二輿物語


INDEX
prev

47 情報の暗躍




 ケタルは城内を走り回って、衛兵たちに話しかけた。
「ウルフェウスさまを見なかったか」
 正餐を退いて、部屋に戻ってから、主が消えてしまったのである。今まで、ケタルが王子を見失ったのは、ウルフェウスがミタルスクに行った時だけだ。また、何か嫌な事件が起こりそうな予感がして、彼は青くなった。
 衛兵らは「城壁を見たいと言っておられたので、案内したが」と答えた。ケタルは主を見つけて安堵しつつも「なぜ、城壁なんか!」と怒鳴って、冷や汗が出た。そのまま、外に出てしまっただろうか。
 案内した兵士に王子の居場所へ連れて行ってもらった。
 幸いにして、ウルフェウスはまだ城内にいた。彼は見晴らし台に上り、胸壁の上に座って城外からやってくる貴族たちの馬車を眺めていた。もう全ての装飾品を取り外し、普段通りの身軽な普段着だ。髪結いで隠れていた残バラな黒髪も、華やかな砂金で覆い隠していた睫毛の色も、奇抜な化粧でごまかされていた彼の美顔や美しい水色の眼も元通りだ。
 傍にいた紋章鑑識官が、王子に「侍従が来ました」と告げる。ウルフェウスは眼下をみたまま「んー」と笑っていた。
 ケタルが傍に行くと王子が話した。
「今宵の晩餐は立食……という規模だな。貴族らの馬車が向こうから次々とやってくる。森の向こうに街があったのか」
 王子の傍に控えていたランファルが答える。
「国内の貴族は領地内と王都にそれぞれ屋敷を持っています」
「ヴァルヴァラでもそうさ。郊外にある、あの街の名前は何だ? 距離は?」
「ファータルといいます。早馬で一刻ほどの距離ですね。あの森を抜けると貴族たちの邸宅群が密集して見えてきます」
「きちんと城壁で囲ってあるか?」
「もちろんです」
「古い森だな……あれでは王宮に火の手が上がっても、奴らには見えない。陽樹に変えて、若返らせろ。王の傍に侍らせている意味がないぜ……あ、今はどうでもいいけどな」
 王子は壁から飛び降りると、ケタルに話した。
「晩餐と舞踏会は一続きだろう? 仮面舞踏会だったよな?」
 ケタルは「はい」と応える。ウルフェウスが城を抜け出さないことを感じて、少し安堵した。ウルフェウスはランファルに「もういい。後で名簿を部屋に持ってこい」と簡単に告げて、彼から離れる。紋章鑑識官は深く頭を下げて、退いた。
 王子は素早く城内の警備状況を確認しながら、早足で見回った。普段の王子とは異なるきびきびした足運びと、隙のない視線の動かし方だ。周囲にいる衛兵らも気が引きしまった顔に変わる。
 ケタルは彼と城内に戻りつつ、今夜の会の手順を説明する。
 貴族たちが王宮に全てやってきたら、城門は閉じられる。その後は会が終わるまで、開かれることはない。商人らの荷車が当日に入ることはない。招待状を持たない貴族の馬車は全て追い返されている。
 招待客は王に謁見してから、会場入りを許される。その謁見が始まる時刻は、午後だ。その後に開かれる貴婦人たちの交流に姫が出席し、一度、着替えのために退室する。宮廷が終わってから、大臣たちの支度が始まる。宮廷内で検討している今日の議題は伝え聞くところによると三題のみ。定刻に終わって彼らは大会堂へ向かうだろう。
 日がとっぷり暮れてからようやく晩餐が始まる。
 本来なら、ウルフェウスが姫を迎えに行き、一緒に会場入りするのだが、今日は二人の婚約を公にしないという。ヴァルヴァラから遊びに来た王子ということで主賓の紹介が入る。兄と共に会場入りすることになった。
 ウルフェウスは婚約発表の白紙を聞かされてもそっけなかった。彼は軽く「わかった」と答えただけで、淡々と調理場に向かって歩いていく。
 調理場は既に戦場のように慌ただしい。王子はその様子を野草園ごしに眺めて、通り過ぎた。ケタルを探し当てて、もう一人の侍従がやってきた。彼は王子の無事を確認し、ほっとした様子だ。王子の背後に二人の侍従がついていく。
 王子は「執事と侍従長は?」と訊ねる。ケタルは「忙しいと思いますが」と言いながらも、彼をその場所へ案内した。執事は会場内の装飾品を確認し、侍女たちを連れてカーテンから絨毯からすべての布製品を取りかえさせ、掃除を徹底させていた。王子がその場所にやってきても、知らん顔で仕事を続けている。ウルフェウスは大会堂の周囲に配置された衛兵の数を見ると、素早くその場所を退いた。
「殿下、そろそろ戻りましょう。城内に来客も増えてまいりました。不用意にお顔をさらすことになるのではないでしょうか」
「ん……侍従の確認をしたら部屋に戻る」
 侍従長はウルフェウスがやってくると、おびえた顔でひれふして、昨晩の無礼を詫びたが、王子は簡単に彼の肩を叩いて許してしまった。さっぱりした男だ。ウルフェウスは服飾準備室の中に入り「ここで何をしているんだ?」と侍従長に質問した。
 侍従長は床に膝をつけたまま答える。
「大会堂の中に入る給仕と侍従らの衣装を整えております。男性は左右色違いのタイツを履かせ、すべて同じ色の服を着せますが、その色は直前まで知らせません」
「衛所から閉門の知らせが入ってから決めるのか。間に合うのか」
「掃除婦が全て退城し、宮廷が閉会する時刻は決まっております。夜会を補佐する侍従の人選は既にしてあります。閉門の連絡を受けてから、別室で私が出席を確認し、支度させます。午後の茶会が終わるまでに準備を終えて大会堂に入ります」
「俺や兄貴の侍従も?」
「殿下が奴隷と共に着替えている間に衣装を着替えていると思います」
「ふーん。あ、仮面をつけるのは、正客だけだっけ。侍従が顔をさらして傍にいないと、無礼講になっちまうよな。俺が俺だと証明できるのはケタルたちがいてくれるからだ」
 ウルフェウスは背後にいるケタルたちを見て「お前たちも今日はおそろいの人形か」と笑った。ケタルは正餐で王子たちの変身ぶりを思いだし、微かに笑う。会食中に見せた客たちの戸惑いと態度がおかしかった。彼らに侍っていた者たちも普段のウルフェウスを思い起こし、目を白黒させているのがわかった。思い出すとおかしい。
 王子は「どれがどれだか見分けがつかなくなりそうだ」と言いながら、準備室内の衣装を見つめる。左右色違いのタイツは不格好だが、給仕らの動きをそろえるには効果がある。だが、外部から侵入する不審者はどうやって紛れ込むだろうか。給仕の服を奪うだろう。
 ウルフェウスは歩きながら、侍従長に声をかけた。
「侍女たちから何か噂は聞いているか? 今はどんな噂が流行ってる?」
 王子は少し意地悪な顔でそう聞いた。侍従長は再び落ち込んだ顔で俯きながら「もう噂話は広めさせません」と答えた。王子は軽く笑って部屋を出た。
 部屋に戻る廊下を歩きながら、彼はケタルに話す。
「メンキーナがいないな?」
 ケタルはもう一人の従者と目を合わせて、彼女の居場所をうかがうが、二人とも知らなかった。かすかに首をふって知らないことを確認する。ケタルが「探しましょうか」と聞いた。ウルフェウスは向こうを向いたまま笑う。
「女のおしゃべりを制御できる奴はいねーよ。勝手にしゃべらせておけ。今頃は『ウルフェウスさまが命を懸けたのよー』なんて、くっちゃべってんだろうよ、姫の侍女たちと」
 主の顔はよく見えないがその声は明るい。ケタルは顔をしかめつつ、内心では侍女たちの軽率な行動を罵倒する。もう一人の侍従はウルフェウスに「軽率なことをしないように注意してきましょうか」と聞いた。
 王子は足を止めて、彼らをふり返る。二人の襟首を握りよせて囁いた。
「余計なことをするなよー……俺が姫に愛されているかどうかわかるってもんだろう。放っておけ。姫にふられたら、俺は死ぬ、ということにしておけ」
「は、はぁ」
「それに、どうせふられたら、もうこの国には来る機会もなくなるし、俺の生存の有無なんて誰がきちんと把握できるものか。死んだことにした方がミタルスクも安心するぜ」
 彼はそんなことをさっぱりと話して、再び歩き出した。ケタルは呆れた顔で「我らを担ぎましたね」と王子に声をかける。王子は「今までのお返しだ」と簡単に応える。


 しかして、その頃、ウルフェウスの予想通りにメンキーナは姫の侍女たちを相手に怒りまくっていた。王子の水を汲みに行くという名目で素早く井戸場に走って行くと、姫の侍女たちを見つけて「ちょっと!」と叫んだ。
「昨日、姫さまがバラ園に来れなくなった理由を聞いたわよ! 誰が『王子は姫よりも美しい女を求めている』なんて言ったのよー! しかも『姫はウルフェウス殿下よりもピピネ殿下の方を愛している』とか『夜の教会で愛を誓い合った』とか『二人の仲を嫉妬して、姫の侍女に』……ま、いいわ。とにかく、あんたたちのおかげでっあたしの計画がっ」
「ひっどーい! 濡れ衣よ! そこまでひどい尾ひれつけてないもんっ!」
「尾ひれが盛大についちゃってたわよ! 大臣たちの耳に入った時には!」
 噂とはそういうものだ。人の口から口へと伝わるごとに新たな情報が付加されて行き、最終的には最初の話とは全く変わってしまう。困った噂話とは、多くの人の口を経由して生まれていくもの。そして、多くの人間がその事象に興味を持っているからこそ変わっていくもの。噂話の絶えない対象物というのは、それほど多くの人民に愛されている、ということである。人は興味のない話を口にすることはない。
 このような噂話が広がるのは、彼らが既にウルフェウスを愛しているからに相違ない。
 そして、今なお、噂に怒っているメンキーナ自身もその噂の発起人になってしまっているという自覚がないのだ。井戸場の周囲には、衛兵がいたし、実はその中庭の宙を渡る回廊を正餐に出席した貴人たちが渡っているとは思いもよらぬのだ。
 王族の縁戚らは中庭で始まった彼らの噂話を耳にして、ぞっとしていた。異国の王子の非人間的なふるまいを見たあとに、この話を聞いたので。
 その状態でメンキーナは話した。
「とにかくもう仲直りの話がどうというレベルの話じゃなくなっちゃったんだから! 姫さまが、このまま……このまま王子を選ばないなんてことになったら! うぅっ……うっ……殿下は命をかけちゃったんだからねっ! 殿下は死ぬかもしれないんだからっ!」
「ぅえーっ! なんでぇええー? なんで、なんで、なんで、そうなっちゃうの」
「ばかっ! きっと、それがヴァルヴァラの流儀なのよ! 殿下が死んだら、あんたたちのせいなんだからー……あぁーん!」
「きゃー、もー、やだー! 軍事大国、やだー! 殿下が死んだら、責任とれとか言われて、ザヴァリアが攻められちゃったりするー?」
 侍女たちは事の重大性に驚いて、泣きだしてしまった。メンキーナも泣きながら「とにかく、もうこの際お友達でも何でもいいから、姫さまに殿下へ親しみを伝えるようにお願いして頂戴」と頼み込んだ。姫の侍女も悲壮な顔で頷いていたが、回廊の上でも貴婦人たちが顔を見合わせて頷きあっていた。衛兵らもゾッとした顔になって、そわそわする。
 彼らが大急ぎでその場所を走り出したあと、衛兵たちが「衛所にいる殿下に伝えよう」と仲間内で話し合った。城内の異常を把握するには、彼らの情報網をひとまとめにするのが効果的だ。衛兵は城内の至る場所に存在し、不審な動きを見張るもの。そして、視野が広く、問題が起きたときに誰がその場所にいたのかを理解できている。
 衛兵らの詰所で彼らに協力を要請したのは、王とピピネだった。
 ピピネは既に弟が城内を歩き回って、警護の確認をしていることも、侍女たちが不用意な発言を来客に聞かせたことも知っていた。情報を収集し、その操作法を統一して事態を把握するのは、為政者にとっては不可欠の技術なのだ。
 衛兵らが詰所に連絡を入れに行ったあと、中庭に一人の男性が現れた。
 彼は衛兵に「さすがは詩人が謳うカプルア城」と言いながら、近づいた。その男は道に迷ったと言いながら、彼らに教会の場所を聞いた。衛兵は城内を歩き回るその不審者の名前を控えつつ、場所を教える。
「私の名は、コーネル・ザル・デッピ……ミタルスクから来た使者だ」
 その男はにっこり笑って「よろしく」とつぶやいた。
 衛兵はひきつって笑いつつ「いつからこの場所に?」と冷や汗をかく。使者は知らん顔で「今だけど、どうして?」と答えた。衛兵はそれ以上何も言えずに「教会へご案内いたしましょう」と彼を連れて行った。
 国外から旅客が来る中での不用意な噂話は命取りだ。
 使者は侍女たちの噂話を聞いていたのか、いなかったのか。その男はふらりと歩きながら、楽しげに城内の美しさを堪能する。教会の中に入ると、彼は感嘆したのちに、祈りを捧げる。その様子に安心し、衛兵らは引き上げたのだが。
 彼は祈りの姿勢のまま、不穏な独り言を口にした。
「よいねぇ……夜に、魅惑の美姫と密やかな愛を誓いあうには、程よい暗さじゃない。ここは我が君もお好みになるであろう。逢引の場所としては、悪くない」
 下世話な顔つきで「ふっふっふ」と含み笑いをしたのだった。


next