二輿物語


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17 不審な御輿



 ピピネ王子がカヒン村で落ち着いた頃、ゾイ村という場所にも旅人がたどりついた。それは、中央の都から周辺の村に向かっていた片目の大男だ。
 ラグはウルフェウスから譲られた美しい白馬をつれて、寂れた村にやってきた。彼自身の体が大きくて重かったために馬が疲れてしまい、結局は荷物を馬に担がせての到着だ。後続の追剥や夜間の盗賊と戦ったのか、ラグの衣類やマントには少し刀傷がついていた。
 ゾイ村はピピネのいるカヒン村から馬で半日ほどの距離……荷馬車でなら、だ。のんびりとした小さな川が村の中央を横切り、細々とした支流が各家の玄関先につながっている。その川は泥水で、とても飲めたものではないが、家と家の間にある畑に水を提供し、青々とした草木が成長していた。食べられるのは、粗末な麦とイモ科の食品らしい。
 彼は民家の一つを覗いて声を出す。
「御免! この近辺で『王子』を見なかったか!」
 中から腰の曲がった小さな老人が出てきて、悲鳴を上げた。
「あわわわ……一つ目鬼じゃぁ!」
「おいおい、俺ぁ人間だぜ」
「お助け、お助け」
 老人は片目の大男を見て、逃げてしまう。
 ラグは軽くため息をついて、辺りを見つめた。いつの間にか、老いた村人たちが彼を囲むようにして集まっていた。ラグを慎重に検分しているように。しかし、この村はやはり平和だと思った。誰も戦闘準備なんてしていない。
 この村を通るのに、正式な許可証をもらってはいない。ここは彼が持っている通行許可書に記されている場所ではない。ラグは内心冷や汗を浮かべつつ、素知らぬ顔で姿勢を正した。この土地の領主に無許可通行が見つかったら、場合によっては裁判になる。
 彼は腰に挿していた刀をマントで巧妙に隠しながら、身を低くして聞きなおす。
「この近辺を遊行していた『王子』を探している。誰か見なかったか?」
「見ていたら殺されますか?」
「いや、殺しはしない。銀貨で礼を払おう」
 ラグは優しい笑みを浮かべて老人たちを見る。と、同時に彼は村の長を探して、素早く周囲に視線を流した。誰と交渉したらいいのかを本能的に探していた。
 老人たちはラグの笑顔を間近に見て、少し安心したように肩から力が抜けたようだ。
 しかしながら、小屋の奥で老婆が「騙されるでねっぺ」と厳しい声をあげた。ラグは民家の奥にまだ人が居たことに気が付く。
 家屋の奥から、ほうきを持った老婆が出てきて、口をひらいた。
「上手いこと言ってるけんど『見てねぇ』なんて言ったら、その場で殺されるさぁ」
「殺さねえって言ってるだろ」
「強盗は皆、そう言って騙すっぺ!」
「……この村には強盗が出るのか?」
 ラグは辺りを見ながら、平和に見える村の様子を確かめる。もし、強盗が出るならば、用心棒として契約してもいいだろう。ラグはしばらくして、人ごみの一番奥にいる老人衆に目を向けた。一際その場所は人が多い。村の代表者たちだ。
 老婆は一人で奮闘して叫ぶ。
「南の検問所に賢者がやってきて『女のように美しい鬼が人を騙して殺す』と教えていったそうさ! お前は美しくはないが、鬼みたいな奴だ。お前はおれたちを騙して命を奪うつもりだっぺ!」
 彼女の言葉を聞き、村人たちは突然思い出したかのように驚きの声を上げ、逃げていく。近づいてきていた村の代表者たちも、女性たちに守られるようにして下がり始めた。
 ラグはあわてて声を出した。
「おいおい! そんなものはただの噂話だろう! だいたい、俺は人間なんだ。戦で目を無くしただけだ」
 村人たちはラグの顔を覗き込み、彼の失われた片目を見つめた。それは眼帯で覆われておらず、醜い傷跡がむき出しになっていた。痛々しくひきつった眼孔は不気味に落ちくぼんでいる。顔の半分を刀で切られたらしく、目だけでなく頬骨も斬られていた。でも、ラグはその傷跡を髪や飾りで隠すことをしなかった。その傷は彼の個性で人生だったからだ。
 村人たちはその傷跡を見て、仰々しく「ぎゃああ」と叫んで逃げ帰ってしまった。
 ラグは痛々しい傷を撫でながら老婆を振り返った。少し苦笑いして彼女に言う。
「俺は……そんなに化け物みたいか?」
 哀しげなラグの様子を見て、老婆は少し威勢が弱まったものの、後ずさりしてしまった。
 今まで、ラグは傭兵たちと共に生きてきた。傭兵たちの間では、経験した戦の数が多いことで尊敬された。無傷で生き残る次に尊ばれるのは、生身に傷がついても生きていられる強靭さだ。だから、彼らは傷跡を隠すことをあまりしない。
 それで、世間一般にはこの傷は醜くて、恐怖を呼び起こすものだということを忘れていたのだ。人殺しの中では称賛される彼の経歴や力も、平和な村においては恐ろしいことに違いない。
 人をたくさん殺してきた。そして、そのことを悔やんだことがない。
 それは化け物と呼ばれても仕方がないのかもしれない。いつの間にか、自分は人の心を失っていたのかもしれない。
 ラグはそれ以上の説得を諦め、その村を出ていくことにした。ここは自分にふさわしい場所ではない。この村は平和だ。自分はその平和を壊す存在でしかなかった。ラグは彼らに「邪魔をした」と簡単に詫びてから、背を向けた。
 馬の手綱を引いて歩き出したとたん、彼は足元にうずくまっている子供に気がついて足を止めた。小さな女の子がきょとんとした表情で彼を見上げていた。ラグはあわてて自分の顔を隠して彼女から離れる。少女が自分の顔を見て、泣き出してしまうことを恐れた。
 しかし、彼女はラグを見上げたまま反応がなかった。
 老人が出てきて少女を抱き上げる。少女はぼんやりした様子で抱き上げられた。彼女は起きているのかどうかもわからない様子だった。ラグは彼女から逃げるように馬を引く。
 その少女が、小さな口をひらいて話しかけてきた。
「おじさん、刀を持ってる」
 少女がそう呟いた。村人たちは改めて怯えた顔になり、ラグを遠巻きにして見つめた。
 ラグは切なそうに笑って足をとめ、少女に答えた。
「昔、俺は傭兵だった。刀で人を斬っていた」
 少女は問いかける。
「皆を殺すの?」
「いや」
「どうして刀を持っているの?」
「旅の護身だ」
「何処から来たの?」
「遠い国だ。俺は今までさすらって生きてきた。故郷はもうない」
「……。おじさん、泣いてるの?」
 少女の問いかけにラグは戸惑う。涙なんてもうずっと流していない。泣くという感情も忘れている。戦場で人の死に慣れ過ぎた。人が死ぬのも、殺されるのも慣れ過ぎていた。
 どうして、泣いているように見えたのだろうか、と思いつつ、ラグは少女に少し笑いかけた。彼女を安心させるための行動だったのだが、彼は新たな事実に気がついた。
 少女の目はラグとは別の方向を見つめていた。それで、彼女が盲目であることに気がついた。ラグは小さな少女の視線を見て、言葉を失った。
 少女は自分を抱いている老人の頭を撫でながら、声を出す。
「おじさん、やさしい声してるよね」
「…………」
「おじさん? あれ? 行っちゃったの?」
「…………」
「あ……あのね、私も目が見えないんだよ! おじさんと一緒だよね!」
 彼女は少しはにかみながら叫んだ。彼女は手を伸ばして、ラグを探す。ラグは片手を彼女に手をのばした。腕を動かすとマントの中で刀が動き、ガシャと大きな音がした。老人が怯えて後ずさりしたが、少女はその音の方に顔を向けてラグを見た。
 彼女の指に触れて、ラグは優しく握る。細くて折れてしまいそうな柔らかさだ。
 彼女は「いた」と嬉しそうに言った。ラグは苦笑いして黙っている。
「どうして、おじさんは『王子さま』を探しているの?」
 ラグはしばらくして答えた。
「彼に飯を与えた老婆がいるそうだ。彼から、彼女に恩返しをしてくれ、と言われた。俺は彼から仕事の情報を得た礼に、彼に代わって恩返しをすることを約束した」
「ふーん。王子さまってどんな人?」
「うん……姿は普通の乞食だったが、高尚な方だ。かすかに香気が漂っておられる。美しい碧眼と黒髪をお持ちだ」
「えへへ、アリサと同じ黒髪なんだね」
 少女は自分の髪を撫でて笑った。しかし、少女の髪はブロンドだ。ラグは戸惑って老人を見る。老人は困った顔で笑いながら「親に似て美しい黒髪じゃ」と彼女を褒めた。
 ラグは村を見回して黒髪の人間を捜したが、村に黒い髪を持ったものは誰も居ない。この少女には身寄りがいないと気がついた。黒い髪の女性が連れてきたのだろうか。少女が光を失う前に見た親の髪の色だったのだろうか。それを口に出すことはためらわれる。
 ラグは少女を抱いている老人の目を見た。老人の目は優しくて、穏やかだった。彼らがその少女を大事にしていることを理解する。彼らの嘘を暴くようなことをしたくない。
 ラグは頷いて少女に答えた。
「そうだ。そなたのような見事な黒髪だった……俺はもう少しこの近辺を探してみようと思う。騒がせてすまなかった」
 ラグは少女から手を離し、再び馬の傍に行った。
 少女は少し寂しそうに「もう行くの?」と聞く。ラグは答えずに馬を引いた。白馬は一度大きく首をふり、豊かなたてがみをなびかせてから歩きはじめた。
 村人の一人がラグに声をかけてきた。
「なあ、おい……黒髪はこの国ではとても珍しいから、すぐにわかるだろう。俺たちも探してやるから、機会があったら……また寄りな」
 ねぎらいの言葉を聞いて、ラグは笑顔になった。彼らを見たら、声をかけてきた村人も笑顔になり「気をつけて」と続けた。ラグは軽く頷いて村を後にした。
 しかし、村から離れて一刻。
 ラグは国境沿いに動く奇妙な集団を見つけた。
 それはラヴィアル国の紋章の入った輿だ。ラヴィアル国はザヴァリア国の北にある軍事大国で、氷に閉ざされた巨大な湖と常に火の吹く火山を持っており、潤沢な鉱石と宝石を有する富裕国だった。その国の紋章を何故、国境付近で見かけるのか。この近辺はラヴィアル国と接しているわけではない。
 その輿は森の中をさまよって姿を消した。どこからきて、どこへ行ったのかわからない。
 ラグは嫌な予感がした。すぐに出てきたばかりのゾイ村に戻り、見たものを彼らにそのまま話した。そして、外敵の侵入に備え、彼らと共に動き始めることになったのである。理屈ではなく、戦地で生き抜いてきた野生の勘がなった。
 何か異変が起きつつある、と。
 その翌日「災いの女神」の噂を確かめるためカヒン村からやって来た警備兵に、村長とラグが国境近辺にある村は一致して自衛に勤めるように求めた。彼らの言葉はカヒン村にいるピピネのもとに伝わり、すぐに国境が封鎖されることになった。
 国境封鎖の伝令はすぐに国境から中央へ届けられたが、そのおかげで、ヴァルヴァラ国から戻ってきた大使は国に入ることができず、国境の外で足止めされてしまったのだった。


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