二輿物語


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51 王の機転




 大使の入室後、外国の使者が紹介される。
 会場内は、ミタルスクから使者が持ち込んだ祝品で湧き上がった。
「ミタルスクの次期国王、アルダバ・サ・タッカ・ミタルスク皇太子殿下より、ザヴァリアの未来を祝う言葉と贈り物をお持ちしました!」
 名前の紹介が終わると、コーネル・ザル・デッピ大使は長い巻物を解き、文章を読み上げる。その間も次々と皇太子からの贈り物が部屋に運び入れられていく。珍しい食材や動物、金銀財宝のきらめきに一堂が目を見張る。ミタルスクが豊かな国であると実感する。
 ザヴァリア王は表情を引き締めつつ、会場内にいる貴族たちの様子を見つめた。
 彼らはミタルスクから届けられた品物を絶賛して手をたたいている。昼に親類が見せた恐れや怯えは見えない。だが、彼らがヴァルヴァラの王子とザヴァリア王の姫との婚姻を心から祝うかどうかは未知数だ。
 王は深い表情で考え込んでいた。王妃は彼に寄り添い「お返事はどうなさいますの?」と聞いた。二人の婚姻を白紙に戻そうという矢先の贈り物だ。先方の心遣いを無下にすることも、歓びの席に参列しようとした大使の心遣いも無駄にすることはできないが、素直に喜べるものでもなかった。
「わが皇太子殿下より心からの祝福の気持ちでございます。先日、ウルフェウス王子自らミタルスクまでいらっしゃり、皇太子殿下を挙式へ招待してくださいました。そのことでわが皇太子殿下が感激しておられるのです。隣国、ザヴァリアの今後のますますのご発展を祝しまして、わが国ともども永久に穏やかな瑞光に包まれますよう祈り申し上げます」
 婚礼へ招待してくれたことの礼を伝えて、使者は貢物のリストを読み終えた。使者はほっとした表情で口を閉じる。平和の来訪を期待して、場内は大きな拍手と賛辞が飛び交う。
 ふと、ザヴァリア王は口元をゆるめて「小癪なクソガキ」とつぶやいた。そのまま、彼は口元に笑みを浮かべて「ウルフの奴め」と続けた。王妃は静かな表情で夫を見守る。
 ヴァルヴァラの王子は一人で大国入りして、獅子王を動かした。そして、彼を挙式に招待した。その返礼としてミタルスクは人を派遣してしまっていることを改めて認識する。これを覆すのは容易ではない。既に、彼らの外交は始まっている。ザヴァリア王は一度、外務大臣に対応を求めようとしたが、傍に来た大臣を片手で制し、席を立った。
 王は自らの言葉で使者に声をかけた。
「今宵、三国の友好が成り立ったことを確信し、余はいたく感激しておる。ザヴァリアとミタルスクを結びつける仲立となってくれたヴァルヴァラのウルフェウス王子の機転と行動力にはまさに驚かされるばかりだ。今宵はこの三国の友好を祝う式典として、コーネル・ザル・デッピ大使を招くことができたことを、余は大変に喜んでおる」
 外務大臣はうっすらと微笑んで、王の傍から退いた。王妃は表情を変えることなく、彼の傍で笑みをたたえていた。王は「挙式」を「式典」としてとらえたことを、使者に伝えたようだ。ミタルスクの大使も風向きの変化を感じたのか、それ以上の祝辞を控え、笑みを湛えたまま静かに頭を下げた。
 大使の祝いと王の返答に対して、再び拍手があがる。二人が自分の席に着くまで、大きな拍手は鳴りやむことがない。だが、王は自分の席にすわりなおすと、少し悔しそうな顔で「やはり惜しい男だ」とつぶやいた。王妃は「慕われていらっしゃるのに」と彼の隣で囁いた。王が彼女を見ると、王妃はバサリと扇子を広げて仰ぎながら夫から視線を外す。
 最後に登場するのはヴァルヴァラから来た二人の王子だ。
 しかし、執事は幕の背後を何度も見て、困った顔をしていた。会場内は再び穏やかな間奏曲が流れていく。来賓の席についたコーネルは周囲にいる大使や姫に挨拶をしていた。王は彼がアリシア姫に婚姻の話を確認しないかと不安だったが、そこは空気を読む外交官だ。表向きはとりとめのない友好的なあいさつで終わらせている。
 王妃が待ち時間に話しかけてきた。
「私は、あなたの、そういう慎重なところが大好きですのよ」
 突然の称賛である。王は警戒しつつも、表情を崩した。彼は妻に答える。
「私に何の要求があるのだ? お前が褒め言葉を口にするときほど怖いものはないぞ」
「まあ、失礼な。心に感じたことを素直に口にしただけですのに……あなたは、ヴァルヴァラの王子をいきなりこの国に放り込むようなことをしない。その前に、たくさんの布石を打っておられます。まずは三国間の友好を国内貴族に知らせ、彼らの不安を取り除き、王子がこの国に来たときに敵が少なくなるように考えているのね。今宵はウルフの業績を披露する場となったのだわ」
「ふふ……お前はあの王子のどこがそんなに気に入ったのだ? やけに肩を持つ」
 王は妻に「妬けるぞ?」と茶目っ気のある声で問いかけた。扇に隠れつつ、妻は小さく微笑み、嬉しそうな目をしていた。夫婦はそれ以上の言葉を交わすことなく、微笑みあった。彼らは王子を人間的に否定しているわけではないのだ。
 しかし、王は少し切ない顔をして娘を見つめる。
 彼の心を占めているのは、娘の幸せだった。
 王子がいかに執務に有能であっても、王夫婦に気にいられても、周りが彼を称賛しても、ザヴァリアの未来のために望まれる男だったとしても……王にとっては、その程度の男はざらにいるのだ。既に、王の周りには国事を取り仕切る有能な大臣たちがいる。王の一声で国中から集まってくれる貴族もいる。周辺国との親交も安定して厚い。
 ミタルスクから脅威を感じていたとしても、彼らがともに国のために戦ってくれるならば、王には何も不安はない。ヴァルヴァラの力があれば、大国の傘のおかげで安心はできるだろう。だが、何も起きなければ、大国の軍事力そのものが不要なのである。
 娘の恋心を犠牲にしてまで手に入れるものではない。己の政治力を信じ、覚悟を決めれば戦える。ザヴァリア王はそう考えた。自分の弱気が原因で娘に無理な恋を強いているように思い、心苦しくなったのである。
 王の視界の中で、姫はそわそわした顔でうつむいていた。周囲を気にしながら机の下でもぞもぞと手を動かしている。マナーでは両手を全て机の上に出すべきだと教えているはずだ。王は気になって、姫が何を隠しているのかと見守る。
 机の下から髪飾りの形が少し見えた。姫はそっと周りを見回し、すぐに机の下に目を向ける。王の隣で王妃が「あれは王子の髪飾りではないかしら」とささやいた。王は妻を見、あわてて視線を背けた。
 楽曲が止まった。再び盛大なファンファーレと共に来客の登場を知らせる。王は入り口を見つめる。執事は麗しいほど晴れやかな顔で叫ぶ。
「ヴァルヴァラ公国からいらした、ピピネ・マリアン・ヴァルヴァラ第二王子とウルフェウス・アクエリアス・ヴァルヴァラ第五王子のご入場です!」
 これで入場の仕事は全て終わったことになる。執事は幕を引き上げて、王子を二人中に入れると、安堵した様子で宮廷の周囲の扉を封じるように部下に命じた。
 二人の王子は、数人の従者に導かれて入室してきた。
 奇抜な装いを見つめて、国内の貴族たちは盛大な拍手をしつつも「白髪?」「女……ではなかったはずだが」「どっちが、どっち?」と戸惑っていた。正餐を共にした親類らは盛大に手をたたきつつ「背の高い方がウルフェウスさまよね?」と確認しあっている。彼らは笑みが顔に張り付いていた。
 珍しいことに、軍司令官が興奮気味に立ち上がって手を叩いていた。他に、会場内にもその髪結いの価値を知っている男はいたようで、恐ろしげな顔で「ヴァルヴァラの髪結いだ」とうめいた。彼らは背伸びしながら、その髪結いの形をよく見ようとした。
 女とも、竜神とも見まがうような華やかでグロテスクな髪結い。
 正餐の時よりも華やかだ。白毛を細かい三つ編みにし、髪の中に形を整える台座を入れている。自由自在に成形される三つ編みの細い流れが左右に分岐して広がりつつ、竜の背骨のような形を作っていた。
 女と見紛うヴァルヴァラの髪結いは戦場で有名だ。王族に弓を引くことができないのは、戦場に女がいると錯覚してしまうからなのだ。特に恐れられているのはウルフェウスの黒髪だ。彼ほど女と見間違えてしまう美しい戦士は居ない。そしてその一瞬の隙が命取りとなるような素早い攻撃力まで持ち合わせている。
 その髪結いを見て、男たちは戦慄する。彼らは、悪魔と呼ばれた王子の姿を目に焼き付けた。顔は仮面に隠れていてよくわからない。銀色に照り輝く面が眩しくて彼の目の色がわからない。わずかに見える口元の造詣は、王族の血筋らしく端正に整っていた。
 彼らが見てわかる情報は、そういう奇抜な派手に目立つ部分だけで、彼が本質的に持っているものは何一つ公開されないのである。会場にいる貴族だけでなく、会の前に親しくつき合ってきた王夫妻でさえ、ウルフェウスが入れ替わっているとは全くわからなかった。近づけば背丈が違うとわかりそうなものだが、それすらも髪結いは隠してしまう。頭が大きく見えれば遠近感も失せ、盛り上げれば実際の背丈よりも大きく見えた。圧倒的な存在感に押され、彼らの大きさを喪失する。
 この髪形は公式に出て行くときのみ施す変装である。
 本当のところは、戦場でこんな仰々しい装飾を、実際の戦場でウルフェウスはしない。しかし、彼の場合は無造作にポニーテールを作るだけでも、兵士らは女だと騙されてしまう。それが戦地における「ヴァルヴァラの髪結い」の噂を呼んで、恐れられた。
 王子の代わりに侍従が来場の言葉を述べて、挨拶を終える。
 二人の王子が着席すると宴が始まった。
 美しい楽曲の調べ。運ばれてくる温かい料理と芳醇な酒の香り。
 大臣と王の縁戚が主賓らをもてなして会話を始めるが、ヴァルヴァラの王子二人は相変わらず気位の高い様子で、今宵は普段見せている親しみやすさを完全に封印していた。親類らは居心地悪そうな様子だったが、大臣たちは普段のウルフェウスとピピネを知っているので、今日はそういうものなのだと理解して交流を控えた。
 国内外から旅客の多い今日は、敵の多い王子たちにとっては緊張する公式行事だ。彼らはぼろを出さないように無口になっている。特に、ウルフェウスの情報は、ミタルスクが喉から手が出るほど欲しがるはずだ。彼の弱点を探り出し、以後の政治に反映されていくだろう。既に、コーネル・ザル・デッピは噂の王子を目にして、抜け目ない観察を始めている。大臣たちはコーネルに話しかける頻度を多くして、彼の気を引きながらウルフェウスを守ろうとした。必然的に、今宵の晩餐ではコーネルが厚遇されることになる。
 コーネルはウルフェウスとピピネを見ながら、話しかける。
「いや、しかし、驚きましたな……この地方にどのような理由で遊行されたのです? 何か両殿下の気を引くような面白い行事でもございましたか」
 彼の問いかけに対して、大臣たちが物々しく答えた。
「全くでございますな。まるで天の高みから全てを見通しておられるかのごとき、采配でございました。ザヴァリアとミタルスク間に新たな試みがはじまろうとしていることを、嗅ぎつけられたとか」
 コーネルは声を全く出さない二人を気にしつつも、大臣をふり返って「ほう、それは何でございましょう?」と聞く。両国間に起きようとしている改革とは何か。大使である彼には全てわかってはいるものの、新たな情報が聞けることを期待して、問いただす。
 大臣たちはクロル大使を見ながら、話の引き出しを用意した。
「両殿下は通商上の懸念を解決するために来国なされた。王陛下が先ほど言われていた三国の友好を確立し、周辺国と共に更なる豊かさをわかちあうために……遠大な計画を立てておられるようだ」
 それはミタルスクから要求されている自由市の開催のことだ。ウルフェウスと二人ならば、と思ってはいたが、王は迷った。王は一度、ウルフェウスを見て確認する。今宵の彼は発言をしないようだ。ザヴァリア王は口を開いた。
「ミタルスクとヴァルヴァラを含めた自由交易圏を作る話を考えておる。だが、我が国は五つの国に接しており、関税を統一するのは骨が折れることだ。何とも遠大な計画よ」
 コーネルは知的な瞳を輝かせ、傍にいる二人の王子をふり返る。彼の目ではどちらがピピネなのか理解できないが、王の親族らは背の高い方がウルフェウスだと言っていたので、しばらくして彼は背の低い方の男性を見ながら「国境を超えた交易圏とは……何とも遠大な計画を立てられましたな」と声をかけた。王子二人は無反応だ。コーネルはザヴァリア王に向かって、続きの話を聞いた。
「確かに我が国は、ザヴァリアに自由市を開くように要望を出しましたが、これほど大きな話にするとは……して、我らに利点はあるのでしょうか」
 王は少し考えて応えた。
「実はな、デッピ殿、そなたに相談するかどうか悩んでおった事案があってな」
「ほう。水臭いことでございますね。なんなりとご相談を」
「先日、我が国の関所でラヴィアル国が非常に質の良い岩塩をもってきて、経済的な宣伝活動を行ったそうだ。余はそれを聞いて、かの国が抱いておる懸念を感じ取った。そなたの国とだけ自由市を執り行うのは危険かもしれぬ。そんな時に、ヴァルヴァラから王子までもやってきてな。これはもうヴァルヴァラにまでその話が伝わっておるようだ、と。周辺諸国に危機感を与えておるに違いない、と余は感じたのだ」
 王の言葉を聞いて、ヴァルヴァラの王子がふっと表情を崩した。それまで、まるで動きのなかった男だったので、コーネルも大臣も目を見開いて彼の姿を見た。背丈の大きさからいって、笑ったのはウルフェウスの方だ。伏し目がちな目をしたまま、口元をほころばせていた。彼にしては落ちついた、知的な横顔である。
 王は彼に「これは世代を超えた大仕事であるな」と話しかけた。王が始めた事業を婿が引き継ぐことになる。その男は微かに頷いて笑った。王は彼の覚悟を知ると、思わず笑みが漏れてしまった。慌てて両手を組み合わせ、困った様子でその笑みを噛み殺す。
 コーネルは渋い顔をしたまま「ラヴィアル他の周辺国を含めた交易圏について、我らも吟味するように本国に聞いてみましょう」と答えたのだった。


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