二輿物語


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19 国境封鎖



 昼食は中庭でとる予定だったようだ。二人分の食事が庭先に用意されていた。光り輝く新緑の深い色あいと純白の陶器が美しく対照的に映えていた。
 大臣も来客も王妃もいない。これから、ゆったりとした午後の時間に、未来の義理の父と婿で、気のおけない話でもするつもりだったのだろう。だが、緊急の使者がその場所に来ていた。王を悩ませる問題を持ってきたらしい。
 食堂に入ったら、王の怒声が聞こえてきた。
「国境を封鎖しただと! 一体誰がそんな命令を出したのだ。すぐに解除しろ!」
 使者は礼儀正しく片膝をついて、王の前に頭を垂れたまま呻いた。
「し、しかし、その、あの」
「大使が帰国できずにいる理由はそれか! 何と言う愚かなことをしてくれたのか」
 王は少し切ない顔をしてため息をついた。使者は恐縮して「申し訳ありませんでした」と答えている。ヴァルヴァラでは見ない光景だ。大抵の場合、部下が謝るときは命がけの事態になっている。癇癪持ちのウルフェウスであるならば、このような部下は一撃で首をはね落としただろう……その報告の内容にもよるが。
 部下の謝罪を聞いて、ため息をついているだけの王の姿は何とも平和に見える。王子は大股で歩きながら、既に頭の中は高速で回転していた。厄介だ、と部屋の中に入った瞬間に感じた。一度封鎖した国境の開通は骨が折れる。素早く対処しないと流通にも支障が出るし、外交上の問題も引き起こしかねない。
 まずは事態の把握が先だ。ウルフェウスは、冷静になれ、と自分に言い聞かせる。
 王子は彼らの傍に行き、話しかけた。
「国境で何があった?」
 王は王子の姿を見て笑顔になった。その笑みはまるで、心配はいらないぞ、と言っているように優しくて穏やかだ。が、事態はそれほど簡単そうでもない。国境の封鎖は伝染病が出た時か、隣国と戦争を始める時か、いずれにしても国境際で国の行く末を左右するような厄介な問題が起きて、人の通行を制限する事態になっているはずだ。
 王子は王を無言で制し、使者に答を促した。
 使者は怯えて首を振っている。若い王子は急に顔つきが冷酷に変わり、使者を怒鳴りつけた。問答無用だ。まるで電光石火のような、怒りの爆発ぶりだ。
「さっさと言えっ! 今ここで斬り殺されたいか!」
「ひぃっ! は、はい、国境沿いにラヴィアル国の紋の入った輿が移動しておりまして、不審に思った賢者さまが『国境を封鎖しろ』と命じたのでございますっ!」
 弾けたように使者が答え、床の上に這いつくばった。王子の怒りを恐れて、平伏したまま身を小さくしている。結局のところ、ウルフェウスはこの短気のせいで政は有能だったし、また、逆に追い詰められることもあった。
 ウルフェウスは今の自分が帯剣していないことに気がつき、ちっと舌打ちした。いや、帯剣していなかったから、これ以上の問題を起こさずに済んだのであるが。異国で他国の官吏を切り殺せば国際問題だ。彼はもう一度心の中で自制した後、早口で問いかけた。
「国境ってのは何処だ。賢者ってのは何者だ。輿の中身は検めたのか。何を目的にしているのか調べろ」
「は、はい。早速戻りまして調べますです」
 早速退席しようとした使者の襟首を掴み、王子は引き止める。使者は泣き出しそうな顔で目を伏せて、ブルブルと震えていた。
 ウルフェウスは彼を睨んだまま、ゆっくりと問いかける。
「おまえは、どこの、こっきょうから、きたんだ?」
「うっ、ぅ……答えます」
「答えろ。一番最初に答えろ。地図がわからねえっ! 誰かここに持て!」
 王子は使者を掴んだまま、ケタルをふり返って怒鳴りつけた。ケタルはすぐに部屋を出て、地図を探しに行く。残されている侍従たちは怯えたまま、王子の癇癪の行方を見守っていた。王は王子の隣で驚いた表情のまま固まっている。
 再び、王子の視線が使者に戻る。使者は飛び上がるように一度背筋を伸ばしてから、口をひらいた。首根っこを掴みあげられた小動物のような恰好で話す。
「ゾ、ゾヒテム州のカヒン村から参りました」
「カヒン村? もしかして……婆さんは無事か?」
 王子は思わず表情を滑り落とし、素の顔が浮かんだ。食事を与えてくれた老婆の近くではないかと思った。彼女の安否が気になった。同時に、国境際の軍備の薄さも思い出す。今、あの場所で何かが起きても助けに行けない、と思った。いや、もともと、旅客である彼には軍を動かすことすら本来はできないのだが、いつもならもう馬に飛び乗って国境に向かっていただろう。今は、真っ先にどうしたらよいのかと迷いが浮かんだ。
 勝手のわからぬ異国で、どのようにして国を救えばいいのか。
 彼が感じた一瞬の迷いで、部屋の空気が変わった。
 怯えていた使者は一瞬、呆けたように「婆さん?」と聞き返した。それは、ウルフェウスからわいろを受け取った官吏だった。王子は彼の顔を思い出し、あわてて彼から離れた。
 ケタルが地図をもって戻ってきた。だが、王子はその時には対策を決めて王を見ていた。
 ウルフェウスは王に進言する。
「北にあるラヴィアル国がわざわざ南方の検問から入ってくるわけがない。南には俺の祖国、ヴァルヴァラがある……これは俺に対する警告だ」
「警告、とな?」
「ヴァルヴァラから来る入婿を国に入れるな、という警告さ。俺がこの国に来るなら、ラヴィアル国は南方を封じて、俺の輿入れを妨害する気だろう。それぐらいの妨害、俺は何とかするが、問題は入国後の政治だ。ラヴィアルはミタルスクと組んで、ザヴァリアを脅かすことになるだろう。この国の地勢は両国に挟まれて存在している。大国の恩恵を経済的に受けている。戦争でなくとも、流通を封鎖されればひとたまりも無い……国民が皆飢えて死ぬかもしれない。そうなる前に俺たちは国民に捨てられるさ。暴動が起きる」
 言いながら、ウルフェウスは体の芯が冷えるような感覚を味わった。この先もこの感覚を味わうことになるのだと思った。安らぎなんて自分には無縁だった。いつも、誰かに恨まれ、憎まれ、嫌われ、必死にあがいて生きていくしかないのだ。それはヴァルヴァラにいても、ザヴァリアに行っても変わらない。それが自分の人生なのだ。
 周り中が自分の敵だった。いつ食われるか、殺されるかわからない。それが政治だ。
 あの国をでて、新たな土地に来たら、戦乱から逃げられるような気がしていたが、自分はどこに行っても、どこまでもヴァルヴァラの第五子であり、戦からは逃れられないのだ。
 ここに来てしばらくは、夢のような平和を味わった。だが、彼は頭を切り替えた。平和な生活に未練はない。ただ、夢を見ただけだ。ザヴァリア国の平和な空気が愛しい。この国も戦好きと呼ばれる王子を受け入れることで、戦乱に巻き込まれることになる。
 戦うことが自分の使命なのだ。
 どうしたら生き抜けるのか。彼の思考はすぐに現実的な対処法へ移った。今までそうやって生きてきた。迷っている時間はない。この国の民を好きになった。彼らを苦しめたくない。どうしたらいいのか。動かなくては救えない。今、動かなくては。
「国境を封鎖したのは過剰反応だ。でも、不測の事態が起きることを防いでくれたことに感謝しよう――対策を考察する。お前は王の決断を持ち帰り、国境の警備を固めろ。命令書を用意する。書面が出来るまで、別室で控えて待っていろ」
 あっという間に部下に対処法を明示した。本来、それをするのは王の仕事だ。だが、王は何も言わずに、王子の言葉を聞いていた。王子は王に代わって、その強引さで場を収めてしまった。
 部下たちは安心した顔になり、彼に頭をさげた。周囲は彼の雰囲気に飲まれている。誰もが未知の経験で誰かに頼りたいのだ。全てを引き受けてくれる英雄を求めていた。彼はそういう場面で常に人前に出て戦ってきた男だった。
 彼を包む空気は安定していて、頼りがいがありそうだった。強いものが持つ空気をまとっている。落ちつきこそなかったが、その素早さが彼の武器であると周りは信じた。
 ウルフェウスは使者をふりかえり、退室するように促して手を振った。使者はあわてて立ち上がって頭を下げる。何度もぺこぺこと頭を下げながら不器用に退室していった。
 使者が居なくなると、ウルフェウスは早速王に声をかけた。
「背後にミタルスクとの取引があったのかも知れねーや」
「お前は本当にあのウルフェウスか? 言葉がいつもとは少し違うぞ。熱があるのでは」
 王の前では猫をかぶっていたので、素がばれてしまった。でも、ウルフェウスは知らん顔である。いつかは化けの皮がはがれると思っていた。いや、既に直属の部下の間では、もう素性も何もバレバレだ。もともと、彼はそれほど上品な王子ではない。戦地で兵士らと殴り合う方が似合っているような無骨な男だ。
 見た目こそ普通以上に品のある王子に仕立て上げることは可能なのだが、本質はまるで別人である。祖国でも、彼の素行の悪さは折り紙つきだ。
 誤解を解くでもなく、言い訳をするでもなく、ウルフェウスは自分の言葉で先を続ける。
「ミタルスクは大勢を用いてこの国を滅ぼすことはない。ただ、ラヴィアル国を用いて揺さぶりはかけてくるかもしれない。この国には満足な軍備が無い。大使が国境に留まっていることは僥倖だった。彼をすぐにヴァルヴァラへ送り返し、援軍を要請する。ピピネ兄貴に手紙を書いてくるぜ」
 ウルフェウスが部屋を出ようとしたとき、王がようやく疲れた表情で声をかけた。
「王子、もう少し平和な手段を講じよう。大使に交渉させるのだ」
 ウルフェウスは動きを止めて、王を振り返る。実の父親なら文句の一つも返したところだが、ここは異国だ。ようやく彼はその事実を思い起こし、目の前にいる王を見た。
 王はウルフェウスをなだめるように、切なく笑ってから、答えた。
「私の国で流血は許さん」
「いや、でも……今は」
「確かにこの国は貧しいが、私はこの国を愛している。この国に暮らすものを苦しめるような真似は、たとえ婿であっても許さん……どうか、穏やかな手段を考察してくれ。ラヴィアル国王とは十数年来の付き合いがある。彼がそんなにひどい手段をとってくるとは思えぬ。何か要求があるなら話を聞こう。私があなたを婿に呼んだのだ。彼らがそれで文句を言うなら、私が出て行って説明しよう。ラヴィアル国の大使を招いて接待する」
「……今はそれでもいいぜ。だが、俺がここにいる間ずっと、あんたは脅かされて両国のご機嫌を伺ってばかりだ。それでいいのか」
「それが小国の政治だ。この国には軍事よりも外交の方が重要な時があるのだ。ウルフェウス王子、今は慣れないだろうが、苦しくてもその事実に耐えよ」
 王は話を終えてウルフェウスを手招きした。王子は納得のいかない顔で彼の傍に行く。
 両膝をつき、彼の傍に控えると、王の手で頭を撫でられた。
「豊かなヴァルヴァラからこのような辺境に呼んでしまったことを詫びよう」
 ウルフェウスは歯軋りして首を振った。王の手は温かい。彼に触れて胸が苦しくなる。
 王は愛しそうに王子を撫でて言う。
「怖がることはない。私がそなたを守ろう。ラヴィアル国とも、ミタルスク国とも戦争は起さぬ。私が彼らを説得し、そなたとわが娘の挙式を実現させよう。私に任せるのだ」
 今まで、これほど心の暖かい王にあったことがない。父であるヴァルヴァラ王は息子すら切り捨てる冷徹な人間だった。ウルフェウスは戸惑いつつ、初めて親の愛情に守られる感覚を味わう。居心地が悪くて、不安だった。常に戦にさらされてきた彼は、誰かに守られるという経験をしたことが無い。動かぬものは戦場では死ぬ。
「国境の封鎖を解除し、国外に待機している大使をラヴィアル国へ向かわせよう。私が大使へ渡す手紙を書いてこよう。それが終わったら、食事にしよう。少しここで待っていなさい」
 王はそのように言い残して、退室した。
 ウルフェウスは今まで常に生命の危機を感じて生きてきた。戦地では敵に殺されるという恐怖を、国内では政敵に殺されるという恐怖を感じつつ生き抜いた。部下と共に居ても誰が誰の差し金を受けて近づいているのかと不安になる。そういう生活をしてきた。
 守ってやる、と言ってくれたのは彼が初めてだった。ザヴァリア国王が本当に自分を受け入れて愛してくれると感じたら、急に彼を失いたくなくなった。
 王は人間的にはできた男だが、政治を甘く考えているように思えた。既にラヴィアル国は手段を講じている。交渉するにしても下手に出れば、立場が悪くなるばかりだ。何を要求されるかわからない。この国の大使が交渉に長けているとは思えなかった。
 ウルフェウスは結局黙って見過ごすことができずに動き出してしまう。絶対にこの国を守ると心に誓いながら、部屋を出ていった。

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