「マザー:R氏をめぐる殺人疑惑」




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9 マザー・グース

 アイリーンが不満そうな顔でぼくに耳打ちした。
「もう、ルイージ! 先に謎を解いたからって、そんな顔で笑わないで。まだ答えを言わないでね。でも、あとでこっそり教えてね」
「わかったよ。ぼくはおとなしく食事をするから。でも早く推理しないと、今日の夕刊には事件の真相が載っちゃうよ」
「きゃあっ! 早く解かなくちゃ!」
 アイリーンの悲鳴でスコット夫人たちが一斉にぼくたちをふり返った。ぼくはにっこり微笑んで、エールを口に運んだ。すっきりした炭酸が喉を滑り落ちた時、携帯電話の着信でぼくは片手をあげて、会から抜け出してきた。
 まだ使い方がよくわからない。小さな通信機を手にして、芝を歩いた。
「あー、通話ボタンはこれでいいのかな……もしもし?」
「旦那さま、先ほどデリンジャー警部と合流しました」
「ああ、セバスチャンか。ぼくの声は聞こえているのか」
「はい」
 でも、広場から出ると電波が弱くなる。ぼくはアンテナの向きを確認したり、行ったり来たりしながら、セバスチャンと話した。電話をもって外に出るなんて、忙しい庶民のやることだ。そのうち、こんな電話はなくなるだろう。不便だし。
 セバスチャンは郊外に向かっていた。今、ルーク氏を連れて、デリンジャーもついたようだ。そこはカッケイド氏の山荘から近い民間の診療所だ。
 そこで、ロビンという名前の男性がララという名前の妻を連れてきたそうだ。彼の妻は入院して、医師の診察をうけたようだ。ぼくはセバスチャンにたずねた。
「それで、そのご婦人の容体はどうなんだ。子供は無事なのか」
「胎盤は落ちていないそうです。しばらくは入院して安静にするということですが、デリンジャー警部があとで事情を聴くと言っています」
「夫人の精神に影響を与えるような尋問を控えるように注意したまえ」
「はい。ルーク氏も警部にそう言っていました。お嬢様のことはルーク氏にお任せして、私はデリンジャー警部とあとで帰ります。夕方には戻れると思いますので」
「ぼくはアイリーンとデートで遅くなるよ。ゆっくり帰ってくるといい」
「かしこまりました」
 ライラ嬢はジルバーシュタイン家には戻っていなかった。彼女はもう実家には戻らないだろう。彼女が頼るべき男は父親ではなく、カッケイド氏なのだ。
 結局、カッケイド氏もライラ嬢を見捨てるようなことをしなかった。氏の山荘で出血した彼女を守るため、名前を偽って地元の診療所に駆け込んだのだ。だが、それは軽率な行動だろう。あとでメディアに見つかれば、スキャンダルが起きるだろう。
 ライラ嬢を守るために、彼はこの後、戦わなくてはなるまい。
 しかし、氏の疑惑はこれで完全に晴れたよ。彼は誰も殺していない。いや、殺そうとはしていなかったのだ。彼女の腹に宿った生命でさえも。
 ぼくは思い出して、セバスチャンに話しかけた。
「セバスチャン、カッケイド氏が飲んだくれた理由は何だったろうね? ぼくはそこだけがわからないのだけれど。彼は何を考えて飲んだくれていたのだろう?」
「あとで伺ってみます」
「いや……そうだね。でも、その……いいよ。ぼくは自分で答えを考えてみる」
「さようでございますか」
「将来、ぼくもそんな風に飲んだくれたくなる気分を味わうのかもしれない。自分の子供ができるって、男にとってはどんな気分なんだろうね」
「さあ……わたくしにも経験がまだございませんので」
 セバスチャンは笑いを含んだやさしい声でそう答えた。
 電話を切ったら、背後から手が伸びた。アイリーンは「これはなーに?」と楽しげに聞いた。携帯電話だよ、と答えたら、喜んでいた。まだ見たことがないんだって。
 だけど、直後、アイリーンは少し膨れた顔で「真相を聞いちゃった」と落ちこんだ。
 あー、聞こえないように離れたのに。
 ぼくたちは二人で沈黙した後、苦笑いして腕を組んだ。散歩でもしようか。
「ねえ、ルイージ、カッケイド氏は彼女……ライラさんを愛してると思う?」
「愛してるんじゃないの?」
「どうかしら? ねえ、ライラさんに堕胎を迫ったりしたのかもしれないわ。そういうひどく精神的に傷つけられるようなことがあったから、彼女は倒れたんでしょう?」
「ん……そうかな?」
「そうよ。きっと……本当はひどい男なのよ、きっと。でも、最後に彼女が可哀そうになっちゃっただけなのよ。ただの同情よ、ひどい人よね、きっと」
 アイリーンはそんなことを言って、頬を膨らませた。カッケイド氏はライラ嬢を傷つけようとしただろうか。子供を……自分の子供を堕胎しろと言っただろうか。
 言ったかもしれない。
 だから、フラフラになるほど酔いつぶれていたのかもしれないね。
 彼はもう彼女と別れようとしていたんだ。だから、彼女から身を引くために、子供を捨てようとしたのだろう。ひどく悩んで決心するまでに時間がかかった。酒を飲みながら何度も考えたのだろう。彼女を幸せにできる形を。
 だから、彼女が倒れた時に迷うことなく、助けたのさ。本当に大事な人だったからだ。
 ぼくはそう思うよ。
 だって、彼は彼女のことを「妻」として入院させたのだからね。
 クック・ロビンはとっくの昔に、彼女の矢でハートを射抜かれていたのさ。



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