二輿物語


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6 ザヴァリアの民

 
 ヴァルヴァラ北部もまた、ザヴァリアと同様、広大な領土を持つラヴィアル神国に接している。今、この国はヴァルヴァラに対して、軍事的に中立を保っているが、かつては北の生産地を巡って領土を競った間柄。北部を通って、北西にあるザヴァリアへ行くには注意が必要だ。
 特に『北の湖の女王の末裔』の子供であるウルフェウスにとっては。
 ラヴィアル国の人間は生来直毛の黒髪であることが多く、深く蒼い目を持っている。ウルフェウスの目は鮮やかに明るく澄んでしまったが、髪の質はラヴィアル国の王族そのもの。容貌だけ見るとウルフェウスはかの国の血を引いているように見えるのである。
 ゆえに、母の存在は謎に包まれているのだ。実際「北の湖」とは、ラヴィアル神国の中央に存在し、かの国の主神が眠るという氷の湖を指す通名である。暗に、ウルフェウスはラヴィアル神国の王族の血を引いている、と記されているわけだ。
 今、北部にヴァルヴァラを脅かす戦争の火種はない。しかしながら、領土分割の遺産で北部には独立運動の機運も高い。従来、ラヴィアル国の食糧庫として搾取を受け、戦後もヴァルヴァラに属して税を納めることになった彼らは、ことあるごとに反旗を翻したが、それも最近では下火になってきていた。
 北東部の守護者として、二番目の兄が平和に外交を通じて守ってきたからだ。
 そういう平和な統治については、彼の右に出るものが居ない。ウルフェウスはその性質から、矢面に立つことが多く、二番目の兄、ピピネは乱世を治める才能があった。火と水のように対照的な兄弟がいたからこそ、この国は軍事大国と成り得たのである。
 ウルフェウス自身、兄のいるシェレーから以北の情勢に気を配ったことがない。兄に任せておけば、平和に治めるであろうと信じていた。だが、ザヴァリアへ向かう方角、北西部は盲点であった。
 そこはまだ国として成立していない部落が多く存在し、かのラヴィアル国も小競り合いが面倒なのか、手をつけずにいた。その方角に存在する諸侯および名もなき群落、無法者の暮らす盗掘村を統合するのは骨が折れる。
 だが、ラヴィアルとヴァルヴァラが双方認めた諸侯がこの地方には存在する。緩衝地帯を守る諸侯として、二大国から信頼を勝ち取ったその幸運な男は、現在は地方の独立運動に手を焼いていた。小さな紛争が多く、その地を通って無事に旅ができなくなるほど。
 おかげで、ミタルスクはこちらの地方の情勢を手に入れることもなく、ヴァルヴァラとも平和な距離が保たれているのだが、困ったことに、その諸侯が国内の統治に失敗しているらしい。武芸に秀でた戦好き男ですら、通行に躊躇う事態である。
「こいつは本気で西部丘陵線を開発しねーと、結婚式に親類を誰も呼べなくなるぜ」
 ウルフェウスはそんなことをぼやき、別のルートでザヴァリアへ向かっていた。
 タイユ湖畔に滞在している文官を訪ねて、北西部の情報を手に入れた彼は、ナリム国内の紛争を避けるため、コウリャンナン山脈の山中を進むことにした。その山脈はヴァルヴァラの北西部からミューシャス侯爵領とフェローピア公国を通って、ザヴァリア王国へ至る天空の回廊だ。
 山脈に存在する三つの関所の位置を確認し、地元民が通商で使っている道を調べる。王子の姿では目立つので、行商人に化けて山を登る。さすがに地元民も国境を越えるところまでこの道を使わなかった。岩場が多く足場の悪い急峻な道ゆえ、落石や滑落の事故が絶えないという。
 足腰が強く体力には自信のあったウルフェウスも、行程の過酷さに閉口してしまった。彼に付き従っているのは、一頭の愛馬のみ。優美な白馬だったが、かの馬もまた足元をじっと見つめ、踏み間違えぬよう慎重に足を運んでいた。
 強風に煽られて足を踏み外し、生命の危機を感じ、もう二度と通るものか、と思ったのが正直な感想だが、生きてこの山脈を通り抜けた男は多くない。運が良かったと言おうか、無謀と言おうか。若さゆえに無理が利いたのか。だが、ザヴァリアまで続くこの山脈を最後まで踏破する意欲は失せており、途中で下山して、フェローピア公国へ入国した。
 フェローピアに入るときは国境を通らずに済んだ。だが、陸路の公道を通じてザヴァリアに入るとき、問題が起きた。
 山中で転んだ時に、衣服は破れ、通行書も持っていなかったので、案の定、官吏に怪しまれた。なぜ、コウリャンナン山脈を通るような危険な道程でこの国へきたのか、と。国境を守る警備兵ならば、不審な若者に対して当然抱く感想であろう。それほどウルフェウスの見てくれは悲惨な状態になっていた。
 勿体無くも、生来の艶やかな黒髪を斬バラに切り捨て、その美貌が全く判らなくなるほどバサラな様相である。美しい碧眼も長い前髪に隠されてしまい、時折、通った鼻筋が泥まみれに見えるだけ、という有様。
 山から下りたときはそれほど凄惨な姿ではなかったが、身分がばれることを警戒し、本物以上に醜い乞食の姿で入国を試みたのである。それが余計に彼らの不信感を煽った。
 結局のところ、彼は国境を守る兵士に賄賂を渡して、許可書を内緒で都合してもらった。ウルフェウスが金をもっていることがわかると、官吏は安堵し、並みならぬ旅程を強いられたには理由があろう、と見逃してくれた。さらには、その苦労を慮って、この先も行き倒れないよう軽い食事まで与えてくれた。
 この親切な配慮には、さすがのウルフェウスも驚いたが、ついでに国内の情勢を教えてもらう。ザヴァリア国に流れている姫の噂を聞くことになった。
「悪魔がこの国に生贄を要求しているそうだ」
「へー……誰が生贄になるんだい?」
「そりゃぁ、決まってるぜ。国の一大事に真っ先に出て行くのが王族だろうよ。けんど、今居る王様が別の王様になったら、税を上げる奴が後釜になるかもしんね。無難なところで王様以外で使える生贄と言ったら、姫だろう」
「なるほど。(こりゃあ、寝込みもするぜ)こいつぁ、姫を悪い奴から守ってくれる白馬の王子様が必要だぜ! 案外、俺がそうなるかも知れねーや」
「ぎゃははは! あんたの何処が白馬の王子だ? 白馬ってのはこいつのことかい」
 王子は愛馬をわざと汚していたので、優美な白馬も泥に汚れていた。それでも、乞食風情の男が馬を連れて旅をしているという光景はよく考えるとおかしなものなのだが、兵士らはその点には全く気がつかない。
 兵士たちに馬鹿にされながら、食事を終え、関所を後にした。案外簡単に国境を通り抜けてしまった。彼らから離れると王子は検問所を振り返って舌打ちする。
「あいつら、どうしてボロを着てる男が大金を賄賂にした時点でおかしいと思わないんだ。有事に国を守れるもんか。この国は賄賂も横行しているぜ。後で首を切ってやる」
 彼らが真面目に働いていたら、王子は別の手段で入国を試みるよりないのだが。
 実は、国境で止められるのは慣れていた。こういう性格の風来坊なので、まともに正規の手続きをして旅行をするということがない。おかげで、多々の不法行為を自ら試し、牢にぶち込まれることも多かったのであるが、大抵はすぐに放免される。
 ヴァルヴァラならば、その地方の豪族から上部へ連絡が行き、彼の身分を理解している有力者が迎えに来たからだ。その方が手っ取り早くて安全だ。だが、この国では国境の異聞が中央へ逐一報告されることはなさそうである。やはり、自分の足で中央へ向かうことにするか、と彼は覚悟を決める。
 馬を引き、今夜の宿を探して繁華街を目指す。
 次の村についたのは、三日後の話。
 途中は仕方なく野宿をして過ごす。自然の中でぐっすり眠っていても、恐ろしい野犬や狼は現れない。外敵の少ない場所である。つまり、それは食料の不足を意味していた。森を走り回る野生生物もなく、実のなる植物も少ない。
 ほとんど着のみ着のままでやってきた王子は、血眼になって食べ物を探した。山崩れがあったようで、川に鉱物が流れて水は濁っており、満足な飲み水も確保できなかった。
 結局、三日後、腹をすかせて民家を叩いた。扉が開いたとたん、彼は床に倒れこむ。
「め、飯くれぇええー」
「あんれ、んだこのこわっぱ? きったねーな」
 出てきた老婆はひょこひょこ歩いて引き返し、干し肉とミルクを出してくれた。口は悪いが、この国の人間はやはり親切だ。王子は彼女に礼を言う余裕もなく、がっつくようにして腹に入れる。その干し肉は食べられるかどうか、腐ってないかと疑う余裕すらない。
 その後、道を聞くために話をした。
「ここから王の住む都まで何日かかる?」
 老婆はお茶を用意しながら応えた。
「馬に乗れば早く着くかも。おれはこの村から出たことないけんど」
 老婆はにっこり笑って食器を片付けた。彼は慌てて彼女の傍に行き、自分の皿を洗う。食器を洗った後、馬の世話をしながら話を続ける。
「あんた、その年で一人暮らしか」
「息子がいる。ここからちょっと離れた場所で金を稼ぎ、村にはたまに帰ってくる」
「息子に傍にいてほしいかい? 彼がこの村の中で働ければ、あんたは楽だろう?」
「別に困ってねぇ」
「そうか? でも、ほら、屋根を修理したいとき男手が欲しいだろ?」
 彼は古くなった家屋を見ながら、雨漏りを心配する。
 老婆はゲラゲラ笑って応えた。
「んなもん、頼めばいい。同じ村に住んでるんだから」
「……ふーん」
 今の暮らしで満足しているようだ。
 彼女は飲み水代わりのお茶を持たせてくれた。水筒に入った暖かい飲み物を手にして、彼女の元を去るのが心苦しくなった。馬の背に乗ったものの、出発できずにしばし悩む。
 彼女の住んでいる村は国境に近く、有事が起きれば真っ先に犠牲になる場所だ。王子は少し迷った後、汚れている顔を拭って髪をかきあげる。
 額には自らの出生と身分を明かす、月と太陽の刺青が見えた。彼は言う。
「婆ちゃん、これ、見えるかい?」
「んー」
 老婆は目を細め、しばらくしてびっくりした声で答えた。
「あんれ、まー、綺麗な子さ。なりに気をつければ王子さまに見えらぁね」
「……。うん、俺って、実は王子さまなのさ」
「あははは! そうさね、いつか王子さまになれるさ。いい子にしてな」
「うん。俺にどんな王子さまになって欲しい?」
「うーん……そうさね、両親を大事にしてやりな」
「大事にするってどういう風に?」
「偉くなっても、自分が親から生まれたことを忘れちゃ駄目さ」
 老婆はよたよた歩きながら、馬の尻を叩いて「早くお行き」と呟いた。
 彼女に送り出され、ゆったりと馬を歩かせる。後ろを振り返って老婆を見つめた。彼女はしっかりと地面に立って朗らかに手を振っていた。王子も彼女に手を振りかえす。もう二度と会うことは無いだろうと思うと寂しくなった。
 この国は貧困ではあるが、心の豊かな国民が住んでいた。外敵がなく平和で、不足を補い合いながら、周りが助け合って暮らす場所だ。彼は国境の兵士たちを思い出した。彼らがのんびりしているのも当然かもしれない。ここは、戦乱とは無縁で生きてきたのだ。こういう国があることをはじめて知る。
 王子は不意に思いついて、遠ざかる老婆に怒鳴った。
「あんたの息子は国境で働いているのかい!」
 老婆は聞こえなかったようで「はーあ?」と叫んだが、何事も無かったようにひらひらと手を振り続けた。
 王子は「あんたに免じ、今回は見逃してやらぁ」と独り言のように呟いたのだった。


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