二輿物語


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20 魔術士の呪文



 侍女のセレナはアリシア姫と一緒に舞踏会の衣装を作っていた。遠い国から来た異国の婚約者のために、姫はいつもとは少し違うデザインを要求した。王子が贈ってきた色違いの反物を用い、異国風のドレスを作らせたのだ。
 作ったことのない形の衣装を手掛け、セレナは連日興奮していた。ヴァルヴァラの衣装は書物に伝えられるだけでも、豊富な種類があり、どれを選ぶか迷ってしまう。
 贈られた反物の色は、美しい姫の金色の髪を引き立てるためにあつらえたような色合いだった。アリシア姫の体の大きさももくろみ通りだったらしく、布の丈も扱いやすい長さだ。さすがは軍事大国。その情報網は確かである。セレナが布合わせに迷うまでもなく、その反物を使えばアリシアは美しく飾られることになるだろう。何ともセンスの良い、職人の手間を省く贈り物だ。
 煌華織という名の織物は生地がしっかりしているのに、軽くて、ひだをつけると華やかにふんわりとまとまる良品だ。ドレープを作る服でも、形を保つ公式の服でも、女性らしい華やかな造形でも扱える。セレナはすぐにこの反物を気に入ってしまった。
 色違いで二種類もある。正装も夜行服も訪問着も作れる。二種類組み合わせてもいいように、同形の模様が織り込まれている。長さも十分あるので、その反物で、姫のドレスは二着づつ作ることができそうだった。
 だから、早速、手始めにヴァルヴァラではよく用いられる正装の一つ、長い外衣と、上下一続きになった絹の下着を作った。青色の煌華織を外衣で用いて華やかなドレープを施す。その中につける絹の肌着はたくさんのひだをつけ、外衣の胸元と裾と袖から、繊細なレースと刺繍が見えるように計算した。ヴァルヴァラ式の下着は両脇が開いているが、ザヴァリアではボタンをつけて、体温が逃げないように調節できるようにした。
 全体的にゆったりしたドレスで、腰回りは締め付けられていない。体の形がよくわからないドレスだ。アリシア姫は極力自分の姿を王子に見せたくないようだった。恋に対しては消極的なドレスとなったが、慎み深く貞淑な女性には見えるだろう。
 ヴァルヴァラではヴェールを頭に被ることがある。姫はそのヴェールもセレナに依頼していた。ヴェールの裾に煌華織と同じ模様をつけるのは苦労した。でも、セレナをはじめとする衣装係たちはその織物に使われている模様にも興味があったので、みんなで議論しながら何とか似せて刺繍をほどこしていた。その模様を織物にするには、糸をどのように動かせばいいのだろう、と思いつつ針を動かす。
 異国の文化に触れるということは、その技術を吸収して新たなものが生まれる契機ともなる。普段は見られない特注品の工芸品を前に、衣装係の探求心は高まる。城に荷を下ろしに来る商人たちもその噂を聞きつけて、煌華織の模様を見たがった。
 王子の存在に怯えて姫が隠れている間も、部下たちは異国の王子が持ち込んだ美しい工芸品に心を惹かれて話題にしていたのである。煌華織は商人を通じて、既に市井に切れ端が流れ、似たような文様を持った織物作りが始まりつつあった。二人の結婚の影響はそのようにして既に市井に出始めているのだ。
 主の戸惑いなんて、部下には所詮は他人事である。新たな外界の情報に触れられることは、楽しいことだった。国外になかなか出られない一般大衆にとっては、王侯の結婚は一大イベントなのだ。彼らがどこから来て何をもってくるのか、とても興味がある。上手くいけば、自分たちの生活を向上させ、新たな商売にもなるからだ。
 セレナは夢のような毎日を送っていた。ヴァルヴァラ式のドレスを作ることを夢見て、毎日絵本を眺めては、型紙にデッサンを描き起こし、落ち込んでいる姫の元に足しげく通って、ドレス作りの許可をもらった。
 だから、この日、セレナは出来上がったばかりの新しいドレスを持ってうきうきしていた。姫に見せに行こうと思い、ドレスを持ったまま廊下を歩いていた。いや、早く姫に見せたかったので走ってしまう。そして、角を曲がってきた人と出合い頭にぶつかった。
「きゃあ!」
 悲鳴を上げて倒れた彼女を寸でのところで抱き止め、ぶつかってきた人物が謝る。
「悪ぃ!」
「とても痛かったです」
「心底謝るぜ。ところで、ドレスを扱う衣装係って誰だい?」
「……私です」
 セレナはきょとんとして答える。本当は男性の衣装係と女性の衣装係は別なのだが、その人物は黒髪が艶やかで美しく、一瞬女性に見えたのだった。
 こんな人間が城にいたかな、と思いながら、セレナは首をかしげる。
 その美人は邪悪な笑みを浮かべて、セレナの腕を掴んだ。あまりの強さにセレナが「痛いですー」と悲鳴を上げると、その人はイライラした様子で彼女を両腕で抱き上げて、歩き出してしまった。男性のように背が高い。いや、まるで男のような力だ。
 その美人は何者か。
「きゃああ」
「あー、うるせぇ。ドレスのある場所は?」
「あなた、何ですか!」
「訪問用の衣裳を見せろ。それから紋章鑑識官を呼んで、ラヴィアル国の紋章を調べさせ……あんた、何を持ってるんだい?」
 その人はセレナが持っている衣装に気がついてにやりと笑う。セレナはあわててドレスを隠したが、この美人は目ざとかった。すぐにセレナを下ろしてドレスを手にした。
「これはダメですぅ」
「手を離さないと破れるぜ?」
「やぁーん!」
 苦労して作った最高傑作を破られてなるものか!
 セレナが手を離したら、その人はさっさと取り上げてしまった。爽やかな青みの煌華織は、その美人の目の色によく似ていた。セレナはその碧眼を見つめて、ぼんやりとする。姫の青い目の色に合わせて透き通った宝石のような飾りをつけていたのだが、この人に着せてもドレスは合いそうだと思った。
 かの美人は深い青みの宝石を撫でて「よし」という。セレナに話しかけてきた。
「丈があわねーや。直せ。あんた、針子はできるのかい?」
 有無も言えずに、彼女は引っ張られていく。セレナは「これはダメですぅー」と言いながらも、連れられて衣裳部屋に戻っていってしまった。
 衣裳部屋では目の前の長身の人間が突然服を脱ぎだし、さらに、その胸板のたくましさで実は男性であることもわかり、セレナは「ぎゃああーっ!」と大きな悲鳴を上げた。
 だが、彼女を救いにくる衛兵はいなかった。周囲は無人だ。警備の薄い城である。
 その美人……ウルフェウス王子は彼女の悲鳴を無視して「丈を何とかしろ」と命じた。細身の姫の肌着を見て「ちっちぇーな、くそ」と両脇をナイフで切り刻み、さらに衣装係を涙目にさせる。元々、アリシア姫の胸は豊かだったので、胸部のサイズはゆったり作っていたのだが、肩の広さが段違いだ。ひだをつけているしつけ糸を全て切った後、彼は悩ましい顔でナイフをひらひら動かし、衣類の構造を吟味する。どこを切ろうかと思案中だ。
 思わず、セレナは「今すぐ私が直しますからっ!」と叫んで針を手にした。これ以上、彼にドレスを破壊されたくなかったのである。
 女性向けの小さなドレスを分解し、当て布と紐で彼の体型に合わせてごまかしたら、肩から鎖骨が丸見えになる何とも色っぽいドレスになってしまった。彼は肌がさらされる形状の衣服には抵抗がないようだったが、鏡で自分の姿を一目見ると、肌を隠す分厚いヴェールを頭から覆って、男性らしい肩の広さを隠した。
 やや長身で大きな美女、に見える。女顔にコンプレックスを持つ王子にしては、珍しい変装で周囲を騙し、さっぱりと城を出ていった。彼にとって、この手の脱出はお手のものなのだろう。それほど気負うことなく、堂々としたものだった。
 当然、誰もそのことには気がつかなかった。運が悪かったのはセレナである。アリシアが彼女の不在に気づき、全ての事件が発覚するのだが、それは後の話だった。


 次にウルフェウスが向かった先は、軍事施設である。
 ラヴィアル国の紋章を調べる鑑識官が必要だった。ラヴィアル国の思惑を知るために、最悪の事態を想定して、隣の大国ミタルスクとの関わりを調べに行くつもりだ。
 つまり、ラヴィアル国の姫を装って、ミタルスクの王宮に入りこみ、両国の関係を探るのだ。彼は単身で潜入捜査を計画し、大嫌いな女装をしたのだった。
 紋章鑑識官は紋章学を修めた知的な武官で、軍の諜報部に属す階級のはずだ。国の紋章のみならず、地方の豪族の家紋や公式文書に使われる押印、家族構成および彼らにまつわる情報の一切を分析し、記録している男である。
 この国に来てから軍事施設には一度も行ったことはない。だが、その存在は城に入るときに見て理解していた。ウルフェウスはそれほど迷うことなくその場所へ向かった。
 軍事施設は城を取り囲む深い谷の向かい側に面する岩壁に存在している。城からは通路が橋桁の下に通じていたが、そこはさすがに見張りの兵がいた。
 普段は女人禁制の施設ゆえ、男たちはひどく無愛想に「ご婦人方、道に迷われたか」とからかう。骨太な男の世界の匂いを思いだし、王子は少し安心した顔になった。
 軍事施設に入る手前で止められたが、彼は機嫌よく彼らに話しかけた。
「ラヴィアル国の紋章をつけて、共にミタルスクまで向かう勇気のあるものはいるか」
 美姫の誘いを聞き、彼らは怪訝そうな顔で視線を向けた。午後の修練に向かう兵士らが、何事かという顔つきで横切っていく。食堂からも人が出てきて、王子の艶姿に「ピュー」と口笛を吹いて囃した。女好きの若い兵士らはウルフェウスの姿を見つけて、嬉しそうに顔を赤くして飛び跳ねていた。
 ウルフェウスは彼らの無礼を気にすることなく、続けた。
「俺の名は、ヴァルヴァラ公国第七代目家督ムラドゥラが第五子、ウルフェウス・アクエリアス・ヴァルヴァラ」
 その名を聞いたとたん、兵士たちは目の色を変えて、全ての動きが止まる。信じられないという顔で彼らは偽りの美女を見つめた。彼らの口があんぐりと大きく開かれていく。武具を持っていた男の手から、盛大な音を出して弓矢が零れ落ちた。
 王子はヴェールを取って彼らに素顔をさらす。
 その瞬間、突然、兵士たちは一人残らず、地にひざをついて視線を伏せた。予想していなかった、そのすばやさに王子は少し機嫌がよくなる。兵士らの礼節は徹底して教育されている。その統率力を目で確認すると満足そうにうなずいた。平和な国の兵とはいえ、火急時には使えそうな部下たちだ。
 セレナが真っ青になって「え、えっ」と小さく呟く。
 王子はもう一度、兵士らに話しかけた。
「紋章を手に入れたい」
 食堂の奥から一人の男が出てきて、声を出した。
「私が紋章鑑識を行っているランファル・ガレアでございます」
 その男はほっそりした優美な体格の男だった。静かな声で淡々と話す。帯剣はしているが、力はなさそうだ。戦よりは策略の方が得意そうな知的な瞳をしている。
 その男が傍に来るのを確認して、ウルフェウスは続けた。
「馬と共に同行しろ」
「……はい」
「輿を用意し、ラヴィアル国の紋を入れろ」
「かしこまりました」
 ランファルはしばらく考えた後で、準備をするために一度退いた。彼は一度王子をふり返った後、司令部の方へ走っていった。抜け目のない男だ。
 次に王子は兵士たちの体を一人ずつ見ていき、人選をする。同じ背格好で青い目の人間をそろえて、連れて行くのだ。
「北の人間は目が青いと聞いた。茶色や緑の目をした奴は連れて行かない」
「恐れながら、殿下……ラヴィアル国の王族は豊かな黒髪をお持ちです」
「俺の姿に不備があるか?」
「……いいえ」
 兵士は恐る恐る王子の姿を見、真っ赤になって目をそらす。
 ウルフェウスはもともと『北の湖』に由来する血を持っている。それがラヴィアル国のものかどうかは彼自身は知らされていなかったが、その特徴から近いところではあると理解していた。ラヴィアル国の使者としてミタルスクに向かい『獅子王』に謁見することぐらいできると思っていた。
 危険な賭けであるが、直談判してこようと思ったのだ。当然、部下たちにもそれなりに危険を覚悟して従事して貰わなくてはならない。
 ウルフェウスは続けた。
「ザヴァリア国王の、国を想う深い愛情に俺は胸を打たれたぜ。俺も彼の住むこの国を守りたい。その場で殺されるかもしれないが、俺に命を預けて一緒にミタルスクまで行ってくれないか」
 兵士たちは魂を抜き取られたような顔をしていた。無言で頷く者、浮かれたように王子の姿に見惚れる者、「あなたに全てを捧げて従じましょう」と熱く語る者もいる。ウルフェウスは彼らの賛同を得てにっこりと可愛い笑みを浮かべた。彼の無邪気な笑顔を見て、兵士らは地に足がつかぬ様子で、顔を真っ赤にしてふやけてしまう。
 このようにして、ザヴァリア国の兵は件の王子に心を奪われてしまったのである。その男は軍を動かすための正式な命令を行使できる権力を何一つ持っていない。にもかからわず、縁のない異国の男に操られて、共に死んでもいいとさえ思ってしまった。
 彼は『ヴァルヴァラの魔術士』だった。
 全ての反論を封じ込める魔術を知っていた。女のように美しく優しい容姿、明確な命令、冷静な判断、有無を言わせぬ決断力、その全てを効果的に見せるタイミングを知っている。彼と正面に対峙したものはどれほど屈強な意志を持った人間でも、言葉を失って固まってしまう。いつの間にか魂を抜き取られて服従させられてしまうのだ。
 彼に剣は不要だった。甲冑も、報酬も、命令書も、法律も、国家権力でさえ不要だ。ただ、そこに話を聞く者たちがいれば、いつでも彼らを味方にして兵力を作って戦える。だからこそ、敵も味方も彼の存在と力を恐れた。彼はそういう男だ。
 たった一人でも、無視できない恐ろしいパワーを秘めている。
 セレナもドキドキしながら、抜け出す機会を逸していた。アリシア姫に早く知らせなければならないのに、体が動かない。王子が危険を冒してミタルスクに行くことを理解できていた。もう彼に会えなくなると思ったら、どうしていいのかわからなくなった。彼を引き止めたいのだが、そんな言葉も出ない。彼女はまともにものを考えて対処することができず、気がついたら、王子に従事することになっていた。
 ウルフェウスが気を利かせて「ここまででいい」と言ったのだが、セレナはぼんやりして彼と共に御輿に乗り込んで座ってしまう。王子もそれ以上の拒絶はしなかった。侍女に護身用のナイフを持たせると、兵士らに「出発!」と号令を出した。

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