二輿物語


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41 から騒ぎ




 侍女たちの準備室では、翌日の舞踏会の支度が進められていた。姫は午後には大人しくマナーの復習とダンスレッスンを受けていた。その間に、彼女たちは姫が舞踏会で身につける衣装のチェックをしたり、ネックレスや靴の確認をする。
 アリシア姫の衣装は、ヴァルヴァラからウルフェウスが贈ってきた品を用いることになっていた。たとえ、王子がその品々の詳細を知らなくても、それが婚約者に対する礼儀だ。彼が好む女性像はその装飾品の中にヒントが隠されているもの。彼に服従する姿勢を初会で示すのが妻となる女の礼儀である。
 しかしながら、王子の来城は予定外のもので、慌てて準備をすることになった。本来ならば、これらの品々は婚約式で列席に披露するのだが、彼の早すぎる行動が原因で舞踏会において披露されることになってしまった。招かれる国内の有力貴族たちも、王の求めに応じ、大急ぎで出席の支度をしていたことだろう。
 王子の好奇心で始まった来訪だったのかもしれないが、実は大迷惑な話だ。
 しかしながら、そんな風に振り回されることはあまりない。非常識ではあるが、慣れた大人からすると己の腕を試されているように感じられるものだ。どんな無理な注文であろうとも、応えるのがプロである。そして、城内の侍女たちは見事にその課題をこなし、王子が贈ってきた品々を使って、姫のドレスや装飾、髪飾り、靴もそろえてしまった。教師たちも舞踏会当日に間に合わせて、姫の教育を徹底させ、どんなダンスでも踊れるように躾けた。
 王子の人柄を知ったあとでは、その努力も泡となったように感じられるのだが。
 侍女たちは手をうごかしながら、おしゃべりをしていた。
「あー、姫さまが気の毒ー、なぁにー? あの王子の態度はー? 姫さまは泣きそうな顔をしていらしたのに『放っておけ』ですってよ? やっぱり、あの方は悪魔よねー、冷酷よねー」
「さすがは鮮血刃の悪魔。本当に悪魔のように冷たーい」
「いくら冷たい男性とは言っても、少しぐらいは配慮というものがあるべきじゃない? 姫さまはあの方の妻となられるお方なのよ? ひどいわー。あれでは、お前が泣いていたって知るもんか、と言っているようなものじゃないの。普通は慰めるために、追いかけるよねー? 二人きりになって、優しい言葉をかけてくれたら素敵なのにー!」
「その後、いちゃいちゃできるよね。ラブラブになれたのに」
「そうそう」
 少女たちのおしゃべりを睨みつけ、年長の侍女が彼らを叱る。
「こら、口よりも手をうごかしなさい!」
「うごかしてまーす」
 少女たちは姫の装飾品を磨きつつ、しれっとした顔で答える。生意気だが、確かによく手は動いている。年長者たちは、ふー、と大きな息を吐きながら、自分の仕事を続けた。
 周囲を守る衛兵は、ボソッと独り言のようにつぶやいた。
「本当に、殿下が悪魔だったら、姫さまの態度に怒り狂って殺されてるぜ」
 その衛兵は王子が夜な夜な姫の在所を探して、歩いていたことを知っている。彼の好意を無視しているのは姫の方だ。王子は彼女に近づくための努力を惜しんでいないが、姫はその思いに応えることなく逃げ回っている。そういう女性をいつまでも追い続けるほど、件の王子は暇な男ではない。ただ、それだけのことだ。
 男の目で見れば、王子の態度はもう十分すぎるほど譲歩しているように見えた。
 この上、泣きそうだから追いかけて来て慰められたいとは、女のわがままも度が過ぎる。もう子供ではない。婚姻相手になるかという大人の女性が相手なのだ。放っておけ、という言葉で終わらせた王子のバランス感覚の方が大人に見えた。
 だが、女性たちは彼の言葉を聞き流し、軽く睨んで黙らせた。この場所で姫の悪口を言うとは、その衛兵も命知らずだ。侍女を通して、あることないこと王に報告されれば、罰されるのは確実だ。その衛兵はさっと視線を外して、姿勢を正した。
 セレナは舞踏会の衣装を大事に箱の中から取り出して吊り下げる。刷毛で軽く汚れやほこりをはらって、形を整え、皺を伸ばした。防カビ用に入れていたハーブの屑を落としつつ、気になる匂いを天日で消す。
 彼女の隣で髪結いを担当する侍女が髪飾りと小さなピンをそろえつつ、口を開いた。
「政略結婚でも婚約を覆した例はあるみたいー。情勢に応じて、相手を変えることもよくあるしぃ、好きな人を愛人にして傍に置くことを求めたら、相手の方から断られたりぃ、家族の顔合わせでご親類の方々を見て、別の人に急遽変えたりぃ」
「姫さまは一人娘ですもの。他の方に譲ることはできないわ」
「あら、ウルフェウス殿下は五番目の王子でしょ? 皇太子殿下以外の王子と縁談を持てばいいのよ。ピピネさまは二番目でしょ? ちょうどいいわ」
 セレナはその言葉にドキドキして手が止まった。アリシア姫は本当に、あの夜、ピピネのことを好いただろうか。彼女はウルフェウスとの婚姻をやめて、ピピネを選ぶだろうか。
 二人の婚姻を覆せるのだろうか。
 再びその話題が出たら、年長の侍女が「んんんっ!」とすごい剣幕で咳ばらいをした。衛兵も困った顔で聞こえなかったふりをするが、周囲を見回して、他に聞いていた人間がいなかったかと警戒した。
 セレナは赤くなったまま黙っていた。セレナと同室にいる侍女は靴を磨きながら話す。
「呆れるー。ウルフェウス殿下の何が気に入らないの? あてつけのようにピピネ殿下を宛がうつもり? そういう道ならぬ恋を強要しないの。見ている他人は楽しいけれど、ご本人は苦しむわよ? ピピネ殿下には奥様がいるって聞いたもん。御愛妻ですって。殿下は浮気なんて絶対しそうにないと彼の侍従から聞いちゃった」
 セレナをはじめとする侍女たちの目が突然覚めた。彼らは一斉に「えーっ!」と残念そうな声を上げて、嘆いた。実のところは、ウルフェウスが気に入らないとか、姫が可哀想とか、三角関係を期待しておしゃべりをしていたわけではない。
 見目麗しい二人の王子が独身だと思って楽しんでいたのである。ウルフェウスに気に入られても困るだけだが、ピピネに見初められれば、大国に連れて行ってもらえるかもしれない。王族との道ならぬ恋に夢をみるのは、つまらない日常から抜け出したいからだ。
 姫をピピネとくっつけるつもりは毛頭ない。だが、姫を彼の傍に行かせれば、姫に侍っている自分たちも彼に会える、というわけである。恋を夢見る少女の浅慮である。
 急に少女たちの目から光が失せる。ウルフェウスほどの美形ではないにしろ、ピピネは大人っぽくて魅力ある男性だ。知的で穏やかな性格をしていて、女性の扱いにも慣れているような気がした。それが、既に他の女性のものと知った途端にやる気が失せる。
「つーまんなーい、つまんない、つまんない」
「手をうごかせー、働けー」
 年長者たちは少しほっとした顔をして、彼女たちの頭をポンポンと叩いて回った。
 衛兵は笑いを押し殺して、彼女たちから顔をそむけた。歪む表情を必死でかみ殺して、平静を装うが、少女たちは「むかつくー!」と彼に八つ当たりをしてきた。
 セレナは少し落ち込んだ顔でため息をついた。
 姫がウルフェウス以外の王子と結婚できる可能性は低そうだ。しかしながら、わずかに見えた可能性によって、彼女は自分の気持ちをきちんと認識した。
 彼のことを好きなのだ、と。
 王子が姫に冷たいと聞くと、心のどこかで安心した。彼はもう姫のことを嫌いになったかもしれない。姫が失敗すればするだけ、王子との距離が開いていくことがうれしい。二人が結婚することは政略上仕方がないもの。でも、彼の心はどうだろうか。
 彼は姫に呆れているようだ。もう、女性として興味を持っていないだろう。
 彼の心を得ることはできるだろうか。
 妻として、彼と結ばれることがなかったとしても、彼に愛されることはできるのではないか。秘めた恋人として思いを通じ合わせることはできるのではないか。
 そんな夢をみてしまう。
 主と一人の男性を巡って争うなんて、そんな大それたことができるわけがないと思いつつ、その可能性を捨てられない。セレナは苦しく思いながらため息をついた。
 同室の侍女はそんなセレナを心配そうに見つめていた。一番長く傍にいるので、彼女の異常はすぐにわかる。そのため息が恋煩いであることぐらい、女ならすぐにわかる。
 彼女はイライラしながら続ける。
「バカな夢を見てるんじゃないわよー。そんなに簡単に愛されるわけがないじゃない。相手は王侯なんだからね! 姫さまよりも美しい女なんて、いくらでも見ているに違いないんだから! 女を見る目は肥えてるわよ、きっとー!」
 彼女は少し怒り気味にそんなことを言って、靴を箱の中にしまった。彼女は同室のセレナには欠片の夢も見せたくなかったのである。セレナが深く傷つく前に、諦めさせたかった。だから、きつい言葉で諌めたわけだ。あんたなんて全然ふさわしくないのよ、と。
 直後、彼女の周りにいた侍女たちは真っ青になって、ひれ伏した。セレナたちも部屋の入り口を見て、おびえた表情に変わる。
 アリシア姫が入口で立っていた。授業が終わったのだ。
 最後の台詞を叫んだ侍女は血の気がすっと引いて、慌ててその場にひれ伏した。王子は姫よりも美しい女を見ている、なんて失礼も極まりない言葉だ。その台詞を聞かれてしまっただろうか。いや、絶対に聞こえていただろう。彼女はその場で懲罰を覚悟して、涙目になった。ぶるぶると震えながら小さくなった。
 アリシア姫は淡々とした様子で口を開いた。
「あ……明日の……支度は? 滞りなく、進んでいますか?」
 姫は感情の高ぶりを我慢して、平静を保とうとしていた。侍女たちの話は聞こえなかったというふりをして、懸命にふるまっていた。だが、今にも泣きだしそうだ。瞳に涙がたっぷりたまっていた。
 主が必死になってその場に立っていることを、年長の侍女は感じ取る。姫をこの場から逃がすための言い訳を考え、丁寧に答えた。
「はい、姫さま、こちらの部屋の支度は全て滞りなく。あとは、侍従長から当日の管理表を受け取って、仕事を割り振るのみでございます」
「そうですか……」
 姫はそれ以上何も言えなくなって、ぼんやりしていた。傍にいた衛兵が「侍従長の部屋にご案内申し上げます」と言って、彼女を促す。姫は黙って彼の後をついていった。かろうじて、姫が泣き崩れるさまを侍女たちに見せることは防いだが、姫にはその後も涙を流せる場所も時間もない。それはどれだけ苦しいことだろうかと侍女たちは考えた。
 もっとも酷な言葉を舞踏会の前日に主に聞かせてしまった。
 姫よりも美しい女を知っているから、王子は姫を選ばない、とでも思ってしまっただろうか。見た目の美醜が理由で恋を拒否されたら、できる努力はもう何もない。見た目の造詣は生来のもの。生まれ落ちたあとで何とかできるようなものではないからだ。
 そんな残酷な恋の話はない。
 それでも、一般的に見て、アリシア姫は美貌には恵まれた女性だった。そのことは彼女にとって、一つの武器になるはずだった。それなのに、彼女の自信を失わせてしまった。それも、婚約者と仲たがいしているこの時期に、だ。王子が姫に冷たい理由を、姫の見た目が気に入らなかったからだと誤解されるような言葉を聞かせた。
 姫はこの後、王子とどのように仲直りしたらいいのか。彼女は王子の愛を得るために何をすることが許されるのか。自信を奪われた女性が、男性の前に出ることはできるのか。
 今日の明日で、そんな勇気がどうしたら出るというのか。できるわけがない。
 でも、姫に舞踏会を欠席することは許されない。国内の貴族たちと共に、国賓を迎えなくてはならない。それは外交の一部なのだから。
 姫が部屋からいなくなると、侍女たちが恐怖のあまり泣きだしてしまった。彼女たちは姫に罰されることも、姫に嫌われることも、姫を傷つけたと認識することも怖くてどうしようもなくなってしまった。彼女たちだって、本当は優しい姫のことが大好きで、彼女を傷つけようなんて思っていない。ただ、ちょっとしゃべりすぎただけだ。
 少女に特有の天真爛漫な無邪気さは、美徳にはならない。時に厄介な悪である。
 年長者はそんな彼らに同情することもなく「あなたたち、わかっているわね!」と就寝前の懲罰を無慈悲に告げた。姫を傷つけた台詞を口から出した少女はもちろんのこと、ピピネと姫のありもしない噂話を楽しんでいたものも、みんなまとめて罰することに決めた。こうなったら連帯責任である。今晩の食事は全員抜きとなった。
 懲罰の許可を侍従長からもらうため、最年長者がその部屋を出ていく。彼女は姫を心配して駆けていった。ウルフェウスの侍女、メンキーナと共に王子と姫の仲直りの手順をつめていたというのに、少女たちは余計な問題をさらに広げてくれた。彼女は走りながら「むかつくのはこっちよー」と少女たちに密やかな悪態をつくのだった。


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