4 立ち入り禁止地区への入島
マックスは空中都市を研究している男だ。だから、天空図にも詳しい。
今回の計画ではリディックの船で航空士を務めることになっていた。だが、ジョルノがその役についたので、彼は計画の総合的な指揮をとることになった。
彼にどんなバックがついているのかを知らなかった。今回の計画では、主要な資金を提供している巨大企業がいる、という。純粋な研究者ではないと思っていたが、企業が入ってあくどい窃盗をしようとしているわけだ。当然、その企業の名前は表向きは秘密だ。
マックス、という名前も偽名なのかもしれない。
「第四気団内にある島の配置は俺が知っている情報では、最新で先月のものだ。第一気団とは異なる気流の力学で動いている。知られている気流は西向きのジェット気流と東向きの吹き返し……充分な推進力がないなら、ジェット気流を突き抜けて上空へ入ることは難しい。第四気団は大きく二つの空域に分断されている。上空は西向きのジェット気流の影響を受け、下部は東向きの吹き返しによる影響を受ける。その設置面で風向きが変わり、機体は揺れる。機体の姿勢を維持するロケットが少なくとも三方向に必要だ」
リディックの船の中で、飛行計画を伝え、操縦士と機関士をあわせた三人で飛行計画を練り上げる。短気な彼らは既に離陸している。空軍がマルズ諸島に向かっていることを警戒し、移動を始めたのだ。
ジョルノは天空図上で素早く進路を決めて、機関部の反応を見る。この機体にはロケットが入っている。ジェット気流を突き抜けるつもりだ。どの地点で着陸して、噴射をかけるか相談し、無人の島を探した。
操縦士は静かに会話を聞いている。無反応であることからすると、問題はないということだろうか。一度、操縦士に理解できたかどうかを確認すると、うるさそうに「行き先を早く決めろ」と返された。
マックスはリディックとともに気楽な表情で話の行方を見守っている。
「マルズ諸島から南南東の方角に発射にふさわしい平地がある。だが、そこも空軍が押さえている可能性はあるな」
「マルズ諸島から直接ヴュルラクへ行けなかったのか?」
「発射時刻を調整すれば、マルズ諸島から上空へ入ることができたと思うが」
ジョルノは無線で軍に目的地を言ってしまっている。マルズ諸島には軍隊が出動しているだろう。マルズ諸島から先の航路を彼らは知らないはずだ。別の島から入った方が軍と遭遇する危険は減る。ジョルノ自身は後で出頭するとして、今はリディックと一緒に捕まりたくない。檻の中で何をされるかわからない。
彼とは目を合わせることもできなかった。背筋を這い上がるような不快な悪寒を感じる。自分は昔、この船に乗っていたのだろうか。この船のどこかで、彼に抱かれたのだろうか。あの寝室がまだあるのか。不意にそんなことを考えて、吐き気が湧いた。
口元を手で覆って、会話が途切れた。機関士が気づいて、ジョルノに目を向けた。彼はあの当時、この船には乗っていなかっただろう。年齢から考えて、船員は三分の一程度は入れ替わっているように見えた。だが、その他の人間は、ジョルノの正体に気がついただろうか。リディックの他に、気がついた人間はいるのだろうか。
「ハアッ、ハアッ」
「おい、エリート、大丈夫か? 顔色が悪いぜ」
機関士は苦笑いして天空図を片付けた。ジョルノは片手を伸ばして、地図をつかむが、機関士は操縦士に「南南東の方角へ行け」と伝えた。そのまま、彼はリディックに「戦闘が必要になるかもしれませんぜ」と笑って、第二甲板から下部にある機関部に戻っていった。通り過ぎる間際、ジョルノをいたわる様に肩を叩いていく。
ジョルノは体を動かすことができず、そのまま顔を覆った。軽い目眩がする。
マックスが傍に来て「大丈夫だ」と肩を撫でたが、ジョルノはその手を邪険に振り払い「一人にしろ」とうめいた。誰にも体を触られたくない。
リディックが席に座ったまま、話しかけてきた。
「疲れてるなら、俺の部屋で横になって休むか?」
そのまま、高らかに笑って「マイレディ」と呼びかける。船内は彼の一言で、空気が変わった。操縦士が大笑いして「かわいこちゃん、着いたら起こしてやるよ」と軽口を叩く。だが、ジョルノはその場で机を叩きつけて、操縦室から離れていった。もちろん、船長の部屋なんかで休むつもりはない。リディックのいない場所へ足が向かう。
それは本能的な衝動だった。何も考えずに船尾へ向かう。
だが、外に出るハッチに手をかけたとたん、マックスが追いかけてきて手を握った。その瞬間、時空が吹っ飛んで消えた。手を握られた瞬間「うああああ」と叫んで暴れたが、直後、マックスに抱きとめられた。その瞬間に、リディックの体を思い出した。彼の肉体は強かった。抱きしめられた時に嗅いだ汗の匂いを思い出す。
マックスはジョルノを抱きとめて、明るい声で話しかけてきた。
「ジョルノくん、大丈夫だって言ったでしょー? 俺が」
「離せよっ、離せっ!」
「リディックと何かあった? どうしたんだ。どうかしちゃったのか?」
思わずふり返りざまに、拳で殴りつけてしまった。それはきれいにマックスの左側の顎下に入ってしまう。彼は仰向けに顔を仰け反らせて、倒れてしまった。そのまま、あっさりと気絶する。ジョルノは握り締めた拳のまま、瞬きを繰り返し、我に返る。
人間を思いっきり殴りつけたのは、初めてだ。拳が痛い。殴られた人間はもっと痛いだろう。急に罪悪感に襲われ、マックスの傍に膝を付いた。
「おい、マックス? マジで入った? なあ、お前、ちょっとぐらい避けろよなあ」
そう言いながら、彼の体を揺するがマックスは完全に伸びている。弱い。
結局のところ、医務室へマックスを連れて行き、そこで彼と二人ですごすことになる。
南南東にある島に立ち寄って、ロケットエンジンへの点火を行い、ジェット気流の上部に侵入した。幸いにして空軍との遭遇はなかった。彼らを完全にまくことができたようだ。もう一隻の空賊船の船長の名前はカヤルというらしい。あの片目の若い船長だ。彼の船が先に出発し、リディックたちが次に続く。
ジェット気流の中を通り抜ける時間は僅かだ。その上は風が弱くなり、穏やかな空間が広がる。風の力を利用して飛ぶことはできない。航行は推進ロケットと浮力装置を駆使して行われる。ロケットエンジンを使用するとひどい騒音だ。船内では船員が全てインターカムをつけて、防音しながら通信を行った。
ジョルノも彼らからインターカムを受け取り、通信士と会話をやりとりする。
「ビュルラク島までの会合時刻は、発射ゼロ地点から東北東の方角に七十五秒、東へ二度シフト二分五秒、次のジャンクションから上方三十度にシフト、維持して進行、三十秒」
カヤルの船から通信が入った。
「大気の状態は安定、視界は良好、機体に異常なし、進行方向に異常なし」
レーダーと速度から、彼らの進行方向を計算し、微調整を加えていく。ジョルノは再び操縦室に戻っていた。リディックは同じ場所に座っていたが、椅子の背にもたれて眠っている。もう彼がいても気にならなかった。マックスを殴ったら、気持ちが少し落ち着いた。
あの時、自分はまだ非力な少年だった。今はもう二十七歳の男なのだ。
その気になれば、あの男を殴り倒せるはずだ。
もう、力でいいように扱われるような存在ではない。
カヤルたちから通信が入った。
「ビュルラクが見えてきた……空軍だ。俺たちは離脱する」
先回りされた。リディックがジョルノを見て「疫病神だな、レディ」と苦々しく言う。飛行計画がどこで漏れたのか。ジョルノはマックスを思い出して舌打ちした。ジョルノと遭遇したハイジャック犯はそんなことを無線越しに大きな声で叫んだはずだ。
『俺は第四気団にあるヴュルラクへ行きたいんだ。だから、死ぬ気でこの航空機に乗ったんだ。頼むよ、ジョルノくん』
『あとで俺に金を払え』
ジョルノの名前と所属、JCP1という名前がわかれば、昨日のハイジャック犯との繋がりもわかるだろう。ジョルノは小さな声で「しくじった」とぼやいた。アメリアはおそらくハイジャック犯の名前と目的を国際警察に伝えているだろう。通信内容も記録されているのだから、言い逃れはできない。
やはり、ジンクスは続いている。女が絡むとろくな事がない。
「俺も結局、犯罪者かよ。くそ」
操縦士がリディックに「船長、飛行計画を破棄しますか」と訊ねた。カヤルは既に離脱の意志を伝えている。空軍が待ち伏せしているなら、戦闘は必然だ。
戦うのか、逃げるのか。財宝は諦めるのか、どうなのか。
最終決定権は、船長にある。ジョルノは犯罪行為未遂のままで逃げたい気分なのだが。
リディックは答えずに視線を外した。マックスが医務室から戻ってきて、操縦室に入ってきた。リディックは彼に「空軍が待ち伏せしているが」と簡単に伝える。
マックスはしれっとした顔で「機体の数は?」と聞く。リディックは部下に「機影はいくつだ」と訊ねた。レーダーを見ていた男が「四機を確認」と答えた。
船長の隣にマックスが入っていく。マックスは「どういうことかな」と訊ねる。リディックは困った顔で微笑んだまま、答えた。
「今の時期に四機も出動はできない。半分はダミー、いや、空軍ではないだろう。遺跡保存委員会のパトロールだ。空軍から奴らに連絡が入って、緊急出動、といったところか」
「彼らの戦闘力はどうなの? 君より強い?」
リディックは「がはは!」と笑った後、目を輝かせた。彼は携帯している銃器に手を伸ばす。同じ船に乗っている人間として、聞きたくない決定事項だ。ジョルノは肩を落とし「何故俺がこっちの船に」と小さくつぶやく。マックスの性格から考えて、彼は絶対に計画を変更しない。そういう厄介な頑固者だということは、この二日でよくわかった。
「強行突破しろ!」
リディックが突然、館内にいる船員全員に船長命令を怒鳴った。通信士がインターカムでその命令を繰り返す。ジョルノはインターカムを投げ捨てたが、この船に逃げ場はない。戦闘に巻き込まれることは避けられない。
悪態をつきながら、頭をかきむしって怒りを表現するが、リディックには無視されている。彼らの船はジョルノの計画通りまっすぐにビュルラクへ向かう。空軍が出迎えても、国際警察が出迎えても、遺跡保存委員会のパトロール隊が出迎えても、戦闘だ。捕まれば一級犯罪者だ。
未確認飛行物体との遭遇時刻まで三十秒弱。機内は突然の警報が鳴り響き、下部甲板から慌しい足音が聞こえてきた。機体が大きく動いていく。砲台長から連絡が入る。
「前方第一列から第三列総員配備完了。残弾計数一基につき百二十発、実弾装填開始」
通信担当から船長へ。
「未確認飛行物体の所属が判明。船籍は第二気団ロヴィーネ島所属。ランデブー予定時刻まで、残り十二秒。機影を視認、四機です」
「機関最大出力維持限界時刻、残り十五分。10時の方角にヴュルラク島を確認」
リディックが「撃ち方始め!」と叫び、機内に警戒音が鳴り響いた。
ジョルノは真っ青になって後ずさりしたが、マックスは楽しそうに笑って壁際で腕を組んでいた。この男の脳内を掻っ捌いて見てやりたい。
機内下部から激しい爆裂音が連続して聞こえ始めた。ジョルノは両手で耳を覆って、音から逃げる。投げ捨てたイヤーマフを取り上げて耳にあてた。それでも聞こえてくる。機体は突然左右に振動と共に揺れた。警報ランプの点灯と共に機関部から連絡が入る。
「左側後部に着弾、装甲盤を貫通、機体制御ロケットBに損傷」
「第二酸素タンクに亀裂、残量の低下、エネルギー流量三十パーセント減」
「第一電子制御盤に異常あり、確認中」
「右側中央に着弾」
報告の最中も下部からはバラバラバラバラと絶え間なく実弾を放出する音がしていた。リディックはジョルノに「着陸するぞ、レディ」と声をかける。ジョルノは「はあ?」と答えたが、マックスに腕を引かれた。
操縦席を見れば、さっきまで軽口を叩いていた操縦士が胸から血を流して倒れていた。どこから撃ち込まれたのか。ジョルノは真っ青になったが、操縦桿を握らされ「は? は? はああ?」とマックスに叫び返す。無言で、操縦をよろしく、という仕草を返される。
悪態をついてみたがインターカムは投げ捨ててしまっている。爆音の中、文句を言いたくても伝わらないし、彼らの話している内容もよく聞きとれない。ジョルノは腹をくくって「ばかやろう」と叫びながら、操縦桿を動かした。
遺跡保全委員会という平和な名称の学術組織のくせに、いきなり空賊船に攻撃を仕掛けてきた? いや、空賊からの攻撃に対する正当防衛か。戦闘開始時の状況を把握できないが、とにかく、今、双方共に攻撃中だ。砲弾の飛び交う中、有視界飛行に切り替えて、窓の外に見える光景を見る。遺跡保全委員会の船籍を持っている飛行機は四機。とても民間人とは思えない速度と切れの良い飛行で、アクロバティックに飛びまくっている。
「マジか……やられるに決まってる」
空賊の船なんて、寄せ集めのガラクタだ。遺跡保全委員会の航空機には古臭いロケット制御装置なんて付いていない。彼らは原子を分解して取り出したエネルギーを浮力装置に直接送り込み、重力発生装置と生体発光物質からなる流体エルロンを用いて、上下前後左右に自在に動き回るのだ。
空賊船に乗っていたら撃墜される。リディックは勝つつもりで撃っているのではなく、時間を稼いでいるだけなのだ。それを理解して、素早くヴュルラク島を探した。着陸した後どうするのかを考えている時間はない。このままでは墜落させられる。
雨のような光の砲弾を浴びながら、ビュルラク島へ突っ切る。操縦士を撃ち殺した銃創が壁にいくつか開いていた。そこから乾いた風が流れてきた。ひどい飛行環境だ。こんな状況下で操縦なんてしたことはない。
「もう二度と経験したくない冒険だな」
彼はそういいながらも、口元は楽しげに緩んでいた。恐怖が麻痺してきた。現実感が消えていく。これは夢か。不思議な高揚感を覚える。
リディックが何か叫んでいたが、爆発音で聞こえない。アラームはもう確認する気が失せるほどの量がついている。墜落は時間の問題だ。もう酸素の残量がいくつであろうと飛ぶしかない。うるさく視界を横切る遺跡保存委員会のパトロール隊の背後に見える島の形状を確認し、着陸可能な場所を目で探す。もう母船を係留して小型機で乗り入れ、なんてのんきなことは言っていられない。
体中が熱い。気がついたら、右の頬が切れて血が出ていた。いつ撃たれたのか、ガラスが飛んだのか、全く覚えていない。
気流を読む計器はどれなのか。慣れない機体の中を見渡したが、途中で馬鹿げていると思った。両手に握った操縦桿に意識を集中して、その他の数字なんて忘れた。
もう手遅れだ。この機体は墜落している。
激突する、と思ったが、それを口に出すことができなかった。強く歯をかんで、口の中に血の味がした。気づかないうちに自分の唇を噛み切っていた。
一発の銃弾が管制室に飛び込んできた。そのとたん、前方に覆っていた壁が剥がれ落ちた。ジョルノは堪忍袋がぶち切れて「安物買うなっ!」と悪態をつき、操縦桿を強く引っ張った。シートベルトをつけていなかった船員たちが悲鳴を上げて空へ飛び出していく。むき出しになった操縦席から、迫り来るビュルラクの姿が見えていた。無理やり機首を持ち上げて、強引に着陸態勢に持っていく。
目の前がくらくらした。死ぬかもしれない、という感情で。
不意にマックスが手を握り、操縦桿を動かした。操縦席を抱きしめるようにして、彼は片手でそれを操作する。風に前髪をまくられつつ、口笛を気楽に吹いて前を見ていた。彼は死を実感していない。絶対にビュルラク島へ行く、という意志を感じた。
こいつは一体何者なんだ。尋常な男ではない。
島の面積と地形から考えて、感覚的に進路の角度をとらえた。手は無意識に操縦桿を戻していた。マックスの手の力を感じなくなった。ただ、彼はジョルノの手を包むようにして、彼を風から守っていた。
不思議な男である。とんでもない犯罪者で、頑固者で、生涯二度と付き合いたくない男なのに、極限状態では彼に心を救われる。ジョルノは自分を取り戻し、失速している機体をギリギリのコントロールで前方へ運んだ。
「生きてるって感じだね」
マックスがそう言っている声が風越しに聞こえた。気のせいだったかもしれないが。
次の瞬間、生きてる、とは思えないほどの衝撃が機体に走った。パトロール隊から爆撃を受けたのか、船底部でこすれて火花が散っているのかわからない。着地した直後に、その船は大きな爆発を起こして、バラバラに壊れた。
機関部から悲鳴が聞こえたが、考えるのも恐ろしい。どこまでも滑っていく機体にブレーキの機能はない。ジョルノはもう我慢できなくなって「止まってくれえええ」と叫んでいた。後は神に祈るだけ、である。
人類にとって類い稀な遺跡がある島という付加価値なんてもうどうでもいい。島を縦断する形で、貴重な遺跡を壊しているかもしれないが、そんなこともどうでもいい。この小さな島の枠内で止まらなければ、島から滑り落ちて墜落、である。逆噴射なんてもうできない。機関部も動力源ももう壊れてる。
着地した地点から島の反対側まで大小さまざまな丘を滑りながら、一気に山を越えていく。頂点まで登った後、今度は下り始める。突然、マックスが怒鳴った。
「落ちるなっ! ここで止まれっ!」
「できるかっ!」
「この先に遺跡がっ!」
「バカやろうっ!」
機体はあっという間に頂上を乗り越えて、今度は山をくだりはじめる。
崩れ落ちてくる植物や石碑にぶつかりつつ、マックスが悲鳴をあげた。やめろやめろ、と叫んでいる。彼が動揺する姿をはじめて見た。そして、その理由に腹が立った。空軍に追われても平然としていたくせに、遺跡が壊れたら泣きそうな顔で悲鳴を上げる。
なんだこいつはっ!
めまぐるしく通り過ぎる風景と壊されていく遺跡の姿。ジョルノもマックスも真っ青になって、大きな声で悲鳴を上げていた。二人で「とーまーれーっ!」と叫ぶ。
マックスが「あれだっ!」と突然叫んで、操縦席から離れて走り出した。高速で滑り落ちていく機体から、飛び出して消えた。
「マックス! マック……はああーっ! あんのやろーっ、自分勝手すぎるーっ!」
操縦席から背後をふり返り、直後に前方を再度みた。
目前に迫る真っ青な空虚。
「あ……」
もう先がない。落ちる。
体が縮み上がった。何もできない。どうしたら、いい?
操縦桿を握ったまま、対策を思い浮かべようとした。こんな状況での対処法なんて、何も習っていない。ジョルノは目を開けたまま、空虚を睨んで時が止まる。
これが、死なのか?
何も感じない。恐怖も、不安も、感情もなにもない。
「ジョルノっ!」
肩を強く抱かれて引っ張られた。操縦桿を壊しつつ、ジョルノの体を操縦席から引き剥がし、黒い嵐のような男が機外へ飛んでいった。リディックが二人の部下と共に、ジョルノの襟首をつかんで外に飛び出したのだった。
空賊船は島の縁から飛び出すと同時に浮力を失い、機首を下に向けて落ちていく。そのすぐ後で、上空をパトロール隊が飛び去っていく。彼らはすぐに反転して戻ってきた。
ジョルノは全身を強かに打ちつけたが、岩にぶつかって止まった。浮島の崖沿いに倒れたまま、意識を失う。崖にぶつかる寸前、彼の体を抱きしめて守った男がリディックだった。そのことを一瞬思い出し、ジョルノは「くそ」と一言つぶやいた
あんな奴に二度と抱かれたくないのに、と思いながら、気を失っていた。
後のことは何も覚えていない。
軍の収容施設は第一気団の東北線に存在する。
ジョルノはそこで治療を受け、尋問も受けた。起き上がって口を利ける状態になると、遺跡保存委員会と軍人が交互にやってきた。
マックスたちがどうなったのかは知らない。だが、知りたくもない。ジョルノはふてくされた様子で尋問を受けた。遺跡保存委員会からは女が調査員としてやってきた。
彼女の名前はモトムラ・アカリという。まだ若い女だ。だが、彼女についてはそれ以上のことは覚えていない。美人だったか髪の色がどうだったか目の色がどうだったか体はどうだったか。全てどうでもいいと思っていた。
ジョルノは無感動でベッドに寝転んだまま、気だるげに眼球を動かし、必要事項だけを彼女に伝えた。
「俺が第四気団へ運んだ男の名前は、マクシミリアン・シャッテンバウアーだ。地上から民間機でやってきて、俺を雇った」
「DLA256をハイジャックした男よ。彼が犯罪者だとわかっていて、運んだのね」
「確かに危ない奴だったけど、犯罪行為を手伝うつもりはなかった。物を知らないバカだと思ったんだよ。普通の研究者はみんなチケット買って空に来るのに」
「あのね、あなたたちはいつもそう言うけどね。それが犯罪行為だという自覚を」
「いつも? はっ……あんな目にあったのは、俺だって、初めてだ。運び屋が人間を運んで何が悪い! 金で雇われたら運ぶに決まってるだろ」
もう疲れた、開放してくれ、と手を上げてジェスチャーで伝える。自分でも図々しい言い訳だと思ったが、投獄するならしてくれ、と投げやりになっていた。
前払いでもらった金が結局のところ罰金と入院費用の支払いで消える。JCP1を取りに行くための費用もかさむ。全く儲けが出ていない。しかも、今回の件で営業停止の命令を受けてしまった。一ヶ月間の謹慎を喰らう。明日から、どうやって生きていけばいいのだろうか。内心、ちくしょうめ、と罵って、ムショの飯を食わせろ、とうめいた。
彼女の後で、軍人が国際警察と共にやってきて、今回の事件を起訴するかどうかを伝えてきた。マクシミリアン・シャッテンバウアーという名前はやはり偽名だ。だが、彼のパスポートと写真から国際手配が決まる。ジョルノは過去にこの手の犯罪で検挙されたことがない。今回は不起訴、観察処分で終わる。
DLA256の通信履歴からは、ジョルノがマックスを分別して連れ出したという証拠がない。マックスの名前を照合することなく、彼だけを外に連れ出したので、一度その理由をきかれた。DLAの燃料のことを考えて、自分にできる最善のことをした、と答えたので、今回は見逃すことになったようだ。それでも、今後の動きを監視され、マックスと接触するかどうかを確認されるだろう。
国際警察の態度を見る限りでは、マックスは逃げているらしい。あの状況でどうやって逃げられたのかわからないが、とことん、図々しい犯罪者だ。リディックたち空賊がどうなったのかもわからない。ジョルノは一人で貧乏くじをひいたようだ。
グランポールで出会った空軍パイロットが見舞いに来た。名前はノノ・ニック・ブレンティアル空軍少尉、だそうだ。軍の階級についてはわからないが、空軍の中ではエース級の操縦士らしい。身につけている軍服にそんな勲章がたくさん付いている。
「シエル島にいたらしいな。第一学区は、良家の子息が通うエリート校だぞ。なぜ正規の職につかなかった? 操縦士としては勘がいいのに」
彼は声の割には柔らかい表情のできる堅物だった。軍人らしく短く切りそろえた髪は清潔だ。少し日焼けした肌に茶色の短髪、瞳は鮮やかな青。右目の下に泣きほくろがある。白い軍服がよく映える長身の男だ。
警察と遺跡保存委員会に責められ続けてうんざりしていたところ、普通に話のできる男がやってきた。ジョルノはふっと気が楽になって、彼と世間話をした。
「俺に操縦の才能があるとは思わなかったね」
「航空士養成学校時代の君は、航空士としての成績は下位から数えた方が早い。だが、航空実技の成績だけはトップクラスだ。卒業式のデモンストレーションで学内選抜に選ばれている。本当は航空士より操縦士の方が向いてると思っていただろう?」
「あんた、嫌な奴だな。俺の経歴を調べたのか」
「興味があってね」
爽やかに白い歯を見せて笑う。口調は相変わらず、淡々としている。
彼に貶められる気はしなかったので、警戒を解いた。経歴ぐらい、国際警察も遺跡保存委員会も調べているだろう。軍が調べないわけがない。進入禁止の警告を無視して飛んだ航空機のパイロットだったのだから。
ジョルノは表情を緩めて答えた。
「航空士の中ではできた方だったんだろう。でも、航空実技なんてあの学校では誰も真面目にやらなかったから……俺は航空士としても、操縦士としても、半端だよ。グランポールだって、あんたはうまく抜けたけど、俺は途中で風に捕まって、放り出されたし」
なぜ航空士になったのか。当時は職業選択を真面目に考えてした選択ではなかった。
後見人となってくれた定期便のパイロットに推薦されて入った。警察に捕まった時、ジョルノは既に十九歳だった。子供といっても既に大人になりかけていた。社会へ復帰させるために、学校の組織を利用したのだ。入寮施設があって、規律に厳しく、身元の保証ができる場所……操縦士訓練校よりは航空士訓練校の方が安かったと言うことも理由だ。
後見人になった男が航空の関係者でなかったら、軍隊に放り込まれていただろう。
空賊と過ごした時間に操縦の技術は学んでいた。だから、入校当初から彼は操縦実技に関しては、他の学生に比べて群を抜いてできていたが、座学は苦手だった。特に航空士にとって必須の気象力学で単位を落とし、留年した。普通の人よりも長く学んだので、その学科は分厚い専門書を暗記するまでになったが、苦手意識は卒業してからも抜けていない。
誘拐されたおかげで、中等教育から大学受験レベルまでの教育を受けていないのだ。訓練校の授業は最初からちんぷんかんぷんだった。しかも、シエル島の第一学区は良家子息が通うエリート校が集まるので、一般的に学力が高い。ジョルノは完全に落ちこぼれたが、幸いにしていい友人に恵まれて助けられた。
しかし、一度留年したことと、空賊にさらわれて空白だった履歴から、就職先は見つからず、現在の便利屋稼業に就いたのである。それでも、正規に船籍を取得して真面目に税も納める一般民間人だ。社会復帰はできている。
空賊に誘拐されていなかったら、今頃はどんな職業に就いていただろう。空にはいないかもしれない。地上で普通に両親と一緒に暮らしていただろう。一般企業に勤めて、安定した収入をもらって、たまに女性と恋をして、今頃は結婚して子供がいたかもしれない。
そんな日常からは、離れてしまっている。学校を卒業して航空士となった。その資格を持って地上に戻ったことがある。だが、航空士が生きていけるのは空だけだ。両親に自分の顔を見せて、無事を伝えたら、彼は再び空中都市へ戻った。
ここが自分の生きる場所であり、人生の大半を過ごす舞台になってしまった。
少し沈黙があった後、ノノが話を受けて続けた。
「グランポールを最上部まで突き抜けていく民間人をはじめて見た」
「そうか? ふふ」
ノノと話をしていたら、表情が緩んだ。三十分ほど世間話をした後、彼は事件に関する質問をほとんどすることなく退室した。本当に見舞いに来てくれたのは、彼だけだった。
入院は二週間ほどで終わった。
尋問に対しても協力したし、知っていることはほとんど話した。逃亡の恐れもないということで、開放される。
一般の旅客と共にケアフルール島に戻ったら、カトルズ空港でファ・ルウに笑われた。
今日のカトルズ空港はいつも通り、閑散としている。観光客の着陸後のみ、空港の表にタクシーやらバスやらが慌しく到着するが、しばらくすると閑人無人の施設となる。
「ジョールノーっ! 生きてるうー? あははは」
彼女がカウンターから出て、手を振ってきた。ジョルノは渋い表情になって、傍へ行く。
懐かしい緑の髪を揺らし、ファ・ルウがジョルノの腕をひいた。
「ネイジェルがJCP1を第四気団から牽引したって」
「はあー? 牽引って……くそ、さらに金を要求するつもりだな、あいつ」
親切のつもりだったのだろうけれども、ジョルノ自身がマルズ諸島に行って操縦して帰ってきたほうが安上がりだったはずだ。ジョルノはがっくりと肩を落として、カウンターに肘を乗せた。
旅客が減ってくると整備士や機関士らが歓談しながら、空港を通り抜けていった。彼らに「よお、犯罪者!」と茶化された。ジョルノが軍事施設にいたことは既に知れ渡っているようだ。ジョルノは脱力しながら、彼らに手をあげて苦笑いする。
ネイジェルも油で汚れた手を拭きながら、空港の中に入ってくる。
彼女と目があったので、腕を組んだ。こっちへこい、と指で合図をする。ネイジェルは目を輝かせて、傍に来た。
「体調はどうよ? 色男さん」
「おまえはがめつい女だな。俺からいくら金をとるつもりでいるんだよ? 牽引なんかしなくたって、俺が取りに行ったのに」
「戦闘に巻き込まれたって聞いたよ。それにしては、両手足ともついてるみたいだけど」
「無事だよ、無事無事。今月のツケな、あれ、払えない。一ヶ月間の業務停止命令」
ジョルノがそう言ったら、ネイジェルは目を大きく開いた後、一度沈黙した。直後、ファ・ルウと二人で大爆笑された。華やかに笑われて、ジョルノも顔が緩んだ。自分でもおかしくなって、ようやく朗らかな笑みが浮かんだ。彼女たちと一緒に笑っていたら、隣に暮らしているバスの運転手が制帽を頭からとって、空港に入ってきた。
「おいジョルノ、乗らないのかあー?」
バスに乗る金もない。ジョルノは「金がないー」と答えたが、彼はにんまり笑って「知ってるよ」と答えた。そのまま彼は大きく手をあげて、ジョルノを招いた。
ネイジェルに簡単に礼を言った後、謹慎明けにまた連絡する、と叫んだ。ネイジェルは片手を振って応えてから、同僚たちとランチを食べにいった。ファ・ルウもほくそえんでカウンターの中に戻っていく。
ジョルノは手荷物を抱えて、空港の外にかけていく。バスが一台停まっている。ユイティの旧市街まで戻る路線だ。乗客は見慣れた男が数人と珍しい観光客が家族連れで一組。ステップを上がって中に入ったら、運転手が笑顔で制帽をかぶりなおした。
「お待たせいたしました。ユイティ街ヴィエイユ行きのバスが発車いたします」
運転手がそう声をかけて、バスを動かした。運転席に近い場所に座り、ジョルノは彼と久々におしゃべりをして帰宅した。週末にデートでもするか、と声をかけたら「今は金がないんだろ」と見抜かれた。デートしてやるからおごれよ、と言い合って笑った。
雲が流れるのどかな風景の中、彼は自分の日常へ戻った。
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