二輿物語


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49 開幕




 大会堂の中央から前列にかけて、大きなダンスホールが作られた。
 ダンスホールの周囲を囲い、机が並ぶ。上座に王の親類の席が設けられ、少し段がつけられている。壁沿いに大臣席と大貴族が座れる席を用意して、後列には小貴族らが飲み食いできる立食用のテーブルが並べられる。後列の壁の両脇に蒸留酒の樽が並んでいる。
 料理は八種類。片手で口に入れられるように小分けにして並べられる。普段は多くの仕切帳で区切られた空間も、今宵は王の背後を飾る金糸の紋章旗以外は壁がむき出しにされている。細かなレリーフを施した古来の壁装飾を照らすようにして、天井からつりさげられた幾多の照明器具の上に、無数の灯が点っている。天井は幾重にも並行して走る梁が覆う。梁を支える柱頭と筋違に羽のような、蔦のような模様が彫りこまれている。その影法師が天井を複雑な形に染めていく。
 侍従長は衛兵が所定の位置についてから、給仕長と楽団を中に入れ、執事に準備ができたことを知らせる。執事は控えの間にいる王使に会が始まることを伝えた。
 大臣と王が部屋の中に入り、正面入り口以外の扉が封じられた。王の背後に親衛隊が並び、周囲の安全性を再度確認する。
「主賓が一番最後の入場となる。王子はピピネ殿下と共に入るそうだ」
「姫のエスコートはなさらないのだな……やはり、昨夜のことでお怒りだろうか」
 大臣たちは重々しい表情でため息をついた。王は彼らの動きを見て「そなたらは事を急ぎ過ぎたようだな」と責めた。大臣たちは反論することなく、王に頭を下げて謝った。
 王妃は彼らを見て、楽しそうに笑った。
「このぐらいの障害があった方が燃えます……男と女は」
 彼女は麗しい顔をして微笑み「あら、アリシアがまだ来ていないわ」と気がついた。王も娘がまだ来ていないことに気がついた。大臣たちはソワソワしながら「誰か呼んでまいれ」と口にする。
 外務大臣が「遅れて申し訳ありません」と言いながら、自分の席に着く。彼は姫がクロル大使と共に入場したいと言っていたことを、王に告げる。王は「わがままな娘だ」と言いつつも、軽く笑って認めた。クロル大使の入場はウルフェウス王子の前だ。控えの間で彼らは会うつもりなのだろう。今夜、彼を婚約者として紹介されることがなくても、姫は王子の近くにいたいのだ、と理解した。
 王は複雑な思いで、妻の手を握る。王妃は「さすがは私の娘だわ」と小さく答えた。
「王妃よ、婚約の破棄をみなに言いにくくなってきたぞ」
「あら? どうして破棄なんてするのです? あんなにかわいがっていたのに」
「お前には理由を言えぬ」
「あなたは二つ間違えているわ」
 王妃は夫にそう言った。王は大臣たちを見てから、妻の傍に耳を寄せる。部下の前で失敗する前に、賢い妻の言葉を聞きたいと思ったのである。王の求めに応じて、王妃はそっと小さな声で話した。
「まだ、二人は婚約していません。していないものを破棄なんてできませんわよ。それに、二人は恋をしたいと思っているのです。政略上の立場を越えています。もう他人がとやかく口を出せるものではありません」
「恋ぐらいは認めてやろう。だが、私は王子との契約を考え直そうと思っておるのだ。私の能力では、あれの手綱を捌き切れぬ」
「あら、いやだ。私の夫が負けを認めるの? あんな……若造に」
 王妃は口元をほころばせながら「第二の誤りですわ、陛下」と囁いた。小さく「あなたにはそれだけの力があるのに」と続ける。王は困った顔で苦笑いした。
 王と王妃の会話を聞きながら、大臣たちは黙っていた。王は彼らに見つめられていることに気がつくと、執事に「開幕せよ」と命じた。執事が軽く頭を下げて、楽団に合図を出した。華やかなファンファーレと共に、会場の幕は開かれる。
 下級貴族から紹介が始まる。
 執事が一人一人の名前を呼びあげて、招待した夫妻を中に導きいれていく。侍従たちは壁際に並んで、拍手をしながら迎え入れた。華麗なお辞儀をして、彼らは次々と中に入っていく。昼の茶会では清楚な白い正装で慎み深く身を包み隠していた貴婦人らも、夜会では華やかなドレスに着替えていた。後で開かれるダンスのために裾の美しいドレスと、鮮やかな色の靴を履いている。婚約者のいない貴族は両親のうちどちらかに付き添われて入ってくる。寡婦は親類に付き添われて会場入りした。一人で入ってくるものはいない。今宵はクロル大使を労う会ゆえ、大使は妻を呼んでいるはずなのだが、大使の入場に姫が付き添うという。彼の妻は急遽、執事にエスコートを頼んだことだろう。
 男二人で入ってくることは誤りではないが、特殊な場合だ。一人寡になった父親を息子が連れて来る例、異国の使者、男色を好む主義のもの、後見となる親類がいない場合、肉体的な障害があって歩けない場合、侍従や執事が主人をエスコートする。
 ヴァルヴァラでは妻と二人で公式に顔をさらすことは少ないという。それが、為政者にとって弱点となるから妻子の顔を隠す。彼らは入場する際、二人どころか数名の侍従らを引き連れて華やかに登場する。今宵もきっとあの二人の王子はヴァルヴァラ風に侍従を全て連れて両手を引かれつつやってくるだろう。
 先に中に入った下級の貴族らは後から入ってくる貴族たちの名前を傍にいる侍従に控えさせ、拍手を続けながら傍にいる貴族たちに声をかけていた。そうして、社交に必要な情報を得ながら、会場内をどのように動くかを考えるのである。
 晩餐とはいえ、のんびり食べていられるのは、上席に座る王と主賓、大臣、大貴族ぐらいだ。あとの貴族らは立食で腹を満たしつつも、テーブル越しに彼らに挨拶を繰り返し、自らを売り込みにいく。優雅な世間話をしながら、上席に座る主賓や宮廷の最近の動向を探る、というわけである。
 執事は彼らの入場時に名前を読み上げるが、実際のところ、それを最初から最後まできちんと聞いているものはいない。王は既にその前に謁見して顔を知っているし、貴族らも互いの顔と名前を茶会で確認している。それでも、貴族たちは知らない人間が出てくると耳を澄まして名前と顔を覚えた。
 国内の貴族が全て中に入ると、王の親類が紹介される。
 王の親類への拍手と賛美は、それまで表出できなかった自らの王への服従を示すため、代理として盛大に行われる。彼らが入ってくるときは、王以外の人間たちが大臣たちも含めて全て立ち上がって拍手をするので、大絶賛となる。
 王は親類たちが上座につくのを確認してから、今宵の招待客を国内の部下たちに紹介する、という手順である。ここまでの入場で、喉ががらがらになってしまった執事は部下から生ぬるいシロップを素早く受け取り、喉を潤してから、姿勢を正す。
 王は執事にその時間を与えるため、一度時間を取り、列席に話しかけた。
「皆の者、宮廷晩餐会へよくぞ参った。今宵は皆にヴァルヴァラから戻ってきたクロル大使と国外からやってきた使者を紹介しよう」
 最後に、今宵は歌と踊りを存分に楽しむがよいぞ、と続けられるお決まりの口上を聞きながら、幕は一度閉じられる。口上が終われば、王も列席の貴族たちも仮面をつけて、支度を整える。今宵は仮面舞踏会。顔をさらすことのできぬ使者が来るという。ヴァルヴァラの王子に配慮した方式である。
 執事は小さく「あーあー」と自分の声を確認し、幕の背後に客が入ってくるのを待つ。


 大会堂に続く控え間にミタルスクから来た使者、コーネル・ザル・デッピがいた。ザヴァリア貴族たちがほぼ消えるであろう時間帯を見計らって控えにやってくると、簡素な軽食を摘まんで、空腹を紛らわせる。これから、晩餐で食事が出てもどれだけきちんと食べられるかわからない。部下に飲み水を持ってこさせて、飲み干した。
 彼はミタルスクの外交官でザヴァリアとの国交を守る男だ。赤い鳥の羽のついた仮面を被っていた。もう一人、白い鳥の羽の仮面をつけている男性がいる。コーネルはその人物に声をかけた。
「御前、貴方のことを私はどう紹介しましょうかねえ。今度は馬子とも言えませんし」
「紹介は不要だ。お前は私のことを『男娼』と触れ回ったそうだな。無礼な奴め」
「他に何と呼べばよかったのですか。部下ではありませんし、傍にいてほしかったですし」
 コーネルは笑った。白い羽の仮面の人は、ミタルスクの皇太子、アルダバ・サ・タッカ・ミタルスクである。獅子王は舞踏会には出席しないと言いつつも、実はひそかに入国していた。
 彼らは「皇太子殿下」とは呼ぶことができないので「御前」と呼んでいる。そんな呼び方をすれば「秘めた恋人か?」と官吏たちに疑われるのも無理はない。独身の貴族同士で男色を遊んでいると思われても仕方がない。
 いかに美男子であろうと、いかに女嫌いと呼ばれる御大であろうと、それを「男娼」呼ばわりするとはこの男も命知らずである。だが、実のところ、そういう遊行はこの男たちにとっては慣れっこなのである。
 アルダバは控え間のソファに座ったまま、気楽に話した。
「私は宮廷舞踏会なんて興味ないよ……私が会いたいのは二人……アリシア姫を連れ出してくれ。私は先に君が用意した秘密の場所へ行っていよう。間違っても、お前には愛を告げないぞ。姫だ、姫だぞ、間違えるな、金の姫を連れて来るのだ」
「はあ……また、悪いくせが出たのですね」
「何を言う。逢引場所を指定してきたのはお前ではないか。私はウルフェウスの目の前で彼女の手を奪ってもよかったのだがな」
「やめてください。そんなことをしたら今宵は周り中が敵だらけではありませんか」
 全く、おびえることのない獅子を前にして、コーネルは青くなる。外交官は剣で戦う能力はない。わざわざ外国で問題を起こそうという皇太子には迷惑しているものの、ヴァルヴァラからきているという二人の王子の反応は気になる。コーネルは、いやだいやだ、といいつつも、その瞳はその言葉に反してキラキラ輝いているような男なのである。
 昼に姫とピピネの噂話を聞いて、急遽、その場所を利用することにした。
 これから、ピピネの手紙を装い、姫を教会へ呼び出し……あとはアルダバ王子がどうするか、だ。大抵の場合、多くの女性をその場ですぐに虜にして落としてしまう色男なのだが、さすがに神前でそれはないだろうと計算してのこと。
 アルダバは帳を動かして、周囲を見る。盛大な拍手が聞こえてきた。回廊を通って、対面にある部屋へ二人の人間が入っていくのが見えた。従者の数を見る限りでは、王族だ。
「やっと見つけたぞ……私が会いたかった、もう一人の『姫』を」
 しかし、アルダバは二人の王子の白毛の髪結いを見て「ややこしい男だな」と呆れた顔をする。どちらに声をかければ正解か。コーネルはアルダバに話しかけた。
「ウルフェウス殿下にもお目通りしたいのですか? それとも、ピピネ殿下の方?」
「ピピネもいるのか……どちらも気になる……え? 何だと? ピピネが、本当に、あの鬼神が国外にいるのか? 城外にヴァルヴァラ兵はいたか? 護衛は? あの二人を守る男たちは?」
 突然、アルダバは目の色が変わった。ウルフェウスだけでなく、ヴァルヴァラの守護神が二人もそろっている。しかも、ピピネは事実上、あの国にとっては礎となる鬼才だ。彼の首を取れば、ヴァルヴァラは崩壊するに違いない。
 ごくりと息をのんで、アルダバは黙り込んでしまった。瞳に禍々しい光が溢れていく。コーネルは獅子王の変貌ぶりを見つめつつ「いかがしましょう?」と聞く。
 コーネルは続ける。
「平静な御前であれば、我らの人員が不足していることもおわかりでしょうけれども、一矢報いたいというならば、妙案がございます。実は昼に城内を散策しましたところ、姫とピピネ殿下の間に不義の噂があるとわかりまして」
「弟の婚約者に手を出したのか」
「噂の真相は不明ですが、お二人に逢引の誘いを出してみてはいかがでしょう。今の時期ならば『二人であって話したい』と言えば、出てくると思います。ウルフェウス殿下にも、二人が教会へ行くのを見ましたが、とでも囁いておきましょう」
「ふー、つまらぬ。私が姫を口説く隙が消えてしまうではないか。男二人の大ゲンカなんて興味もないのだが」
 しかし、アルダバは部下の計画を吟味して、こう答えた。
「ピピネを呼び出す姫の手紙を……そのままウルフェウスに渡してやれ。ピピネには渡すな。あの鬼神には、そういう姑息なたくらみが通じないらしいからな。だが、あの二人の仲は裂こうではないか……私があいつの前で姫を奪ってやろう。ピピネの代わりに」
 美しい笑みを浮かべてそう述べると、その美男子はさっと帳の向こうに消えた。コーネルは部下に女性の筆跡で手紙を書くように命じる。
 直後、大会堂から使いが来て、幕間に出るように呼ばれたのだった。


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