二輿物語


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3 矢のごとく消える光の王子

 
 春先になると、和平交渉が盛んになり、戦の時期は終わりを迎える。
 農兵らが、種まきの時期を考えてそわそわし始めるからだ。遠隔地に出向いた兵らは帰還に使用する時間を逆算し、氷の弛む早春の頃から浮き足立ってしまう。この傾向は敵味方と関係が無い。自由契約をして季節労働に従事している傭兵にとっても、春は新たな契約の更新時期に当たる。戦の報酬を団長から受け取り、不足があれば新たな主を見つけるために旅に出る。暖かくなれば、旅がしやすくなる。遠方ではじまった紛争の情報を酒屋で仕入れ、彼らは早く退団したくてたまらないのである。
 しかし、為政者にとっては、その極限まで和平交渉を引き延ばし、有利な条件を引き出す時期。こういう駆け引きで「鮮血刀の悪魔」は迷いが無い。もともと、じっくりと腰をすえて話し合うのが苦手な少年だ。口先のうまい部下に交渉を一任し、さっさと戦場を引き上げる。彼が得意とするのは、戦後補償と開発事業の立ち上げである。
 この冬に多くの部下が命を落としたものの、有益な土地を手に入れた。正式な文書を交換しているわけではないが、文官が持ち帰る勝利宣言を心待ちにしながら、一足先に彼の頭は既に戦後の開発で一杯になっている。
「今年の夏は、新しい別荘で舟遊びするぜ!」
「もうそんなことを仰っているのですか」
 王都に戻れば、春の到来を報せるプラムペルシカの花が咲いている。そよ風と共にその香が辺りにたゆたう。父が「縛香」と名づけた春の色香だ。
 ヴァルヴァラ新王が住まうオーヴァリーの都は、平野に作られた巨大な迷路だ。空から見ると碁盤の目が中央で水晶体に歪められた像のようにふくらみをもつ。一定の割合で計算されたゆがみは中に暮らす住民には気づかれないほどの曲線で、絶妙に方角を失わせる仕掛けである。目抜き通りを真っ直ぐ歩いても王宮にたどり着けない。どの方角から近づいても、城には入れないのである。いつの間にか、反対側へ抜けている。
 中央に鎮座している王宮は左右対称に作られており、中央を走る巨大な水路が都の時間を計測し続けている。水底にはガラスで仕切られた出入り口が存在し、敵の侵入を防ぐ罠が仕掛けられている。王家の人間以外はその水底の扉を開けることが出来ない。
 オーヴァリーの開城は王の意思で決まる。
 ウルフェウスが都に戻って来た時、王は城内への誘導を部下に命じた。王子は「縛香」に導かれ、見えない道を進んだ。普段はその道は水の中に沈んでいて、民の目に触れることが無い。街は二重の城壁に囲まれて存在しているが、一番外側の城壁を開いて中に入ると、二番目の城壁を開くことなく周辺を回り、東門から始まる灌漑用の水路(カナート)へ向かう。王子の帰還に合わせて水が抜かれ、中を歩いて渡れるようになっていた。一個師団が横に連なって進んでも、余裕のある大きな水路だ。普段は都の中央に噴出している湧水がこの水路を通して、城壁外に広がる広大な農耕地に供給されている。
 水底に苔は全く見られず、少し蒲鉾型になった水路の底は両端に存在する排水路に水を流しやすく設計されたものだ。この技術力は失われた古代の知恵。
 幅の広いカナートの中から空を見上げると、無数に絡み合う橋が雨よけの覆いをつけて、横切っているのが見える。ほとんどの民はこのカナートの存在を知らずに日々の営みを続けている。あの橋は両脇に商店があり、ファサードがアーケードを模って両脇から下がる。あれは繁華街なのである。そこから下にある水路を覗くことは出来ないし、水路の周辺は高い塀で囲まれて隠されている。橋梁の建築技術は、大陸一の高い水準を誇るだろう。
「そんなことより、今年はタイユ湖畔の反乱軍を一掃した後は、北西地方の害獣を一掃して下さるお約束です。冬の間に禁猟地を守る猟師らが害獣の頭数を調べて報告してまいりました。狩りの規模をご指導下さい」
 王子の傍に侍る部下が苦言を呈した。ウルフェウスは知らん顔で応える。
「誰がそんな約束を。パシナム地方は白頭熊の頭数が回復してきたところだ。誰が狩りの許可を出すか。俺の名で禁猟地を封印しろ。農民の密猟も厳しく取り締まれ」
「害獣を生かせと仰せか。あれのせいで命を落とす猟師が毎年出ているのです」
「何が害獣だ。白頭熊が消えたら、あのこまっしゃくれた金毛猿が大量に発生するだろ。周辺農民の畑に被害が出る」
「しかし」
「だいたい、熊なんて狙ったって、的がでかすぎてつまらんのさ」
 王子は簡単に話を終わらせて、部下の傍から離れた。
 彼は鎧を脱ぐ暇を惜しんで先を急ぐ。ヴァルヴァラ家七代目の家督で、新王を名乗り始めた父、ムラドゥラ・シルフェウス・ヴァルヴァラ公の元に戦況の報告に出向いた。遠征の成果を報告し、亡くなった兵士の数と戦に付随して起きた略奪行為や違法行為の有無、手に入れた土地の概要、遠征に使った資金と食糧の計算値を持っていく。既に部下が細かい数値を計算して、報告書をまとめている。
 実際には、王にそのこまごまとした数字を報告することなんて無い。傍にいる執事に報告書を渡せば事足りる話だ。謁見の目的は、無事に戻ってきたという証に顔を見せに行くことにある。息子の顔を見た父は案の定「足はまだ付いているのか」と小憎らしい冗談を言って明るい笑顔を見せた。
「余のクソガキは、なかなか死なぬ」
「くそじじいの死に様を見たいからな」
「憎らしいことを言うなら、良い知らせを教えぬぞ?」
「良い知らせ?」
 ウルフェウスが自分の婚礼について詳しく聞いたのは、この時である。冬の間、ずっと都から離れて敵地に遠征に出ていた。出立前に結婚の話があったのは覚えているが、本当に話が進んでいるとは思わなかった。彼はちょっと照れくさそうに笑って、神剣を腰から取り外した。従者に剣を預けると、父の傍に行って、座した。
 汚れた鎧をマントで軽く拭い、彼は居心地悪そうに父を見た。
 少年らしい、わくわくした表情で、父親の口元を見る。
 ひげに覆われた王の口元も密かに弛んでいる。王は茶目っ気のある碧眼を煌かせて、息子の目を覗き込む。
「少し病弱だが、お前よりも二つ年上で、美人だ」
「何処の国だ?」
「ザヴァリアだ」
 王子は瞳を一瞬、左右に動かして、片目を閉じた。ザヴァリア国を取り巻く政治を思い起こして、口を尖らせた。独り言のように「ちっちぇー国だな」と素直な感想を述べた。
「姫をこの国に連れてくるのか」
「一人娘だ」
「では、俺に死地へ出向けと? ミタルスクに接する小国だぞ。北はラヴィアル国が」
「怖気づいたか?」父は動じることなく、息子に問いかける。
 ウルフェウスは父の目を見て、にんまり笑う。彼はその後に続く言葉を飲み込んだ。二大国に挟まれた地方の小国が、その力に屈することを拒んでいる。ヴァルヴァラの力を取り入れて、生き抜こうとしているのである。そんな重大な局面でザヴァリア王が自分の力を恃み、婚姻契約を結ぼうとしている。これを無視して何が男であろうか。
 王に自分の力を認められた。若い王子はそのことにいたく感動した。
「いつ?」
 彼は簡単に話を決着させた。細かい話は抜きだ。彼はもう決断した。
 父も「お前が決めろ」と応えて、息子にその時期を一任した。もう父親から独立した一人の男として認めていた。既に父の元を巣立ち、地方の執政を任されている。結婚にまつわる一切の決断を当人に委ねる。
 息子はその瞬間に心ここにあらず、と言った風情で視線を漂わせた。
 彼が何を考えているのか、親には丸判りだ。王は付け加えた。
「お前の名で姫の生家に贈り物を届けさせている。ミグリが戻れば、詳しい内情がわかるだろう」
「仕事が速いぜ、親父」
 王子はさっぱりと話を終えて、立ち上がり、父親の傍に行って抱擁した。鎧を着けたまま、ごつごつした感触ではあったが、王はうれしそうに息子を抱きしめ「しっかりな」と暖かい声援を送る。ウルフェウスは次の瞬間には父から離れて、踵を返していた。
 だが、その背中がいつになく楽しげに見えて、王は満足した顔で見送る。
 それからは初めての結婚に少年らしい夢を抱き、わくわくしながら、使者の帰りを待った。普段は馬に乗り、弓を射、刀を振り回すのが三度の飯よりも大好物。泥だらけになって盗賊たちを切り捨てている男だが、使者を待つ間はおとなしかった。
 執務室で、王子の補佐を勤めるドミトリー・カラ・カスが口を開いた。
「殿下、ご機嫌ですね。乗馬をしてきたのでしょうか」
「うん。修繕途中の要塞の様子を見てきた。市井の流通路も補修が必要だ……今のままでは、非常時に馬の速度が落ちる。雨が降ると泥だらけだぜ」
「さようでしたか。真面目に働いてきてしまったんですね」
 彼の前で、王子はてきぱきと仕事を片付けていく。カラ・カスが教えこんだだけはあって、仕事が速く、執務に無駄が無い。次から次へと書類が生まれ、片付けられる。精力的に働く王子を止めることはできまい。しかしながら、万事順調なだけに、カラ・カスは嫌な予感がしてたまらない。この予感が当たらなければよいが、と思っていたとき、災いが帰ってきた。
 ミグリの帰還を知った王子が、片付けていた仕事を全てカラ・カスに押し付けて謁見に向かったからである。こういう姿が本来の彼の姿である。新たに作られた大量の書類の山を見て、カラ・カスはため息混じりにいつも通りの仕事を再開する。
 使者の言葉を早く聴きたくて、王子は脇目も振らずに城を駆け抜けた。周囲はこの様子を見て、何事が起きたか、と怯えたが、そんなことは構っていられない。 謁見の間にやってくると社交辞令を省いて、単刀直入に話しかけた。
「言葉は?」
 ミグリは真っ青になって怯えながら応える。
「こ、こと……はい。殿下、ご機嫌麗しく」
「はんっ、俺はいつも元気に決まってらぁ! で? 姫はどんな女だった? 俺に何か言っていたか?」
「は、はあ」
「歯切れが悪いじゃねーか。可愛くなかったのか」
 王子はちょっとガッカリした様子で、ようやく腰を下ろした。
 急に気の抜けてしまった王子を見て、ミグリはあわてて応えた。
「い、いいえ、とんでもない。ザヴァリア国が誇る金の光に包まれし玉姫は、まことに虹の艶光こぼれるがごとく神の祝福にあふれた女神の」
「けっ、何を気取って吟じてるのさ。光に包まれる玉姫って、血色良く太っててコロコロしてるってことかい」
「いいえ、金の光に包まれし、とは豊かな金の髪を持ったお方と言う意味です」
「へー」王子は嬉しそうに笑って身を前に乗り出す。
 見たことの無い異国の姫を想像しながら、楽しそうに笑う。あまりに幸せそうな彼の笑顔を見て、ミグリは怯えながら続けた。
「七色に分光する虹のごとく……多彩な才能にあふれたお方でございます。聡明で、暖かく優しいお心をお持ちで、会話に卓越してらして、真実を見抜く確かな見識がございまして、清純な色気をお持ちで」
「完璧な女なんざ、どこにもいねーよ。男が不完全なのと同じように。さては完璧主義者だな。ついでにヒステリー持ちで神経質か。しこたまやり込められたって顔だぜ」
 王子はにやりと笑ってミグリを見る。ミグリも笑って誤魔化そうとしたが、口元がひくついてしまっていた。王子はしたり顔で片目をつむる。
 ここに至って、この詩人は負けを認めた。相手は実質的で聡明な王子だ。彼にはいかなる装飾も嘘も通じないだろうと観念する。その心眼は真実を即座に見抜く。
 ミグリは崩れ落ちるようにして、床に額を付けた。涙を浮かべつつ、覚悟を決めた。
「殿下ぁっ! 私を張り付けにでも、弓矢の的にでも何にでもしてくださいまし!」
「やはり……ふられてきたか」
「不肖ミグリ、一生の汚点にございます! 新王陛下に『千の舌に紡がれた珠玉の調べ』と称えられたことがお恥ずかしい。私っ、姫に殿下のあり余る魅力を正確にお伝えすることがぁああ、でっ、で、で」
「嘘つきが仰々しく謝んな。かえって落ち込むから、普通に言え」
 ミグリは簡潔に言い直した。
「結婚は承諾しましたが、この世を儚んで寝込んでしまわれました」
「嬉しくて熱が出たんじゃないのかい?」
「素晴らしい解釈です、殿下」
 ウルフェウスはつまらなそうにため息をつき、重々しく体を起こした。ふられた割に普通である。ミグリは肩の荷が下りて、少しほっとした表情で涙をぬぐう。
 ウルフェウスは二―三歩ほど歩いて、即断した。
「人伝に聞いたってわからねーや。『玉のあふれる虹姫』を見に行ってやらぁ」
「殿下、それは雨が降るように泣く姫という意味では?」
 ミグリがため息混じりに振り返った時には、もう既に影も消えていた。
 ウルフェウスとは、そういう王子である。彼は国を出て、ザヴァリア国に行ってしまった。ミグリは彼を見逃した責任をどう言い訳しようかと無い知恵を絞りながら「矢のごとく消える光の王子」と詩にして、新たな伝説を一つ作ったのだった。

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