「マザー:R氏をめぐる殺人疑惑」




目次123456789参照




5 松明はすぐに瞬く

 セバスチャンはぼくの執務室で鳴っている電話の音を聞き、軽く頭をさげて退室した。続き扉をあけて、ぼくの背後で電話をとる。ぼくはとっさに動くことができなかった。言い訳を考えていたからだ。
 だが、ぼくの執事は居留守をつかうという高度な技を知らない。
 彼はすぐにぼくの傍に戻ってきた。
「旦那さま、アイリーンさまでございます」
「わかってるよ。ぼくがまだこの屋敷にいると言っちゃった?」
「大層ご立腹です」
「わかってるよ」
 ぼくはデリンジャーたちに片手をあげてから席を立った。
 一度、大きく息を吸って、気持ちを整えてから電話に出た。アイリーンは待っててくれるだろうか。試合までには間に合うように行くつもりだ。車で飛ばして、三十分。
 でも、ぼくの予想を裏切り、彼女は上機嫌だった。
「ルイージ! ねえ、また何か事件が起きてるって本当? ねえねえ、あなた、今そこにデリンジャー警部はいるの? 替わって替わって! 私も事件の話を聞きたいわ!」
「アイリーン、落ち着いて。人が一人失踪してるんだ。軽率だろう」
「あなたのことだから、もう解決できてるんでしょう? いつこっちに来られるの?」
「試合が始まるまでには」
「早く来て、事件の真相を教えてね! 教えてくれないと、もうデートしてあげない!」
 不謹慎な娘だが、事件の話が大好きだ。だからこそ、変人と呼ばれるぼくなんかと付き合ってくれるのかもしれないけれど。
 電話を切ってから、ぼくは腕を持ち上げて時刻を見た。
「セバスチャンの奴……事件に必須の要素が欠けてる、か。ぼくだってそんなことはわかってるよ。被害者のいない殺人事件なんて決着つくわけがない。二人は駆け落ちをしたんだ。そんな話をジルバーシュタイン氏にどう伝え……あれ? いや、もしかしたら……」
 ぼくは不意に違和感に悩まされた。ライラ嬢は本当に駆け落ちしているのだろうか。頭に引っかかって仕方がない。あの二つの指輪が。
 なぜ、ルーク氏は二つの指輪を持っているんだ?
 ぼくは急に嫌な予感がしてきた。ぼくは、とんでもない読み違いをしているのかもしれない。ライラはもう死んでいる……狂言ではなく、本当に死んでいるのかもしれない。
 これは、本当に事件なのか? 
 急に違和感が明確になった。なぜ、カッケイド氏の山荘に血痕なんて残したんだ。もし、それがライラのものなら、二人の失踪が結びついてばれてしまうではないか。山荘に残された血痕がカッケイド氏のものならば、事業の失敗を苦に自殺したという仮説も成り立つ。仮に、氏が自殺せずに失踪しただけだとしても、死んだことにして逃げるかもしれない。それでも、ただの失踪をするだけなら血痕なんか残さない。それがあれば、地元の警察が捜査を始めるのはわかってるだろう。ただ、消えるだけでもよかっただろう。
 もしかしたら、本当に誰かが亡くなっているのか。
 なぜ、ルーク氏は二つの結婚指輪を持っているんだ。
 なぜ、ルーク氏は革靴を履いているんだ。
 なぜ、ルーク氏は怯えているんだ。
 ぼくは何を見落としている?
「旦那さま、お茶が入りました」
 セバスチャンがぼくを執務室まで呼びに来た。隣の部屋で、デリンジャーが白磁のカップを鼻に近づけて、香りを味わっているのが見えた。
 その隣で小さく身を縮めてルーク氏が座っていた。彼はそっと手を組んで、祈りを捧げていた。主のご令嬢が死んでいるかもしれないんだ。当然の行為だ。だけど、ぼくは違和感を覚えていた。ライラの死を示唆したら、彼はまずあの指輪を隠した。
 それって、どういう意味なんだ?
 ライラの生死の真相と同時に、その指を見られたくない感情が起きたということか。あの手の形は祈りを捧げるようなものではない。隠したんだ。わざわざ、動きにくい利き手以外の手で、その物体を隠した。
 そもそも、利き手になぜ、そんなものをはめたのか。
 ぼくは迷いつつ、セバスチャンに聞いた。
「セバスチャン、ぼくがアイリーンと結婚したとしよう。出先で指輪を忘れてしまった。午後には妻と会食の予定だ。君に電話をかけて『ぼくの結婚指輪を持ってきてくれ』と命じる。君は指輪をどうやって持ってくる?」
 セバスチャンは答えた。
「探し出してお持ちしますが」
「箱ごと持ってくるだろう」
「はい」
「鞄に入れて?」
「旦那さま……何をお聞きになりたいのでしょうか」
 セバスチャンは首をかしげ、ぼくの視線を伝うようにして、ルーク氏を見つめた。

NEXT

WEB拍手
tomoya@CONTO BLOCO