二輿物語


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55 ダンスと花火




 ウルフェウスはムッとした顔で、手に持っていた槍を傍にいた衛兵に押し付けて返した。彼は再び剣をもって、アルダバの前に出て行く。
 アルダバは話しかける。
「やはり、君は剣なのか」
「素手で獅子を撲殺してやってもいいぜ?」
「ふん……できるかな?」
 槍を構えたアルダバを見て、ウルフェウスは冷静な顔で剣を持ち上げた。
 彼はそのまま剣を振って「不審者を捕えろ」と周囲の衛兵に命じる。アルダバは「おいおい!」と叫びながら、さっと周りにいる十数名の兵士を見まわした。
「俺がてめーの遊びに付き合うと思ったか、ばーか」
「本当に君は卑怯だな。私はあの時、一緒に遊んでやったのに。一人の勇気ある男を多勢で囲んで恥ずかしくないのか、君は」
「お前の頭は一本ネジが抜けているんじゃねーのか。敵地で寝ぼけているんじゃねーよ」
 確かに。アルダバは慈悲という名の遊びが好きだ。だが、ウルフェウスには正義という建前は不要なのか。勝つか負けるかが全てだ。何とも……味わいのない悪魔な生き方。
 じりじりと近づいてくる衛兵らの姿を見ながら、アルダバは逃走路を探した。一人でこれだけの衛兵を相手に戦うのは不利だ。だが、あの時、ウルフェウスはどうだったろうか。彼は不意に飛び込んでくる衛兵らの攻撃すら見切って、対処していた。彼はアルダバ一人を相手に戦ったわけではない。アルダバと二人きりの対戦をしたわけではなかった。
 皇太子は、自分と目の前の男との差を考えつつ、腹を決めた。彼にできて、自分にできないと思う根拠は? この男もまたそんな負けず嫌いの思考を持つ王侯だ。
 隣国にやってくる政敵に負けを認めてなるものか。
 男は相手が侮れぬ男だからこそ、戦いを回避して慎重につき合うようになるのだ。だからこそ、互いが平和に存在し続けるために、自分の潜在能力を見せつける必要がある。男の世界はそんな単純な力比べで成り立つのだ。
 どっちが強いか、どっちが勝つか。
 もしくは、俺と同じぐらい強いのか、だ。
 アルダバは「ハッ!」と気を吐き、ドン、と足を強く地面に打ち付ける。気合を入れ直すと、槍を両手に持って腰を深く落とした。不意に彼の周囲を不気味な重みがまとわりつき、大気が淀んで動かなくなる。衛兵たちは隙のなくなった獅子王を見て、にじり寄る足を止めてしまった。
 一流の武道家が持つ鋭利な空気。彼は強いと思わせる気配。
 その殺気に触れて、兵士らは気圧されていた。背後にいる兵士でさえ彼を襲うことができず、冷や汗が流れる。静かだが、重々しい空気が流れる。安易に手を出せば、瞬殺されるという空気だ。
 その殺気の強さに目を輝かせたのは、ウルフェウスだけだ。
 戦うことを宿命づけられた王の血族のもつ闘争心。それは戦闘の本能だ。相手が強ければ強いだけ、残忍であれば残忍であるだけ、惹きつけられる。敵を倒せ、と本能が告げる。
 誰も動けなくなった、その中で、ウルフェウスは不意にぶちっと理性が切れて、前に飛び出していた。流れを変えるのは、彼の役目だ。向かう敵に斬りこんで、風穴を開ける。その鋭さはまっすぐ前へ向かい、ためらいがない。
 剣と槍がぶつかり、ガン、と深い濁音が響いた。二人は互いの力を押し返し、同時に相手の体を蹴って退ける。アルダバはウルフェウスが離れた瞬間に、槍を振って彼の体にぶつけ、ウルフェウスは片腕で内臓を守りつつ、片手で剣を真上から振り下ろしていた。斬られたアルダバの髪が散り、二人は同時に飛びのいて、すぐさま、再びぶつかり合った。
 ウルフェウスは手首を柔らかく動かして、重たい鋼鉄の刃を鞭のように操る。それが彼の得意な武具なのだろう。切っ先の動きには隙がない。普通の剣技は振り下ろせば隙が生まれそうなものなのだが、彼は水の流れのように滑らかな軌道で、バネのようになった腕や体と共に不規則な攻撃を仕掛けてきた。
 揺れる切っ先と軌道を見切るのは難しい。アルダバは長い槍の柄を制御しつつ、そんな彼の攻撃をかわし、大ぶりな槍を振りまわして、彼との距離を開かせる。だが、わずかな隙にウルフェウスは間合いに飛び込み、アルダバの肌を撫でるようにして刃を動かす。思わず、ドキッとして飛びのけば、既に服は深く切れて、肌に血がにじんでいた。強い力を持っているにもかかわらず、その切っ先は繊細で、斬られたことに気がつかないほど静かに肌に食い込んできた。攻撃されてから血の気が引く。
 が、ウルフェウスの方も、刃についた血のりを見て、チッ、と大きな舌打ちをした。彼は剣の刃を舐めるようにして見つめ「なまくらだぜ」とうめいた。
 今の一撃で両断されていた可能性を感じ、アルダバは改めて気持ちを引き締める。ウルフェウスはその剣では彼を殺せないと思ったのか、鞘にしまって放り投げてしまった。彼は傍にいた兵士から槍を奪って、アルダバの前に立つ。
「君は槍が苦手だったろう?」
「そうだったか? ハンデをつけてやるよ」
「私になまくらな剣をくれても構わんが?」
「若人の伸びしろをバカにするなよ……おっさん」
 ウルフェウスはバチっと大きな音を出して大気を叩き、嵐のように舞いながら、アルダバの前に飛び込んできた。その荒々しさに思わず、足を引いてしまったが、歯を食いしばって、腰を落とし、彼の打撃を受け止めた。
 ガツッ、ゴツッ、ガガッ……乾いた打音と共に、地面を踏みしめる足の音がサラサラと流れていく。二人はともに髪を振り乱し、同じリズムを刻んで切っ先が舞う。槍先が踊る中、彼らは乱れ飛ぶ汗と共に、生と死のダンスを踊る。
 二人の槍が歯車のように回り、周囲の壁にぶつかると火花が散った。
 引火する、二人の熱気に。
 ドン、ドドン、ドン、ドドン。
 ダンスホールのリズムに、複雑な火花の音が加わる。


 ドン!
 ……ドドン!
 不意に始まった爆音で、アリシアは背後に視線を送った。華やかな白い花火が夜空いっぱいに広がると、大会堂の方からも歓声が上がった。通用口の傍で執事がピピネを待っていた。彼は姫と王子が無事に戻ってきたことを知り、安堵した顔になる。
 執事はかしこまった態度で王子に言う。
「殿下、白い仮面はコーネル様のお席から見える場所に置いておきました」
「うむ……して、ミタルスク大使の様子は?」
「少し青ざめておりましたが」
 執事は「ほほほ」と優雅に笑い、彼らを通用口から中へ導いた。アリシア姫は明るい夜の火を見上げて、ぼんやりしていた。ピピネは彼女の腕を取り、中に入れる。
 ピピネは通用口から側廊に出ると姫に話しかけた。
「あの花火は、貴方への謝罪だそうだ……美しい花だろう? あいつはこういう騒がしい男なのだ。ひっそりと愛を伝えるようなことはできない。あけすけで品がない……でも、愚かでも楽しかろう?」
「はい……」
 姫はぼんやりしたままの顔でそう答えた。兄は彼女の手に握られている髪飾りを手にして少し笑い「では、これは私に返してもらおう」と囁いた。姫が瞬きしていると、彼はその髪飾りを自分の髪に差し込んで、姫の手を引っ張った。
 彼女はしばらくして、真っ赤になった。ウルフェウスだと思っていた人が、ピピネだったと気がついたからである。頭の中が真っ白になった。
 ピピネは執事に「扉を開け放ち、花火を王にもお見せしろ」と命じ、側廊から部屋の中央へ入っていった。執事は一度コーネルの姿を見たのちに、意を決して、侍従らに封じていた側廊の扉を開けるように指示をした。扉が開くとともに、夜間を照らす白い光が、巨大な爆音とともに大会堂の中に入ってきた。
 楽曲は止まり、ダンスホールは沈黙して、動きを止める。
 そんな彼らの前で、ピピネは花火を背にして立ち止まった。大きな手振りで腕を広げ、衆目の注意を引く。そして、優雅な動きで軽く頭を下げ、ダンスホールに姫と共に入った。
 大きな花火の音に合わせて、彼が収穫祭のダンスを踊りはじめると、王妃が無邪気な笑みを浮かべて「すばらしいわ、ウルフ!」と叫んだ。姫は彼に手を引かれて、集団の輪に入る。彼と手を繋いで一緒に踊った。ピピネは姫を見て、小さく笑う。アリシアは不器用に足を動かしつつ、彼の笑みを見つめ、しばらくして、口元がほころんだ。
 周り中が彼らに騙されている。
 誰も、彼がウルフェウスではないとは気がつかない。
 誰も、彼らの姿をしっかりと見ていないのだ。
 人は見た目に騙される。派手で、大きくて、色がどうだとか、美醜がどうだとか。そういう見た目にごまかされて、本質を見失い、こんなにも簡単に人は見えなくなってしまうのだと知る。
 アリシアは彼の目をしっかり見て、その目が黒いことを確認する。
 あの人の目は青かった。誰よりも純粋で美しく、まっすぐな目をしていた。仮面をつけていても、髪形が大きく変わっても、老いてその身が変わったとしても。きっと、その目の色は生涯変わらない。
 左右に入り乱れる人の流れ。
 寄せては返す波のように、姫はピピネから離れて、両手を振る。多くの人と共にダンスを踊り、弾ける光の花と共に舞う。姫は仮面をつけていなかった。真珠の仮面を教会の中に忘れてきた。でも彼女はその顔を隠すことなく、ダンスを踊り、たくさんの人と手を叩きあって、微笑んだ。
 ドン、ドドン、ドン、ドドン。
 楽師らが弦楽器による演奏をやめて、打楽器で音を遊び始めた。大きな鐘の音が花火の狭間にバリーンと入る。小さな鈴の音、少しくぐもった木管の音、突き抜けるようなラッパが鳴る。大騒音の中、衆人らは中庭の見える扉の傍へ駆け寄って、夜の芸術を楽しむ。ワインをついで回る給仕らも、足を止めて束の間の光を眺めて楽しんだ。
 バリバリバリバリ……と雷のような音がして、不意に闇の中に白いバラの花が浮かび上がった。仕掛け花火を見た観客は大きな歓声を上げて「花が出てきた!」と叫ぶ。
 姫は兎のように飛び跳ねながら、その白い花を見つけた。
 闇に浮かんだ炎のバラはゆっくりと闇の中に消えていく。姫は踊りを止めて、立ち止まる。不意に彼女は大会堂を走り出ていった。
 あの場所に彼がいるような気がしたから。
 昨日、会えなかった場所に彼が来ていると思い、駆けていった。
 今度こそ、彼に会えると信じて。


 コーネルは給仕に酒をなみなみと注がせると、一息に飲み干して息を止める。彼の視界の中でアルダバ王子が身につけていたはずの仮面をつけて道化が飛び歩き、集団のダンスを踊っていた。傍にいた部下に「御前を探しに行くぞ」と素早く命じ、退路を探させる。
 コーネルは真っ赤になった顔を王に向けて、ふらふらしながら声をかけた。
「王陛下、私はこれで失礼させていただきます。今宵は少し強かに酔ってしまったようです。ここでの酒があまりに美味しくて……例の話は後日、本国の返答と共にまた」
「ん……おお! なんと、顔が真っ赤ではないか。少し、控室で休んではどうか」
「いやいや……お気遣いありがたくも、これ以上の失態は」
 コーネルが席を立つと、その場にいた大臣らが立ち上がって、彼を見送った。そして、珍しいことに、大国の王子までも立ち上がってしまったのだ。通常、王侯が下位の爵位を持つ部下を見送るときに立ち上がることはない。そのため、ピピネ王子が立ち上がると、彼の侍従が慌てて「殿下、殿下はまだいらっしゃいますよね?」と冷や汗を流しながら引き留めて、無理やり座らせた。ピピネにしては珍しい失態である。
 しかしながら、大国の王子が立ち上がってしまったので、ザヴァリア王も礼を失しないように立ち上がり、コーネルに退室を認めた。その王のそういうバランス感覚と気取りのない態度は諸国でもよく知られ、尊敬を集めている。コーネルはザヴァリア王の態度に恐縮しつつも、その温かさに触れ、安堵した様子で笑みが漏れた。その王はコーネルにとっては敵にはならない友好的な王だ。彼は王侯らの前に礼儀正しく膝をついて非礼を詫び、退城の挨拶を簡略に述べて、立ち去った。
 彼は素早く側廊に出ると薄暗い中から、明るいダンスホールを見つめる。アルダバの仮面を持った道化の傍にウルフェウスが立った。道化からその仮面を外し、手に持つ。そのまま、彼は歩いていくコーネルをふり返る。彼は全ての企みを見通していると感じた。
 わずかな時間、コーネルはその男と視線を交わし、冷や汗が流れる。
「あれが……鮮血刃の悪魔、か……御前、どうぞご無事でいてください」
 コーネルはかすかに青ざめたまま、急ぎ足で会場を出た。外に出ると激しい爆音と共に夜空いっぱいに白い花が開いていく。それを一瞥するとすぐに「教会へ!」と彼は怒鳴った。しかし、その花火に照らされるようにして、屋外で槍試合が始まっていた。
 それも、真剣勝負である。
 来客たちも石柱にもたれつつ「あら、あれも余興かしら?」と囁きあっている。コーネルはしばらくして、血の気が引いた。ザヴァリア国の衛兵らに囲まれて、戦っているのはアルダバだったからだ。
 コーネル大使は教会へ走って行った部下を呼び止めて、中庭へ走った。
「で、殿……御前っ! そこで何をしているっ!」
 槍試合に割って入ると、彼は双方に両腕を挙げて「私はミタルスクの大使だ!」と叫んだ。この国で大使が殺されれば、宣戦布告となる。大使が盾になった時点で、双方痛み分けだ。彼らは槍を降ろし、乱れた呼吸を整える。
 アルダバは切り裂かれたシャツの襟元を整えつつ「ぜえ、ぜえ」と苦しそうな息を出していた。コーネルは彼の肌から出ている血に気がつくと眉をひそめた。彼に敵対していた衛兵を睨んで「私の……恋人に何をした!」と怒鳴った。
 目の前にいた衛兵はその台詞を聞いて「はあ?」と抜けた声を出す。直後、彼は「がはははは!」と大きな口を開けて笑い出した。コーネルは槍の柄でアルダバに強く叩かれて、脇に退けられる。
 アルダバは笑っている衛兵に怒鳴った。
「今のッ言葉を本気にするな! 君と同じことをしてやっただけだ! 私は君とは違って、女に化けるほど無分別ではなかっただけだっ! 断じて、男色家ではないっ!」
「あははは! 必死じゃねーか。お前っ……あははっ! そこまでしてっ、俺にっ、俺に会いに……あはははっ!」
 その兵士は手に持っていた槍を周囲の兵に投げ渡し、武器を捨てた。それまで身にまとっていた殺気が急に消えてしまった。コーネルはほっとして、身を正す。その衛兵は青い目をコーネルに向けて、軽く鼻で笑った。衛兵にしては外国の大使を前にして生意気な男だ。コーネルは不快に思いつつも、素早くアルダバの腕を取り「退城する」と告げた。アルダバは持っていた槍を忌々しげに地面に突き刺した。
 彼を導き、歩きだしたら、その衛兵が声をかけてきた。
「アルダバ!」
 大使は真っ青になって、アルダバ王子を見たあと、その衛兵を見つめる。とっさに、正体がばれたときのことを考えて頭の中が真っ白になった。わずかな人員でここからどうやって皇太子を守って逃げたらいいのか、と。ここで彼を殺されたら、全てが終わりだ。
 アルダバ王子は立ち止まって彼をふり返る。衛兵は腕を組んで彼に話しかけた。
「見逃してやってもいいぜ? 本当は今宵、招待状のない客は捕えて尋問するんだけど……大使殿の愛人とやらに手を出して、我が王にあらぬ疑いがかかるのも癪だからな」
 アルダバはにやりと笑って答えた。
「では、それで我らの間に貸し借りはなしとしようか」
「それも俺の台詞だけど……本当に、お前は何をしに来たんだか。変な奴」
「それは私の台詞だよ……今度は正当に遊びに来よう。招待してくれるのだろう?」
「ん……俺が賭けに勝てばな」
「賭け?」
 衛兵は少しはにかんで笑いながら、アルダバに手をふった。彼はさっさと背中を向けて庭を出て行った。さっぱりしたものだ。皇太子は大使に促されて、歩き出す。大使に小声で「寿命が縮まります」と言われると、皇太子は「私はこれで寿命が伸びた」と応える。不可解な顔をした大使を連れ、ミタルスクの皇太子は正々堂々と正門から出て行った。


 退城した人数を衛所から報告され、ウルフェウスに扮したピピネが深いため息をついた。彼は「ミタルスクは侮れないな」と独り言のようにつぶやく。衛兵に扮していたウルフェウスも会場の中に入り、兄の傍にいた衛兵と入れ替わるようにして、会場内を見た。彼の目は、彼女を探す。
 そこにアリシア姫の姿はなかった。彼女は花火を見てくれたのだろうか。
 見たくないから、逃げたのかもしれない。
 しばらくすると、花火は消え、会場内に穏やかな弦楽の音が戻ってきた。楽しげに踊る人の影を見つめ、彼は物思いに沈む。静かな夜空が、深く闇の色に沈んでいく。
 彼はその恋の結果をしっかりと見つめて受け入れたのだった。


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