二輿物語


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39 侍女の意地悪




 侍従たちは主の許しを得て退室すると、ようやく自分の部屋に戻ることができる。
 翌日の仕事の準備をしながら、彼らは大欠伸をして噂話に花を咲かせる。夜食をみんなで取り、冷めたスープとパンを腹に入れていく。調理場の火は既に落ちている。本来、冷めた食事を勝手に温めることは許されていないが、天候の変わりやすい春は暖房代わりに暖炉に火が入ることがある。パンを焼いて温めることぐらいはできた。
 奴隷はその交わりに加わることができない。彼らには自分の部屋も与えられず、納屋のような場所で集団で眠る。だが、食事だけは同じものをもらって食べることができた。奴隷たちは自分の教育をしている侍従から食事をもらい、決められた場所で口にする。
 奴隷たちがいなくなると、侍従たちは凝り固まった肩をまわしながら、ようやく一息ついた。王妃つきの侍女たちは最も遅くまで働いている。他の侍従たちからの尊敬と恐れを受けているが、まだこの場所にはきていない。鬼のいぬ間になんとやら、だ。
 異なる主の元にいる侍従たちは、この時間帯に情報交換しておしゃべりを楽しむ。
 大臣クラスの世話をしている人間たちは、晩さん会が終了して、彼らを屋敷に送り届けたあとは、もう侍従長から就寝の命令を受け、この場にはいなかった。掃除婦たちが退城した後の深夜の時間帯に顔を見せるのは、王侯クラスの世話をする人間たちだ。
 ウルフェウスとアリシアの世話をしている侍従たちは、日々、報告会に余念がない。他人の恋ほどからかって楽しいものはないからである。つまらない日常生活のうっぷんを晴らすにふさわしい話題だ。
 特に、あの王子の破天荒ぶりが楽しくてならない。異国の王子の悪口を堂々と口にできるのも、彼らが寝所に入ってからのこと。
 姫付きの侍女たちが調理場に入ってきたときには、大笑いの渦であった。理由はウルフェウスが姫にキスをしようとしてケダモノ呼ばわりされていると知ったから、である。実際には、王侯らに秘密の話なんて、あってないようなものだ。ここだけの話と言っていたものが、あっという間に城内に広まっている。
 しかしながら、ケタルはただ主を貶めるためにそんな話をばらしているわけではない。これから主となる彼と姫の間を取り持たなくてはならない。何とか仲直りをさせるための策を求め、仲間に相談したいというのが本流なのである。だが、周りで聞いている者にとっては、余興でしかない笑い話だ。
 ケタルはもう一人の男の侍従と共に、今夜から寝ずの番だ。奴隷を使って、夜間の王子の監視をすることになった。周りはその話を聞いて、さらに笑う。
「夜這いでもするつもりだったのかね? 気の早い坊ちゃんだな。いいねえ、若いって」
「笑い事ではないぞ。衛所から連絡を受けたときは、斬首も覚悟して血の気が引いた。輝殿下の無鉄砲ぶりには呆れを通り越して、恐ろしさを感じる」
「お前もこれから大変だなぁ、ケタル……でも、舞踏会が終わったら、一度帰国するのだろう? その前に仲直りをしろと言われてもねえ……あ、お前たち、姫の世話は終わったのか? ちょうどよかった。姫と婚約者さまの仲を取り持つ妙案はないかね?」
 侍従長が壁際にもたれたままの恰好で、ケタルの相談を受けていた。彼は調理場に入ってきた侍女たちを見て、気楽に声をかける。調理場にいた見習の少年が、やってきた人数分の皿を用意して、夜食の支度を整えていく。
 姫付きの侍女は華やかな美人ぞろいだ。若くて才のある人間がなることが多い。彼らが入ってくると急に調理場が華やいだように感じられた。若い男性たちの顔色がよくなる。彼らはそそくさと自分の隣に椅子や樽を持ってきて手招きするが、彼女たちはそんな動きを全く無視して、立ったまま食事を受け取り、早々に退室しようとする。
 侍従長に言われて、しぶしぶという感じで、話に加わった。
「もう、ほんっとに大迷惑なんだからぁ、あのバカ王子! 仕事が増えて腹が立つわ」
 素直な意見である。
 姫の衣装係であるセレナも生ぬるいスープを受け取っていた。王子が姫にキスをしたらしいぞ、と同年代の侍従に耳打ちされ、憂鬱な気分で落ち込む。ため息をついたら、侍従の一人が彼女の手を引き「たまには一緒に食べようぜ」と無理やり自分の隣に座らせる。
 そんなセレナを見て、同じ部屋に住む侍女が警戒しながら彼女の腕をつついた。彼女は小声で「ここで食べてはダメ」と叱った。セレナは頷いて、立ち上がる。姫付きの侍女のほとんどは処女性を持った清らかな乙女だ。その身を守るため、結束は非常に固い。並みの男では彼らと二人きりになることは難しい。あっというまに、セレナの周りに二人の侍女が囲んで守ってしまう。彼女を隣に座らせた男はつまらなそうに口を尖らせていた。かわいい女ほど簡単には手に入らない。
 料理人のヨセはそんな侍女を口説き落とした男だ。彼の妻はあのメンキーナである。彼は見習の指導を夜間にしながら、妻の退室をこの場所で待っている。それは結婚前からずっと続けている習慣だ。いや、そういう時間を共有したからこそ彼女を手に入れることができたのだが。
 メンキーナはケタルから王子に避けられた訳を聞き、退屈そうに甘い菓子を口に入れていた。あからさまに、男って本当にバカねー、と言わんばかりの表情だ。翌朝には、王子の前で知らん顔しながら従事しなくてはならないが、どの程度まで協力したらいいのかと考えながら、王子の恋話を聞いていた。
 姫付きの侍女たちが帰ろうとしたので、メンキーナは「このまま帰るつもりなの?」ときつい口調で呼び止めた。何か役に立つ情報ぐらいおいていけ、と彼女は思っていた。彼女の主は確かにバカ者だが、軽んじられるような男ではない。内心、彼女たちの態度に腹を立てている。平時ならば、主を蔑むような悪口を許してはおかない。
 女の行動を制するのは、女だけだ。
 メンキーナと姫付きの侍女たちの間で、さっと冷たい稲妻が走る。ヨセは淡々とした様子で彼女たちに話しかけた。
「明後日の舞踏会に向けて、新作の菓子を王妃さまに献上する予定だが、意見を聞きたい。君たちは舌がいい。協力してくれないかな?」
 甘い菓子の情報を聞き、セレナたちは目を輝かせてしまった。砂糖をふんだんに用いた菓子を口にする機会が少ないからだ。若い侍女たちは勝手にヨセの前に座って、無邪気に笑っている。彼女たちの先輩である年長者は忌々しい顔で鼻息を荒くした。メンキーナはしれっとした顔で「まあその辺に座ったら?」と彼女たちに促した。
 タルト生地を伸ばす台の周辺に彼女たちは輪になって座る。ケタルたちは彼女たちから離れて、夕食を続けた。今夜はケタルに酒は出せない。ケタルは休憩時間を侍従長代理に伝えると、後の相談はメンキーナに任せて仮眠用の寝床に早々に向かった。
 メンキーナは夫の作った菓子を彼女たちにふるまいつつ、話を続けた。
「輝殿下の祖国では、きっと恋の詩を送るという習慣がないのよ。それでも、彼は姫さまに笛を吹いてもいいと思っているようだったわ。何とかして、姫さまに曲を届けられないかしら? あなたたちから、それが王子の謝罪だと前もって伝えておいてよ」
 ようやく、姫の侍女たちの表情が落ち着いた。ヨセが彼女たちに温かい紅茶を出したら、彼女たちはうれしそうな顔になって口を開いた。
「あたしたちは別に協力ぐらいするわよー。ただねぇ、あの教師たちがうるさいのよね」
 思わず、メンキーナもうんざりして答えた。
「どうにかなんないの? あのトウヘンボクたちは」
「殿下好みの淑女を育てることに躍起になっているのよ……あ! ねえ、聞いてよ! そのことだけどさあ! ちょっと笑えるんだけど、輝殿下の祖国から兄上様がいらしたじゃない? そのピピネ殿下に叱られていたわ。ああ、いい気味ー!」
 姫付きの侍女と教師の間には、海よりも深い溝がある。どちらもプライドの塊のような人種であるが、立場は教師の方が偉いので、彼らは侍女を掃除婦と同様に見下して威張りくさっている。姫付きの侍女たちがこの場所で一番悪口を言いたがるのは彼らである。
 他の侍従には教師のうっとうしさはわからない。
 姫付きの教師は姫と寝食を共にし、マナーから何から全て教えるが、王子や王につく教師はもっと気位の高い学者たちだ。自分の研究室も弟子も持っているなかで、王侯の求めに応じて授業を開いたり、相談に乗ったりするのだが、普段は主からは離れていた。
 だから、一挙手一投足まで監視する姫の教師たちのいやらしさなんて想像がつかない。
 メンキーナは内心、ああ、藪蛇だわ、と思いつつ、ぐったりした顔になる。相談どころか、彼女たちの愚痴に付き合わされる羽目になったと諦める。
 姫付きの侍女はおしゃべりをつづける。ピピネの口調を真似して、胸を張りながら話す。
「姫に発言は許されぬのか。まるでお前たちの人形ではないか! 慇懃も甚だしい!」
「きゃー、似てるー!」
「ねえ、慇懃ってどういう意味なの?」
「ピピネさま、ばんざーい! 教師なんか全部首にしてしまえー!」
「丁寧すぎて気持ち悪いという意味よ」
「大人しい姫なんかつまらないって言われて、あの教師たちが落ちこんでいたわ。ヴァルヴァラって大らかな国なのねー。ウルフェウスさまが自由奔放な理由がわかったわ」
「でも、ピピネ殿下は礼節を重んじる方に見えたけれど……素敵な方だったわよねー!」
「ねー! どちらかというと、ピピネ殿下の方が姫さまの理想に近くない?」
「近い、近い!」
「確かに、言われてみれば……」
 女のおしゃべりはとめどない。メンキーナですら口をはさむ余地がなく、流れていく大量の情報を右から左へと聞き流していた。口の速さでは姫付きの侍女、いや、若い女の右に出る者はいない。彼らの口にカギはついていない。
 しかし、メンキーナは流れていった情報を手繰り寄せ、眉をしかめた。ウルフェウスよりも、その兄の方が姫君の理想に近い? 女の直感が鳴ったとたん、恐れていた台詞が飛び出した。
「あの兄上さまの弟君がなぜウルフェウスさまなの? 血が繋がってないんじゃない? 似てないもの」
「どうして、婚約相手がピピネさまではなかったのー? もー、ざーんねーん!」
「でも、姫さまとピピネ殿下はよい雰囲気だったじゃない? お互いに『あなたを愛したかった』なーんて言っちゃって! きゃはー!」
 メンキーナの顔からスーッと血の気が引いていく。もはや、笑い事ではない。とっさに同じ部屋にいる男の侍従たちを睨みつけ、暗黙のうちに他言しないように求めた。
 今は、姫と王子がもめている最中だ。こんな噂が流れたら収拾がつかなくなる。
 侍従たちは慣れたものだ。最初からそんな話は聞こえなかったというふりをして、そそくさと食事を終え、部屋を出て行く。
 セレナは小さなタルトレットを手にもったまま、ぼんやりした顔でつぶやいた。
「姫さまは……ウルフェウス殿下のことは避けていたのに、ピピネ殿下から夜間の教会へ案内をするように求められたときは、拒絶しなかった……婚約者の、兄上さまだということは……姫さまにだってわかっているはずなのに『あなたに愛されたかった』なんて、婚約者以外に伝えていい言葉ではありません」
 セレナの顔は真っ赤になって泣きそうになった。彼女は険しいかおをして、口を尖らせている。珍しく怒っているようだった。周囲にいた侍女も「そうよねー」と同意した。
「姫さまのことだから、まさか、出会ってすぐに心を奪われたというわけでもないでしょうけれども、少し軽率よね」
「そういえば、近頃の姫さまは少し様子が変わったような気がする。以前はもう少し……慎みがあったと思うのだけれど、ピピネさまに求められた時、あんな風にして走るなんて。走りながらヴェールを落とすほど、我を忘れて夢中になっておられたのかしら?」
「ちょっと! やめてよ、やぁだ! 姫さまが、ピピネさまに? ちょっと、ありえないわよ。あの瞬間に恋に落ちたとでもいうの? 偶然初めて会った人なのに」
 姫付きの侍女の間でも動揺が生まれた。彼らは事の重大さに気がついたらしく、年長者は目つきを鋭くして幼い少女たちに沈黙するように促した。メンキーナも彼らと共に事態の収拾にむけて、気を引き締めた。
 侍従長は事態を理解して、壁から起き上がった。彼は大きな手を打ち合わせ、パンパン、と二回打ち鳴らした。少女たちはようやく不穏なおしゃべりを止め、ペロリ、とかわいく舌を出した。彼らはから騒ぎが起きることを期待しているのだろう。
 姫付きの侍女たちは素早くメンキーナに話しかけた。
「今の話は他言しないで。それから、殿下が仲直りのために笛を吹くというなら、明晩しか時間がないわ。姫が愛している白バラの苑の扉を開けておくように衛兵に伝えておきます。姫さまのお勤めが終わる時間を見計らっていらして」
「……そうするわ。ありがとう」
 メンキーナは冷めた紅茶を一口すすってから、立ち上がる。
 幼い侍女たちは年長の先輩たちに睨まれ、少し落ち込んだ顔で菓子を口に入れていた。だが、そんな彼らとは異なる表情をしている人間がいる。セレナは哀しそうな顔で甘い菓子をぼんやりと眺めていた。その表情はとても苦しそうに見えた。
 メンキーナは彼女に話しかける。
「ウルフェウスさまは、あなたたちの主の婚約者だと理解できているわよね? お二人の仲を裂くようなことをしないで」
 セレナは怯えた顔でメンキーナを見上げた。メンキーナはその顔を見て、言葉を飲み込む。強く睨んでいたら、夫が彼女の肩に外套を着せ、気をつけて帰るように注意した。メンキーナは少しだけ優しい顔で彼を見たあと、調理場を出て行く。
 その後、ヨセに促され、セレナはようやく小さな口を開けて、タルトを一口かじる。
 甘くて苦い恋の味である。


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