「マザー:R氏をめぐる殺人疑惑」




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4 誰が鐘をならすのか

 ぼくは時計をふり返る。アイリーンから電話がかかってきそうだ。早く出なくては。
 デリンジャーがクッキーを食べてから、指を舐めつつ口をひらく。
「ライラ嬢は誘拐されたわけではなく、殺された、のか? 誰に? どうして?」
 いや、真相は全く別だが、死んだことにした方がよさそうなんだ。ライラはカッケイド氏と駆け落ちしたに違いない。だが、ジルバーシュタイン氏とカッケイド氏は確執がある。ライラ嬢が父親から逃げるために一芝居うったんだ。
 そんなこと、この場で言えるものか。
 ぼくの口の動きをルーク氏は息をのんで注視していた。彼は怯えた顔でぼくの顔を見る。ルーク氏は無意識に左手を右手で包むようにして握っていた。指輪を隠すようにして。ぼくは彼の動きを真似て、自分の利き手を握ってみる。おかしい、と感じたのはこの時だ。
 どうして、利き手を別の手で隠すんだ?
 真っ先に動くのは、利き手の方ではないのか……こういう小さな違和感が気になって仕方がない。ぼくにとっては、ライラ嬢の失踪事件よりも、目の前のルーク氏の存在の方が気になる謎だった。退屈な時間の潰し方として、目の前にあるものを観察してしまうのが、ぼくのくせなのさ。
 デリンジャーは空っぽになった皿を名残惜しげに見つめつつ、口元を指先で慰めるようにして撫でていた。おかわりを要求しそうだ。ぼくは咳払いしつつ、彼のまえで腕時計を撫でていたが、デリンジャーは気がつくだろうか。こういう時の彼はひどく鈍感なのだ。
 セバスチャンはカップを湯で温め、茶器に湯を入れてから砂時計で時間をはかった。
 彼がベストに入れた懐中時計を手にした時、ぼくは口をひらいた。
「セバスチャン、砂時計と懐中時計をなぜ両方見てるんだ」
 とつぜん、話題が変わったので、ルーク氏とデリンジャーがびっくりした顔をした後、セバスチャンをふり返った。セバスチャンは少し恥ずかしそうに笑ってぼくに答えた。
「失礼いたしました。旦那さまのご出発の時刻を考えておりました」
 デリンジャーがその言葉を聞いて、ぼくの立場を思いだしてくれればいいけれど、残念ながら彼はそういう男ではない。時間の意味を相手に教えるためにわざわざ取った行動なのに……いや、砂時計と懐中時計の時間は意味が異なる、か。
 経過時間の計測と、時刻の確認。
 似て非なるものには、別個に存在理由がある。
 デリンジャーはセバスチャンの動きを全く無視して、話を続けた。
「ライラ嬢がいなくなったのは、ルイスの言うとおり、三日前の夜だ。その夜にはジャジー・ストール劇場の傍にある、ポワリル・ド・プーランというバーで泥酔するカッケイド氏が目撃されている。氏はその直後失踪し、翌朝、氏の山荘で血痕が発見された。地元警察はカッケイド氏を殺人容疑で手配中だ」
 ぼくは彼の説明を聞き流しながら、ルーク氏の左手を見ていた。
 なぜ、結婚指輪を両方つけているんだ?
 その指輪はお互いがパートナーであることを示すものだ。一人で二つ持っていても仕方がないのに。どうしてだろう?
 ぼくは右手で指輪をもって、左指にはめるだろうな。左利きの人間は、どんな気分で指輪をはめるのかな。やりにくいだろうな。結婚指輪は左につけるものだから仕方がないか。どうして左につけるんだろう? 左利きの人間にとっては厄介な因習だろうに。
 いや、彼は結婚指輪を正しい場所につけていない。
 小指と中指……普通は薬指に入れるだろう。そうだ。中指に第二節まで入るなら、薬指に入れれば、本当はピッタリなんじゃないのか? どうして中指に、わざわざそんな不適切な指に入れるんだろう。
 デリンジャーの声が一度途切れた。意識下で彼の説明を聞き流していたが、突如やってきた沈黙で我に返る。デリンジャーは身を乗り出し、ぼくに話しかけた。
「聞いてるか、こら。俺が真面目に話しているのに」
「ああ……それで、君がぼくに聞きたいことは? 事件の真相? 推理を聞きたい?」
「語ってくれよ。アイリーン嬢に早く会いたいんだろう? 食べるものももうないし」
 デリンジャーはセバスチャンをふりかえって笑顔になる。セバスチャンはお茶ができるまでの時間を見計らって、テーブルにミルクと砂糖を整えた。デセールプレートを片づけて、バターブレッドの乗った皿を代わりに置く。デリンジャーを甘やかすな。
 セバスチャンはぼくの傍に来て話した。
「わたくしも推理に参加したいのですが」
 ぼくは時計を見ながら頷いた。ルーク氏はセバスチャンに視線を移す。
 セバスチャンは話し始めた。
「この事件には、事件の成立に必須の要素が欠けております。そこがとても奇妙で、難解なところでございます。この事件を起こした犯人は今、とても困った状況にいらっしゃいます。事件をどのように決着させるべきかを悩んでおられるのです」
 ぼくは彼が推理を話し始めたとたん、咳払いして立ち上がった。
 セバスチャンはとてもよくできた執事だ。だが、それをデリンジャーのいる前で言うとは無節操も甚だしい。後で教育が必要だ。
 ぼくはルーク氏に話した。
「事件の真相は単純明快です。ライラ嬢に一目ぼれしたカッケイド氏が、彼女と共に駆け落ちするために一芝居うったのですよ。ライラ嬢はその案にのって、気に入らない婚約の話を翻そうとしたが、最後の場面でカッケイド氏と一悶着おきたのです。彼女には別に想い人がいたから、カッケイド氏がそれで怒ってしまったのです。氏はライラ嬢を殺してしまって、その証拠を消すためにどうしたらいいのかと悩んだ」
 デリンジャーがのほほんとした様子でぼくの推理を止めた。
「わははは! ルイスらしくない早とちりだな。そんなにこの話を早く終わらせたいのか。血痕のDNA鑑定はまだ出てないんだ。昨日の今日だぞ。血痕がカッケイド氏のものだったらどうする? 自分に一目ぼれした男を出汁にするたぁ、ライラ嬢もたいしたタマに仕立て上げられたものだぜ。んで、その根拠はあるのかい、名探偵」
「わかったわかった。警部好みのあらすじではなかった。二人は激怒したジルバーシュタイン氏に殺された」
「おいおい。ジルバーシュタインは娘の失踪届を三日前に出して、以後は警察と連絡を取ってるぞ。令嬢をいつ殺しに行ったか……俺の部下にアリバイを探させてみようか? おっと、俺の記憶違いでないならば、そのアリバイを証明するのは他ならぬ俺だな」
 ぼくはこういう男が嫌いだ。凡人のふりして、ぼくの嘘とたくらみをすぐに見抜くのだから。その頭脳を本職で生かして、真面目に捜査をしていればいいのに。
 その時、ついに時を知らせる鐘がなった。
 アイリーンが電話をかけてきたのだ。彼女が怒っていないといいのだけど。

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