二輿物語


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33 ピピネと銀山




 少しだけ時間をさかのぼり、ザヴァリア国の東南部にて――。
 ヴァルヴァラへ行っていたザヴァリアの東方親善大使は国境封鎖が解除されたという噂を聞いて、カヒン村へやってきた。ヨーデン・クロル大使は検問所でピピネの姿を見つけて驚いた。
「でっ! で、殿下ぁああー?」
 ピピネはあわてて「黙れ」と鋭く口にした。大使は口を押さえて辺りを見回した。
 警備兵たちはきょとんとした顔で二人を見つめる。ピピネと大使は無言で見詰め合って冷や汗を流した。異国の王子が、それも赤毛の鬼神がなぜこんな場所に、と大使の目は無言で問う。しばらくしてピピネは応えた。
「大使さまはお疲れの様子。お茶を用意して差し上げろ。さあ、こちらへ」
「あわわわ……そんな、恐縮です」
「黙れ。さっさと来い。別室で謁見してやる」
「は、はい」
 どちらが上なのかわからぬ対応だ。兵士たちは首をかしげながらお茶を用意する。
 別室に入ったとたん、ピピネが大使に「私の名は明かすな」と厳重に注意した。大使が「何事ですか」と聞き返した。
「今、ヴァルヴァラ国内では大騒ぎでございます。ピピネ殿下とウルフェウス殿下がお二人で行方不明になるなんて。戦に長けたお二人が居るからこそ、ヴァルヴァラの平和は保たれているのでございます。私はこの状況を王にお知らせしようと思い、ザヴァリアへ帰国したのでございます。周辺国にもお二人の失踪はもう伝わっていることでしょう。お早く国にお戻りを」
「うむ。いや、しかし帰れぬ事情がある」
 ピピネは苦虫を噛み潰したような渋い表情になる。弟のことを考えると忌々しくて腹が立った。彼を連れて帰らぬことには安心できない。放っておけば、勝手にミタルスクと戦争を起こしそうだ。賢兄はまだ愚弟が既にかの国へ行っているとは知らなかった。
 彼は気落ちしながら大使に言った。
「実は私のバカな弟がザヴァリアに来ているのだ」
「さようでございますか。では、私が国中に伝令を出して探し出し、ヴァルヴァラへ連れて帰りましょう」
「あいつを連れて帰れるのか? クロル大使」
「……ウルフェウス様の腹の虫の居所によりますが、努力いたします」
「全くあのクソ坊主め……いや、外国の大使にそこまで甘えるわけにも行くまい。だが、協力してもらおう。私も共に中央へ行く」
「はい。とにかく、ヴァルヴァラへ手紙を出しましょう。新王陛下が気の毒でございます。お二人の安否を心配して食事も喉を通らぬご様子」
「父上が?……いや、あの方は案外肝が太い。心配は無用だと思うが」
 ピピネはすばやく話を終えて、部屋を出て行く。父の精神力はあの愚弟以上に図太い。だが、戦の守護神の不在には肝をつぶしているだろう。二人の居場所を知らせる文書を用意するために一度退席する。警備兵がお茶を持って入ったが、入れ違いに部屋を出た。
 大使は冷や汗を拭きながら、ようやく椅子に腰掛けた。緊張した面持ちの大使を見て、警備兵たちはもう一度不思議そうにピピネを振り返っていた。
 数日後、クロル大使と共に中央に向かったピピネだが、カヒン村から少し出たところで、大きな山崩れを見つける。彼は山の斜面を見て気がついた。
「あれは……銀、かな」
 山肌に銀が見えるなんて珍しいことだ。ピピネは日の光に反射してきらめく黒い筋に驚く。傍にいたクロル大使が「さようでございますか」と答えた。ピピネはもう彼らののんびりペースに慣れている。銀山を見つけた彼は「ああ、あれは銀山だ」と再度繰り返したが、クロルは穏やかに「そうでございますか」と答えるばかりだ。その経済的価値について、大使が何を考えているのかを推し量ることはできない。
 欲の無い彼を見て、ピピネは苦笑いしたまま素通りする。ヴァルヴァラなら目の色を変えて飛びつく情報なのだが。何だか、この国民性を変えたくないと思った。ザヴァリアの平和の秘密はこの、のんびりとした無欲にあるのかもしれない。
 しかしながら、貧しいと思っていたこの国の資産が実は豊かであると気がついてしまった。ピピネは中央へ向かう道すがら、地形を観察し、土の特性を調べ、水脈を記録してその事実を確信した。巨大な金鉱脈が国のちょうど中央を走っている可能性もある。
 金と銀が出る国だ。
「これは……戦争にもなりそうだ」
 ピピネはザヴァリア国の周囲を思い出し、北のラヴィアル国の情報を思い出す。宝石と鉱山に恵まれた土地だが、実は既に採掘が進んでおり、資産価値が下がっている。南の暖かい土地で鉱脈が出たら、ラヴィアル国の経済価値がさらに下がってしまう。しかも、ザヴァリアには大国へ抜ける街道もそろっていた。経済開発を行いやすい未開の土地だ。
 北に資産価値の下がった大国、西にかつて領土問題を抱えたことのある大国が控える。この二つの国に睨まれる形で存在する小国、ザヴァリア。
 ピピネは冷や汗を浮かべて義弟の行く末を案じた。
「誰かに渡すぐらいなら、この土地をヴァルヴァラに統合してやる……あのバカの監視は一生涯必要なんだ。私の目の届かぬところへ行かせるものか」
 ピピネはため息混じりに呟いて、銀山を見つめるのだった。


 カプルアで一泊し、身近な宿で身支度を終えたピピネはクロル大使と共に入城する。しかし、城に入った瞬間から、嫌な予感がした。彼は隣に居たクロル大使に話しかける。
「おい、ここは王宮だろう? 警備が手薄だ。平和だからと言って手を抜くな。敵の侵入だけでなく、天災が起きたときに対処が遅れると国民も守れなくなる。城とはそういう場所だ。平和でも衛兵は潤沢に配置しろ」
「は、はい。ご高察の通りでございます。善処いたします」
 長い旅路をピピネと過ごした大使は、ピピネの人柄と政治に対する厳しい感覚を共有していたく感激していた。ピピネの知識量は国内の学者以上に豊かであるし、思考回路は常識的で堅実な手段を講じる。彼と共に改めて自分たちの国を見直し、どれほど豊かで恵まれているかを実感した旅だった。
 中庭に入ると優美な生垣がところどころ穴だらけになっているのが見えた。それも、人間がぶつかったような形で。
「来客中のようだが……庭が荒れている」
 ピピネの推察は当たって欲しくないと願うほどよくあたる。彼は心に感じる悪寒の原因を探りながら、ここに弟がいると気がついた。彼はわずかな隙も全く見逃さない。普段はよく手入れしているのですが、と言い訳する大使をなだめて先を急いだ。暴れん坊が客の根城で迷惑をかけているようだ。ピピネは怒りを押し殺して早足で歩く。
 ついに見つけたぞ、という腸の煮えくり返るような衝動を、彼は必死で飲み込んだ。異母弟を心配してこんな辺境まで追いかけてきたのだ。どうしてくれよう。ピピネはウルフェウスを見つけたという安心感で、我慢していた感情が噴出してしまう。
 王に謁見を許されて部屋に呼び入れられたとき、その当人の姿を見つけ、人目もはばからずに叱り付けてしまった。
「この愚か者がああああーっ! 何処をほっつき歩いて」
 電光石火だ。よく似た兄弟だ。ところが、帰国の挨拶をしていた異母弟は、やってきた天敵の姿に、こちらも弾けるような怒りを爆発させてしまっていた。
「うっせえ! てめーこそ、仕事をほっぽってこんなところで何してやがるっ!」
「それは私の台詞だ。外国で迷惑をかけたのだろう! 表の庭を荒らしたのはお前か!」
 些事を見逃さない目ざとい兄の言葉にうんざりした表情を見せつつ、この小憎らしい弟は「だからどうしたっ!」と居直ってしまった。王の御前だというのに、何とも大胆不敵なバカ兄弟である。
「はっ……蹴られたところで木は死にゃしねーよ!」
「お前はどうしてそういうガサツでバカで乱暴ものでどうしようもない、うわあーっ! これ以上の悪口が思いつかぬ! お前をののしる言葉など言いたくないのに!」
「じゃあ、言うな!」
「言わせるな!」
 やってくるなり盛大な喧嘩を始めてしまったピピネを見て、王と王妃は疲れた表情でぐったりしていた。王がクロル大使に「誰だ?」と尋ね、大使が「ピピネ・マリアン・ヴァルヴァラ第二王子にございます」と答える。クロルも冷静だったピピネの激昂を目にして、呆然として仲裁を忘れる。
 ややして状況を思い出したピピネが激情を押さえて、王の前に進み出た。厳かに来城の挨拶を始めたが、王も「堅苦しくせず、どうぞくつろいで」と簡単に挨拶を終える。王は場を取り繕うようにピピネに話し始めた。
「ピピネ王子、よく来てくださった。是非、ゆっくりと滞在していただきたい……実は先ほども、ウルフェウス王子を引き止めていたところだ」
「何か問題を起こしたのでは」
 王の目は突如、ゆらりと魚のように揺れ動く。兄には絶対の確信があるのである。弟は絶対に迷惑をかけているという確信が。それは信念に近い、いや信仰心に近い確信である。
「ん、いや、まあ……若くてよい王子である。実は私の娘と喧嘩をしてしまい……」
「それは……まさか、花嫁となられるアリシア姫のことでしょうか」
 思わずぞっとした。ミタルスクと喧嘩をするのも困るが、ザヴァリアと紛争を起こされるのも困る。
 婚姻契約は外交上の付き合いに類するものだ。相手の姫君の機嫌を損なうほどの無礼をしたというのなら、国家による賠償金も発生する一大事だ。婚姻の約束を反故にしたとなれば、姫の身と名誉を傷つけたとして多額の慰謝料まで要求される。これほど割に合わない経済的損失はない。
 とっさに資金源の計算を始めた鬼神の前で、ザヴァリア王はさらりと答えた。
「うん、まあ、そうなるか。何とか仲直りをさせたいのだが、わが娘は頑固者で困ったものだ。王子はザヴァリアの将来を案じ、ミタルスクへ表敬訪問にいっただけなのだが」
「ミタルスクまで表敬訪問に、行っただけ?……何か騒ぎを起こしたのでしょうか?」
 さらなる問題だ。ピピネはもう青ざめるどころか、失神寸前だ。その直後、怒りが腹の底から湧き上がってくる。やはり、弟は全く期待を裏切ることなく大馬鹿であった。
「いや、まあ、その、突然の話だったので周りが少しびっくりした」
「…………」
「大した問題ではない。ただ、私も知らぬ間に全てが終わっていたというだけのことで」
 王は笑っていたが、兄は真っ赤になって弟を睨みつけた。ウルフェウスは涼しい顔でそっぽを向いている。ピピネは王に深々と頭を下げて弟の非礼を詫び、彼と話す許可を得てこれから起こる無礼を先に詫びる。
 弟は兄の言葉を聴いて、戦闘準備も万端だ。ピピネとの喧嘩は全て口の速さが勝負。始まったとたん、腹に力を入れて先制攻撃をした。大きな声で怒鳴りつける。
「とっとと帰るぞ! ヴァルヴァラが襲われてたらてめーの責任だ!」
「なっ! じ、自分のことを棚に上げてよくも……お前っ! 国に帰ったら覚えていろ。今度こそ幽閉してもう二度と外には出せないようにしてやる!」
「誰がお前の許可を取って外出するか」
「牢に入れてやる! いうことを聞かないなら縛り首だっ!」
「やれるもンなら、やってみやがれ。脱獄してやらぁっ!」
 王がおろおろと「まあまあ」となだめるが二人の騒音にかき消されて聞こえない。王妃が夫の隣で「少し休みます」と退室の許可を貰って出て行った。
 その時、木の扉が大きく、ドンドンと鳴った。ウルフェウスは不機嫌な顔になる。姫が立っていた。
 アリシアもウルフェウスも声を出さない。ピピネは二人の様子を見て、口を閉じる。
 王が気づいてピピネに娘を紹介し、王子を家族に迎える日を楽しみにしていると伝えた。ピピネも、通り一遍の謝辞を述べて部屋は再び沈黙する。
 二人の仲が険悪なのはすぐにわかる。二人とも互いの顔を全く見ない。
 しかしながら、ピピネは安心して弟を見ていた。姫とどんな喧嘩をしていたのかと不安だったが、弟は一言も発しない。かなり怒っているようだが、彼は姫の出方を待っている。相手の出方を見てから自分の行動を決めるなんて、先制攻撃の得意な男にしては珍しい。
 長い長い沈黙の後、アリシアがようやく口を開いた。
「お帰りは気をつけて」
 ウルフェウスは口をもごもごと動かしたが、結局何も言わずに横を向いてしまった。姫は何も答えない婚約者にイライラしている。ピピネが二人に助け舟を出した。
 心配そうな顔をしている王に言う。
「王陛下、私は長い旅路で少々疲れました」
「あ、そうであった。今すぐに湯と食事を用意しよう」
「ありがとうございます。弟と共にしばらく滞在したいのですが」
 王はにっこり笑って「それがよい」と答える。兄は弟を振り返るが、ウルフェウスは何も言わない。しかし、彼はいつも突然何も言わずに行動してしまう男だ。一人でも帰ってしまいそうなのでピピネは話しかけた。
「ウルフ、後で話がある」
「今言え」
「旅の途中、大使と共にこの国を視察した。経済的に新たな投資の可能性がありそうだ。その話をしよう」
「銀のことか」
「ふん、知っていたか……そうだ。王も交えて話をしたい。お前の将来のことだ。人任せにせず、もうしばらく私と共に滞在しろ」
 ウルフェウスは不機嫌そうに頬を膨らませたが、先ほどの威勢は消え、おとなしく了承した。ピピネはびっくりして「いいのか?」と問い直してしまったほどだ。
 突然、アリシア姫はふいっと部屋を出て行ってしまった。王があわてて娘の非礼を詫びたが、ピピネは笑顔で姫を見送った。ウルフェウスを制御した女性を初めて見た。面白い状況である。


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