二輿物語


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40 大陸一の負けず嫌い




 舞踏会用の衣装が王宮に届けられた。
 ウルフェウスも王に呼ばれ、その場所で職人たちと最後の調整につき合う。執事や侍従らは広間の壁に沿って並んでいるが、基本的には身内だけのくだけた雰囲気だ。買い物好きな王妃が一番楽しみにしている時間である。
 その場所に、今まで隠れていた姫まで出てきた。
 ウルフェウスはそこでいとも簡単に、アリシア姫との目通りが許されたわけだ。忌々しいことに、ピピネが来てから急に全てがうまくいくようになった。あれほど彼女に会うために涙ぐましい努力をしたというのに、あっけない話だ。
 だが、既に二人の仲は相当冷めている。姫と王子は視線も言葉も交わさない。
 王妃は呆れた顔で二人を見るものの、楽しく品物を確認する。王も妻の行為を諌めたりはしない。国の行事のための買い物で、予算内で行われていることを執事から聞き、彼女の自由にさせていた。
 ウルフェウスの衣装代は後日ヴァルヴァラに請求が行く。王子は請求される金額を簡単に確認するとケタルに放り投げるようにして渡し、文書を作るように命じた。執事がすぐに傍に来て、その金額を書き取り、融資の貸し付け条件と返還宛の住所を告げた。王子は簡単に頷いて、ザヴァリア王から当座の金を借りることに同意する。
 ピピネは弟が作った衣装を厳しい目で確認していた。
 不必要な肌の露出がないか、禁忌とされている色を用いていないか、異母弟が肌につけている首試験用の紋章が外にさらされる危険はないか、危急の事態に陥った時でもすぐに走って逃げられる形状か、万が一刺客に襲われたときのために懐刀を隠せる衣類かどうか。既に、布地に経皮毒がしみ込んでいるようなことはないか。
 無言のうちに彼はそんなことを考えつつ、襟元の縫い合わせを確認したり、布地の厚さを確認したりしていた。兄の動きの意味ぐらい、弟には理解できている。ウルフェウスは「一度着てくる」と彼に告げた。ピピネは衣類を弟に渡して、うなずいた。
 王子は衝立の中に入ると、さっさと衣類を脱いで裸になる。職人が「失礼いたします」といいながら、従者と共に中に入って着衣を手伝った。衝立の上に投げ出される衣類の姿を見て、アリシア姫はそわそわしていた。不穏な様子で顔が徐々に赤くなる。結婚してから見ることになる、彼の裸を想像しているのだろう。
 ザヴァリア王も王子の動きが気になるらしく、衝立を見つめてピピネに話しかけた。
「ヴァルヴァラではみな、王子のように背が高いのだろうか。ウルフェウス王子に私の礼服を貸そうと思ったが、全く、大きさが合わぬ」
 そして、朗らかに笑って「いい体をしておる」と褒めた。王の言葉を聞いて、姫は真っ赤になってしまった。王妃は含み笑いをしたまま、無言だ。
 ピピネはこの場所に女性がいるという状況を確認しつつも、肉体的な話題に応じることにした。そこは兄が弟を自慢できる唯一の美点でもあるからだ。
 兄は少しとぼけた口調で話した。
「子どもの頃は小さくてかわいい男でしたが、今では憎らしくも兄弟の中では一番たくましい体になってしまいました。戦で成長させられてしまったのでしょう」
 彼の言葉を聞いて、ウルフェウスが衝立の中で笑った。
「俺は小さい方がよかったかもな。今は弓で狙われやすい大きさになった。最近は競馬で部下に負ける。体が重くて、前に出られなくなった」
 王は機嫌よく笑って、王子に答えた。
「しかし、ここから国境までの距離を数日で走破したそうだな。そなたの馬は速かったと聞いたぞ。誰も追いつけなかったと」
「はは。初めてで、びっくりしただけさ。すぐにあいつらも俺の前に出るようになる」
「乗馬は好きか、ウルフェウス」
「うん……大好きだ。本当は毎日乗りたい」
 言いながら、彼は衝立の奥から出てきた。長さの不揃いな黒髪は縛られていないが、さらさらした動きで、艶やかな光が毛先まで通っていく。上着のボタンをつけたり外したりしながら、鏡の前に歩いていく。職人たちは腕に待ち針をつけたまま、彼の後を追いかけ、袖口や裾の長さ、上着の身丈を確認した。背中の形に沿って、指を滑らせ、肩甲骨のあたりで首をかしげる。手のひらで肩周りの形を整える。
「肩周りはきつくありませんか?」
「お前たちがきつく作ったんだろう? 俺を暴れさせないために」
 ウルフェウスはにやりと笑って腕を上にあげる。職人たちは巻き尺を伸ばして袖の長さと手首までの長さを確認し、少し困った顔になる。王子の体はわずかな時間に変化していた。腰の肉はとれ、肩に肉がついた。太ももの太さも変わっている。
 もともと、体型に合わせて包み込むように成形しているので、一か所が崩れると全て直しが必要になってしまう。それでも、素早く直しの計算をして、職人は王子に上着を脱ぐように言った。ウルフェウスはその場で上着を脱いで、彼らに手渡す。
 目の前で、素早く糸を切って袖を取り外し、縫い合わせの布をアイロンで固く伸ばしてから再び折り曲げた。王子の体にあわせて、肩周りも大きなアイロンで熱と圧力をかけながら伸ばす。袖の長さを調整し、再び仕付け糸で衣類の形を整えていく。
 ウルフェウスはブラウスを羽織っただけの姿で、職人たちの仕事をじっと見つめていた。
「すげー……この国の服は、そんなにたくさんの布を継ぎ合わせて作るのか? ここは服飾の先進国だな。ヴァルヴァラでこんな服を作れる奴はいないだろう。ふふ……」
 王子に褒められて、職人たちは急に笑顔になった。今まで、デッサンでは王子に何度もやり直しを命じられていただけに、彼らの歓びはひとしおだ。キラキラした目で針の先を見つめる。
 王妃も新着のドレスの直しを命じつつ、義理の息子に話しかけた。
「王子、あなたは足も大きそうね。靴のサイズは大丈夫なのですか? 明日はたくさん踊っていただきますからね?」
「えー?」
 ウルフェウスはうんざりしつつも、義理の母と目が合うと、照れくさそうに足元を見る。作りたての靴は履き慣れないと思っていたが、下布がつけられているのか、柔らかく足を包むようだった。少し飛び跳ねてみたが、指先に痛みがない。国内でも最高の職人に作らせたのだろう。違和感なく、今まで履いていたことに気づいて「ぴったりだ」と声を漏らした。
 王妃はその言葉を聞いて、ふふ、と嬉しそうにほくそ笑んだ。
 ウルフェウスは子どものように何度も飛び跳ねて、笑顔になった。彼は興奮した様子でピピネを呼んだ。
「兄貴! すげー、これすげー! お前も土産にここで一足作ってもらえ。この靴職人が欲しいっ! ヴァルヴァラに連れて帰りたい!」
「わかったから、バカみたいに飛び跳ねるな。恥ずかしい奴だ」
「これって、何の皮なんだ?」
 ウルフェウスは突然、その場で靴を脱いで中を覗き込む。ピピネは大きな咳をして、彼を諌めようとしたが、無視される。外皮は蛇と水牛、内張りの布は兎だ。複数の皮を用い、木製の靴裏の上にコルクを敷いて足裏の衝撃を和らげている。細かい技術を駆使した芸術品だ。ウルフェウスは靴を眺めて「へー」と感心した。彼の祖国では、麻で編んだサンダルか木靴が一般的だ。ヴァルヴァラでは一枚張りの皮で作った靴は高価だが、ザヴァリアでは誰でも履いている。北部地方や山岳地帯では、冬に毛皮のついた長靴も履く。
 王は王子の動きを見て上機嫌だ。ザヴァリアにも彼らに誇れるものがあることがうれしい。王はピピネに「私からあなたに靴を一足送ろう。足の型をとらせていただきたい」と話しかけた。ピピネは恐縮しつつも、嬉しそうな顔をして立ち上がる。
 姫は王の傍でそわそわして、黙っていた。王が彼女に「お前も欲しいのか?」と問いかけたが、姫は首をふって「今はいりません」と答えた。アリシアはウルフェウスを気にかけていた。楽しそうな彼の笑顔を久々に見たのだ。彼女は目を輝かせて、頬を染める。
 王は彼女にそっと耳打ちした。
「アリシア、お前は乗馬ができるようになったそうだな? 王子に教わったのか?」
 アリシアは真っ赤になって「違います」と答えた。兵士たちが代わる代わる根気よく、馬の世話や性質を教え、乗り方を教え、手綱のさばき方を教え、腰の動かし方を教えた。だが、それを口にすることはためらわれた。今の姫の教育に乗馬は入っていないからだ。
 しかし、王は叱らずに「よくやった」と褒めた。
 父親に叱られなかったことで、姫は緊張がほぐれた。王を見つめて瞬きをする。王は嬉しそうに「王子と二人で遠乗りしてきなさい」という。アリシアは真っ青になって「いやです」と言いながら、その場を立ってしまった。
 突然、彼女が大きな声を出したので、部屋はしんと静まった。
 ウルフェウスは王と姫をふりかえる。彼はきれいな水色の瞳で静かに二人の動きを見ている。彼の顔に怒りはない。穏やかな表情だ。しばらくして「何か問題か?」と口にした。
 アリシアは彼に見つめられていることに耐えられなくなり、その場を逃げだした。ウルフェウスを避けるようにして、部屋を横切り、真っ赤な顔をしたまま飛び出してしまう。
 兄がすぐに弟の肩を叩いて「おいかけろ」と命じたが、ウルフェウスは手に持っていた靴を床におき、再び履いただけだった。職人をふりかえり「上着はできたか?」と知らん顔で話しかけた。
 ピピネは呆れた顔で素早く耳打ちする。
「意地を張っていないで、早く仲直りして来い」
 ウルフェウスは疲れた顔になり、兄に答えた。
「意地は張っていない」
「嘘をつくな」
「彼女の準備ができていない……そういう顔だっただろ? 放っておけ」
 彼の言葉を聞いて、王妃が盛大にため息をついた。ピピネはすぐに「配慮の足らぬ男で申し訳ありません」と謝ったが、彼女は「いいえ、王子の言うとおりです」と儚く笑う。玉座の上で、王も悩ましげなため息をついていた。
 王妃は侍女に美しい宝玉を身につけてもらいながら、鏡の中で口を動かした。
「王子はアリシアにとって、とても気にかかる男性なのです。でも、不器用な娘で、好意を認めることがまだできないの。私の教育が悪かったのだわ。しとやかに育てすぎました。内気で、弱虫な女性になってしまったわ」
 ウルフェウスは仕付け糸で再成形された上着を羽織りながら、姫が走って行った方向を見つめた。麗しい彼の瞳の動きを見つめ、職人たちはそっと「恋に恥らう乙女は素直になれないものです」とささやいた。王子は答えることなく黙っていた。
 王妃は美しいドレスと装飾品を眺め、機嫌の良い笑みを浮かべつつ「ウルフ」と親しげに呼びかけた。ウルフェウスは王妃をふりかえり、アリシアによく似た金色の髪を見つめる。その人がこれから自分の母となる人だ。
 王妃は軽やかに回りながら話した。
「すぐに手に入るような女はつまらないものよ。あの子に拒否されたと勘違いしないでくださいね? 私の娘に愛される覚悟はありまして?」
 王子は王妃に向き合って腕を組んだ。ウルフェウスは少し困った顔で黙っていた。あの姫をこれからどう扱っていいのかと途方に暮れる。
 王妃はそんな彼の前で、楽しそうな笑みを浮かべて、くるくる回っている。年齢の割に無邪気で美しい女性だ。それが、あの姫の母上なのである。ウルフェウスは王をふりかえり、仲の良い夫婦であることを実感する。王は王妃のダンスを見守り、目じりが下がっていた。愛しくてたまらないという顔である。
 いつか、自分もアリシアとそのような時間を過ごすようになれるだろうか。
 この、平和で穏やかに優しい国で。
 王妃は動きを止めて、ウルフェウスの傍に来た。少し心配そうな顔で続けた。
「もう、アリシアのことは諦めてしまいましたか? 興味をなくしてしまいましたか?」
 王子は気持ちを入れ替えて、義理の母に笑みをみせた。不思議なことに、冷めかけた姫への気持ちは、王妃や王の穏やかな笑みによってよみがえっていた。
 彼らと家族になりたい、と改めて思ったのである。
 ゆったりした気持ちになり、ウルフェウスは王妃に答えた。
「俺は大陸一の負けず嫌いだ。諦めるという言葉を知らない」
 彼はそっけなく彼女に背中を向けたが、王妃は嬉しそうに「そうですか」と笑った。


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