[PR] この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。
3 第一気団のグランポール
食事の後、一般の旅客機に混じって飛行準備が始まる。防寒具を余分に積みいれ、救難信号を発信できる小型の無線機の状態を確認する。マックスは予備のグライダーを二つ、新たに購入した。
一見すると無邪気で無知な男に見えるが、彼は極限状態で悲壮になったことがない。結局のところ、度胸の据わった男だった。それは、ハンターに要求される素質でもある。常に冷静で、楽観的なほうがハンターはできる。しかも、違法行為に対する良心的な呵責も少ない。彼は犯罪者にもなれるタイプの危ない男だ。
マックスがジョルノに指示してきた航路は「グランポール」を使う難易度の高い方法だった。天空図と気象情報を読みながら、ジョルノが航路の安全性を確認していたら、管制官からの連絡が入った。
「カトルズ空港からJCP1、状況の報告を」
ジョルノは作業を続けながら、片手間に答えた。
「JCP1からカトルズ、発進準備は予定通り。出発時刻に変更なし」
「JCP1、飛行する航路に変更はあるか」
「ないね。提出したとおりの飛行計画の予定だ」
難易度は高いのだが、第二気団にあるロヴィーネ島を経由しないつもりならば、マックスの案は最も早く第四気団へ行ける方法だ。第一気団内にある「グランポール」で、直接上向きの風をつかんで、第一気団の天頂部へ行く。午後の気圧配置を考察すると、そのまま西へ流れていけば、第二気団に行くことなく、第四気団にあるマルズ諸島に行くことができる。その島には遺跡がないので、着陸することができる。
そこで、彼は仲間と待ち合わせをしている、という。
やはり、パーティを組んで空に来たらしい。マックス以外にハイジャックをした人間がいるとは聞いてない。彼の仲間はどのようにして、空中都市へ侵入を試みているのだろう。正規にチェルキオ空港から旅客機を乗り継いでいる可能性もある。
だが、今朝から北線の動きも不穏である。それが、彼らの計画通りなら、とんでもない規模の窃盗団かもしれない。巻き込まれたら、ジョルノも犯罪者になる危険がある。
金がないから引き受けようと思っていたが、今日は他にも安全な仕事がありそうだ。迷いつつも、結局、一度引き受けた仕事を放り出すことができずにいた。
今日の管制官は無駄話をしている余裕はないようだ。飛行計画に変更がないとなると、無駄なことを話すことなく、発進手順の話になった。
「JCP1は十五時〇〇分に北向き航路へ侵入を」
「JCP1、了解」
航路のチェックを途中で終えて、発進時刻を愛機に伝えた。コントロールボード越しに時刻を入力し、カウントダウンをスタートさせる。機械が発進までの時刻を計算し、作業を指示してきた。機関部への電力供給を開始、ブレーキランプの点灯を確認、燃料の残量を示すゲージの確認、現在の高度を確認、今日の風速と風向きを確認。
チェックボードに書き入れていきながら、マックスを呼ぶ。
「マックス! そろそろ中に入って、着席してくれ」
機体の外で持ち物の検査をしていた彼は、バックパックを作りながら「わかったー」と答えた。彼が荷物を積み込み始めると、機体がかすかに揺れた。最後にマックスが中に入って、副操縦桿のある場所に座る。すぐにジョルノが「操縦席には入るな」と言って、追い出した。
マックスは機体中央にある一般居室で荷物と共に、ベルトで固定される。
緊急脱出用のハッチの確認をしていたら、外にいた整備士たちが、整備が終わったことを示す合図を送ってきた。耐凍性タンクに液化した氷晶を積み込み、マックスと荷物の運び込みも終了したようだ。外側からハッチを閉めて、問題がないことを知らせてくれる。ジョルノはネイジェルたちに片手をあげて応えた。彼らは笑顔で手を振って、車に乗り込み、JCP1から離れていく。
目の前で大型の旅客機が動き始めた。浮力装置が機体の下部でぼんやりと青く光っていた。機体の外側からは見えない深部に置かれているのだが、最大出力を維持して機体を透過するほどの光が生まれている。
今日の風は東南微弱。旅客機は滑走路に入ったが、そのまま垂直に浮き上がったあと、風をつかんで、ゆっくりと航路を南向きに変更して飛んでいく。風は順風だ。彼らは苦もなく旅路に着いた。直後、JCPに無線が入る。
「JCP1、状況の説明を」
ジョルノは操縦席に入って、シートベルトをつけ「JCP1は最終確認を終了、飛行計画に変更なし」と答える。コントロールボードに飛行計画を投入し、気象情報と連結させる。慣性航行用の機器に電源を入れて、飛行準備を整えた後、操縦席の壁を透過させる。
視野を確認して、滑走路の状態を見る。
「JCP1、十四時五十五分まで、待機せよ」
「JCP1、了解した。浮力装置への電力供給を開始して、待機する」
浮力装置への電力供給が始まり、ゲージの変化を確認する。機体の重さと浮力が釣り合うと電源を切って、機体の高度を維持した。接地面にある車輪と機体を固定させている電動の枷が効いていることを確認し、気象情報を確認した。
すぐに管制官から情報が入る。
「カトルズ空港周辺は東南東の方角へ秒速五メートルの風。グランポールの周囲にエアポケットの存在を確認。JCP1、上向きの気流をつかむのは難しいぞ」
「北東線にいる軍からの情報は?」
「北線への侵入を禁じる。それから、無許可の航空機は東線への侵入を禁じる」
「JCP1、了解した。グランポールの航行が許可されてるなら、構わない。間違えて北に入ったら、両手を挙げることにする」
かすかに笑い声がした後「JCP1、北向き滑走路への進入を許可する」と言われた。ジョルノは、サングラスをかけて「JCP1、了解」と答えた。機体を繋ぎとめている枷を外し、車輪を駆動させるモーターを動かした。ゆっくりと滑走路に向かって滑っていく。風に煽られると機体が左右に揺れる。
停止位置に来ると、風が下からまくるように吹いた。ジョルノは浮力装置に電源を入れなおして、浮力の調整を行う。向かい風の中での航行は、推進力が必要になる。電力供給用のゲージを視認して、エネルギー量を再確認する。
管制塔から発進許可が下りると、彼はすぐにロケットブースターに点火して、水平に走行をはじめ、推進力をつけてから空港を離陸した。流体エルロンが空気をつかみ、下向きに押付ける形で機体の高度を維持していたが、機体を反転して北向きに変えたとたん、ぐいっと機体が上方へ持ち上がった。
そのまま、空を力強く駆け上がっていく。エルロンの形を変更し、推進力を北向きに微調整する。主翼は帆のように形を柔軟に変え、風をつかみ、自然の力を利用する。
機体が安定すると、管制官に安定走行に入ったことを伝え、通信を切った。
「マックス! エアポケットの情報が入ったから、シートベルトは着陸までつけとけ!」
背部にいる彼に怒鳴りつけたら「わかったー」と返事が聞こえた。
そこからグランポールの入り口まで、向かい風走行で二時間が経過。
日が地平線に落ちていくところが雲越しに見えていた。既に雲の下に落ちているので、一部の雲は黄金と灰色の混じったまだら模様になっていた。空の真上は闇が広がっている。雲の下から太陽の光線が入射する。雲の中で虹が飛び散るように、色がつく。
日暮れまではあと一時間ほどだ。この一番美しい時刻に、星の弧線が華やかに色づいて、見ものだ。しかしながら、ジョルノにその光景を見る余裕はないだろう。これから、十分以内に空の難関「グランポール」に進入する。
既に軍がJCP1の進行方向を知って、引き返すように連絡していた。
「民間機に告ぐ、これより先の航行を禁じる。直ちに引き返すように」
「こちらはJCP1、パイロットはジョルノ・ポアンカレ。船籍は第一気団南西線ケアフルール島だ。十五時〇二分にカトルズ空港を離陸し、現在はグランポールに向けて航行中。行き先は第四気団マルズ諸島だ。グランポールの上昇気流を使用し、上空への侵入を計画している」
「JCP1、北線航路は封鎖されている」
「知っている。北線には侵入しない」
「直ちに引き返せ。これより先の航行を禁じる。グランポールへの侵入を強行するならば、JCP1を空賊船と判断し、迎撃する」
一方的な言い渡しを聞いて、ジョルノは小さく舌打ちをした。頭の固い軍人だ。
時計を一度ふり返り、天空図を引き寄せた。グランポールを使わないなら、順当に第二気団経由で登るしかない。この場所から第二気団へいける最短の航路を探す。なければ、どこかで一度着陸許可をもらって、再度考える。
とにかく、南へ引き返すことにした。JCP1には砲撃に耐えられる構造はない。銃器もついてない。戦闘場面に遭遇することも避けたい。内心は、渡りに船だ、と思った。
しかし、依頼主に「引き返すぞ」と声をかけたら「ダメだ」と返ってきた。
振り返ると、マックスはシートベルトを外して、操縦席の近くへ来ていた。
「マックス、危ないぞ。座ってろよ」
「JCP1はグランポールへ行くんだ」
彼はにっこり笑って、ジョルノの首に銃身のほとんどないピストルを押付けた。とっさのことで何を押付けられたのかをよく見なかった。ジョルノは「ここでジョークはやめろよ」と言いながら、レーダーを振り返る。軍用機はJCP1の傍にぴたりとくっつき、進路を注意深く見守っているようだ。民間機をいきなり攻撃はしてこないだろうけれども、どちらも緊迫した状況には変わりがない。
銃身が見えない。マックスの手にあるものは、銃ではない、と思いたい。
しかし、肉体は正直だ。背中から冷たい汗が流れ出た。進路を変えて引き返すために、自動航行から手動に切り替えたばかりだ。操縦桿を離すことはできない。
ここで撃たれることはないだろう。マックスにJCP1の操縦ができるとは思えない。これはただの脅しだ。何度もそう思い込もうとしたが、体が動かない。
マックスは片手を伸ばして、無線機を動かす。慣れたその手の動きに肝が冷えた。やはり、この男はハンターだ。無邪気な無知なんかではない。
彼は軍用機に話しかけた。
「こちらJCP1、この民間機はたった今、ハイジャックされました。攻撃したら、無実の民間人が一人死ぬんじゃないの? 犯罪者も死ぬかもしれないけどね」
マックスはそう言って、楽しそうな声で明るく笑った。彼には、恐怖心がないのだろうか。ジョルノは声を出すことができず、ただ、前方を見つめて、グランポールまでの距離と時間を確認した。このまま、グランポールに突っ込んで、何もしなければ、北線へ入ってしまうかもしれない。目眩がしてきた。
無線越しに声がした。軍用機から聞こえてくる声は、かすかに人間味のある温かさを感じた。事務的に侵入を禁じ、逆らったら迎撃する、と言っていた人間とは思えないが。
「ジョルノ、返事をしろ……彼を殺したのか? パイロットの声を聞かせろ。彼が生きていることを証明しろ。彼がまだ生きてるなら、ハイジャックの目的を聞こうか。救うべき民間人がいないならば、十秒後に撃墜する」
その瞬間、ジョルノの体から力が抜けた。大きな音を出して「はあっ、はあっ」と呼吸を再開する。その瞬間まで、息が止まっていたことに気がつかなかった。額から大粒の汗が流れていった。
マックスが気の抜けた声で「何か話してよ」と言った。ジョルノはとっさに周囲の計器を見て、声を出した。
「ジョルノだ。グランポールまで残り時間は二分一四秒。離脱限界時刻までは残り二〇秒しかない! 攻撃しないでくれ! もう手動に切り替えてるんだ。今は手を離せない」
軍用機からの連絡がすぐに返ってきた。その軍人の声は低く、常に冷静だ。
「ハイジャックの目的は何だ」
マックスが無邪気に答えた。
「第四気団へ行きたいんだよ。北にいる空賊の騒ぎなんて、興味ないよ」
「貴様は遺跡ハンターか。第二気団を経由しないところをみると、盗賊らしいな」
彼らが話している間に離脱限界地点を超えた。風速が突然変化した。三方向以上の気流が交じり合い、風速と角度が複雑に入り乱れる。ジョルノの手に直に風の重みが乗った。ここから引き返すのは難しい。機体は風に引っ張られ、前方へ向かう。
軍用機はJCP1の後方から、グランポールに入ってきた。ジョルノたちを追跡するつもりのようだ。背後につけられたが、殺気は感じない。この風の中で銃撃しても、玉の無駄遣いだ。
一度大きなエアポケットに飛び込んで、機体が大きく揺れた。マックスが倒れてくれることを期待したが、さすがはハンターだ。少し体勢を崩しただけで、操縦席に手をかけて立て直してしまった。荒れる風の様子を見ても、平然としている。
「君の腕は信用してるよ」
彼はジョルノの肩を叩いてから、首につけていたピストルを外す。その物体は銃器ではない。いや、やはり銃器なのか。見たことのない形の自動小銃だ。銃身はほとんどない。手のひらに全て入ってしまう。
それ以上、その物体の正体を考えている余裕はない。ジョルノはめまぐるしく変わっていく風速計の数字を見て、操縦桿を握り締めた。北に頭を向けているのに、東に向かって機体が滑っていく。風と方角をつかみきれずに、不意に機体が反転しそうになる。
上昇気流は一瞬、竜巻のように生じる。八つの天空線の回転軸となり、均等に風の圧力がかかる場所で、風は上方へ力を逃がすのである。グランポールの通過時間は僅かに一分半弱だ。その時間内で運命は全て決まる。
JCP1の背後の気流はさらに複雑だ。グランポール自身の乱れに加えて、JCP1の機体からの反射も混じってしまう。あの軍人が最後までついて来れるのか。
マックスと二人きりになるのは、たまらない。彼は不意に犯罪者へと変貌する。空に来る犯罪者には慣れていると思っていたが、善悪の仮面がほとんど変わらない悪人は初めて見た。彼にはいつ警戒心を持って接すればいいのかがわからない。突然、前触れもなく、危険な男が出現する。
考えてみれば、初めから強引な男だった。空中都市までハイジャックで行こうと考える勝手さも、正規の手続きで通常の飛行を利用しないところも。マックスには自分の欲望しかない。そして、それは周囲の願いや法律や、社会常識がそれを許さなくても、絶対に実行される。彼は願望の成就を障害するものについて気にかけるつもりが全くない。
本当に怖い犯罪者は、罪を犯している自覚のない人間だ。
「グランポールの中心まで、残り、二十六秒」
ジョルノは無線を睨みながら、そうつぶやいた。背後から軍用機がついてきてくれるだろうか。マックスをどうしたらいいのだろう。そんなことを考えつつ、状況を口にした。
「手元の計器によると、風は東向き、東線の影響が強い。このままでは侵入してしまう。進路をX軸へマイナス3.6、Z軸へ2.2、Y軸は現状維持で侵入」
機体をひねるようにして動かしながら、早口で数字を話している間に風が変わった。続けて修正していきながら、ジョルノの目は平静さを取り戻した。機体は素直に動いてくれる。整備士たちの腕は確かだ。機体を思うままに動かすことができ、風を読むことができるなら、グランポールなんて恐ろしいものではない。
計算どおりの場所で、上昇気流をつかんだ。ジョルノは短時間で逆噴射を駆使しながら、その空域への滞留を試みる。上昇気流の中に機体を押し込めるのは難しい。何もしなければ数秒で通り過ぎてしまうような場所で、機首を上に持ち上げる。
下手をすれば、そのまま失速する。
細い螺旋階段のような回廊を駆け上がり、天頂部を目指す。風は常に変動し、グランポールの中にある竜巻の形は変わっていた。細心の注意をして、計器を睨み、口と手が動いていく。徐々にマックスのことを気にしなくなった。そんな余裕がないのである。
グランポールの周辺部位の風は遠心力が強く、機体が僅かに外にはみ出せば、そこから八方向へ伸びる天空線の流れに引き込まれてしまう。
回りながら真上に引っ張られていく。空が見えてきた。
星がある。
「グランポールの終焉まで、残り、五秒、四、三」
数えている途中で風が大きく蛇行した。その刹那、機体を揺るがす振動音がして、古い機体がバラバラになる音が聞こえた。きりもみになってJCP1が振り回される。もう舵が効かない。ジョルノは「くそおっ!」と叫んで、両手を踏ん張るが、操縦桿は勝手に折れ曲がっていく。西へ行くのか、東へ行くのか。もう体感できる方角がわからない。
その横をすり抜けるようにして、竜のような物体が光のような速さでグランポールの中を突き抜けていくのが見えた。それは、あの軍用機だ。さすがは専属のパイロットだ。彼は難なくグランポールを抜けた後「JCP1、応答しろ」と冷静に声をかけてきた。
ジョルノは機体を安定させるために、全力で操縦桿を握っていた。もう何をどうしていいのか、わからない。全身から嫌な汗が噴き出している。
死を実感しつつ、最後の場面で腹をくくった。
簡単に死んでたまるかよ、と口の中でつぶやいて、恐怖を捨てた。やるしかないのだ。計器を見て、愛機の状況を把握した。
目標高度にはまだ到達できていない。方角は予定よりも北西にずれている。このまま西北西の進路を貫けば、無風地帯へ侵入してしまう。ジョルノは計器を頼りに、力ずくで西へ操縦桿を引っ張った。マックスが操縦席にしがみ付いた格好で、彼に手を添えた。不意に感じた彼の手の温もりに、意識が戻る。マックスの横顔は気楽な笑みを維持している。
極限の中でこの男は笑っている。彼は、本物の冒険者だ。
二人で機首を西へ向け、ジョルノは叫ぶ。
「北西線から西線に侵入するインターポールまで、二分十秒。現行速度と方角を維持!」
「りょーかい、りょーかい」
マックスはジョルノの手を包むようにして、操縦桿を握った。力強い手だった。
無線からは乱れた音声で、軍機からの連絡が入っている。しかし、徐々にその音は小さくなった。第一気団の上空で雲の下から西線へ向かう。
グランポールから遠ざかるほどに風が落ち着いて、速度が落ちてきた。
マックスは天空図をちらっとみやり、つぶやいた。
「第一気団のサーキット(円周部位)を利用して、第二気団経由で第四気団まで行けないかな? このまま南西線へ向かえば、第二気団には遭遇できるでしょ」
「はあ……次から次へと俺の頭を使わせるな」
グランポールの上昇気流を利用して、この高度まで到達できれば、円周部まで戻って風を使わなくても、浮力装置で移動は可能だ。あとは、雲から上にでるタイミングだけだ。
既に日は落ちているが、まだ空は明るい。
不意に見慣れた島が見えた。北西線にあるシエル島だ。ジョルノの母校がある。島は今、グランポールに引き寄せられて方向を変えようとしているところだった。巨大な島の下部にある浮力装置と共に、推進装置が稼動中だ。グランポールに近づく前に、それは島を求心性の風から遠心性の風の中に送り出し、再び円周に向かって島を浮遊させる。
この作業が見られるのは珍しい。
島の自治組織がこの計画を定期的に作り、島の動力源を動かして島民の無事を守る。ジョルノはシエル島が再びグランポールへ向かっていることに気がついた。その途中で、彼らは島を外向きの風に向かって飛び越えさせるだろう。
「進路を変更し、北西線上にあるシエル島へ向かう」
操縦桿を動かしたら、マックスは素直に手を離した。風に任せて、シエル島へ近づいていく。島の一部に係留用の装具を打ち込んで、島と共にグランポールの近くまで一緒に行くことにした。
ロープに引っ張られ、機体は揺れる。係留がうまく行くと、ジョルノは一息ついて、天空図を再度手に取った。マックスは気楽な顔でそんな彼を見守っている。
「難関は越えたかな?」
マックスは悪びれる様子もなく、楽しそうな笑顔で話しかけてきた。ジョルノはうんざりしつつも「まだ超えてねーよ」と答えた。
その二分後、彼らは再びグランポールに侵入し、上昇気流を使って第一気団の上空に出た。軍の航空機は遥か遠くに見えていた。彼らからも見つかっているはずだが、風向きから計算すると、逃げられそうだ。
もちろん、ここで逃げたら、ジョルノも「お尋ね者」になるだろう。後々、警察を通じて軍へ出向かなければならない。所属も実名も話してしまったのだから、今頃はカトルズ空港に真偽を確かめに連絡が行っているはずだ。面倒な手続きが増えたが、ジョルノはそのまま上昇を続けた。
第四気団へ向かって西に進路をとり、早い気流に流されるようにして、上昇を続ける。カトルズ空港から出発して、二十分遅れで目的の第四気団へ到達した。
マルズ諸島に入って、入り乱れた大小様々な島の連結部位を見ていく。
そのうちのQという島に上陸する。
そこに、マックスの仲間が待っていた。船籍のない船が複数。彼らはどこにも所属していない違法な船乗り……空賊である。
「マックスっ! てめーが最後だ。仕事の後の酒はおまえの役目だからな!」
ハッチを勝手に外から開けられ、空賊が入ってきた。ジョルノはイライラした顔で「勝手に開けるな、くそっ!」と叫ぶ。マックスは操縦席から出て、へらへら笑いながら空賊のいる方へ行く。
着陸後、機体および電子機器に異常がないかどうかを計器上で判断する。チェックリストに着陸した時刻と場所を記してから、動力を切るかどうかで迷った。マックスをおろしたらすぐに引き返したほうがよさそうだ。彼らは北線を騒がせていた空賊の一部に違いない。電源を切りたくない。このまま飛びたい。
しかし、JCP1の周囲は空賊たちで囲まれていた。彼らは船籍を記した紋章を見つめ、ニヤニヤ笑いながら、車輪に枷をつけていた。ありがた迷惑な話だ。
「ジョルノ、皆に紹介するよ」
マックスが操縦席に戻ってきて、声をかけた。ジョルノはうんざりして答えた。
「これだけいたら俺は不要だろ」
「金は前払いで払ったじゃないの。途中で仕事を放り出すのはプロとしてどうよ?」
「空賊とパーティを組むとは聞いてない」
「ハンターに協力する奴は、みんな空賊だよ。今更、カマトトぶらないでよ」
軽く「ははは」と笑われて、肩を叩かれた。ここまできたら、覚悟するしかない。ジョルノはエンジンを切って、シートベルトを外す。
しかし、子供の頃、空族たちにさらわれた過去を思い出し、気持ちが沈んだ。弟と一緒に空へ来た。十五年前の話だ。ジョルノは十二歳、弟は八歳だった。
見た目だけは、天使のようにきれいだったので、要人を世話するボーイとして売られたのである。だが、ジョルノには雇い主はつかなかった。近づく男たちを片っ端から罵倒したからだ。品性がないとののしられ、弟だけが連れて行かれた。
買い手のつかなかったジョルノを引き取って、空賊は船内の雑用を押付けた。
彼をさらった空賊の頭は、リディックという名前だった。彼は売れ残ったジョルノを傍に置いた。同じ部屋で寝るように命じられ、船長の世話をさせられた。
その男とは二ヵ月間一緒にいた。狭い機内に居室は少ない。船員たちが雑魚寝している状況だ。ジョルノは船長と共にベッドに入るように言われたが、当時、彼はそのことに違和感がなかった。布団の中で眠れる状況にほっとしたのだ。
最初はリディックも親切に見えた。彼に誘拐はされたが、殺されるほどひどいことはされなかった。体罰もなかったし、仕事は思っていたほどきつくない。ただ、地上に返してくれないだけだ。
彼と一緒に寝始めて、一ヶ月経った頃、突然、彼との関係が変わった。ジョルノは当時、性的に未熟だったので、何が起こるのかを理解できなかった。いつも通り、布団に入って眠っていたら、その行為は始まっていた。体中をまさぐる手の感触、首筋にかかる生温かい吐息、淫らな呼吸音。朝が来るまでの時間は拷問だった。夜が来るたびに憂鬱な気分になり、隙を見て、逃げ出そうとしたが、空の上では逃げる場所がない。半ば強引に関係を迫られた。
しかし、最後の夜は勝手が違っていた。強引に飲まされた酒のせいか、いつもとは異なる感情を覚え、自分の肉体を信じられなくなったのである。とっさに、その場から逃げ出し、衝動的に空を舞っていた。
その後、なぜ助かったのかを覚えていない。気がついたら、別の空賊船に拾われていた。
飛び降りたジョルノを救ったのは、ターニャと言う名前の女盗賊だった。盗賊にしては珍しく、結婚していた。ターニャの夫は服役中だったが、夫の船を使って、彼女は窃盗を続けていた。ジョルノは彼女の船で保護され、後に、その仕事を手伝う羽目になった。
飛行技術や雲の読み方、軍隊との駆け引き、無線の扱い方など、彼女から手ほどきされて覚えた。後にその仕事から足を洗い、航空士養成学校へ入学することになるが、その前に一通りの技術は身につけることができていたのだ。
ターニャとは、七年傍にいた。初恋の人であり、報われなかった恋の思い出でもある。
彼女とは第四気団での仕事を最後に出会っていない。その時、民間の旅客機と接触事故を起こしたことで、警察につかまった。身の上話をしていたら、その旅客機を操縦していたパイロットが後見人を申し出てくれた。それから、ジョルノは表の世界へ戻れることになったのだ。彼の援助で航空士養成学校へ入学し、地上にも戻ることができた。
空賊は基本的にアウトローだ。
しかし、ターニャの船で過ごした七年間は、ジョルノにとって悪い思い出ではない。だから、彼らに対して悪い感情だけを持っているわけではない。中には、人好きする気の良い老人もいるし、政治的な理由で犯罪者扱いされている正義漢や信条のためにアウトローで生きる人間もいる。
懐かしい感情を思い出し、ジョルノは席を立ちながらつぶやいた。
「彼女は……今はもう三十五か。ははは。もういい年だな」
あれから十五年。ジョルノも二十七歳になっている。彼女はどうしているだろう? ターニャの夫はもう外に出たのだろうか。今でもまだ盗賊なんてやっているのだろうか。彼女に会えるかもしれないと思って、機体の外へ出て行った。
集まった空賊船はジョルノの船も入れて三隻だ。地上に降りている船団員をざっと見ただけで、二十人余りの窃盗集団だ。これに加えて、北線を騒がせて空軍を撹乱している賊も合わせるとかなり規模が大きい。
彼らへの成功報酬を考えると、これはただの窃盗ではなさそうだ。ビュルラク島から何を盗もうとしているのだろう。百人近くの人間をひきつける金銭的な魅力のある物品だ。それは、浮力装置そのものに違いない。ビュルラクには浮力装置の謎を明かすと言われる遺産がある。マックスが狙っているのは、その物質「アヴィリオン」だろう。
最古の井戸の壁面がその物質で覆われている。雲から水を精製する技術と浮遊技術は何か関連があるのかもしれない。
マックスが彼らに叫んだ。
「みんなに紹介しよう! ジョルノだ! 彼にはこれからヴュルラクまでの進路を指示してもらう。彼は正規の航空士だ。各気団の最新情報も把握している」
ジョルノは愛機から降りて、空賊船を見た。第四気団を飛行できる船かどうかを確認するように、機体の形状と大きさ、乗り込める人数を考える。JCP1でヴュルラクへ入ることはできるが、限界地点だ。航空士としての腕が必要なら、ナビゲーターとして二機のうちいずれかに乗ることになるだろう。
空賊の一人がジョルノに話しかけた。
「船籍持ちが空賊入りか……何をして道を踏み外したんだ? 坊ちゃん」
下品な笑いで肩を叩いて抱いてきた。垢の匂いのする彼らの腕を振り払い、ジョルノは自分がこれから乗り込むであろう船を見に行った。
空賊船の周囲には、機関整備を行っている男たちが座っていた。中を見たい、と話しかけたら、胡散臭げに自分たちの船長をふりかえる。岩陰の奥にいた男が軽く頷いて「見せてやれ」と許可を出した。その船長はまだ若い。片目に紅い眼帯をつけ、全身が黒い衣服で覆われている。死神みたいに陰鬱な顔だが、身にまとっている気配は悪くない。
機関部を守っているハッチを開けて、機体の構造を見る。
古い型だが、機体制御ロケット孔が六つとメインロケットノズルが一つ付いている。垂直方面への移動もできる大型のロケットだ。この他に十六気筒のV型エンジンがある。コンプレッサーは盗んできたものらしく、真新しい。地表面に近い空域を水平移動もできそうだ。いかにも空賊らしい寄せ集めだ。
浮力装置は中型だ。推進力には燃料電池を利用している。ヘリウムの他に水素と酸素のタンクがついている。整備の状態も悪くない。第四気団へ登るなら、細かい操縦技術が必要になる。ジョルノは船長をふりかえって傍にパイロットを探した。
船長の周りには、四人の船員がいた。彼らは不審な目でジョルノを睨みつける。
「ビュルラクは第四気団の最上部にある島だ。氷晶の残量と具体的な推進力を知りたい。方角を微調整しながら細い回廊を登る。できる部下はいるのか?」
「いなければ、俺はここにいない」
その船長は余裕のある声でゆったりと答えた。周りにいる男たちもにんまり笑って、ジョルノを見つめ返す。次いで、ジョルノについて聞かれた。
「お前に風を読みきれる才能があるのか? お前はなぜここにいる?」
なぜここにいるのか。ジョルノは再び考えて笑った。
厄介なことに、面白そうだと思ってしまったからだ。マックスがどんな人間なのか、予想はついていたはずだ。逃げようと思えば逃げられたはずだ。結局のところ、自分自身に存在する冒険心に抗いきれなかったのだ。
だから、ここにいる。
しかし、ジョルノは簡単に答えた。
「金で雇われた。普段から運び屋をしている。航空士免許はシエル島にある航空士養成学校昼間部で取得した。所属は第一学区だ」
「エリートだな」
その男はようやく小さな笑みを浮かべて「そしてお前はバカだ」と続けた。簡単に、彼は周りにいる人間たちを紹介した。操縦士、気象予報士、砲台長、通信士。気象を読む男がいるなら、彼らはジョルノがいなくてもたどり着くかもしれない。
もう一つの船に近づいたら「ジョルノ?」と声をかけられた。
機体の真下に入ってふりかえったら、浅黒い肌の男がにやりと笑っているのが見えた。その眼光を浴びた瞬間、背筋が一瞬で凍る。認識するよりも先に、本能で体が動いていた。その場から逃げ出すようにして立ち去った。
機体の陰から、ジョルノを追って男が出てくる。
「待てよ、坊主。ご挨拶じゃないか」
リディックだ。ジョルノはマックスを睨んで、大きく舌打ちした。
生温かい手で腕をつかまれたとき、思わず、過剰反応でふりはらってしまった。彼に向き合って睨みつけ「知らねーよっ!」と叫び返した。リディックは目じりに少し皺ができていた。優しい笑顔で見つめられ、その瞬間、彼にも年月がたっていることを思い出した。
彼は細かい三つ編みをした髪を後ろで一つに束ね、色気のある奥二重の目でうっすらと笑う。リディックはジョルノを舐めるように見て「成長したな」と囁いた。
マックスが傍に来て「知り合い?」と笑う。彼との関係を口にしたくない。
リディックはそ知らぬ顔で笑い、マックスに答えた。
「いーや、人違いだな。昔惚れた女に見えたのよ」
彼の一言で、周囲にいた空賊たちがジョルノの優男ぶりを揶揄して、大笑いした。性交渉の相手をする男娼のことを、彼らは「女」とか「女房」と呼ぶ。ジョルノをからかって「いい女になりそうだな」と彼らは笑った。ジョルノは真っ赤になって彼らを睨む。
ジョルノは日ごろ、肉体は酷使している方だから、バランスよく肉は付いているのだが、戦闘を目的に鍛えている男たちとは筋肉の質が全く異なる。彼らから見れば「女」のように抱けそうな肉体に見えるのだろう。
マックスはその横顔を見て、軽く肩を叩いて宥めた。彼は動揺することなく「予定を少し早めて出発しよう」と呼びかけた。空軍がこの島を目指している、と伝えると空賊たちの下卑た笑い声が鎮まった。
ジョルノはリディックと一緒の船に乗ることになった。拒否したかったが、リディックの船には第四気団に詳しい航空士はいない。マックスと言い争いつつも無理やり船に乗せられたのだった。
>next
---------------------------------------------------------------------------------copyright(c)conto bloco2005-2012 感想等があればBBS/拍手へ