「マザー:R氏をめぐる殺人疑惑」




目次123456789参照




8 誰がコマドリ殺したの?

 クリケットは十一人で行う英国伝統の草野球だ。
 開幕後、数日間はティータイムや昼の正餐を含めた社交の場となる。試合開始には間に合わなかったが、ランチタイムには間に合った。いや、普通に走れば間に合ったはずだがね。免許証を探していたら時間が思いのほかかかってしまった。
 アイリーンと二人でスコット夫人のテーブルに呼ばれた。スコット夫人は迷宮入り事件が好きなご夫人らしい。どうやら、アイリーンはデリンジャー警部が持ってきた事件を昼の話題にしたいようだ。
 もちろん、ぼくは出たよ。彼女を失望させたくないからね。アイリーンは、ブルネットの長い髪がサラサラしていて、翡翠に輝くかわいらしい目がくるんとしていて、愛嬌のある女性だ。この瞳で見つめられたら、誰だって「ノー」とは言えないよ。
 小鳥のように可愛い声でおしゃべりする人なんだ。そんな彼女が、ぼくの恋人だよ。
「ルイージ! スコットランドヤードが持ってきた事件を教えてくれるわよね? ううん、いいの。真相はまだ話さなくて。でも、謎を頂戴。みんなで推理するんだから!」
「アイリーンも物好きだね。そのうち、血みどろのおそろしい話を聞くことになるかもしれないよ? いいのかい?」
「いいわ。あなたは生きているんだもの」
 わかってないなあ。ぼくが安穏と生きていられる理由は現場には行かない安楽椅子探偵だからさ。迷宮入り事件の背後には、真犯人が生きていて、どこかでうごめいているという事実があるんだけどなあ。そんなに嬉々として事件を楽しんでいたら、命を狙われるかもしれないし、危ないよ?
 それはともかく、今日は珍しく穏やかな青い空が広がっていて、いい気分さ。ぼくが応援するチームの試合は午後の組だ。ぼくはアイリーンと二人で掛け金を用意して、観戦をしゃれ込む。午後はゆったりした気分で楽しもう。今はともかく、昼食だ。
 屋外に用意されたタープの下で、白磁の並ぶテーブルに座した。
 英国夫人の社交は、華やかな噂話で幕を開けた。
「みなさま、お聞きになりました? ジルバーシュタイン家のご令嬢のお話」
「まあ、スコット夫人、面白そうな話題ですの?」
「大層恐ろしく、難解な事件を起こした、スキャンダルですのよ。あたくしの主人が今スコットランドヤードを動かして捜査中ですの」
「あらあ」
 ぼくはこういう嘘で塗り固められた上流社会の中で生きていくのだ。笑顔で頬がひきつりそうだ。ああ、なんと退屈な社交場だろう。
 アイリーンの耳元に口を寄せて、ぼくは彼女にささやいた。
「それはぼくが謎を解いた奴さ……ひどく退屈な事件だったけどね」
 アイリーンは両手で口元を隠して、ぼくに微笑みかけてきた。難解だった?、と声を消してきかれたので、ぼくは肩をすくめて「全然」と答えた。アイリーンは目を輝かせてスコット夫人の方を見た。
 スコット夫人は話し始めた。
「ジルバーシュタイン家のライラ嬢が三日前に失踪しましたの。ジルバーシュタイン氏はすぐに地元警察に誘拐事件として捜査を依頼しましたわ。誘拐した相手は、あの、ロバート・カッケイド氏です」
「まああ。ライラ嬢のご婚約者じゃないの。誘拐事件でも何でもないわ」
「違いますのよ、それが。カッケイド氏の事業が倒産したことを受けて、数日前にジルバーシュタイン氏はご婚約を破棄なさいましたの。それで、三日前に新たな婚約者をライラ嬢に引き合わせたのですわ」
「まああ。あのお二人は大層お似合いでしたのに、ひどいお話ですこと」
 ぼくの隣にいた紳士が片手をあげて、話に入ってきた。
「ああ、私は別の話を聞きましたね。カッケイドの事業が倒産した理由は、ジルバーシュタイン氏が裏で糸を引いていたのだと。カッケイド氏と令嬢の婚約を破棄させるために仕組んだのですよ」
 そういう裏事情は卵が先か、ニワトリが先か、という気がするね。いずれにしても、ジルバーシュタイン氏はカッケイド氏が気に入らなかったというわけさ。
 アイリーンはぼくの脇腹をつつくけれど、ぼくはにっこり笑ってニシンのフライを頬張っていた。ぼくは時間を再度確認する。ライラ嬢が失踪したのは、三日前。カッケイド氏が飲んだくれていたのも、おそらく三日前だ。そして、翌日には市井で噂になっている。
 彼が酒を飲みたくなった理由は何だったのだろう?
 スコット夫人は両手を広げて、話の主導権をとった。
「問題はそれから起きたのですわ。みなさま、なんと、カッケイド氏の山荘で恐ろしい事件が起きたのです! スコットランドヤードは山荘でライラ嬢の血痕を発見しました」
 その仰々しい物言いで、周囲が「まあああ」と歓声をあげた。ぼくは笑いをこらえるのに必死だったよ。ランチをこのテーブルで過ごすことにしたのは、失敗だったかもしれない。アイリーンには悪いけど、これはコメディだ。
 アイリーンはもうのめり込んで話を聞いている。ぼくは彼女の気分を害さないように声を押し殺して、うつむいていた。この空間は辛い。
「ライラ嬢は殺されたのか、生きているのか、まだわかっていないのです!」
 そこでなぜか拍手が起きた。不謹慎な集団だな。なぜ、拍手するんだろう? いや、ぼくにはわかる。謎が解けていないから喜んでいるのさ。この有閑夫人推理クラブの面々は。

NEXT

WEB拍手
tomoya@CONTO BLOCO