二輿物語


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16 兄の到着


 時は少し遡り、ザヴァリア国境――。
 ウルフェウスを追いかけてきたピピネは、国境で兵士らとカードゲームをしながら、話をしていた。彼は兵士らに勝ったら、入国を認めてもらう約束でゲームをしていた。
「『北の悪魔』とは何だ? 北には大神がすまうという湖があるだけだぞ。北の湖に住むのは悪魔ではない……まあ、神も悪魔も大して変わらんが」
「まあね……北の湖ってのはどんなとこかな。俺も行ってみたいなあ」
 ザヴァリアについたとたん、妙な噂を耳にした。おそらく異母弟の噂話だろう。ウルフェウスはどこに行っても、真っ先に問題を起こしては噂を作り、自分の足跡をよく残す。噂を辿れば彼に会えるはずだ。
 商人に化けたピピネは、粗末だが清潔感のあるチュニックとマントを羽織り、長い髪を丁寧に組み紐で縛っている。端正な顔はより一層目立ち、立ち居振る舞いも優雅で、行く先々では密かに女性たちの話題を集めていた。宮廷内では他の王子の美しさに劣って地味な男と思われていたが、城外に出れば美男子で通る。
 特に美しいのは、長い睫毛で影のできた深い瞳の色である。黒い目は珍しい。この上なく広い深淵を見るような気がする。しっとりとした目で彼にじっと見つめられると、誰でも膝をつきたくなるものだ。それはとても麗しく、懐の深い宙のようだ。
 手入れの悪い赤毛の縮れ毛ですら「繊細な炎の綿毛」と褒められた。もちろん、本音と建前の狭間で政を操っている彼は、表面上の言葉に浮かれることはない。つまりは「まとまりの悪い細かいウェーブがパサパサしている」ということだ。日に焼けて養分の抜けた髪は毎晩妻が手入れしてくれていた。旅中は身支度に気を配ることなく普段通りにしていたら、髪質は元に戻ってしまった。ある意味では華やかな髪形だ。それを無理やり縛ってまとめている。
 ピピネはカードを一枚引き、自分の手札を見ながら答えた。
「北の湖か。そうだな。まず寒い。氷しかない。でも、まあ、女は美しい」
「おおお」
「まるでダイヤのように輝く煌びやかな白い肌……おい、今のは見逃せないぞ。私のカードを持って行っただろ。今のは私の分だ。ここに出せ」
「う……わざとじゃねーし」
「お前はイカサマも下手だ。約束どおり、十勝したら国に入れろ」
 わずかな隙に見せた相手の動きを封じると、ピピネは自分のカードを広げた。兵士たちは彼の手札を見て「ああー」と嘆きながら、頭を抱えた。勝負に勝ったとみたピピネは机の上に置かれてあった酒を飲む。何が勝負であろうと、勝利の美酒はやはり美味い。
 入国許可証を商人ギルドからもらっていないので、奥の手を使っての入国だ。つまりは、違法行為、に準ずるが。商取引による入国であると証明できないので、旅客であることにして国に入るのだ。それを説明していたら、ゲームをすることになったというわけだった。
 兵士たちは仕方なく通行書を捏造して、ぶつぶつと呟いた。
「こんなことが知られたら俺たちは王様に叱られる」
「叱られるだけか」
 ピピネは許可証の正規料金を懐から出しながら聞きなおした。ヴァルヴァラならば死刑だ。ピピネは死刑囚に恩情を与えるが、ウルフェウスが容赦しないから。
 ザヴァリア国は平和な国であると予想する。平和すぎて間抜けである。
 兵士たちは言う。
「普通はただではやらないんだけどなー」
 ピピネは嘘を見抜いてにやりと笑った。兵士たちが言外に賄賂を要求している。
 彼は知らん顔で手数料のみを机に置き、噂話の続きを聞いた。
「先ほど『北の悪魔』が生贄を要求していると言っていただろう。その噂の真相を教えてやろう。ここに女のような顔をした美しい男が来ただろう。それが悪魔だ」
 兵士たちはきょとんとした顔で互いを見る。ピピネは見当違いだったかと思い、口を閉じた。異母弟はまだここを通っていないのだろうか。
 兵士が口を開いた。
「……どんな奴? 怖い?」
「いや、一見すると人当たりは柔らかくて、明るい性格か。綺麗な目をしていて睨まれたら息が止まる。そいつは曲がったことが大っ嫌いだ。賄賂や汚職がばれたらきっと後で殺されるだろう。悪魔はこの国に入れない方がいい」
 兵士たちは徐々に顔色が悪くなり、ピピネを見た。ピピネはにっこり笑って通行書を手にとる。出ていこうとしたら、彼らは怯えた顔で彼の手を握って話し始めた。
「俺たち、見たかもしれない。すげえ美形だったけど、乞食みたいな奴で」
「いつだ?」
「えっとつい最近……金を置いていった」
「賄賂を受け取ったのか」
「違う。あいつが勝手に渡してきたから……」
 ピピネは呆れた顔をして「受け取った金を見せろ」と言う。兵士たちは銀貨を取ってきて前に出した。彼は思わず「うっ」と呟き、帽子を押さえつけて顔を隠す。よりにもよって自分の顔が彫られた硬貨だ。居心地が悪くなった。
 彼はピピネが追いかけてくることも予想していたというのだろうか。この金がザヴァリア国にばらまかれているなら、ピピネは顔をさらして歩きにくくなる。全く忌々しい小僧だ。追手の足も食い止めようとは。
 が、ヴァルヴァラの銀貨を持ち出したのは確実にウルフェウスだ。こんなに気前よく過剰な金を捨ててくるのは彼ぐらいだ。それに賄賂を贈るなんて手段を選ばないウルフェウスらしい。おそらく、さっさと交渉して何の問題もなく素通りしたに違いない。手際が良いというか、素早いというか、ずるがしこいというか。忌々しいほど有能な悪党だ。
「確かに。この銀貨は悪魔のものだ。早く仕舞え」
「うわああ、俺たち殺されるの?!」
 そんなことをしたら内政干渉だ。ピピネは「心配ない」と答えて立ち上がる。弟はこの国にいる。手がかりを見つけたら、後は追いかけるのみだ。見つけたらどうしてくれよう。
「なあ、あんた! 呪詛返しを知ってるのか。この金をどうしたらいいんだ?」
「呪詛返し? そんなものが……この金は使わずに大事にしまっておけ。外に出すな」
「どのぐらい浄化を?」
「悪魔がもう一度この地を訪れるまで、ずーっとだ。彼が帰るときに金を返せ」
「えーっ!」
「では、その場で殺されろ」
「えーっ!」
 兵士たちは怯えてピピネにしがみつく。何とかしてくれと頼まれて、足止めされてしまう。ピピネは迷惑に思いながら、彼らをなだめてみたが、無駄だ。
 そのうちに一人が「是非、家に泊まってくれ」と言い出し、ピピネを無理やり実家につれて帰った。先を急いでいた彼は何度も断ったのだが、結局、カヒン村という場所で一夜を過ごすことになった。


 カヒン村で完全に足止めを食ったピピネは、弟を追うこともできず、無為に時間を過ごすことになった。
 国境警備兵の実家へ案内されてから、歓待を受けたものの、その後も彼らの相談役として留まり続けている。悪魔への対処法のみならず、雨漏りの防ぎ方や野菜の保存方法、暗い森を迷わずに歩く方法など多岐にわたる相談を受けた。そのほか、親子喧嘩の仲裁やら、森で得た物品の分割法など、こまごまとした政に携わった。どうして城の外に出てまで政をしているのかと思いながらも、ピピネはてきぱきと問題を裁いて解決していく。何処に行っても仕事をしてしまう男だった。
 彼は空き時間を見つけては老婆のゲームに付き合う。彼女との遊びの時間がピピネにとって唯一のくつろぎ時間だ。何かがおかしい。なぜ、国境から先へ進めないのか。
「何とも恐ろしく賢いこわっぱだわな、お前」
「お前が息子にイカサマを教えたのだろう。血筋だな……下手くそめ」
「おれも年くったもん。指先が上手く動かん」
 国境警備員の実家には年老いた母がいた。夫は出稼ぎで息子は国境警備。村に一人で暮らして彼らの帰りを待っている。そんなに裕福には見えないが、貧しくも見えない。心穏やかに裏庭で自給用の野菜を育ててつつましく生きている。
 もともと野草園の観察記録も好きだったので、ピピネは一宿一膳の礼に、彼女の庭作業を手伝った。収穫を二倍に増やす方法を教えたら「おめえ、もうこの村に住め!」と言われた。厄介だ。
 彼女と過ごす午後のひと時は、城内で道化と戯れることに似ている。イラついていたピピネの心を慰める効果があった。彼女が相手のゲームでは、弱すぎて退屈だったが。
「仕方ない。平和に負けてやろう。さっきのカードを渡せ……水を貰っていいか」
「うん、勝手に飲め。あー、八百長で勝っても面白くないわ」
「阿呆。これは恩情だ」
 ピピネは軽く笑って台所に入る。水がめから水を得て、再び戻ってきた。もはや勝手知ったる他人の家である。
 外から彼女の息子が帰ってきて、ピピネに声をかけた。
「賢者さま! 国境で妙な噂を聞きました!」
 またか、と思った。彼はいつのまにか村一番の賢者となっている。ありがた迷惑な呼称だが、村の外からも「賢者はおるかあー」と客が来る始末だ。
 ピピネは人民に引き留められて動けなくなってしまっている。これも人望だろう。
 彼はふーと重々しいため息をつき、国境警備員に声をかけた。
「今度は何事だ? たまには自分たちで解決しろ」
「北の検問所を通って、災いの女神が輿入れするらしいって!」
「うーむ。何を言わんとしてる?」
「ここから北に行ったところに別の検問所があって、そこを災いがお通りに」
「災いって何だ?」
「さあ?」
「……また私に叱られたいようだな。情報を確かめに行け! それがお前の仕事だっ!」
「はいぃっいーっ!」
 ピピネに怒鳴られた兵士は転がるようにして外に飛び出していく。老婆が「まるで王様みたいな奴め」と笑った。まるで、ではなく、本物なのだが。


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