二輿物語


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43 策略と奇襲




 舞踏会の前日は、城下に暮らす商人たちが次々と来城し、必要な食材や特級酒、王子の土産に用いる特産品、照明器具と燃料、花木、衣類や装飾品などを卸し入れにやってくる。城門が大きく開かれ、門兵らもさすがに隙のない警戒ぶりだ。やってきた荷車の中を確認し、商人の身元を証明する同業者組合の証書を書面に控える。
 その仕事を見学してから、異国の王子らは数名の従者と共に城外へと遊びに出かけた。久々に騎馬を許され、ウルフェウスの機嫌はよくなった。ピピネは弟の背後をゆったりとついていきながら、城門をくぐって街へ向かう。
 二人の王子はつばのついた帽子で顔を隠しつつ、身軽な狩姿だ。王侯らしい豪華な装飾品を隠して民に紛れた。
 ウルフェウスは少し背後をふり返り、兄に声をかけた。
「兄貴、疲れはないのか? 無理してついてこなくてもよかったのに」
「お前こそ、ミタルスクから戻ったばかりなのだろう。明日は公式行事だ。早駆けで遊ぶことは許さんぞ。万が一にも怪我をしたら面目が立たぬ」
「はぁー……最強のお目付け役だぜ」
 そんなことを言いながら、ウルフェウスは兄の前方を進んでいく。祖国で彼は軍の最高責任者だ。王宮の警備や辺境を守る兵士らの配置、公式行事に出席する王子の警護は、全て彼の仕事である。兄の警護はもう自然に身についている。
 来訪中、国賓に自由になる時間は少ない。ピピネは王宮についてから、昼も夜もなく接待を受け続けている。だが、今日はさすがに昼の正餐への出席を辞退した。弟と二人でのんびりと過ごしたい、と王に詫びを入れていた。短い滞在期間中に相手方の接待を拒否するのは無礼なことだ。長期滞在ならそんなことも許されるが、王子の滞在は国費を使って行われるため、通常、わがままは許されない。だが、ピピネは王に理由を告げて、無礼を承知で弟と二人の時間が欲しい、と求めたのである。その理由とは、アリシア姫との仲たがいについて話し合うため、である。王は反論することもなく、その理由を認め、午後の付き合いも全て白紙にしてくれた。夕方まで兄弟二人でのんびり過ごすことにした。
 兄弟で過ごす時間は気を遣わなくてすむ。ピピネは集団の中央で守られつつ、のんびりと街の見学をした。弟の傍で命の危険を覚えることはない。帯剣していなくても、弟の武芸達者ぶりは知っている。彼に命を預けて、滞在を楽しむ。
 ピピネは弟の背中を見ながら、すぐ傍にいる侍従に話しかけた。
「例の話……あいつの耳にはまだ入っていないのか」
 ピピネの馬を導いていた侍従がかすかにうなずいて「今のところは」と答えた。彼が気にしている例の話とは、侍女たちが噂しているという不義の話だ。昨夜、寝入る前に侍従たちが真っ青な顔でやってきて、ピピネに知らせてくれた。まさか、外国で自分が妻以外の女性と、いや、未来の義理の妹とそんな噂を流されるとは思ってもいなかったが、侍従らの警告を無視した結果だろう。夜間に女性を相手に二言以上の会話を求めれば、この国では愛を表現したことになるのかもしれない。彼は素直に反省して彼らに詫びた。
 幸いにして、王の耳に入る前に、ピピネは行動を起こすことができた。王に手紙を書き、城内で流れている噂話の相談をしたのである。こんな噂話が祖国に伝われば、妻が苦しむことになる、と。彼は素早く対処を取って、王の協力と理解を求めた。そして、王からの返答で、弟と共に商人らの謁見に出席することを許された。その場所に姫も同席させ、二人の仲をその場で取り持つように計画したのである。とにかく、これ以上二人が仲たがいを引きずると、予期せぬ事態に陥りかねない。
 だが、姫は先述のように頑なである。
 その理由も、あの夜の姫を取り巻く環境を理解すれば、何となくピピネには理解できる。しかし、弟は全く理解できないだろう。表現の自由を奪われている姫の苦しみなんて。
 ピピネに侍る男は話を続ける。
「今宵、ウルフェウス殿下の侍女が、二人の仲を取り持つための計画を案じていると聞きました。王子が姫に笛を演奏して愛を告げるとか」
「ふん……今までしたことのない求愛行為を、あいつにできるものか。笛なんてまどろっこしいことをせず、直接自分の言葉で伝えようとするだろう。そうなったら、また元の木阿弥だ。きっと、姫はびっくりして逃げるだろう。下手をすれば、女性を傷つけるような無礼な言動で喧嘩するかもしれん。そもそも、あいつの笛は自由すぎる。吹くかどうかを決めるのは、その時の気分だ。気分の良い時しか聞かせてくれない」
「では、いかがしますか」
 ピピネは知的な瞳をきらめかせて、考える。少なくとも、この国の侍従よりは弟のバカぶりを理解できている。姫が男性から愛を告げられたがっていることは、その侍女の計画から伺える。しかし、求愛の苦手な弟に無理強いをさせても、姫が満足できる結果にはならないだろう。そもそも、弟は既に求愛を終えているつもりなのだ。姫が動かないので、弟は彼女が何を考えているのかがわからずに不安になっている。
 これ以上の欲しがり屋は迷惑だ。与えてもらうばかりが求愛ではない。
 ピピネは馬上で腕を組んで、弟の背中を見つめた。その背中がふと動きを止めた。ウルフェウスは背後にいるピピネを睨むようにして、視線を向けた。ピピネはにんまり笑って、彼に声をかけた。
「聞こえたか。相変わらずの地獄耳だな」
「ばーか。聞こえるように話しているくせに。お前のそういう腹黒い部分が俺は嫌いだ。仲直りならしてやるから、俺と姫のことはもう放っておけ……下手にかき回すな」
「ふふ。私と一勝負するか、ウルフ」
「絶対に嫌だね。絶対に、絶対に、絶対に」
 ピピネとの対戦では先制攻撃以外では勝てる気がしない。正当にぶつかれば、策略によって負けるに決まっている。兄に勝つには奇襲しかありえない。ウルフェウスは彼を睨みつけ「絶対に何もするな!」と怒鳴った。
 兄は余裕の笑みで「では、やめておこう」と応え、馬を彼の前に出した。ウルフェウスは大きなため息をついて「やってるじゃねーか」と言いながら、彼の馬の手綱を引き、背後に下がらせた。前に出てくるな、と無言で指示をして、周囲にいる侍従たちを睨んだ。
 ウルフェウスはピピネに話した。
「俺の前に出るというなら、早駆けでこの国から出て行く。黙って、俺の背後にいろ」
「お前は何と幼稚な子供なのか。敵前逃亡か?」
「だから、そういう無意味に煽るような真似はよせ。兄貴は俺をバカだと思っているんだろう。けしかけられて、笛を吹くと思ったか、彼女の前に膝をつくと思ったか、愛を告げると思ったか。お前の目には俺がそんな短慮な男に見えるのか!」
 怒らせても、もう弟は簡単には動かされない男に成長したようだ。少なくとも、兄にはそう思われていたいようだ。彼をそれ以上怒らせても、仕方がない。ピピネは「誤解だ」と笑う。弟は不機嫌な顔で前を向いてしまった。
 ピピネはウルフェウスの後を追いかけて、話しかける。
「私は妻と逢引というものをしたことがない。彼女を国に招聘した後、彼女は引きこもっていたし、私も無理やり会いに行ったことがない」
「悪かったな。俺は無理やり会いに行こうとして」
 嫌味に聞こえたらしく、弟は口を尖らせてふくれてしまう。叱るつもりではなかったのだが、いつもの癖で彼を責めるような言い方をしてしまったらしい。
 ここで兄弟喧嘩をすると話が進まない。兄は弟の反応を無視して続けた。
「結婚してから……彼女に会えるのは、当たり前になっていた。だが、一度だけ、彼女が私の前から姿を消したことがあった。子供を連れて、勝手に旅行に行ってしまったのだ。最初は何が起きたのか、全くわからなかった」
「後で絶対に惚気につながっていくこの話を、俺に最後まで聞けというのか」
 ウルフェウスはうんざりした顔で空を仰ぐ。寂れた街角を進みながら、市場の姿を探す。馬を駆って逃げたい気分を我慢しつつ、彼は情けない顔になる。
 ピピネはのんびりと馬を進ませながら話を続けた。
「部下に命じて、彼女の居場所を突き止めたあと、どうしたらいいのかと悩んだ」
「……お前のことだから、何とかしたんだろ?」
「お前は、私に不可能はないと思っているのか? 私にもどうしようもないことはたくさんある。そんなに簡単に何でもうまくいくわけがないぞ。妻は絶対に私に会おうとはしなかった。理由なんてよくわからない。後で、その理由を知って、馬鹿げていると思ったのだが、彼女が作ったパンケーキを食べなかったからだと聞かされた。いつの食卓で出されたどのパンケーキだったのかは私にはわからないが、それで、彼女は一週間以上悶々と悩んで、自分はもう私には不要な人間なのだと思い込み、私の前から消えても私は困らないと思い込み、そして、それを確かめるために実行した」
「……愚かだな」
「愚かだろう。女はそういう愚かな思考回路で、男の愛を確かめようとして困らせる」
 王子二人は市場を横切り、ザヴァリアで取引されている品物を見学する。ウルフェウスは馬を止めて、市で民が品物を買う時の行動をしばらく見ていた。硬貨の数と購入手順、売り子が商品を客に渡すまでの動きを確認すると、何も言わずに動き出す。
 市場の大きさや取引商品の置き場所、配置、配水管の位置、同業者組合の場所。
 ピピネも生鮮食品を眺めて「すぐ近くの農場で作られている。朝どりだ」と口にした。ウルフェウスは「郊外に出よう」と兄を誘う。二人は街の外に広がる田園に向かった。
 簡素な門の扉を開いて、街の外へ出た。
 ここは城壁の街ではないが、街をぐるりと囲うようにして堀が作られている。その深さと存在理由を推測しながら、ウルフェウスは「古いな」とつぶやいた。かつて、この地方に流行っていた疫病があったはずだが、何物も防げなかっただろう。意味のない水路だ。
 ピピネは馬を降り、のどかに広がる田園を眺めて、土を握りしめる。保水率を確かめながら「芋がいい」とつぶやく。弟は兄に「素手で土に触るな」と注意した。
 兄は周囲の雑草を引き抜いて、気軽に草笛を作った。それを吹きながら歩いていく。弟も馬から降りて、彼の速度に合わせた。
 草原を渡る爽やかな風を吸い込み、ウルフェウスは話しかける。
「妻との逢引の話はもう終わったのか?」
 ピピネは草笛を、ぴー、と鳴らしたあと、口を離した。兄は憎らしくも「続きを聞きたいか?」と聞く。ウルフェウスは苦笑いしながら「話したいくせに」と促した。
 ピピネは続きを話す。
「何度か、彼女に会うために手紙を書いたり、近くまで足を運んだり、直接話をするために滞在先の館に入ったけれど、彼女は絶対に私に会おうとしない。私もそれ以上続けると怒りのあまり彼女に離縁を叩きつけそうになったので、一度全て棚上げにして退いた。彼女には一人になる時間が必要なのだと思い込むことにした」
「ははは……作り話だろう? 俺の今の状況に合わせて話を作っているだけだろう?」
 ウルフェウスは呆れた顔で首をふりつつ、笑って続けた。
「もういい、もうわかったぜ。俺がバカだったと言いたいんだろう? お前たちがそんな喧嘩をするわけがない……彼女は心からお前を愛しているのに。人前で妻を貶めるような話を、もうするな」
 弟は作り話だと決めつけ、侍従に「今までの話は全部、兄貴のウソだぞ」と念を押す。
 そして「俺が負けてやる」と言いはじめた。照れくさそうに「今夜、謝罪の笛を吹きに行ってやるから、安心しろ」と続け、馬の傍に戻った。侍従の手から馬の手綱を受け取ると騎乗して、兄を無言で促した。さっさと城に向かって、進んで行ってしまう。ピピネは歯向かうことなく、散策を終えることにした。
 草笛を捨てて、土に汚れた手を軽く払う。彼は馬に乗りながら、侍従に話す。
「作り話にしておいてやるか……あいつには素直になるきっかけが必要だったのだろう」
「本当の話でしたか。その後、どうなさったのです?」
「妻と同じことをしてやった。部下に私が死んだと伝えさせたら、泣きながらすぐに戻ってきた」
「ほう……殿下は、やはり策略家ですな」
「それが有効な策だというなら、策略家なのは妻の方だ。だが、私を愛していなければ、そんな噂を聞いても彼女が戻ってくることはなかっただろう。彼女の行動で、彼女が私にどうして欲しかったのかを知ることができた。彼女は私に泣きながら追いかけてきてほしかったのだ。いや……私を泣かせたいと思うほど彼女が傷ついていたことを知った」
 ピピネは馬に跨ると「あいつも姫の気持ちを味わうといい」と言った。
「例の噂をあいつの耳に入れてやれ」
「え? し、しかし」
 侍従は目をパチクリと動かした。例の噂とは、当然のことながら、ピピネが隠したがっている姫との不義の話である。根も葉もない話ではあるが、それを弟に聞かせろという。その後に起きる騒動を予期して、侍従は真っ青になった。
 ピピネは馬を進ませながら話した。
「近づきすぎて、彼女が見えなくなっているのだ。少し彼女から離れるといい。あいつが動けなくなれば、姫が動く……自分の身に降りかかる疑いを晴らすために」
 彼は優雅に馬を動かしつつ、弟の後を追う。兄弟は何事もないように並んで城に戻っていく。侍従にはピピネが何を考えているのか、全くわからない。だが、そんな侍従の戸惑いをよそに、賢兄の予想通り、噂は弟の耳に入ることになる。
 既に、話は城内に広まっていた。一度生まれた噂を打ち消すことは難しいのだ。


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