二輿物語


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8 王と乞食

 
 ウルフェウスが馬を失い、無一文になってから、二日。何とか王の住まうカプルアへ到着する。意外にも、この二日間は苦労せずにすんだ。街道ですれ違った農民が途中まで馬車に乗せてくれたし、農作業を手伝えば、気前よく昼食をおごってくれる。
 結局のところ、カプルアの自由市に食品を売りにいくと言う農民に甘えて、荷馬車で都へ入ったのである。それまでの旅程に比べて気楽な旅となった。
 吟遊詩人からカプルアの美しさを聞いてはいたが、目にするのは初めてのこと。意外にも小さくてこじんまりしているとは思ったが、初めてきた外国に気分は高まった。金はなかったが、市場を覗いて品物を見ていたら、ウルフェウスの外見を見て、腹がすいているだろうと思ったのか、果物を売っていた子供が「一つあげるよ!」と声をかけてくれた。
 ウルフェウスは店の前でそれを食べ「こんなに美味いものを食ったことがない!」と大げさに褒め称えた。彼の言葉を聞いて、市民が子供に「俺にもくれ」と金を渡す。それからひっきりなしに客がきて、王子は子供と目配せして微笑んだ。
 いつの間にかウルフェウスはこの国を好きになっていた。心から平和を体感できた国なのだ。今まで戦を通じて、国を豊かにするために仕事をしてきたが、これほどの安らぎを味わったことはない。小国だと思って侮っていた。この国の王は聖君だと思った。
「いい国だな……みんな優しくて親切だ。この国の王は人格者なんだろうな」
 その娘である姫も優しくて親切に違いない。彼女に会ってみたい。
 市場からカプルア城が見える。聞きしに勝る壮麗さ。光に輝く白皙の城だ。まるで幻が宙に浮かんでいるように存在した。城内に入るには、城の周りをぐるりと囲んでいる谷を越えなくてはならない。乞食が近づくには恐れ多い場所だ。
 午前中の市が終わり、中休みに入ると、売り子は商品に布をかけて、店を閉じてしまう。昼食を取ってから午後の販売を再開するのだ。次々と商店が閉まっていき、人通りが減ってきた。ウルフェウスも市場から外に出て行く。
 売り子をして実家の生計を手伝っていた子供たちも、役目を終えると、友達を誘って遊び始める。市場の裏にある広場を囲んで、大宴会が開かれていた。同業者が集って食事をし、弦楽を鳴らして束の間を楽しむ。ゆったりとした生活ぶりを見て、ウルフェウスは羨ましく思った。彼らは人生を楽しんでいるに違いない。
 再び彼らから昼食を恵んでもらい、話をした。
「なあ、この国の姫さまってどんな女性なんだい?」
 市民の口から、アリシア姫に関する噂を聞く。いい噂を聞けると思って訊ねたのだが、市民の反応は悪い。彼らは「見たことないけんど、王妃様に似て美しいだろう」と曖昧な答を返す。姫は一度も城の外に出たことがないので、どんな姿か知られていないのだ。
 良家の令嬢ならば、そんなものだろう。やはり、自分の目で見てみなくては、彼女のことはわからない。
 市民が姫について気がかりな情報を教えてくれた。
「近頃、悪魔と契約をして婚約することになって、寝込んでしまわれているそうよ。もともとお体は弱い方だから、可哀相ねえ」
「そうなのかい。姫さまもついに結婚かい。今まで、箱入りで大事に育ててきたのに、どうして悪魔なんかと契約しちまうんだろうね。ひどい話だ」
「悪魔から救ってくれる勇者なんていないものかしら! 悪魔退治に来てくれる優しくて素敵な王子さまがいいよ。私たちもさあ、これから悪魔の膝元で無事に生きていけるものかね? 不安だよ。悪魔が来たら、ひどい世の中になっちまうかもしれないし」
 アリシアは病弱な姫だという。父からもそのような話を聞いていたが、本当に寝込んでいるようだ。自分の母も生前は病弱だったと聞いていた。奇妙な偶然の一致は運命を感じさせる。だが、市井に流れている自分の噂を聞いて、さすがに滅入った。
 どうして、ここまで悪い噂が流れているのか。これでは姫が嘆いて落ち込んでも無理はない。今まで戦に明け暮れて、人の噂なんて気にしたことがなかった。だが、それが姫を悩ませているのだと知って、反省する。もっと優しいエピソードを作っておけばよかったと後悔するが、今更の話。
 彼女は愛してくれるだろうか。自分は女性に愛される価値のある男だろうか。自分は悪魔ではないと理解してもらいたい。どうしたら上手く伝えられるだろう。
 午後には市が再開し、かしましく行商人の掛け声が溢れた。
 食後、王子は靄に浮かぶカプルア城を眺めていた。この期に及んで足がすくむのか。敵を前にしても、恐れることなく挑んできたのに。しかし、思い悩むのも性に合わない。しばらくすると彼は考えることを辞めて、立ち上がった。
 燦然と光り輝く太陽の下、薄汚い乞食風情の王子は爽やかに笑う。
「さて、可哀想なお姫様を助けに行くとするか!」
 覚悟を決めたら楽になる。正門まで一気に進んだ。谷を渡る橋が二つ架かっている。正門からは黄金に輝く幅の広い頑丈な橋が見える。この橋を渡ればカプルア城内だ。
 彼は城の外に居た門兵に話しかける。
「王に取り次いでくれ。俺の名は、ウルフェウス・アクエリアス・ヴァルヴァラ」
「はあ? ウルフェウスって……?」
「早く行きな」
 ウルフェウスはにっこり笑って門兵を急がせる。兵士は首を傾げつつ、反論もせず素直に城の中に入っていく。彼らが消えると王子は突然、不機嫌な顔になり「穴だらけじゃねーか」と呟く。城を守る兵士は誰も居なくなっていた。
 ザヴァリアの現状はあまりにひどい。お人好しにも程がある。今までミタルスクの進入が無かったことが、信じられない気分だ。もしかしたら、ミタルスクという国は案外話せばわかる国なのかもしれない。長年覇権を争っているウルフェウスは妙な気分だ。
 城の外で橋げたの上に座ったまま、どうしたもんか、と悩んだ。


「何だと?! ウルフェウスとな?!」
「はい、陛下……恐れ多い名前を語る不届きな輩でして」
「その者、どのような形をしておる?」
「はあ、そ、それが乞食のようでありながらも『光り輝く黄金の肌』に『双碧』の目……そして何より『七色に輝く黒髪』を持っていて、只者ならぬ雰囲気を感じたので」
「ウ、ウルフェウスではないかっ! 早く通せ!」
 ザヴァリア王に報告していた衛兵が、大慌てで部屋を出て行った。
 部屋の中で、王がそわそわした表情で身なりを正した。実は王子に会うのは初めてだ。ウルフェウスは舞踏会にも出たことが無かったので、今まで知り合う機会が無かった。
 しかし、彼は才能のある男として知られている。若くして執政を預かっている王子で、ヴァルヴァラは軍事大国だ。一級の客人である。そんな彼にこれから父と呼ばれるようになるわけだ。ザヴァリア王はいたく緊張して無言で歩き回った。
 愛娘の婿として招聘した身でありながら、娘を取られたくない。有能で若い王子に嫉妬しつつ、彼に父と呼ばれてみたい気もする。相反する感情に板ばさみになって苦しむ。
 その時、突然扉が開いた。外から汚い乞食が「え? このまま入っていいのかい?」と言いながら自分で扉を開けて入ってきた。
 ザヴァリア王は驚いて、呼吸も動きも止まった。
 乞食は謁見用の広間に入ると王を見て、微笑んだ。そのまま、臆することなく奥に進む。王は予想もしていなかった形を見て、改めて怯えながら後ずさりする。乞食にしては大胆な男である。王は「貴殿、ヴァルヴァラのアクエリアスか」と恐る恐る尋ねた。直接名を呼ぶことは躊躇われる。守護神の名を呼ぶと乞食は少ししてから「そうだ」と応えた。
「ウルフェウス・アクエリアス・ヴァルヴァラだ。血族には、ウルフと呼ばれてる。ザヴァリア王へ取次ぎを頼む」
「……。私はザヴァリア国王」
 王が気の抜けた声で呟いた。王子を見つめたまま、それ以上の声が出ない。
 王子はちょっと考えた後に、マントを払ってひざをついた。彼は動じることなく、改めて王の前に控え、態度を一変させて流暢な挨拶をはじめた。
「ザヴァリア国王陛下、初めてお目にかかります。ヴァルヴァラ家第七代家督ムラドゥラの第五子、ウルフェウスにございます」
「…………」
「先ほどの非礼をお許しください。自国と勝手が違いましたので、無礼な発言をしてしまいました。心よりお詫び申し上げます」
 王は慄きながら両手を上げて振る。しばらく言葉を考えて「よい、よい」とようやく声を出した。まともな言葉が浮かばない。王子にあるまじき姿、王子にあるまじき登場、そして突如現れる礼節と教養。そのアンバランスさが思考回路を止めてしまい、気がついたら思ってもみなかった言葉を言っていた。
「遠いところをよく来てくれた。歓迎しよう。その、まず、湯を用意して身なりを整える手伝いをさせよう、うん、そう、他に、食事の用意を」
 舞い上がっていて自分でも何を言ったのかよくわからなかった。
 王子はきょとんとした顔で王を見上げ、しばらくして満面の笑みを浮かべた。その笑顔があまりに可愛らしく感じられ、思わず王もつられて笑ってしまったほどである。
 ウルフェウスは優しい笑みを浮かべながら、そわそわして辺りを見る。初めて遊びに来た場所を観察する、冒険者の目。その様子は年相応の少年のそれだ。戦地で恐れられている人間とは思えぬほど、普通であった。
 衛兵が執事や大臣を呼び集め、侍女たちに「湯浴みだー」と叫んだ。
 王子は無言で立ち上がり、王の前で軽やかに一礼する。王はおどおどしながら、王子を見送る。すっかり骨抜きになってしまった。
 ウルフェウスは扉の前で一度立ち止まったが、しばらくして自分の手で開けて出て行った。衛兵があわてて傍に来て扉を持ったが、彼は振り返ることなく歩いていってしまう。
 彼が消えると宮廷内が突然蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
「早く湯を沸かせ!」「王子より先に行って着衣をお取りするんだ」「困ったわ。ヴァルヴァラの作法ってどんな?!」「王子は何を召し上がるのでしょうか?」「何て背が高いのかしら。彼に合う衣服を探さなくちゃ」「皆、静かにせよ! 私が話すぞ!」「王、どのように!」「王、ご指示を!」「姫はどうされます?! お召し物をどんな色で……あ、お二人同じ色で」「待て、待て、王の御指示は?!」
 王は堪らなくなって「王妃を呼べ!」と叫んだ。我先にと王妃を呼びに行った家来を見つめ、王はようやく腰を下ろして「困った困った」と呟いたのだった。


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