「マザー:R氏をめぐる殺人疑惑」




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6 夫婦二人で 棺覆いを運ぼう

 ぼくは続けた。
「おまえがぼくの指輪を自分の手にはめる可能性があるとしたら、どんな場合だ」
 セバスチャンは困った顔で首をふったあとで、口をひらいた。
「そんな……失礼なことはできません」
 だが、彼はしばらくして、ルーク氏の指を見て、眉をひそめた。執事として、その異常に気がついたようだ。セバスチャンは口の中で小さく「ありえない」とつぶやいたあとで、答えなおした。
 声を少し落として、哀しい顔になる。
「私が、旦那さまの結婚指輪を自分の手にはめなくてはならないような状況になったら……いや、ポケットに入れて落としてしまいたくもありませんし……ネックレスがあればそこに……いいえ、取り出すときに見苦しゅうございます。どうして、あのような形で持っているのでしょうか」
 セバスチャンは「箱がないなら、落とさないように意識できるようにしてお持ちいたします」と答えたあと、居心地悪そうに「申し訳ありません」と謝った。
 そうだろう。だから利き手に大事なものを身につけたんだ。常に意識できるように。
 ぼくはルーク氏を叱責するつもりはない。だが、セバスチャンはルーク氏の立場を理解して怯えていた。主の怒りを予想しているのだろうか。ルーク氏の代わりにぼくにその無礼を謝った。ぼくは彼を安心させるために話す。
「彼の主はきっと彼を叱らない……なぜならば、そのようにして持ってくるように命じたのは、彼女だからだ。予約した指輪をとりに行き、誰にもばれないように持ってきてくれと頼んだんだ……これから親に内緒で、結婚式を挙げるから」
 セバスチャンはその言葉を聞いて、肩の力が抜けたようでほっとした顔になる。
 だが、ぼくは最悪の事態を考えていた。ルーク氏の態度はそれを示していた。約束の場所に、約束の時間に、その二人は現れなかったのだ。ルーク氏はぼくの屋敷に来訪することも主には話していないだろう。だから、普段通りの革靴で来た。いや、本当はそのまま式に出るつもりで、新しい靴を途中で買って履いていたのだ。
 だが、彼はそのおかげで、自分自身のアリバイを証明することができないのだ。ライラ嬢の死を示唆した時に、とっさにその指輪を隠したのは保身のためだったに違いない。
 真相を藪の中に置いたままでいいのか。いや、ルーク氏がぼくの屋敷にいるということは、ぼくにはこれを解決して明らかにする必要があるように思う。そうでなければ、あのいやらしいデリンジャーがルーク氏に張り付いてぼくの傍に来ることはなかっただろう。
 これはもう狂言ではないのだ。
 本当の事件が起きている。
「セバスチャン、確認してきてくれないか。ジルバーシュタイン家で今、何が起きているか……誘拐事件ならば、地元の警察が屋敷内にいるのかどうか。頭取が銀行に出仕しているかどうかも」
「確認してまいります」
 セバスチャンはぼくの執務室を出ていった。ぼくは時計を見つめて、ためいきをついた。試合が始まるまでに間に合うだろうか。自分で運転していかなくてはならなくなった。
 あと一時間だ。アイリーンに詫びの電話を入れるなら。
 ぼくは執務室を出て、居間に戻った。確かめておかなくてはならないことがある。
 彼女は無事か。ルーク氏はそれをぼくに推理してほしくてここにきたんだ。ライラ嬢が無事なら、結婚指輪なんてどうでもいいさ。指輪よりも大事なものがあるはずだから。
 山荘になぜ、血痕を残したんだ。誰の血なのか。
 誰かがそこで本当に血をながしていたのだろうか。故意ではなく、事故で? その謎さえ解ければ、ぼくはお役御免だ。おそらく。
 居間に戻れば、デリンジャーが紅茶をすすりながら話しかけてきた。
「ようやく本気で動きはじめたみたいじゃないか、名探偵どの」
「警部はまだ真面目にお仕事をしないようだ。ぼくに甘えてサボりすぎだぞ。血痕のDNA鑑定はいつ出るんだ。その結果は教えてもらえるのか」
「捜査上の情報は外部の人間には教えられない」
「ケチ」
「安楽椅子探偵には、そんなものは不要だろう」
 デリンジャーは焼きたてのバターブレッドを引き裂くようにしてちぎり、口の中に入れる。ほくほくした顔で食べている姿は不謹慎そのものだ。警部という人種は人の死に慣れているのか、不謹慎で不愉快な奴らだ。
 ルーク氏は涙目のまま、手を強く握って祈り続けていた。その姿がセバスチャンと重なって見えて、心が動いた。あいつもぼくが行方不明になったら、こんな風に祈り続けてくれるのだろうか。
 ぼくはルーク氏を助けたくなった。決してデリンジャーなんかの為ではなく、ライラを想うルーク氏に免じて、協力してやることにした。

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