二輿物語


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7 傭兵の宿場

 
 乞食王子は手の中で小石を遊ばせ、一つの宿に入る。いくつかの山村を抜け、商業都市に近づいていた。王が住まう城は近い。体型は幾分すっきりと痩せたが、元気な様子だ。
「御免!」
 彼の掛け声を聞いて、店に居た人間たちが一斉に振り返った。一目でよそ者であると判る。彼らの外見からすると、ここは傭兵の溜まり場だ。この店で宿を取り、戦乱の噂を聞き集めているのだ。彼らはこれから地方へ行脚するのだろう。
 窓の外には馬を繋ぐ木枠が見える。兵士らの馬が繋がれている。ウルフェウスも愛馬をその場所に繋いでいた。店に入っていくと、客らにじろじろと全身を見られた。
 ここはミタルスクからザヴァリアを経由して、ヴァルヴァラへ向かう街道の一つに面している。店内は思いの外、多くの兵が集う。街道の途中で起きているナリム国の騒乱を聞いて、進退を悩んでいるのかもしれない。ナリム国に金があれば出向くだろうし、たどり着く前に野垂れ死ぬぐらいなら、別の地方へ稼ぎに行く。
 屋内は街道の光を遮って暗くなっており、存外に奥行きのある空間が広がる。酒ダルを並べた壁の前に、長細い机が角を囲うように並べられ、形の異なる陶器が多数並べられていた。ここで酒を買って飲むのだろう。酒ダルの間に店の奥に入る出入り口があり、中から調理場の騒々しい音が流れている。宿は二階にある。泊り客の食事を地階で振舞う。
 使い古された机の上に並ぶ家庭料理を眺め、彼はカウンターの傍に来る。
 店の奥から主人が出てきた。
「ただいま!」
「宿を探してる」
 ウルフェウスは周囲を伺いながら、口を開いた。乞食然とした雰囲気はこの場所では浮いてしまっている。たむろっている客たちは不審な顔で、彼の様子を眺めている。酒を飲みながら、ぼそぼそと言葉を交わし、この乞食の正体を探っていた。乞食にしては堂々としていい体をしている、と彼らの声が一部聞こえてきた。さすがに傭兵は目敏い。外見でごまかされることはない。彼らの情報収集力は恐るべき正確さだ。
 ぼろが出れば、自分の正体なんてあっという間に見抜くだろう。王侯貴族の動向を逐一掴んで雇い主を探している輩だ。政情にも詳しい。特にウルフェウスの首ならば、敵対する国が大金を積んで手に入れたがるだろう。武芸が立つとはいえ、傭兵を相手に逃げ切れるとは限らない。彼は気を引き締め、鼻の下を指でこすって顔を隠す。
「お一人ですか」
「馬が居る」
「ようございます。部屋に空きがございます」
「うん……礼はこれでもいいかい?」
 ウルフェウスは手の中の石を彼に放り投げた。主人はあわてて手を出して石を受け取る。赤黒く光る小石を見て怪訝そうに、客の身なりを確認する。当然、乞食のような形を見て、眉をひそめた。
「お金はございませんか?」
「うん、無い」
 ウルフェウスは嘘をついて食堂内を見回す。彼が持っている金はヴァルヴァラの銀貨だ。自分の顔も彫られている。この店で身分を明かしたくなかった。ヴァルヴァラの貨幣を知っている者がこの宿に居るかもしれない。
 主人はちょっと困った顔で小石を机に置いた。彼は心苦しそうに応える。
「お客様、泊めて差し上げたいのですが……」
 ウルフェウスは彼に視線を戻して問いかけた。
「それは駄目かい?」
「はあ、これは何の石でしょう?」
「水が鉄を溶かして化学変化を起こしてるんだ。そいつを見つけた場所を教えてやる。新たな商売を始められるかもしれないぜ」
 主人はウルフェウスの手にそっと石を返した。
 気持ちよい笑顔に戻って、口を開く。
「私は今の仕事で満足しております」
「じゃ、無賃で俺を泊めてくれ」
「それはできぬ相談です」
 普通の常識人はそういう反応だろう。ウルフェウスは納得して石を握った。役人に比べて、この国の商売人は、堅実で信頼できそうだと思った。おそらく、ザヴァリアという国は政治的には安定しているが、経済的には貧しくて倹約が必要とされる国なのだろう。
 宿を出て行こうとしたとき、声をかけられた。
「御仁、俺の権限で相部屋を貸してやろうか」
 部屋の奥に年老いた傭兵がいる。片目を失い、片腕がない。
 店の主人は少し嫌な顔をしたが、何も言わずに部屋の奥に入ってしまった。どうやら黙認してくれるようだ。基本的にこの国の民は人がいい。
 その男の傍へ行くと、話しかけてきた。
「石をくれ」
「その前にあんたが何者か話しな」
「てめーの名を言うのが先じゃないか?」
「うん。俺の名はウルフ。ヴァルヴァラから来た」
「ふっ、ふっふ。俺はラグ。これからそっちに行こうと思っていたが、辞めようと考え直したところだ」
「それがいい。他所の国ではどうだか知らないが、その体ではヴァルヴァラ軍の採用試験は通らないぜ。あそこはまず五体満足でないと試験を受けられない」
「ああ。さっき、そういう情報を仕入れたところだ。でも、生まれ故郷にはもう縁が無い。どうしたらいいか迷っていた」
 向かいの椅子を引き出して、彼の前に座る。テーブルには、水のように透明な酒がガラスのコップに入っていた。つまみに鳥の臓物の煮込みを合わせている。この国のパンは平たくて、中が空洞だ。食事は終わりがけであったが、香草のいい匂いがした。王子がごくりとつばを飲むと、彼は皿をぐいっと押しのけて、残りを譲ってくれた。
 代わりに大きな手を広げて、石をくれ、とねだった。ウルフェウスは石を渡して、パンを掴んだ。臓物の煮込みはもう肉がない。だが、ソースを拭って口に入れる。
 口を動かして食べながら、話した。
「ここから馬で七日」
「ちょっと待て。部屋に行こう」
 ラグは立ち上がり、テーブルの上に乗っていた酒瓶を脇に抱えた。ウルフェウスは慌ててパンで皿を大きく拭い、口に放り入れた。かすかに果実の香りがして美味いソースだ。名残惜しく思いつつ、ラグの後を追う。
 周りは目を輝かせて二人の話を聞いていた。ウルフェウスは反省して口を閉じる。ラグに手招きされ、店を出て裏手に回る。一度建物の外に出てから、外付けの階段で二階にある宿へあがった。後ろが気になって振り返ったが、誰もついてこなかった。
 部屋に入るとラグが呟いた。
「折角得た情報だぞ」
 ウルフェウスは素直に謝った。
「ちょっと口が軽かったかな。悪い」
「早めにここを出よう。俺はもう行く。お前はこのままここに泊まれ。金は既に払った」
「やはり追っ手がつくかい?」
「かもしれねぇ」
 ラグは酒を机の上に置くと、急いで自分の荷物をまとめ始めた。
 ウルフェウスはちょっと考えて問いかけた。
「俺の情報を信用するのかい」
 老兵はタンスから衣類を取り出し、寝台の上に放り投げて応える。
「お前さんが持っていたやつは、飢血石だ。鉄の成分もあるが、銀が入ってる……近くに銀山が出るぜ。王族が嗅ぎつける前に手に入れて、奴らに情報を売れば金になる」
「はは。俺以上に詳しいや」
 多分、その情報を真っ先に買うのは、この王子である。敵に銀山の情報が流れる前に高値で手に入れ、公共事業を通してその地方の開発を始めるためだ。ラグは情報を売った後、事業の担い手としても働けるはずだ。
 この男は情報を金に変えるセンスが抜群にいい。王子は、男の顔を記憶しながら、ベッドに腰掛けてにやりと笑った。彼とはまた会うだろうと思った。
 故郷にはもう帰れない、というラグの身の上を思い出し、思案を巡らせる。
 彼を保護したい。彼を手に入れるにはどうしたらいいだろうか。
 ラグは机の上からコンパスと地図を掻き寄せ、器用に片手でカバンの中に放り入れる。洗面台を片付けながら続ける。
「親父が鍛冶屋だった。鉄を見抜く目だけは教えてもらったが、俺はその仕事が嫌でな。鉄を振るう方になりたかったから、傭兵になった」
「ガキは皆、親父の職業を嫌うもんさ」
「ガキのくせに言うじゃないか。お前の親父は何をしてる?」
「盗賊、かな? 皆から金を集めて贅沢をする。俺はそれが嫌で乞食になったのさ」
 茶化して笑ったら、ラグは一度動きを止めた後、苦笑したまま無言で首を振った。
 彼らは話を変える。ウルフェウスは続けた。
「場所を教えてやるし、馬が無いなら、俺の馬も貸してやる」
「何だって? お前、一体」
「頼みがある。ここから馬で南へ七日。寂れた村に住む婆さんが居て、あー……国境から歩いて三日ぐらいの場所」
「目印は?」
「ない。でも、王子さまが来たか、と尋ねれば笑ってくれるさ」
「呆れた奴だ。王子さま、だと?」
「俺は彼女に一膳の恩を返したい。彼女の息子が国境沿いにいるみたいなんだが、彼を鍛えて立派な兵士にしてくれ」
「国境沿いの村か。ゾイ村かカヒン村辺りを周ればいいってことか。ふん……ま、行ってみて、婆さんを見てから考えてやるよ」
 ラグは荷物をまとめ終えた。窓から下を見て「どの馬だ」と聞く。ウルフェウスは近くに来て無言で指し示す。馬は店先につながれている。
 彼はマントを着て刀を差す。武具を上手に隠すと挨拶もなしに部屋を出る。ウルフェウスも彼を見送って部屋を出ようとしたが、ラグが途中で引き返し、部屋の中に押し戻す。
「王子さまよ、一つ気になることがあるんだが?」
 ラグが片目を輝かせて尋ねてきた。王子は首をかしげて彼を見る。
「金はぶら下げてると音が出る。お前、金を持ってるだろう」
「あ、ちゃー」
「大金を持ったまま街には出るな。もちろん、部屋にも置いておくな。本物の盗賊に盗まれるぜ? だから、これは俺が預かっておこう」
 ラグはウルフェウスのマントに手を突っ込み、あっという間に金を取り出してしまった。そのまま袋の中を見て、あわてて目をそらす。彼は部屋を出て行った。
「ランプの下に使える奴があるぜ!」
 彼の声が廊下を通って下に消える。
 少し迷ったが、部屋の中に引き返し、寝台の横にあるランプを動かした。彼が置いていったザヴァリアの貨幣が見えた。明日の朝食ぐらいにはなりそうな額である。
 窓辺から下を見たら、彼が愛馬に乗ろうとしているところが見えた。無事に乗れるかどうかを見守ったが、ラグは暴れる馬を乗りこなし、あっという間に駆けて消えた。
「ふん……もったいない奴だ」
 彼にもう一つ腕がついていたら、片目であっても傭兵として雇いたかった。しかしながら、兵役はもう引退だ。引退先の住居として、あの村はふさわしいかもしれない。
 ウルフェウスがマントを脱いで部屋でくつろぎ始めた頃、店の中から数人が出てきてラグの後を追いかけた。しかしながら、それをさほど心配することなく見届けた。追っ手の体格はラグよりも良かったが、ラグは彼らよりも経験があるような気がしていた。おそらく若い追っ手には、ラグが途中で落としていく銀貨の方が魅力的だろう。
 ウルフェウスは、自分も明日は早めにここを出たほうがいいな、と考え、雨戸を閉めて早めに眠りに着いた。屋内でベッドに横たわるのは半月ぶりのこと。あっという間に意識は消えたのだった。


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