二輿物語


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24 異国来訪




 ミタルスクの東離宮にて。
 この離宮はミタルスクの皇太子が愛人を招くために使うという。
 一夫多妻が公然と認められている国だというのに、後宮以外にも女を囲う城があるとは。いや、だからこそ、異国の使者を装って彼を訪問しやすかったわけである。
 紋章鑑識官であるランファルが、門番に通行書とラヴィアル国の紋章入りの手紙を渡した。文書の偽造がばれたら裁判を受けることになる。しかし、優雅な輿とラヴィアル国の紋章を見ただけで、門番はあっさりと彼らを通してしまった。城の中に入って謁見を許される。簡単すぎる。その警戒心のなさはこの地方の特徴か。
 ミタルスクの皇太子は巷では「獅子王」と渾名されている勇傑だ。まだ若くして、国民の人望厚く、政治に長けているという。ミタルスクをここまで大きくした功績は彼の働きによるところも大きいとか。まだ戴冠前だというのに「王」の名を民から与えられ、現世王には睨まれているとも聞く。父子の仲は悪く、彼は王のいる在所にほとんど帰らない。
 王子の目的はまさにその「獅子王」……アルダバ・サ・タッカ・ミタルスク皇太子だ。
「そいつが裏でラヴィアルを動かすようなら、大した男だぜ。戦争を起こさずに領土の拡大を狙ってるかもしれない……俺の兄貴に似て、ちょっと嫌な野郎じゃねーか」
 彼は控室でセレナに化粧を施されつつ、そう言った。
 セレナは震える手で慣れない紅を入れながら、答える。
「ザヴァリアはなくなってしまうのですか?」
「いや、俺が守る。ここに来たのはそういう理由なんだから」
 ウルフェウスは大して深刻そうでもなく答えて、瞳を開く。淡く澄んだ水色の眼が彼女を見つめた。侍女はあわてて目をそらして、宝飾品を持ってきた。煌びやかな装飾品をつけた後、セレナが彼の髪を結い上げて整える。
 それきり、王子は静かになる。物思いにふけり、煌めく瞳を周囲に漂わせた。
 実は、彼にはずっと気がかりなことがあった。ザヴァリア国に入った時からずっと違和感があった。あれほど抜けた国にミタルスクはなぜ攻め込まないのか、と。王子があの国に入っても、隣国として平和に付き合えるだろうか。実質的にこの国を指揮するであろう皇太子に一度会ってみたかったという。どんな男なのかを知りたいらしい。
 この王子は戦好きとは聞くが、意外にも外向的な社交家だ。
 ひとまず、皇太子はラヴィアル国の女を離宮に招くことには抵抗がない。彼らと血縁関係を結び、縁戚にでもなるつもりかもしれない。
 物思いにふけっている美人に、ランファルが少しわざとらしい咳をして、注意をひく。
 ウルフェウスは軽く首を動かして、彼を仰ぎ見た。もう彼は王子には見えない。絶世の美女の麗しい視線をまともに浴びてしまい、ランファルは恐怖に戦きつつ息をのむ。
 声を出したら震えていた。
「えー……『獅子王』さまは今年、二十六歳におなりです。既に三人の姫を他国から妻に迎えているはずですが、公式の記録ではラヴィアルとはまだ婚姻の契約はございません」
「ふん。俺より……八つも年上か。本当にピピネ兄貴と同じぐらいだぜ。他に何か、彼について知っていることはあるかい?」
 王子の問いかけに、ランファルは彼の姿を見つめる。髪を結い上げて、宝石を散らした彼は、格別に美しい姫に見えた。ラヴィアル国の王族も美形ぞろいとは聞いたが、目の前にいる人物も相当に麗しい。
 黙っていれば、だまされるだろう。口を開けば、男なのだが。
 ランファルは答えた。
「獅子王はこの近辺では、色好みで有名です。女には目がありません。女を囲う宮殿はこの東離宮だけでなく、国中にあると言われてまして、一般庶民とも交遊をもち私生児が多数設けられているとか、まことしやかな噂が……そ、それから、その殿下……心して頂きたいことは、その、特に北国の女は床が熱い事で有名ですし」
「やっぱり、嫌な野郎だ。俺はまだ一人の女も手に入れていないというのに」
 ウルフェウスは苦笑いして鏡の中の自分を見つめた。軟派な男に押し倒されるほど、やわな体ではない。彼は余裕の笑みでランファルに片目を瞑ってみせた。ランファルがドキッとしたとき、謁見の時間になったと呼ばれた。
 王子は支度が整うと立ち上がって侍女をふり返る。
「じゃ、行ってくるぜ……セレナ、ここを出て城外で待て。万が一のことがあったときは、すぐに国に戻って知らせるんだ。わかったかい?」
「……嫌です。王子も一緒に連れて帰りますから!」
「うん。でも、一刻待って戻らなければ、行け。戦の準備をさせなくてはならないかもしれない……軍に」
 セレナは彼の言葉を聞いて泣いてしまった。ウルフェウスは彼女の肩を抱きながら、ランファルを睨んだ。顎を動かすと、ランファルはすぐに別の兵士を連れてきた。やってきた兵士は王子の艶姿に息をのんで見惚れたが、王子が「この後、全員城外で待て」と命じるとすぐに膝をつき、その命令に服した。
 王子はセレナを抱きしめて慰めた。彼女に「すぐに戻ってくるから外で待っておいで」と優しく語る。セレナは泣きながら頷いて、自分の手で涙を拭っていた。
 泣き虫な彼女の涙を拭って、その額にキスをする。セレナは少し落ち着いて泣き止んだ。しばらくして、その侍女は青くなって彼にキスされた額を撫でた。ウルフェウスはにっこり笑って、もう一度キスをしようとしたが、セレナは悲鳴を上げて飛びのいた。王子は侍女の態度に気分を害し「そんなに俺が嫌なのか」と恨みがましくうめいた。王子は不機嫌そうに「どいつもこいつも」とぶつぶつ不平を口にする。セレナは泣きながら兵士の傍に走って逃げた。
 王子の雰囲気はさっと変わってランファルを見た。ランファルは頷いて微笑んだ。覚悟はもうできている。王子は無言のまま彼に微笑みかけて、部屋を出た。


 東離宮は別名「宝玉の燈し」と呼ばれている。
 ところどころ赤い顔料で装飾され、紅玉の飾り玉が下がっている。屋内に煌びやかな茜色がさしこみ、濃い緑色の常緑樹が屋内に強いコントラストを生む、華やかな空間である。壁は水晶とカンラン石で作られ、鏡とガラスが用いられているため、反射した午後の光がカラフルに床の上を踊る。時折入った方角を見失い、まるで氷の迷宮に入ったように感じられる。ここは名実ともに、愛の迷宮なのか。
 だが、この場所は王にとっては因縁の鬼門だ。かつて、彼がまだ皇太子だったころ、王位の継承をめぐって自分の実弟にこの離宮で命を狙われたことがある。赤い装飾品は当時の流血を隠すために施されたものだった。だから、この離宮には王はめったに来ない。いや、絶対に足を踏み入れない。
 王の私生児として、長く彼に捨て置かれていた獅子王にとって、この離宮は最高の隠れ家だ。互いに実の親子と認め合っていない。ただ、政治のために彼らは契約上、王と皇太子を名乗り合う。王には国を継ぐ男子が他にいなかったので、急遽養子にされた。実の子供なのに、養子という扱いに獅子王は腹を立てているのである。
 だからこそ、公然と王を無視してやりたい放題だ。そして、そんな皇太子を疎んじ、王は彼を傍に置かない。どんなに王をバカにしても、全く叱られない。手ごたえがない。
 唯一、王に嫌味を言われたのは「わしよりも愛人の数が多い」であった。だからこそ、獅子王はこれ見よがしに街で女を口説いては、私生児を作ったりする。彼はそのようにして王に作られた子供だったから。
 父のように、無分別に子を作る。
 親子とは、かように複雑にして怪奇なものだ。女と子供の数に関しては、いまだに現世王も張り合う気があるのか、皇太子に対抗するようにして愛人用の住いを整えていた。それは皇太子の生母を囲うためだけではなく、息子と張り合うためだけに。
 だが、獅子王は女好きではなかった。本当のところは、女という生き物が大っ嫌いである。とはいえ、彼には既に片手では数えられないほどの子供がいる。公式に認めたものも、認めていないものも。
 謁見の間に向かって歩きながら、ミタルスク国の皇太子は憂鬱だ。
「ラヴィアルから……姫が来るわけがないだろう。偽者だ。あの高慢ちきな国からわざわざ人が来るものか。どこの検問を通ったのだ?」
 従者が王子の後をついて歩きながら、答えた。
「不思議なことに、ザヴァリアと接した西の検問から入ってきました。しかし、部下の話では脳天からしびれるような類稀な美女だとか。一見の価値はあるのでは?」
「ラヴィアルに限って言えば、いくら美しくても嬉しくない。私に妻はもう要らないし、後宮には行きたくないし……そもそも、あんな寒い国で得られるものなんて、鉱物しかないではないか。産出量なら隣国のザヴァリアの方が良く出るはずだ。私の見込みでは、金脈が国の中央を通って存在している。周辺が気づく前にあれを手に入れたい。今、ラヴィアルと手を組んでも仕方が無いだろう? 金が出たと知ったら、競合するから嫌がるだろう。しかもあそこは永世中立国だぞ。地政学的に意味の無い北方領土だ」
「しかし、ラヴィアルの乙女は『雪のごとく滑らかなりし肌を持ち、その体内は炎のごとく熱く燃え』……ですぞ! なんと、もったいないことを。御前の血が入れば、おそらくその子供は珠のように美しくかわいらしい御子で」
「わかった、わかった! 春の野菜の割り当て量を増やす。それで勘弁してもらおう。私だって夜は寝たいのだ。もうこれ以上美女を増やさないでくれ」
 皇太子であるアルダバ・サ・タッカ・ミタルスクは美男子である。
 天使も嫉妬する、と謡われた美形だ。しかしながら、その美形が災いして、女にもてすぎていた。夜な夜な女に襲われて後宮では安眠できない。また美人な妻を娶れば、後宮内が戦争のようにあわただしくなる。なるべく静かに後宮を落ち着かせるために、これ以上美しい女はいらないと考えていた。侍女をやとうにもなるべく年をとった女を選んでいるぐらいなのだ。
 街では気軽に女を口説くものの、追いかけられれば手のひらを反して脱兎のごとく逃げ切った。そのあたりの処世は、恐らく父親に似ているのだろう。無責任なところが親子そっくりである。将来は父と同じ轍を踏んで、その私生児たちに恨まれるのだろう。
 アルダバは憂鬱な気分で謁見に臨んだ。
 しかしながら、実のところ、彼は部下から報告を受けた時、すぐに答は閃いていた。ザヴァリア国から入ってくる美女といったら、風の噂に聞いているのは「誰のものにもならぬ金の乙女」ぐらいしか思い浮かばない。アリシア姫が人目を忍んで、この国に入ってくる理由は何か。
 あの国に忍び込ませた間諜によると、既に城下では「悪魔の輿入れ」の話が広まっている。アリシアは悪魔の妻になるという。彼女が救いを求めてミタルスクに逃げてきた可能性はある。もし、そうならば、金の乙女と共にザヴァリアの金も手に入ろうというもの。
 そのためならば、女を口説き落としもしよう。
 だが、彼女を後宮に入れようものなら、再び妻のご機嫌取り合戦が始まってしまう。今はようやく一人づつ子供を産ませることに成功して、落ち着いたというのに。
 気楽な離宮めぐりに彼女を同伴させるようになれば、父に「また女を外に増やしたか」と対抗され、使わない離宮がもう一つ増えることになる。アルダバは予算のやりくりを思うと、この無駄遣いを繰り返す父が恨めしくてならない。彼の態度はあからさまだ。
『お前が新しい愛人を作るなら、わしも新しい離宮を作るぞ。それが嫌ならば、女は全て後宮に入れて、わしの跡を継ぐ腹を決めろ』
 己が過去を振り返りもせずに、息子にだけ余計な説教をする。彼がアルダバにする唯一の説教が後宮における子作りである。その場所では王の男子が育たなかった。だから、外でよく生ませていたらしいが。だから、後継者選びで苦労したらしいが。
 そんな話はどら息子の知ったことではない。既に正妃に男子は生まれている。親の心を知らぬ息子の狭い了見からすると、ざまーみさらせ、というところだ。
「彼女は一人娘か。今度は私が愛人となってやろう……この国の外でね」
 アルダバはそんなことを言いながら、謁見の間に入った。


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