをいつも感じていた。
国際警察が起訴を取り下げた理由をはっきりとは聞いていない。だが、彼が背後で動いている可能性はある。ジョルノはまだ彼に恩返しをできていない。
ジョルノは彼と同じグラスを手にして、ケニーの後を追いかけた。
「ケニー……いつもありがとう」
「ん?」
ケニーが足を止めて、優しい笑顔になる。それ以上彼に話しかけることができずに、ジョルノは酒を一気に飲み流した。にっこり笑って「これから女を誘うんだけど」と口にした。ケニーは朗らかな笑みを浮かべて「頑張りたまえ」と応援した。
彼だってまだ独身だ。見た目は悪くないし、性格もいいし、家柄も、稼ぎもいいのに。ジョルノは続けて、ケニーもどうか、と誘おうとしたが、余計なお世話かもしれない。それに、彼が結婚したら、二人の関係も終わりそうな気がした。彼に「息子」と呼ばれることはもうなくなるかもしれない。
ジョルノは迷いつつ「競争する?」と続けた。ケニーは朗らかな顔で笑った後、意外にも「よかろう」と応じた。その言葉を聞いたとき、思わず、ジョルノは目を輝かせて笑ってしまった。急にやる気になった。それまで、全くやる気がなかったのだが、どちらが多く女性に声をかけられるか、競争することにした。
彼が知らない女性と結婚して、本当の子供を作ることがあってもいい。
今のように付き合えなくなっても、義理の息子と呼ばれなくなってもいい。
彼には幸せになって欲しかった。ケニーを応援したい。
「今日は東南線から三つの島が加わってるそうだ。現役の学生と教官、その世話をする執事とボディガード……近づくのは容易ではないぞ? 息子よ」
ケニーはおどけた様子でそんなことを話した。ジョルノはカウンターからもう一つグラスを取ってきて、酒を舐めた。酒で勢いをつけて、前に出るつもりだ。
目の前を若い女性が通り過ぎる。ケニーと二人でその姿を見送った。
ジョルノは自分の姿を見て「今の俺って、学生に見えないか?」とケニーに話しかけた。白い制服を着ているので、現役生との違いがわかりにくい。よく見ると校章の他にも、卒業証書と共にもらった紋章が付いているので、卒業生であることはすぐにわかるのだが。
ケニーはジョルノの腕を取って囁いた。
「今日の君は最高にいい男だ。きっと、人気者になるだろう」
「そんなことを言って、俺に自信をつけてくれなくてもいいって。それより、ケニーも見てないで声をかけろよ?」
「競争だったな。でも、君は途中でその女性と抜け出す予定なんだろう?」
「女と一緒かどうかはわからないね。うまく行けばそうなるだろうけど」
二人で笑ってから、グラスを手放し、席から離れた。
優雅な曲が流れ、天井から立体映像でスターダストが降りてきた。会場内はゆったりと上下動を繰り返す光の群れを見て、歓声が上がる。ジョルノも小川にかかった橋を登りながら、空を見上げる。
群青色の空に青い星が光る。地平線に細長くたなびく七色の光跡。日は当の昔に沈んでいる。夜の闇が広がる。遺跡を照らす温かい灯火の色が、小川に流れる灯火に似ている。大地に浸透するような水音の調べが、交響曲と共に会場内を包んでいる。闇と光の空間。
足元の橋は石材でできているように見える。しかし、それは人工的に視覚を操って作られたものだ。ジョルノが足を乗せると、淡い光が浮かび上がり、物質を透過させて水上にその光を落とした。
薄暗い闇の中、幾重にも光る足跡が川の上に浮かんできた。人が橋の上を行きかい、交流し、川辺に集うようにして語り始める。その姿が淡い光となって見えている。
屋内にいる感覚が薄れ、巨大な映像の中に取り込まれる。
女性に声をかけることを忘れて、立ち止まり、上空に広がる空の映像を見た。そのまま笑っていたら、女性の声が「退いてくださらない?」と少し怒って聞こえた。
気取った口調だったので、中年のおばさんだと思ったが、目を下に向けたら、まだ若い女子学生だ。ジョルノの半分ぐらいの年だろう。ジョルノは橋の周囲を見て、一歩外に動いた。彼女は困った顔で「歩けませんわ」と続けた。
彼女のスカートはあまりに大きくて、橋を通れないのである。ジョルノはため息をついて、彼女に話しかけた。
「じゃあ、その服装で橋を渡ろうとするな。俺に飛び降りろと言っているのか?」
彼女はきっときつい目で彼を見つめ返した。大きく広がったスカートを手に持って叫ぶ。
「こんな会場だと知りませんでした! 女性のドレスのことをまったく考えていない会場です。とても無礼です。私はあちらの岸辺に行って、アイスクリームを頂きたいのに」
「アイスクリームだあ?」
その理由を聞いて、目が点になった。幼い。いや、年齢から考えると納得の幼稚さか。
急に女から興味が失せた。そうだった。女とは気が合わない。こういうわがままを平然と言ってくるのが、女という生き物なのだ。自分の要求が通らないからという理由で、怒鳴りつけてくる生き物。どうしてナンパなんてやろうと思ったんだろう、と首を傾げていたら、彼女が地団太を踏んで叫んだ。
「あなたがこの橋を陣取っていなければ、私はそちらへ渡れるのです。今すぐにあちらへ渡るか、こちらへ来るか、決めなさい。動きなさい。退くのです!」
何とも高飛車な言い方だ。最初は素直に退いてやろうと思っていたが、途中でその気が失せた。少なくともこちらは二十代後半の男だ。ただの女子学生に顎で退かされてたまるか、と思い直した。
思わず、両腕を組んで仁王立ちしてしまった。
「通りたいなら『どうぞ私を通すために退いてください』と頭を下げてみろ」
「何ですって?! あなた、それでも紳士なの? いいえ、紳士であるわけがないわ。あなたのような男性を紳士と呼んでいいわけがないわ。普通は女性に道を譲るものです」
「ぴーちくぱーちく、うるせえな、このクソガキ」
「くっ、そ、ガキですってえー?! まあああ、そんな言葉を私に言わせるなんて」
「お前が勝手に繰り返してしゃべってるだけだろ」
通り過ぎる紳士淑女がきょとんとした顔で、ジョルノたちを振り返っている。巨大な布に包まれたその女は、唇を噛み締めてそわそわしていた。ジョルノは平然とした様子で、大人気ない通せんぼを続けている。
通れる橋は一つではないのだ。諦めて遠回りでもしろ、と考えて、冷酷に彼女を見下ろしていた。アイスクリームのためだけに退かされてたまるか。
その時、彼女の背後を似たような服装の仰々しい女たちが横切った。彼女たちはくすくす笑って口元を隠している。生意気だった彼女が一瞬、怯えた顔で彼女たちをふりかえる。
「あら、ミーナ、こんな場所で何をしていらっしゃるの? 早く取りに行かなくては、アイスクリームは溶けてしまいますわよ? レディが退屈されてしまいます」
「嫌だわ、本当にどんくさ……失礼。何を命じても、うまく行きませんのね。これはもう才能ですわ。ミーナ、あなたは一人では何もできないという素晴らしい才能がおありよ」
「その頼りない無能ぶりを見せ付けて、レディの執事であるプリンス・サファイヤさまをそそのかすなんて、許されませんわよ。この泥棒猫」
ミーナと呼ばれた先ほどの生意気女は、怯えた顔で小さくなった。
ジョルノは軽い目眩を感じて、彼女たちの言葉を反芻する。何を言ったのかわからない。翻訳して理解したのは、この女は複数の人間にいじめられているらしい、ということだ。
我ながら大人気ないことをしていると反省して、周囲を見たら、彼女たちの後方で、キースたちが吹きだしそうな顔をして肩を震わせているのが見えた。あとで、どんな嫌味を言われることか。
ジョルノは急に気をそがれて、橋を降りた。ミーナの傍を通り過ぎ、彼女に声をかける。
「大人気ないことをして悪かったな……早くアイスクリームを取ってきてやれよ」
軽く肩をぽんと叩いて通り過ぎた。ミーナはジョルノに答えることなく黙っている。
一瞬、ミーナにきつい言葉をかけていた女性たちが顔色を変えた。彼女たちは不安そうな顔になって、ミーナとジョルノを交互に見つめた。ジョルノは傍を通り過ぎる時、ちらっと視線を向けた。彼の流し目に触れた彼女たちは恥じらって顔を伏せる。
キースの傍に行ったら、早速、茶化された。
「おいおい、お前はロリータ好みだったのか」
「そういう誘い方をしてねーよ。ただの大人気ない喧嘩だ」
「精神年齢に応じたナンパぶりだったよ。いい見物だ」
「はあー」
力が抜けて、ガクッと気を落とした。ハルシュまでくすくす笑い「お疲れさま」と声をかけてきた。その肩に顔を沈ませるようにして、彼に身を預けた。ハルシュは小さなジョルノの頭を抱いて慰める。
キースは橋の前にいる女性たちを見て、優雅に一礼した。彼女たちは慌てて、少し腰を落として挨拶する。その後、彼女たちはマナーを思い出したようで小さな悲鳴をあげた。もっと深く腰を落として、上半身を傾けながらお辞儀をしなくては、目上の男性に対して無礼である。
ジョルノに見つめられた彼女たちは、舞い上がっているのだ。僅かな時間で女性を虜にしたらしい。キースは満足そうにそれを確認して、学友たちに話しかける。
「やはり、餌になる男らしい。われらが空賊出身の問題児殿は見事に婦人の心を盗んだ」
学友たちに笑われ、キースは明るい笑顔のまま彼女たちに背を向けた。ジョルノはうんざりした顔でキースを睨んだ。これ以上餌にされてたまるか、と気分を害する。
キースはジョルノの視線を無視して、傍にいるハルシュをみた。続けて、ぼそっと吐き捨てるように彼は言った。
「年齢はともかく、僕たちの身分に釣り合う女ではないな」
「そうか? あれは東南線のベニンシュラ王立女学園の生徒だぞ」
キースの言葉を遮るようにして、彼の隣にいた学友が口を出した。
それなりの家柄の令嬢が通うのだろう。王立の学園ならば、入学する人間たちの身分もそれなりのものだろう。
しかし、キースはハルシュに話しかけた。
「あれは君に紹介できる類の女ではないのだよ」
「いや、私は別に紹介なんてしてくれなくてもいいんだが」
「君にはもっとふさわしい女がいいね。あんな、グラフヴェルズの小娘とつるむような連中ではなく、本物の貴婦人を」
キースの言葉を聞いて、学友たちの目が変わった。ジョルノも少し目を輝かせて、彼女たちをふりかえる。ハルシュは「グラフヴェルズ?」と首をかしげていた。
ハルシュのような潔癖な血統の男では、知らないだろう。
グラフヴェルズ製薬会社にまつわる黒い噂を。
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