「マザー:R氏をめぐる殺人疑惑」




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3 ダヴ・ラヴ、カイト・ナイト、スラッシュ・ブッシュ

 こいつも柔和な顔して相当に嫌な執事だ。ぼく以上に推察力がありすぎる。
 ライラは死んでなんかいない。だが、死んだことにして二人の逃亡を助けたくなったのさ。二人はジルバーシュタイン氏に黙って、駆け落ちしているだろうから。巷で、二人の噂話はよく聞くからね。
 ぼくはセバスチャンに、黙っていろ、と合図をする。あいつはすぐに頭をさげて、命令に服した。おとなしく、ウヴァの茶葉をスプーンですくって、茶器にすべりこませる。
 ルーク氏が動揺しつつ、口をひらいた。
「そ、それはどういう……ああ、なんとしたことか……失礼ながら、ルイスさま、その、事件の話はまだすべて語ってはおりませんのに。推測で軽々しいことを話されては、困ります。旦那さまがどれほど落胆されることか……ああ」
 ルーク氏は怯えた顔になり、両手で頭を抱えた。だが、ぼくは彼の様子よりも、左手の指にはまった結婚指輪に目を向けてしまった。それが少し変なんだ。小指と中指にはまっている二つの指輪。中指は第二節で止まっている。明らかに、おかしな場所についている。それは彼の指にあっていない結婚指輪だ。
 ぼくなら、結婚後に自分の指が太って、取り外しができなくなろうとも、薬指につけたままにすると思うのに。いや、きっと僕の妻はそれを外すことを許さないね。まだ妻なんていないけど。小指の指輪は彼のものではないな。小さすぎる。女性のものだろう。
 彼の妻が亡くなって、彼女の指輪をつけているのだろうか?
 そんな人間を見たことがないな。そもそも、利き手に二つも指輪をつけるなんて、どういう執事だ。その奇怪な指を客に見られてしまうだろうに。彼の主はそういうことに気が回らないのかな。まったく、教育の不足した男だ、ジルバーシュタインという奴は。
 ぼくがイライラしていると、セバスチャンがカップにお湯を注ぎながら、口をひらいた。
「我が主はせっかちなところがございまして、よく話の腰を先に折ってしまうのです。どうぞお許しくださいませ。ルークさま、差支えなければ、事件の話の続きをお話しください。主ももう一度事件を整理して考えてくださると思いますので」
 余計なことを口走った。黙っていろと命じたのに。
 ぼくはセバスチャンを睨んだが、彼は知らん顔でやさしい笑みを返してきた。ぼくが教育した通り、優美な笑みだ。まあ悪くない。その笑顔の美しさに免じて許してやろう。
 ぼくはため息をついて「事件の話を続けてください」と言った。時間の無駄だ。だが、これは社会のマナーだ。我慢しよう。早く終わらせてクリケットの試合を見たいのに!
 だが、ルーク氏は怯えた顔で両手を口の前に組み、黙り込んでしまった。
 それを見かねたデリンジャーが、いつも通りの淡々とした能天気さで話し始めた。最初から、彼が要領よく話していたらよかったんだ。クッキーなんて頬張らずに。
「なあ、ルイス、俺は初めに『難解な事件』だと言っただろう? そんなに簡単に解決するなよ。つまらないじゃないか。残酷な奴だな」
「君はぼくがこれからクリケットの試合に行くことを理解してないようだね。ぼくに難解な事件なんていらないよ。大事なことは、クリケットの試合はあと二時間で始まるし、その試合にはアイリーンがやってきて、ぼくは彼女とデートができるということなんだ」
「ああ、それで焦っているのか。だがな、名探偵を頼って俺が来てるんだ。きちんと推理を話してもらいたいな。これから捜査本部に戻らなくてはならないのに、俺は何を話せばいいんだ? 凡人にもわかるように語ってくれ」
「それこそぼくには関係ない勝手な話だが」
 そもそも、何が謎なのか。
 ぼくはライラ嬢の失踪の理由なんて、パブの噂話から理解できてしまっている。デリンジャーが難解だというその理由の方を先に聞きたいものだ。何が難解な謎なんだ?
 ぼくはデリンジャーに聞いた。
「君は要領よく話すということができないからね。ぼくの質問に答えてくれ」
 デリンジャーは肩をすくめて「どうぞ」という。この男のこういう態度が気に食わないな。クッキーの食べかすがシャツに落ちてるぞ。気に入らないな。
 ぼくはたずねた。
「ライラ嬢が失踪してから、ジルバーシュタイン家に脅迫状は届いたか」
 デリンジャーは「いいや」と答えて、再びクッキーに手をのばす。予想通りさ。
 ぼくは続けた。
「カッケイド氏の山荘で見つかった血痕の分析は」
「おっとっと! お前、その話をどこで聞いたんだ! 捜査上の極秘」
「既に街で噂になってるよ。ぼくがパブでその話を聞いたのは、昨日の夜だね。事件が起きたのは三日前の夜から二日前の朝にかけて、だろう? カッケイド氏は直後に厄介なことに巻き込まれているはずだ。思い悩んで酒を飲んでいたことが知られてる」
 血痕が見つかったという噂は本当らしい。ぼくは密かにデリンジャーの反応を見て、憂鬱な気持ちになった。物証があるなら、絶対にカッケイド氏を探し出してしまうだろうな。
 カッケイド氏の山荘で見つかった血痕が誰のものかを警視庁は既に調べているんだ。それはライラのものだったに違いない。だから、カッケイド氏の山荘で見つかった血痕は捜査上の極秘事項としてデリンジャーが認識している。
 それで、ライラとカッケイドの間に何が起きたのかを調べているんだ。巷の噂では、カッケイド氏の片思いらしいが、事業家としての彼はライラの父親と確執があったらしい。ライラを誘拐して、ジルバーシュタインを脅す? 何のために、そんな貧民のマネをカッケイドがする必要がある? そんな必要はないさ。脅迫状なんてあるわけがない。これは誘拐事件ですらない。
 これは狂言なのさ……だから『難解な事件』なんだよ。退屈なことに。

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