二輿物語


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53 悪戯の仕掛け




 ウルフェウスに扮したピピネはしばらく、その手紙を持ったまま、動かなかった。この男は、ウルフェウスとは違って初動が遅れがちだ。姫がこの場所へ自分を誘っていることは理解できていたが、同時に、今の時期は城内にピピネとアリシアの不義の噂が流れていることも理解できていた。不用意に動けば今度はどんな噂が立つかわからない。彼はその手紙を誰が出したのかと考察を深めていく。姫が会場内で書いたとは思えなかった。
 彼の傍にケタルがやってきて「殿下、どうされましたか」と問いかける。ピピネはようやく小さな声を出した。
「城内に入りこんだ不審者を捕えたか?」
「探していると思いますが、ウルフェウスさまが見つかったという連絡もまだ」
「ウルフの他に……会場の外に男がいる。ミタルスクの使者の動きを見張っていろ」
「はい」
 ピピネは会場をふりかえり、メンキーナを見つめた。ウルフェウスの侍女である彼女はすぐに気がついて、彼の傍に来た。ピピネは彼女に「教会へ行け」と告げた。メンキーナはきょとんとしていたが、ピピネから渡されたバラの花と手紙を見て、ぞっとした顔に変わる。メンキーナはピピネの顔を見て、眉を寄せた。
 ピピネは花を彼女に渡しながら、話した。
「姫がその場所へウルフを連れて行きたがっていたようだ。噂話の弁解をするつもりなのかもしれないが、私が不用意に出て行けば波風が立つ。お前が行って、姫を守ってくれ。誰かにかどわかされているなら、姫の身が危ない。彼女はそこから出て行った」
 王子が視線を流した方向から、給仕が手拭を持って出てきた。
 メンキーナは青ざめつつ、肩に力を入れてその場所から出て行く。ピピネは「先に衛所へ協力を要請しろ」と彼女に告げる。メンキーナはしっかりと頷いて走り出した。
 ケタルはコーネルを見つめて「厄介なことが起きなければよいのですが」と囁いた。ピピネは「例の噂を敵方に知られたなら、私とウルフの仲を裂くのが目的だろう」とあっさり答え、自分の席に戻っていく。ケタルは彼の背後に控えたまま、後をついていく。
 ピピネが席に戻ると、彼に扮しているランファルのイスの背後に封書が置かれてあるのを見つけた。ピピネは嫌な予感がして、その手紙を素早く手に取った。表情を変えないように、その手紙を見つめたら王に「ウルフェウス、そなたも踊ってはどうか」と言われた。ケタルがピピネの耳に寄せて「何と答えますか」と聞く。ピピネは姫のいた席をゆっくりと振り返る。王もその動きに気がついて「ん、姫はどこだ?」と声を出した。
 ピピネはケタルに「姫を探しに行くと言え」と命じた。ケタルはその言葉を王に伝えて、許可を得た。ピピネは立ち上がり、会場を出て行く。
 側廊を歩きながら、その手紙を開いて中を見る。予想通り、教会へ来るように、と書かれてある。姫とピピネを誘い出して、逢引させるつもりだ。
「姑息だな……これを私に見せるつもりだったのか」
「殿下、コーネル様がこちらを見ております」
「ふ……では、何事もなく姫を連れ帰り、仲良く踊って見せるか。あいつらの前で」
 手紙をぐしゃっと握りつぶし、ケタルに残るように告げ、もう一人の従者と幕の外に出て行った。ケタルはピピネを見送ったあと、再びコーネルに視線を戻した。その大使はピピネの動きを見つめて目を輝かせつつ、ワインを口に入れる。そっと、ケタルの視線を避けるようにして目を伏せた。


 アリシアは背後からウルフェウスがついてこないので、少し落ち込んだ顔になっていた。大会堂を出てきてしまったが、彼は姫の後を追わなかった。意味がわからなかったのだろうか。それでアリシアはため息をついて、中庭に座り込んでいた。
「私は何をしているのかしら? 少し浅はかだったかもしれません」
 しゅんと落ち込んだ顔で庭木を眺めた。ウルフェウスが殴っているのか、庭の木々はところどころ枝がぶらんと力なく垂れ下がっている。
 ぼんやりしていたら、回廊を侍女が血相を変えて走って行くのが見えた。それは、あの白いバラを渡しに来た侍女だ。姫はメンキーナの様子を見て、そわそわしながら立ち上がり、行くか戻るか迷いながらうろついた。そして、ふと、思いついたように声を出した。
「あの時、彼はすぐに外に出てこれなかったのかもしれません。従者から……逃げたのかも。一人になってから教会へ向かって」
 そこまで考えたら、姫は真っ青になった。。自分から彼を誘っておいて、すっぽかせば、今度こそ仲直りすることもなく、彼は怒って国へ帰ってしまうだろう。
 姫は大急ぎで教会へ向かって走った。
 そして、そんなアリシアの様子を一人の衛兵が見ていた。背の高いその衛兵は「あれー?」とつぶやいて、つばのついた衛兵帽を少し持ち上げる。明るく澄み切った青い目で走って行く姫を見る。
 そんな彼の元へ、衛兵が走ってきて声をかけた。
「殿下、殿下、大変です、会場内でばれたみたいですよー。殿下を探せとケタルさまが衛所で怒鳴っていたそうで」
「ばれるのはわかってら。バカ正直に俺がここにいることをしゃべったか?」
「もー! そんなことできませんっ。早く戻ってくださいよー」
「支度が済んだら戻ってやるけどー」
 その青い目の衛兵は大きなかごを担ぎ直して、城壁の上を歩いていく。その後を衛兵たちがついていきながら、話した。
「城内に不審者もいるようなんです。ピピネ殿下がミタルスクの男を探せと命じました」
「ふーん?」
「殿下の身は我らが守りますが……さっきから何をしているんです?」
「謝罪の準備」
 その男は城壁のでこぼこした隙間にロープをひっかけると「よっ」と気軽な掛け声とともに飛び降りてしまった。それをみて「うわあああ」と叫び、彼らは慌ててロープにしがみついて、彼の身を確保しようとした。飛び降りた衛兵は「引っ張るな、ばかー」と怒鳴る。その男が件のウルフェウスだ。正真正銘、こちらが本物。
 彼はかごの中から作りたての火薬と導線を取り出して、煉瓦の隙間に詰め込んでいく。命綱のようにロープを腰に巻きつけ、片足でピョンと飛びながら、自由自在に壁の上を歩いて行った。
 衛兵たちはそれを見て「本当に、何をしているんですか」と聞く。ウルフェウスは「花火だよ、花火ー!」と叫び返した。衛兵たちはしばらく「ふーん」と静かに聞いていたが、次の瞬間「城壁が爆破されるー」と騒いだ。ウルフェウスは「バーカ!」と笑いながら、壁を蹴った。
 彼は調理場から出てくる大量の消し炭と残飯を利用し、花火に用いる火薬を生成してしまっていた。それぐらいの科学実験は、彼にとってはただの遊びだ。軍事施設で物品を請求することもなく、城内で出されるゴミの中から作ってしまう。城内を歩き回って、化学薬品を生成できる場所として、糞尿を処理する下水道沿いにトラップを仕掛け、硝酸も生成してしまう。だから、彼には、午後にその下水道から忍び込んだ異国の使者がいないことはわかっていた。人目を避けられる場所は、彼が全て理解して押さえておいたから。
 この計画のために。
 生成した火薬の量は城壁に仕掛け花火を施すことができる量と、小さな爆竹が多数と人目を注目させるに足る華やかな打ち上げ花火を十数発分。奴隷たちに特大の打ち上げ用花火を積める殻入れを集めさせ、彼らが主の世話が終わって帰らされる時間までに、支度を終えて、彼らの納屋に持ち込んだ。晩餐が始まると彼らは王子と共に真っ黒になりながら、花火の火薬を言われたとおりに詰め込んで、支度を手伝った。王子の悪戯を聞き、彼らはその計画にびっくりするであろう王侯たちの顔を想像し、屈託なく笑いあった。
 さらに、ウルフェウスは、彼を探しに来た衛兵を抱きこんで共犯者にしてしまう。城壁の上を守る衛兵たちに打ち上げ用の管の設置をさせた。彼らは「もう晩餐は始まっているのですよ!」と怒ったが、いつのまにかウルフェウスに働かされていた。ウルフェウスは衛兵の一人から衣類を借りて「用が済んだら帰る。用が済む前にピピネにばれたら、お前らのせいだと言い張る」とさっぱりした口調でのたまったからだ。
 このいたずらっ子を制御するのは並大抵のことではない。
 ウルフェウスは壁に沿って仕掛けを施しつつ、上部にいる衛兵たちに話しかける。
「城内に忍び込んだ不審者は俺の他に何人だー? ミタルスクの使者……午後に何人が入った? 宴から消えたのは何人だ? 俺が見ていた限りでは出てきた不審者は、姫とメンキーナぐらいだ。給仕に化けたか……給仕長に給仕の数を確認するように命じろ!」
 片手間にそんなことを叫び、ピョンと飛び跳ねて、下部に滑っていく。
 と、ウルフェウスは視界の端に入った情報に気がついて、背後をふりかえった。給仕たちに紛れて、さらなる不審者が出てきたからだ。それはヴァルヴァラの王子だ。ウルフェウスはぞっとして「あれはピピネだ」とつぶやき、動きを止める。兄の視界はウルフェウス同様にとても広い。息をひそめて闇に隠れた。
 兄は姫が走って行った方角へ足早に歩いて行った。
 ウルフェウスはそれを見て、顔色を変えた。いよいよ問題が起きたらしい。姫とピピネが巻き込まれるほどの何かが。彼は手に持っていたロープを伝って、壁を降り、肩に担いでいた火薬をその場に置く。すぐに下にいた衛兵が彼の傍に走ってきた。
 ウルフェウスは彼に火薬を渡し「管理は厳密に、火気も湿気も厳禁」と告げる。衛兵は頷いて彼からかごを受け取った。
 そして、二人を追いかけて教会に向かって走り出したとしたところで「やはりお前か」と回廊の陰から声をかけられる。ウルフェウスは声のした方角に兄を見つけた。
 互いに口を開けて、怒鳴りあおうとしたところで、続きの言葉を飲み込んだ。
 ウルフェウスが先に声を出す。
「アリシアが走って行った」
「姫は教会へ行った。ミタルスクからの不審者もそこにいるかもしれん。姫をかどわかす誘いの手紙を送っていた」
 彼は弟に握りつぶした手紙を見せた。ウルフェウスは一瞥して、ふっと歪んだ笑いを見せる。彼は「小癪な嫌味だ」と感想を述べた。
「教会へ向かった給仕はいなかったぜ? 俺が見ていた限りでは」
「給仕ではない。最初からその人物は大会堂には入っていない。ミタルスクの大使が呼ばれる前に彼の控室で何かを打ち合わせ……その後、その人物だけが姿を消したようだ」
「そいつの外見は?」
「見ていない。私が見たのは、水の入ったグラスだけだ」
 それだけで、不審者が城内に紛れ込んだと知るとは大した洞察力だ。ウルフェウスは衛兵をふり返り「執事をここに呼べ」と命じた。衛兵は急いで大会堂へ走った。
 ピピネは言う。
「教会の周囲を包囲しろ。私は姫が誘拐される前に、彼女を押さえる」
「お前は行くな……奴らの狙いは、姫ではなく、兄貴の命かもしれない」
「今の私はウルフェウスだ、馬鹿者」
 兄は忌々しそうに腕を組み「不用意な男を代理に立ておって」と憤慨した。ウルフェウスはきょとんとした顔で「ふーん」と瞳を動かす。
 どちらにしても、ピピネが表に出るのは控えたい。ウルフェウスと間違われて武芸の立つ男に殺されても厄介だ。弟は「俺が行く」と告げ、兄の腕を握って止める。
 ウルフェウスは小さく口笛を吹いて、衛兵たちを呼びあつめた。城壁の上を行きつ戻りつしていた彼らは、音の合図を聞き、走り始めた。暗い闇の中を影が蠢く。
 通用口から執事が急ぎ足で出てきた。ウルフェウスは「不審者の侵入経路を調べて、封じよう」と言い、後の対処を兄に任せた。ピピネは弟に自分の剣を渡し、彼を送り出す。


 姫が城内にある教会施設に飛び込んだとき、中は誰もいないように見えた。今宵の勤めは終わっているのか、燭台もきれいに片づけられている。寒々しい月光が複雑なグラス越しに差し込み、ところどころ色の付いた灯りを白い壁に浮かび上がらせていた。
 金色に映えるレリーフの前に辿りつき、周囲に人の気配を探す。
 ウルフェウスはまだ来ていないのだ、と姫は思った。
 彼は後で来てくれるだろうか。彼女はドキドキしながら、胸に抱いた髪飾りを見つめる。顔につけていた真珠の仮面を取り外した。髪飾りを髪につけるかどうか、迷いながらその場所を歩き回る。
 彼のことを好きなのかどうか、まだわからない。
 また、彼にいきなり唇を奪われるのは怖い。彼に嫌われるのも哀しい。近づけなくて、寂しい思いをするのも、近づきすぎて、彼に好き勝手にされるのも嫌だった。
 彼との距離がわからない。
 彼の方が力は強い。体は大きい。強引で、抗えない。こんな場所で二人きりで会うのも怖かった。本当は皆がいる場所で友愛のダンスを踊ればよかったかもしれない。姫は再び迷い始めた。
「私は……何をしたいの……彼とどうしたいの……彼のことを好きなの? 違うの?」
 その気持ちをどう形容していいのかわからないのだ。これは恋なのか。友情なのか。同情なのか。姫にとっては、男性として初めてつき合う婚約者だ。どう接すればいいのか。
 友達と呼ぶことにためらいはない。友達と呼ばれることが切ない。
 姫は床に膝をついて、両手を組みながらそっと囁いた。
「私の気持ちを……教えてください。彼と仲直りができますように」
 背後の扉が開いて、足音が聞こえてきた。姫はドキッとしてふり返る。
 月光越しに男性が歩いてくるのが見えた。鳥の羽で作った仮面を顔につけている。その白い仮面を見たとき、ふと、白いバラの花を思い出した。鮮やかに壁を飛び越えて、彼女の前に降り立った、彼の姿を。


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