二輿物語


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22 平和をもたらすもの




 カヒン村近くの国境にて。
 ピピネはラヴィアル国の紋をつけた輿を追跡していた。未開の山林に手間取った。ザヴァリアは小さな国だが、手つかずの自然が多く、追跡者が森に迷い込んだら追うのに苦労する。普通はそんな面倒な場所に入られる前に見つけて、捕えるのだが。
 まだ入国していない輿だったが、ピピネは隣国に不審な集団が居ると連絡し、協力を仰ぐことになった。国境を封鎖されて困っていた隣のフェローピア公国はピピネの要求を知ってすぐに協力してくれる。隣の国の検問所の衛兵と共同で、国境沿いにウロウロしている輿を追い詰めたが、肝心な場所で逃げられてばかりだ。
 ゾイ村から加勢に来たラグはこの賢者の片腕となった。彼と共に彼らを捕えに行く。
「ラヴィアル国の紋がこの辺をうろついてるってのは、一体全体、どういう了見なんだろうなぁ……賢者さまよ」
 ピピネは闇の山中を、村人たちと歩きながら答えた。
「まだ、その紋が本物か偽物かわからない。本物ならば、なぜその輿は国境を通ってこの国に入らぬのか。フェローピア側がその存在を知らぬわけがない。また、そのような不審な旅行をしている最中に紋章を外にさらすわけがない。偽物ならば……誰が何の目的で掲げたか。なぜ、この国境付近でその紋章をさらしたか……」
 隣国はこの輿の存在を知らなかった。由緒ある王族の動きとは思えない。紋章の入った輿を持ち込んでの行動にしては、軽率だ。王族の遊行ではないだろう。
 彼は自分の経験から、これは陽動作戦のようだ、と感じた。そして、彼の頭をよぎったのは出国前に密偵から聞かされたミタルスクの話だった。かの国は戦の準備をしているという。そのような時期にヴァルヴァラのある方角に設けられた関所で異常が起きたのである。これはその前哨戦だと感じた。
 とっさに検問を封じたものの、祖国に連絡を取るかどうかで迷っていた。ピピネもまたこの国にとっては旅客の立場だ。過ぎた行動である。それで、ザヴァリア国の兵力をお手並み拝見となったのだが。
 警備兵たちがたった一つの輿を捕まえるのに数日を要している。この事実にピピネは肝が冷える。ヴァルヴァラではありえない。大至急、軍備の立て直しが必要だ。自分がこの国の為政者ならば、とっくに予算を配分して国内にふれを出し、常備軍入りできる若者を募集しているところだ。
 背後で、何かの作戦が始まっていたらどうするか。この時間のロスは痛い。そして、国境を封鎖したものの、その関所を見張る警備兵も不十分だ。捕り物の背後で民間の行商人が無賃で通り抜けてしまっていても、誰もわからないという有様。
 はっきりいって、呆れた。ピピネでさえお手上げだ。使える手駒の兵がいない。とにかく、輿だけは捕まえて事態を把握しなくては何ともならない。
 片目の傭兵はそっけなく答えた。
「ただ、その紋を見せたかったのかもしれねーな……誰かに」
 ラグは王子から離れていく。闇に紛れるように先を急いだ。
 あの輿が本物でないことを祈る。ラヴィアル国がザヴァリア南方の軍備不足を知ったら、どのように動くだろうか。その方角から軍事力に長けた王子が婿に入ってくる。その王子の母国はラヴィアル国にとっては、政敵だ。
 ピピネはこの国の軍備をよく知らない。ザヴァリア国は東西南北いずれの地域も軍備は均等に配備された国だろうか。いや、ミタルスクを睨んだ西とラヴィアル国のある北の関所ぐらいには、まともな軍備が敷かれていると考えたい。もしそうだとしたら、その軍備の不均等は何を示すことだろうか。
 南に開かれたように見えるこの国の軍事力は、ウルフェウスを歓待しているように見えるかもしれない。それは長年ザヴァリア国に接して永世中立を保ってきたラヴィアル国にどんな感情を起こさせることだろう。
 ピピネは細やかな王族たちの心情を考えて、ため息をついた。ラヴィアル国の王族はとにかく、プライドが高くて猜疑心も強い。そして、とても繊細だ。彼らが隣国の軍政を知って、自国をないがしろにされていると疑心に陥ることがないことを祈る。
「これが、民間に化けた諜報活動であったら、ここまでの大捕り物を見せびらかすことはなかったであろうな。私は紋章に気を取られて、余計なことをしたかもしれん」
 ピピネは苦々しい声で独り言ちた。ヴァルヴァラの警備兵とザヴァリアの国境警備兵とのあまりの能力差に驚いた。国境警備兵が国境付近の地理を隅々まで把握して、抜け道すらも塞ぎ、定期的に巡視をして、関所以外の場所にも目を光らせているのは当然のこと。そして、警笛が鳴れば組織的に不審者を追い詰め、威嚇射撃をしてでも足を止める。事態の把握に一両日もかからないのが普通だ。
 それが、この国では数日は遅れが出る。平和という言葉では許されない事態だ。
 結局、隣国の軍備力も動員するというお粗末さで、情けなく思った。これでは盗人や違法な商人の通行もざるである。国民の安全を彼らは自力では守れない。
 さらに、ラグの提案で周囲の村からも民間の応援を呼んでいる。
 これが平和なのだろうか。
 ピピネは悩ましく思いつつ、村人たちと輿を追い詰める。道の先でラグが「賢者ー!」と大声を張り上げた。そっちに逃げたぞ、と言われて、ピピネは村人を二手にわけて、林の中に隠した。
「左右にわかれて灯を高く掲げろ。輿が私の方へ来たら藪の中から『おおおお』と大きな声でわめけ。それ以外は何もしなくてよい」
「はい、賢者さま」
 ラグに追われた輿が、一人で立っているピピネの前に逃げ込んで来たとき、村人は「わーい!」と歓声をあげた。闇の中から彼らの声が「本当に読み通りこっちにきたけんね」「すげーさー、賢者さまの言うとおりさー」と感激して聞こえている。むこうから追われたらこっちに逃げるのは当たり前だ。傭兵は与えられた仕事をきっちりとする。ピピネはラグの腕は信用している……少なくともこの国の警備兵よりは。
 左右から聞こえてきた歓声に観念したのか、輿が止まった。
 逃げていたのは、輿を担いだ商人たちだった。密売人のようにもみえるが。彼らはピピネに睨まれると落ち込んだ顔で膝をついた。ピピネは静かな声で彼らに命じた。
「輿の中身を検める」
 拒否されるかと思ったのだが、彼らは素直に要求に応じた。
 彼らが運んでいたのは大量の岩塩だ。彼らの言い分はこうだ――岩塩の取引をした後、道に迷いました。
 そんな言い訳が通る国なのかと思いつつ、輿の中を隅々まで調べたが、他に怪しいものはない。怪しいといえば、その二人が本物の商人かどうかという方がよほど重要なのだが。
「なぜ、こんな紋章をつけている?」
「ラヴィアル国に持って行って売るためです」
「この付近は、フェローピアの国境沿いだ」
「……すみません。方角がわからなくて」
「聞けばよかっただろう。警備兵に叱られるのが怖かったか」
「はい」
 彼らは素直に頭を垂れて、落ち込んでいる。農民たちは「まあ、無事でよかったな」と彼らに声をかけていた。ピピネはその対応に驚いてしまった。国境を騒がせた犯罪者にかける言葉とは思えない。
 もしや、と思いピピネは警備兵たちを見つめる。
 彼らは岩塩を見て、不思議そうな顔をして撫でていた。商人たちは彼らの動きをハラハラしながら見ている。しばらくして「とけるので、あまり触らないでください」と注意する。警備兵は指についた塩を舐めている。しばらくして「うめえ」と笑った。
 彼らは正式に関所で越境の手続きを取ることになった。このままフェローピア側で国境沿いの道を歩き、北へ向かう。警備兵たちは賄賂の代わりに商人たちからこの岩塩をせびり取っていた。
 ピピネはイライラしながら、そんな警備兵たちを睨みつける。権力があれば彼らを罷免するところだ。鼻息荒く彼らを睨んだが、珍しいことに、その時の警備兵たちは賢者を完全に無視して岩塩に群がっていた。小さく岩塩を削り取って、商人たちを隣国に譲り渡してしまう。
「まあ、気をつけて帰んな。今度迷ったときはここでもその塩を売ってくれ」
 彼らはもらった岩塩に気をよくして、両手をふって商人を見送る。商人たちは安心した顔になり、何度も頭を下げて隣国に下っていった。
 ピピネは腕を組んでその様子を見ていた。ラグが「呆れたろ」と声をかけてきた。
 王子はラグには応えず、警備兵たちに問いかけた。
「なぜ、逃がした?」
 警備兵は答える。
「あいつらもバカだなあ。ラヴィアル国の塩を持ってきて、ここで売ればよかったのに」
 警備兵たちは照れくさそうな笑みを浮かべてそれ以上の説明を避けた。手に入れた薄桃色の岩塩を見せて、農民たちに笑いかける。周囲で農民たちも兵士が持っている岩塩を見て「ラヴィアルの岩塩か」「いい塩だなあ」と目を輝かせている。
 ピピネの隣でラグがパチンと指をならして「ああ」とつぶやいた。ピピネはため息をついて「もういい」と話を切り上げた。岩塩を分け合っている彼らを置いて帰路についた。
 その後をラグが追いかけてきた。
「賢者! ゾヒテム州では食用の岩塩はとれない。あの岩塩はラヴィアル国産だ」
 ピピネはふてくされたように「だからなんだ!」と空に向かって怒鳴る。そんなことはさっきの警備兵たちの反応を見て推測できていた。あの商人は「岩塩をラヴィアル国で売る」と言ったが、それは嘘だ。警備兵は「ラヴィアル国の塩を持ってきて」と見抜いていた。彼らはあの商人が不審者だとわかっているのに逃がした。
 だから、腹が立っているのである。
 ラグはピピネの横顔を見て、小さく指で頭をかいた後で、話を続けた。
「まあ、普通は罰するんだろうな……ヴァルヴァラでは」
 ピピネは足を止めて、ラグをふり返った。その傭兵には自分の正体を話していない。だが、ラグは何かを見抜いたような気がした。傭兵の情報量と観察眼は恐ろしい。ピピネはラグの真意を問うように、彼の目を覗き込んだ。
 ピピネの首は岩塩とは比較にならない価値があるはずだ。ミタルスクでも、ラヴィアルでも、いや、どこでも売れば金銭だけでなく一等の褒章が手に入る。
 ラグはピピネの視線に照れながら、そっけなく彼の視線を受け流す。鼻の下をこすりながら、穏やかな声で先を続けた。
「でも、ラヴィアル国とつき合ってもいいだろう? あんなに素敵な岩塩を送ってくれるというなら、この地方の人間たちはヴァルヴァラともラヴィアルともうまくつき合おうとする……その方がこの土地は平和なんだぜ? 正しいことを追求するより、安定を望む」
 こいつらはバカじゃないからな、と言い残し、彼は去っていった。ピピネは彼に抱いていた緊張を解いて、肩の力を抜く。片腕とはいえ、ラグの戦闘力は警備兵五人分に匹敵する。彼に狙われたら今のピピネでは逃げられない。
 なぜ逃がしてくれたのだろう。いや、ラグはもうそういう生き方をやめたのだ。彼はその力を今は村の安定のためにだけ使おうとしていた。腕利きの傭兵が牙を抜かれてしまうような何かの魅力がこの土地には存在した。それは何だろうか。それが平和の正体か。
 ふと、ピピネは彼らの真の狙いに気づいた。平和という名の戦いを仕掛けられたことに。
 岩塩は生きていくのに必要な物質だ。
「ラヴィアル国の狡猾な宣伝活動だったようだな……民の前に、塩を置いて帰ったか」
 あの国は、ウルフェウスにとって重要な関所の前で、その存在を示したわけだ。これから異母弟がこの国で仕切る政治の荒波を予感した。ヴァルヴァラとは違う力学で動いていくこの国の理性に、あの短気な弟は戸惑うだろうと思った。平和な国で、平和な戦いを強いられるに違いない。それは剣を振り回すだけだった彼にとっては新しい戦い方だろう。
 その後、ピピネは封じていた国境も解除して、流通を再開させる。隣国に協力してくれた礼をして、仕事を終えた。中央からの命令書はまだ届かない。なんとものんびりした国だ。だからこそ、国境際を少ない人数の警備兵が保ち続けなくてはならず、為政者よりも注意深く情勢を体感し、寛大な措置がとられていくわけだ。彼らは隣国の兵士らとも仲が良かった。その方が平和なのかもしれない。
 ある日、ラグからも手紙が来た。彼はもうゾイ村に住居を持って住み始めていた。
 彼からの手紙には、今後も頻繁に交流を持って情報を交換したほうがよい、と書かれてあった。ピピネは全くその通りだと思ったので、カヒン村の長老たちに話して、年に何度か祭りを設けるように提案した。公的にはかかわりを持っていない周辺の村を集め、交流を活発化させる方法として、収穫祭を合同で行うことは効果的な方法だ。
 しかしながら、公共事業に関わる諸問題を解決するためにピピネはその後も滞在することになってしまった。周辺の村を有機的に結びつける道を設計し、予算を組み立て、公共事業を取り仕切るための計画を立てる。工事も何もかも自分たちで行うため、村人の仕事のスケジュールを調整しながら、雑事を解決する必要が出てきたのだ。
 人々の間を歩き回って話を聞き、ピピネはてきぱきと計画を立てて進めていく。城の外に出てもやはり、為政者は為政者なのである。


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