二輿物語


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36 兄と弟の駆け引き




 食後に王の執務室で地図を見ながら、ウルフェウスとピピネが授業を受けることになった。実は、ヴァルヴァラの王子は対外的には、学問好きとしてもよく知られている。第二王子のピピネは教授資格を持っているし、第三王子は著名な発明家で敵国に留学もしていた。第四王子は芸術家、第五王子であるウルフェウスは科学実験が好きだった。
「私の計算では銀の産出量はかなりの量だ。この国の軍隊を改良するには十分だ」
「銀山を開発すると周辺は荒れるぜ。水路を整えてやらないと病が流行る」
「飲み水と排水を分けて街道沿いに管理できるようにしろ。それから、ここから北部に別の鉱脈があるだろう。私の予想では……金だ」
「使えねー鉱物だぜ。銀山の周辺には鉄も出る。開発は南部から始めよう」
「お前はどうして軍備に使えるものばかり……まあ、いい。金銀が出るということはこの国の資産が安定するということだ。経済的な開発が望める。流通都市にして周囲から商人を呼び、金融市場を整えたら周辺の情報も得やすくなるだろう。ザヴァリアのような軍備の蓄えのない小国では、外交政策によって国の安全を維持していかなくてはならない。いち早く情報を得られるように近代的な国に変えていけ」
「兄貴、周辺の国民と話をしたか? のんびりしていて、この国は牧歌的な平和であふれてら……流行の先端を担うような近代的な町なんて作れねえ」
「教育施設を整えろ。長い計画でそのように国を作れ。お前は育てるということができないやつだ。そろそろやってみろ」
「いちいち腹の立つ批評をしてくるぜ……ったく」
 王も夕食後の交流に参加し、王子と共に地政学を受けた。大使からヴァルヴァラ情勢も聞きながら、ザヴァリアの地勢を復習する。王子二人の知識は、想像以上に豊かである。ヴァルヴァラの英才教育を受けた二人の話を聞きながら、王も欲が出てきた。自分の国の開発について思いをめぐらせる。
 しかし、クロル大使が王子二人に進言した。
「恐れながら、お二方。急激な開発は周囲に不安を抱かせるでしょう。銀山と金脈の開発はなさらない方がよろしいのでは?」
 冷静なクロルの言葉に、王はふと我に帰る。大国に囲まれた地勢を思い出した。この国の経済を考えると、それでも十分、今の国民は生きていけるのだから。外交官ならではバランス感覚だ。
 ウルフェウスは地図を見ながら思案する。北方に鉱物と宝石の国・ラヴィアルがあり、西方に大国ミタルスクがある。南部からヴァルヴァラへ向かう街道が入っているが、ヴァルヴァラの後方支援は間に合わないだろう。ラヴィアルとミタルスク、両国の影響が色濃く政治に反映する場所である。彼はふとアルダバとの会見を思い出した。あの皇太子は既にザヴァリア国の資産について知っているのではないかと思った。
「ミタルスクから何か圧力はかかっているのかい?」
 王は苦笑いして頷いた。
「国境付近で自由市を開かせろといっている。関税をなくし、両国間の交流を活発にしてはどうかと……しかし、あれほどの大国に国境を許せば、わが国はすぐに飲み込まれるだろう。釣り合わぬ」
「ミタルスクで出回ってる品物は既に多彩だったぜ。この国と何を取引したいんだ?」
「わからぬ。その問題は棚上げしたままだ」
 王は難しい顔をして話を終える。ウルフェウスはこの国の台帳を手にしてぱらぱらと眺めた。ザヴァリアが外国に売れる品物は北方の塩だけだ。ウルフェウスは首をかしげた。一次産品ではほとんど外貨を得られない。次に彼は国の資産を計算する。意外なことに国内の流通が盛んだった。この国は三次経済の発達した国なのだ。流通と金融、観光といった人が主体となる経済の下地はできていた。王子は面白く思って、経済台帳を調べまわる。この国の経済は土地によらない何か別のもので動いている。
 ピピネは地図を見ながら苦笑いしていた。彼は王に答えた。
「畏れながら、私見ではこの国自体に魅力があるように思われる」
「というと?」
「ザヴァリアは小さな国だが、この国に接している国は五カ国もある。しかも、わがヴァルヴァラも遠方とはいえ、王陛下とは非常に親しい付き合いをさせていただいている。王陛下の豊かな人脈自体もこの国の武器なのだ。この国は多くの国の政治力学的なバランサーであり、いかなる国にも属さぬ独立性を保った稀な土地だ。それだけでいずれの国にとっても十分魅力的だ。ミタルスクにとって友好的に付き合いたい国であり、ヴァルヴァラにとっても大事にしたい国だ。政治に関係なく経済活動のできる場所であり、多くの品々が集まる可能性がある」
「……なるほど、そうか」
「この利点を生かせば、確かに銀山なんて開発しなくても十分豊かになるだろう。むしろ、開発しない方が、国の資産を国外に持ち出される危険が減るのかもしれぬ」
 兄は弟を振り返って、彼の理解度を確認する。異母弟は何か別のものに気がついたらしく、地図を眺めてわくわくしていた。彼は無邪気な声で叫んだ。
「ここって国際河川が入ってるぜ! ヴァルヴァラからも直接輸入ができらぁ。今度来るときは船で来るぜ。すっげー、面白そう!」
 ピピネは驚いて地図を見る。真南から入る河川の幅は思ったよりも小さく、ザヴァリア国内で途切れているのだが、南部に下れば海に出る大きな河になる。
 気がついて彼は真っ青になった。ミタルスクが狙っているのはこれではないか、と。
「この国は、ヴァルヴァラにとって急所だ。父上がお前をこの国に派遣する理由は、この河を死守せよということなのかもしれぬ」
 つまり、ミタルスクがザヴァリアを奪い、この河を使って南下すれば陸地を使わずに直接ヴァルヴァラへ軍隊を送り込めるのだ。
 ピピネは怯えながら、別の地図を探してこの河川が途中どんな土地で囲まれているのかを確認する。予想通り、河のほとんどは高い崖に覆われて流通できる港を作れるのはヴァルヴァラ北西部の一部の地域だけだった。冬にウルフェウスが反乱軍を平定したばかりの場所だ。
 ザヴァリアから直接ヴァルヴァラに侵入できそうだ。既にミタルスクが戦争の準備を始めているという情報は入ってきている。ピピネは落ち着かなくなり、そわそわしてきた。早く自国に帰って北方の軍備を整えなければならないと思い始めた。この周辺はとても寂れていて開発から外れていた地区だ。ここを突然襲われたらひとたまりも無い。
 ウルフェウスはニヤニヤ笑って台帳を閉じた。
「さて、開発の資金について話せる状況がやって来たみたいだぜ。兄貴、ヴァルヴァラと共同でこの国際河川を開発しようと思うんだが、わがザヴァリア国には満足な港の施設がまだない。港の利用料を他国に比べて優遇できるようにすっから、開発資金を都合してもらえねーかな? この国と取引できたら、ミタルスクの豊かな品々を手に入れることができるかもしれないぜ。それにラヴィアルにも近い。火山と氷の国を旅行してみたら、美女と知り合いになれちゃうかもしれないぜ?」
「不要だ。私には既に妻がいる」
「何人いたっていいじゃねーか。ケチケチすんな。俺が居たカクタスの税収予測はもうじき終わるし、きっとドミトリー・カラ・カスなら豪腕だから何とかできるぜ。な?」
 魔術師は口先が上手い。戦上手と言うよりは交渉が上手いのだ。いつの間にか彼の思うとおりに物事は進んでいく。生まれ持った人柄と容姿で人を虜にし、小賢しい知恵で物事を解決してしまう。
 ピピネは忌々しく思いながら異母弟を睨む。いつもこうやって丸め込まれてしまう。彼に刃向えるものは、誰もいない。ピピネも、皇太子も、王ですら。忌々しいことに、末弟の言いなりだ。彼に甘えられて拒否できるものはいない。彼を愛しているから。
「悪党め」
「ケチ。素直に応じろ。これからも末永く付き合ってやるぜと言ってるんだ」
「何故、大国であるヴァルヴァラが小国から脅されなくてはならんのだ。全く忌々しい」
 思わず本音が出てしまった。ザヴァリア王は苦笑いして黙っていたが、ピピネは気がついてあわてて「兄を脅す弟など前代未聞だ」と答え直した。
 失言してしまったピピネは仕方なく弟の要求を受け入れ、帰国後にヴァルヴァラ王に提案すると約束した。ウルフェウスはかわいい笑顔を浮かべて、ザヴァリア王に視線を送った。王は苦笑いして王子を見る。
 いつのまにか、また王子に舵を取られている。ヴァルヴァラの力を取り込んでミタルスクと自由市を開くことになりそうだった。両国の軍事バランスの上で商売をするというのは不安だったが、その男の度胸があれば難しい政治の舵取りもできそうな気がした。彼に不可能なことはないのではないか、と気持ちは高揚する。
 そうして、王は王子に頷いて承諾したのだった。
 話をまとめたピピネは帰国後の仕事を考えて気持ちが重くなった。ぼんやりと国際河川を見てため息をつく。しかし、しばらくして彼は笑みを浮かべた。何だかザヴァリアを身近に感じはじめた。
 ピピネは腹を決めて話した。
「……よし。ヴァルヴァラ北西部の開発は、私の権限で軍事費から何とか捻出しよう」
 ピピネの言葉を聞いて、ザヴァリア王は機嫌がよくなった。ウルフェウスのお陰で最も有力な男の後援を得ることができたようだ。ピピネの有能さは少し話しただけで理解できていた。噂以上の鬼才だ。多才な彼の力強い援助を得ることができそうで、安心した。ウルフェウスとピピネは喧嘩するほど仲のよい兄弟だ。有事になって、ピピネが弟を見捨てるとは思えなかった。
 ザヴァリア王は二人の戦上手を手に入れたわけである。彼は今回の政略結婚の成果を実感して満足した。
 ピピネは退室の仕度を整えて立ち上がる。王が彼に応えて立ち上がり、話しかけた。
「今宵は楽しい特別講義だった。王子のご高察も聞かせていただき、感謝しておる。今後も港湾開発を通して、あなたと深く付き合えるようで楽しみである」
「はい、私も楽しみにしております。しかし、拙い政治談議をしてしまい、恐縮です。私の方こそ、未熟な自分を再確認いたしました。御講義を受けさせていただき、ありがとうございました」
「もう夜も遅い。よくお休みになられるといいだろう。また舞踏会でも、あなたと同席できることを楽しみにしていよう」
「はい。お招きいただいて、ありがとうございました。では、お先に失礼します」
 ピピネは無言でウルフェウスを睨み、お前も寝ろ、と合図を出す。弟は兄の視線を無視していたが、ピピネが帰らないので部屋中の人間にも見つめられてしまう。
 大きくため息をついて、ようやく彼は立ち上がる。
 教師を振り返り「面白かった」と感想を言う。教師がにこやかに笑って頭を下げた。
 クロル大使と握手をして、ザヴァリア王の傍に行く。王が声をかけようとしたら、王子は無邪気にも彼に抱きついて「おやすみ」と言った。普通は旅客がホストにできるような行為ではない。ましてや、それは王族が相手だ。刺客を疑って、親衛隊に切り殺されても文句を言えないような軽率な行為。
 だが、王はびっくりして「おやすみ」と応えてしまう。ピピネはウルフェウスの無礼な態度にハラハラしていたが、王は怒らなかったし、笑顔になった。意外なところで、子供らしくかわいい反応を見せるのだ。まるで、実の息子のように。王は彼を叱ることができずに目じりが下がってしまう。
 そんな王を振り返ることなく、ウルフェウスはさっさと部屋を後にしてしまった。さっぱりとした小悪魔ぶりだ。その男に振り回されてばかりだ。しかし、彼に振り回されることが楽しい。すっかり骨抜きにされてしまった。
 王とピピネは無言で見詰め合って苦笑いした。彼らは感情を共有する。同じ人間を愛していることを感じ取ったのだった。


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