二輿物語


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2 誰のものにもならぬ金の乙女

 
 時間と空間の歪む世界で、吟遊詩人たちの口承ほど威力を発揮する情報手段は無い。彼らが語る伝説の時間軸は、昨日なのか、千年前なのか、はたまた、ただの作り話に過ぎないのか。事実を確かめる術を誰も持っていない。
 著しく発達した情報社会に暮らす私たちにとって、このような状況を想像することは難しい。当時、暮らしている村から外に出て、未知の世界をのぞき見ることが出来たのは、こうした旅人と、戦地へ赴く王侯貴族ぐらいであった。
 これから物語る「金の乙女」の暮らすザヴァリア王国は、ただ一つの世界と呼ばれた古代オーネシアに位置する国だ。今はもうオーネシアという名前も、存在も、歴史というよりは伝説で語られるばかりになっている。オーネシアが何処にあったのかを推定することは難しい。現存している五大陸にはその存在を示す片鱗が見られないからだ。
 十五世紀から十七世紀にかけて大航海時代が到来し、発達した航海術のお陰で、ヨーロッパ人が見ることの出来なかった新大陸としてアメリカ大陸が発見されている。それまで、欧州の世界観はとても狭かったのである。海洋の外縁を回るような移動しか人類は出来なかった。オーネシアは欧州から見て、大洋の向こうに存在した国だったかもしれない。
 未だにその存在を確認できていない、古来の伝説的な大陸として、大西洋に存在したといわれるアトランティス大陸や、太平洋に存在したムー大陸が有名だ。しかし、これらの大陸にオーネシアがあったかどうかを確かめる術も無い。全く別の大陸がこの地球上に存在した可能性もある。地球上に五大陸が存在したのは、比較的新しい歴史の話で、新生代第三紀以降のことだ。
 ただ一つの世界、という名前で我々がすぐに思い浮かべるのは、パンゲア大陸なのかもしれない。今から三億年以上前に地球上に存在したと考えられる巨大な大陸。その北半分をローラシアと呼び、南をゴンドワナと呼んだ。
 オーネシアが存在した確かな時間と空間について、これ以上の推論を話すことはやめよう。物語はそのオーネシアの滅亡後に生まれた一つの小国ではじまる。
 その国が存在していた大陸の外縁には、大海が存在するといわれているが、ザヴァリア王国には海に関する記述は少ない。周囲を国に囲まれた内陸の小国である。大陸には数百の国が独立分岐する乱世。ザヴァリア国も周囲を五つの国に囲まれていた。
 この国の政治にとって、特に重要な国は西隣に接するミタルスクと、北方に存在するラヴィアル神国である。その二国は特に大きな国力を持ち、ザヴァリアから遠い南方に存在する軍事大国、ヴァルヴァラと対立して、大陸の覇権を競っていた。
 ザヴァリア国のフュレール・ラ・フォル・ザヴァリア王は、遠方にある軍事大国から、五番目の王子を招聘することになった。それは、婚姻を通して関係を深めるためである。二つの大国に飲み込まれることを恐れての決断だ。
 白羽の矢が当たったのは「鮮血刀の悪魔」と先に紹介したウルフェウス王子である。
「父上は私を愛していらっしゃらないのです!」
 ザヴァリア国王の膝元で泣き崩れる姫が一人。彼女、アリシア姫は己の行く末を儚んで父親を責めている。今、王は愛する一人娘に泣きつかれ、困った顔で思案中だ。
 王が外国の使者と謁見する大広間は、カプルア城内の北の主塔にある。そこに、ウルフェウス王子の命を受けて代理でやってきたという吟遊詩人が通されていた。その気の毒な使者は姫の嘆きを聞いて、落ち着かない表情でそわそわしていた。
 小国とはいえ、ザヴァリアは由緒正しい為政者が治めている国。開国の歴史は神々の時代から連綿と語り継がれる長さであり、国力こそは小さいのだが、大陸の覇王を狙うヴァルヴァラの王子を婿入させたところで、ひけをとらないだけの正当性を有している。
 その国を治めるザヴァリア王の御座すカプルア城は、吟遊詩人たちには憧れの聖地である。大陸一美しい白亜の殿堂として語り継がれてきた。中でも王の主寝室のある主塔は二十五個存在する塔の中でも有数の古さを誇る歴史的建造物だ。
 国内最大というカプルアの自由市が連なる街の中心部に、ポカリと拓いた空虚な遺跡。かつて空の星が落ちた後に、神が天地を結ぶ目的で地上に御作り遊ばした、という巨大遺跡を利用して作られた。
 白亜の大理石を産出するカプルア地方の岩山を、そのままくり抜いて作られている。鳥が翼を出して羽ばたこうとしているかのような形の岩石群は、周囲が地中深くまでえぐられ、底の見えない深い谷に囲まれている。椀の中に闇から浮かび上がるような形で存在する白皙の城。四方に伸びる黄金の回廊は風で揺れることなく頑丈な作りだ。
 谷の壁面には、軍事施設が垂直に作られており、非常時には戦闘アリが地面から湧き出るように、数万の兵士がその谷から出立する。正規の軍人だけでなく、傭兵や暗黒世界の仕事請負人までが、その谷に暮らし、空中に浮かぶ王都を対岸から常に守護している。
 本来なら、その城内を自由に歩ける今の身分を神に感謝して、旅情を心ゆくまで楽しみたいところ。しかしながら、そのような余裕は今の使者にはなく、姫の心を慰める詩すら口ずさむことを禁じられた。
 話の発端は、使者が持ってきた貢物を献上したことに遡る。
 戦好きの王子が女性に贈るにしては、品行方正な、見方によっては嘘っぽい、傍に誰か知恵者がいたであろうとすぐにばれるような、女性好みの品々が所狭しと大広間に並ぶ。婚約もまだ正式には決まっていないというのに、未来の父母にまで気を遣った品を送ってくるあたりは、よく出来た婿殿だ、と感心させられる。こういう抜け目の無い付き合いを指導する部下が、彼の周りにいるということは確かなようだ。
 王には、大型の珍獣の毛皮を五枚、非常に質の良い皮をなめして作られた馬の鞍が二つと、王子が自ら古今東西の国を訪ね歩いてかき集めたという鏃のコレクションが、ザヴァリア国の伝説の神々をかたどって彫り込まれた銀の化粧箱に綺麗に並べられて贈られた。
 王妃には、ヴァルヴァラの東部で産出される輝石の中でも特に色の美しい緑石を二つ、色も形もそろえて贈って来た。さらに、不老長寿の秘薬と名高いサルビアの精油と、薫り高い紫色の花を織り込んだタペストリーを贈った。寝室に敷けば安眠できるという。
 王子が姫に贈った品々は、ヴァルヴァラの南部にある織物の町としては有名なコレントの伝統工芸品で、煌華織という名の薄絹の反物が色違いで二種類、人の髪よりも細く繊細な金糸で作られた装飾品が三種類、彼方の海から取り寄せたという珍しい桃色の真珠のネックレスが二連、花の精油を調合して作られた特製の香水が一本。また、優しいパステル調の色合いで描かれた絵画の箱を開けると、華やかな色の口紅が五種類とアイシャドウに用いる炭とラピスラズリを粉砕した青い粉が入っている。これにムジナの、特に幼少期の柔らかくてしなやかな毛を筆にして、そろえている。ヴァルヴァラで作られた鏡の質は高く、小さいながらも姫の美しい顔を歪ませることなく、正確に写していた。
 その技術力と豪華さに、大広間に集まっていた大臣たちは唸りつつ、絶賛していた。
 しかしながら、突然、異国からやってきた豪華な贈り物を前にして、賢い姫は「何故、見知らぬ国からこのような物品が?」と母親に問いかけたところ、機嫌がよくなって口の軽くなっていた王妃が「これらは全て王子からあなたへの贈り物なのです」と答えたことから、問題が大きくなってしまった。
 自分の知らぬ間に婚約されていたとは知らなかった姫は激怒してしまったのである。さらに、自分の婚約相手が周辺国で恐れられている「鮮血刀の悪魔」であると知って、文字通り真っ青になっていた。
「私はいつか呪のせいで殺されます!」
 姫の言葉を聞いて、ヴァルヴァラからやってきた使者、ミグリが大慌てで応えた。
「お、恐れながら……か、かの方は呪どころか、神の祝福を受けております。おかげ様で、戦地では敵の鏃を今まで一度も受けたことがございません!」
「それは、攻撃される前に、彼が敵を全滅させてしまうからだわ! きっと彼は悪魔の洗礼を受けたのよ! 平和なザヴァリアに戦乱を運んでくるに違いないわ」
「かの方は月の闘神に愛されております。戦火に巻き込まれたとて、この国に災いは及ぼさないでしょう」
「いいえ、あなたは愚かな嘘つきよ。彼がこの国に来たと知ったら、十分な軍備を持たないザヴァリアは格好の餌食になります。彼に恨みを持つものが大挙して押し寄せてくるに違いないわ」
 アリシアはぴしゃりと言い切って、父親に擦り寄った。
 暖かい陽だまりの中、父は玉座にて思案深く悩んでいた。姫はその彼の膝元に駆け寄って、甘える。王は愛しい一人娘の金色に輝く髪をなで、弾ける光を眺めていた。
 若葉の芽吹く時の、土と草が交じり合った香が、風と共に広間に入ってくる。
 大広間は両側に側廊を持つ、古い建築様式で作られ、十歩進むごとに大理石の柱が立っている。その隙間を埋めるようにして、たおやかに揺れるヴェールのような純白の織物が下がっている。部屋の中央は光の筋が落ちていて、空を流れる雲の様子が、よく磨かれた明るい石板の上に映りこんでいる。大広間の天井は珍しい木枠のガラス窓が一列に付いていて、天空の色がそのまま屋内に入ってくる。その日の空は何処までも澄んでいて、青く高く見えた。無邪気な雲が鳥と共に横切って、蒼天の広さを満喫している。
 側廊に掛かっている布が軽やかに膨らんで、希望と共に風の便りを運ぶ。心をくすぐる甘い香り。風と共に揺れる木々のざわめきも届いた。一箇所だけ、布を持ち上げて、換気している場所があった。そこから、春の光に溢れた色とりどりの花壇が見える。
 蝶よ花よと大事に育てた愛娘。いつまでも手放したくないと思っていた。それも、周辺でもっとも厳しい戦を経験している王子の妻にするなんて。
 しかし、片手で抱き上げることの出来た幼子は、もう大人になっていた。その娘の行く末に光が溢れることを誰よりも願っているのだ。もう、父の手を離れるときが来た。彼女は美しい娘になった。
 母親譲りの華やかな金髪は、ゆるい波を描いて光をまとう。柔らかな白皙の肌は陶器のように透き通っていた。形よく艶めく唇が、少し歪んで、父親に不満を伝えている。彼女は自分の身に降りかかる未来が不安なのだ。王子がどんな人間なのかを知ろうとしない。二人の未来がどれだけ素晴らしくなるかを考えようともしていない。ただ、子供のように怯えていた。前に進むことを怖がって、新たな出会いを拒絶している。
 王は穏やかに話し始めた。
「愛しい娘よ。私がヴァルヴァラ王に是非にと頼んでしまったのだ」
「…………」
「お前も承知の通り、わがザヴァリア国は周辺に国境を脅かされておる。特に西隣にある大国、ミタルスクの脅威に対抗するためにも、王子の知名度と戦の才能が必要だ。わが国の後ろ盾にヴァルヴァラがあることを周辺に知らしめなければ、王子の呪にかけられる前にミタルスクにいる『獅子王』の餌食になってしまうだろう。彼は襲った国の姫を捕まえては後宮へ送り込み、誇りも名誉も奪って殺してしまう最低な奴だ。私はお前を守りたい。ヴァルヴァラ最強の戦上手と謡われる、かの王子なら大丈夫だろう。娘よ、私の痛い心を理解しておくれ」
 王家の娘なら政略結婚は当たり前だ。彼女はそれ以上何も言えなくなった。父に頭を下げられては、もう甘えることが出来なくなった。
 国の名で結婚するということがどういうことなのか、彼女はまだ知らなかった。
 ただ、人を殺すようなひどい男と共に、これから先の人生を過ごさなければならないことに深い絶望を覚えた。愛に溢れた生活ができるとは思えなかった。今まで両親から授かってきた、穏やかな優しい生活は、この結婚を機に終わるのだ、と思った。
 それでも、国の運命がその婚礼に掛かっているのなら、逃げることは出来ない。
 彼女はその運命に打ちのめされた。ただ、自室にこもって泣き暮らす日が始まる。

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